第二十六話 濡れ湿った夜
◇混沌の使い【こんとん-の-つかい】
魔法/召喚魔法
異界から恐ろしき混沌の怪物を召喚する魔法。
それは人智に収まらぬ、凶暴な混ざり馬である。
呼び出される馬は千差万別であり、一頭として同じものなく、
強力な個体ほど、深く強く混ざり合っている。
混沌の軍勢現れる時、まずこの混ざり馬が戦場を駆け抜け、
ゆえに、混沌の使いと畏怖されるという。
***
◆ ――自由都市グアド・レアルム、メリジュナ・レイン
地面に掘られた穴の中。
そこに一つの棺が静かに横たわっている。
その上へ、私は手に持っていた一輪の花を投げ入れる。
全員が花を入れ終わると、棺に土が掛けられていった。
あの棺の中は空っぽだ。
厳密に言えば、故人が生前使用していた品や道具が納められているが、骸はない。魔物に喰い散らかされた後の、惨たらしい食べ残しがあるばかりだった。
……私が止めていれば。
探索者になどならなければ、人並みの最期を迎えることができたのでは――そう思わざるをえなかった。
私が心を鬼にして見習い生課程修了を認めなければ、彼女は私を恨み、泣いて夢を諦め、しかし命を長らえたのでは……。
私の選択は正解だったのか、間違いだったのか。
誰か教えてほしい。
どうすれば……どうすれば私は良かったのか――
――メリジュナ教官。
ふと、ルリィの声がした。
はたと気づく。
――メリジュナ教官。
いや、ありえない。
だって、ルリィは。
――メリジュナ教官。
足元を見る。
埋め戻されたばかりの地面から突き出した腐乱した手が、私の足を掴んでいる。
肉を喰われ頭蓋骨の露出した頭が私を見ている。
「――私、探索者になんてならなきゃよかった」
「――あ、ああああああああああッ‼」
響き渡る悲鳴。
狂ったように動く心臓。
汗に濡れてべっとりと肌に張り付いた服。
「また……あの夢……」
ルリィの亡骸が埋葬された日以降、私は毎晩同じ夢にうなされる日が続いていた。
そう――
『青き盾』の一員、私の教え子、ルリィ・オルオーレンは死んだ。
〝外域〟の探索中に不意を突かれ、魔物に奥深くへと引きずり込まれていった。
ラペルたちが発見した時には既に絶命していて、その体は凄惨なほどに――
「うッ……!」
私は便所へと走り、空っぽの胃の中身を吐き出した。喉を焼く胃酸の痛みでさらに嘔吐く。
「ハア……ハア……」
口の中をゆすぎ終えると……窓硝子には酷い顔をした私が映っている。隈の濃い不健康な顔。生気の抜けた死者のような私。
生きながら死んでいる……まさしくそうだ。
『青き盾』の紛争を切っ掛けに教官としての自分に疑問を抱き、ルリィの死によって完全に意義を見失った。
生きる意味がないのに……それでも体は勝手にギルドの制服に着替え、靴を履き、玄関の扉を開ける。
燦々と降り注ぐ陽の光、晴れ渡る空。視線は俯き、細く長い影が伸びる。
「……行ってきます」
「……今日の訓練はここまでにします」
地面に倒れ伏し、呼吸するだけで精一杯の見習い生に訓練の修了を告げる。
彼らの中には体力自慢を豪語するものもいたが、私の訓練に体力の多寡など関係ない。体力が尽きるまで、尽きようとも延々と走らせるだけだ。何度でも限界を超えて。
――でも、貴方たちなら耐えられるでしょう?
――だって、探索者になりたいんでしょう?
探索者になったら、今よりももっと辛いことはいっぱいあるのですよ。
四肢を切られたり、肉を焼かれたり、骨を砕かれたり、全身を生きたまま貪り喰われたり、努力が報われなかったり、善意が凶事を引き起こしたり、理不尽に曝されたり、探索者になったことを死ぬほど後悔したり。
だから、お願い、こんな事で折れないで、お願いだから。
こんな事で音を上げるようでは、私は、貴方たちのことを……
「――こっ」見習い生の一人が言った。「こんなっ、訓練……いつまでっ……何の意味があって……‼」
――ああ……。
――この子たちも、ダメか。
一人が呟いた瞬間、全員の心が折れたことを悟った。
しとしとと、雨が降っている。
一人きりのギルドの教官室で自分の席に座りながら、窓の外を見続ける。
今頃、会議では私の指導の件が話し合われているだろう。
あまりに厳しい訓練を課す私を教官から外すことが検討されている。それはおそらく可決されるだろう。
ちょうどよかった。私も配置異動を願い出ようと思っていた。
書類整理でも備品管理でも何でもいい。見習い生と関わることがなければ。
教官の時の私は、私じゃなくなってしまっている。
教職に就くことは誰のためにもならないのだ。
私が教官じゃない方がみんな幸せになる。
――私は、
――なんで教官になろうと思ったのだろうか。
ふと、そんな事を考えた。
切っ掛けはギルドから誘いを受けたから。
……いや、それ以前に探索者という職業に倦み始めていたからだ。自分の強さの限界も分かってきて、どうやっても手が届かない世界があることに納得できるようになっていたのだった。
誘いの手を取ったのは、自分なりに探索者をやり切ったという満足感があったから。
