第二十五話 教導の詩:導きの猛将ゲトリクス 2
◇孤月刈り【こげつ-がり】
意能/格闘奥義系
大きく弧を描くように足を振りかぶり、強烈な蹴撃を見舞う意能。
その攻撃は、打撃ではなく、斬撃の属性を帯びる。
ゆえに、刃を相手に切り結ぶことが可能である。
この意能の使用者と対峙した者は、その美しき半円の軌跡に目を奪われ、
知らぬ間に、命を刈り取られていることだろう。
◆◆◆◆◆
◆〝外域〟浅層・廃宮殿、ヨア
「ヨアッッッ‼」
メリジュナ教官の叫ぶ声が聞こえた。
喉の渇きを滴る血で潤す。二本の槍の連撃を本能で躱し、防ぎ、弾く。
考えていては全てが間に合わない。
合理を忘れろ、肉体で思考しろ、心を置き去りにしろ。
槍から逃げるな、当たらなければいい。紙一枚分、刃が届かなければ十分だ。
その極限で動けなければ間に合わない、俺は死ぬ。
双槍が同時に振るわれる。腹と足を薙ぐ攻撃――
ここだ――俺は全力で跳躍した。その軌跡を血飛沫が彩る。
双槍で交互に攻撃するせいで隙が見えなかったが、今初めて見せた大振りが俺に反撃の機をもたらした。
「――――――」
メリジュナ教官が何かを叫んでいる。
そこでようやく俺は視界の端に蠢くものを捉える――
それは、空中で剣を振りかぶっている俺に対し、今まさに飛びかかった蛇の顎だった。
――極限の緊張と集中。
――時間の流れがゆっくりになる感覚。
――俺の落下する先に、噛みつかんと開かれた顎の門。
考えろ! この危機を乗り越える方法を!
全身が、右腕が、沸騰したのかというほど熱を帯びる高揚感。
自分の中身が作り変えられていくような吐き気。
毛の一本に至るまで、全身全霊が生への活路を求めて脈動する。
俺は肉体が命じるままに空中で体勢を入れ替えた。
顎の門が閉じられる。
――その毒牙は空を切った。
俺は、蛇の顎の手前、何もない空間を踏みつけて静止していた。
「――ッラァ!」
俺の剣が脳天から縦一直線に蛇の頭をぶった斬る。蛇は完全に沈黙した。
メリジュナ教官が呆然とした表情で俺を見ている。
俺がメリジュナ教官の意能【足蹴】を使ったからだ。なぜ俺が使えるようになったかは分からない。しかし、今はどうでもいい。
新しい力を手にした俺を警戒してか、ゲトリクスはこれまでのように攻勢に出ず様子を見ている。その隙にありがたく息を整えさせてもらう。
窮地を脱したとはいえ……俺とゲトリクスの間にある隔絶した実力の差は何ともしがたい。身体能力で伍したとしても、いやだからこそ、積み重ねた技量の差が如実に効いてくる。
ならば、奇策をもって技の冴えを上回るしかない。
それも、歴戦の猛将すら予想できない策で。
俺にそんな策は……一つだけ、ある。迷う余地がないほどに。
俺は睨み合いを演じながら、じりじりと位置取りを変える。ゲトリクスも俺を死角に入れないよう、二人で円を描くように足を運ぶ。
俺は目的の場所に達した所で――奴に背を向けて逃げるように一気に駆け出した。
俺が逃走に打って出ると予想していなかったのか、ゲトリクスはわずかに遅れた後、放たれた矢のように追撃してきた。
俺が目指しているのは――壁の切れ目、崩れてできた穴。
なりふり構わずそこへ飛び込む。これで良い、あとは――
穴の先に続く通路を走る俺の腹部を氷の槍が抉り穿つ。足から力が抜け、血反吐を撒き散らして倒れ込む。
ザリ、ザリ、と砂利を踏み締める音がする。獲物を仕留めた狩人のように、奴が油断なく歩み来る音が聞こえる。
「ハア……ハア……くっ」
「オ――オ――」
わずかな抵抗を示そうとする俺の腕を剣ごと踏みつけて、ゲトリクスは両手で槍を握る。穂先は真下、俺の心臓に向けられている。
「オ――ァ」
鉄の冷たい一撃が、俺の鼓動を貫いた。
◆◆◆◆◆
◆〝外域〟浅層・廃宮殿
ゲトリクスは、己の槍が敵の心臓を貫き、その脈動を絶ったことを確かめた。
進値の力で尋常ならざる生命力を得た者であっても、重要な臓器を破壊され、加えて床に塗料をぶちまけたかのような大量の出血とあっては死は免れない。
死体に足をかけ、槍を引き抜く。さらに栓を抜いたかの如く血が噴き出る。
血塗れた槍を払うと、彼は己が召喚獣が戦い続けている手練れを仕留めるべく踵を返した。
かつて幾多の戦場で共に敵を屠った愛騎が手古摺るほどの相手であれば、己が槍の無聊を慰めるに不足はないと言え――
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「――ォ」
――放たれた殺気。
反射的に振り払った槍は空を切り、肘から先、ゲトリクスの両腕が宙を舞った。
血の代わりに噴き出る、薄緑色に輝く粒子。
その乱舞の中にゲトリクスは垣間見る――今しがた命を奪ったはずの少年が、二度目の剣を振るう姿を。
「がアアアアアアアアアア――ッッッ‼」
左肩から喰い込んだ刃が鎧ごと体を破壊していく。剣は腹部までを切り裂いたところで止まった。
全ては抗いようもない一瞬だった。
体の断面から夥しい粒子が溢れだし、空中に霧散していく。偽りの命が終わりを迎え、彼にとっては再びの死でもある。
緑光が舞う――それは、心のどこかを否応なく掻き鳴らすほど、幻想的な光景。
「オオ――オ……」
ゲトリクスが短くなった腕を動かす。
ヨアは、存在しないはずの彼の手が、己の首に手をかける幻視を見た。
だが……遂に彼は全身の力が抜けたように崩れ落ち、仰向けに倒れる。
「ウィゼラ、サ、マ……」
何者かの名を口にし、声痕にまで刻まれた古の猛将は、最期に淡い閃光を残し世界から消失した。
◆◆◆◆◆
◆〝外域〟浅層・廃宮殿、メリジュナ・レイン
「――!」
今の今まで死闘を繰り広げていた召喚獣が唐突に頽れる。
異形の騎馬は嘶きを上げて、光と共に静かに消え去っていった。
まるで戦っていたのが嘘のような、あっけない終幕だった。
召喚獣が消えるのは呼