――いや……それだけじゃ、なかった。
講義の一つを任されて、緊張しながら初めて教壇に立って、私の今までの経験、その一部を語り聞かせた。
不出来ながらもやり終えて、そこで初めて私は生徒たちの顔を見る余裕が生まれた。
彼らの顔はとても輝いていた。未知の世界へ心躍らせ、必死に私の語った内容を吸収しようとしていた。
私は、この世界でまだまだやるべき事が残っているのだと確信したのだ。
――これを仕事にしよう。
心から素直に、そう思った。
「……そうだ。だから私は……」
「――メリジュナさんっ!」
その時、教官室の扉が勢い良く開かれた。
息せき切って駆けこんできたのは受付を担当している女性職員だった。
彼女は私の姿を認めると言い放った。
「とっ、徒党『青の盾』の探索者が、『黒い刃』の探索者三名を殺害して逃亡しました!」
雨音が、強まり始めていた。
◆◆◆◆◆
◆〝外域〟浅層、ヨア
夜、焚火の温もりを囲みながら、俺とメリジュナ教官は辺りの静けさに無言で耳を傾けていた。
結局、俺たちは遺跡群の中で夜を明かすことになった。レアルムに帰れないこともなかったが、魔物が活発化する危険な時に無理する必要もないだろうと、崩れかけている建物の中で屋根がまだ残っていた場所を野営地にしたのだ。
野宿を決めた途端、待っていたように雨が降り出した。パサパサした携帯食糧を水で流し込み、石を積んだ壁に背を預けたところで猛烈な疲労が襲ってくる。
このまま泥のように眠ってしまいたかったが、いやに目が冴えて意識を手放すことができない。
それに、潰された右目は薬と痛み止めを塗布して包帯を巻いたとはいえ、じくじくと痛むのも眠気を妨げた。
火に炙られた薪が時折思い出したように爆ぜて、空中に火の粉を散らす。
「……ユサーフィさんが言っていた〝一年前の借り〟って、何なんだろ……」
ぼんやりとした脳裏に前触れもなく去来したのは、訓練場でのメリジュナ教官とユサーフィさんのやり取りだった。
その借りというのがあったから、教官は俺の指導を引き受けてくれたと言える。
だったら、それが何なのか興味を抱かずにはいられない。あの時は言い辛そうな雰囲気だったから、聞いても多分教えてはくれないだろうな……。
「――聞いて面白いではありませんよ」
こちらに背を向けて寝転がっていたメリジュナ教官から声がした。
完全に眠っていたと思っていたから死ぬほど吃驚した。
「お、起きてたなら言ってくださいよ」
「すみません。なかなか寝付けなかったもので」
メリジュナ教官は膝を抱えるように座り直すと、しばらく焚火を見つめてから口を開いた。添え木を当てた左腕の骨折が痛々しい。
「メリジュナ教官」
「何ですか?」
「やっぱりメリジュナ教官はそんな人じゃないと思います」
「……? すみません、脈絡が無くて……何の話ですか?」
「メリジュナ教官は、教え子のことが大・大・大好きな人ってことです」
メリジュナ教官は、見ているこっちが驚いて眠気が吹っ飛ぶほど、顔を真っ赤にして慌てふためいた。
「バカな、何をバカなことを!」
「あんまり大声出すと魔物が寄って来るかもですよ」
そう言うと、教官は射殺さんばかりの目力で睨みつけてくる。
「私が教え子を大好きと? なんですかそのふざけた表現は!」
「違います。大・大・大好きですよ」
「蹴り殺しますよ‼」
「だって」俺は理由を口にした。「俺があの蛇にやられそうになった時、メリジュナ教官の声は真剣そのものでした。死んでどうでもいい奴をあんなに心配してくれないですよ」
「それは……」
「やっぱりメリジュナ教官はそんな人じゃないですよ。教え子を死なせるような人じゃないです」
これはしばらく目が冴えたままだなと思い、火に薪をくべる。
腕を枕にして、仰向けに寝転がる。雨が枝葉を叩く音と、火が薪を舐める音が心地良い。
何を考えるでもなく、自然の音に耳を傾けて寛いでいた時、
「聞きたければ、話しますよ」
声色を元の調子に戻したメリジュナ教官が沈黙を破る。
「……?」
「〝一年前の借り〟の話」
俺はハッとなって体を起こす。
「今日、ゲトリクスと戦う前、貴方から過去の教え子たちの事について問われました」
「ええ……」
「私が初めて直接の指導を担当した六人の見習い生たち。彼らは訓練を修了し、探索者となり――最後には全員が死にました。去年の、ちょうど今頃のことです――」
焚火の灯りに照らされたメリジュナ教官の横顔。
俺はただ静かに耳を傾けた。
しとしとと、雨が降っている。
それはちょうど今日と同じような、濡れ湿った夜だったという。
◇石の剣奴【いし-の-けんど】
魔物/無生物目/働像
魔法によって作り出された命なき兵士。働像の一種。
石の剣、石の体、固く重い剣士である。
遥か昔、人の手によって創造された彼らは、
自らの手で岩を削り、同朋を掘り出すことで増えていく。
決して強くはないが、核となる部位が無いことから、
全身を打ち砕かねば倒せず、
駆け出し探索者はここで最初の壁にぶつかる。




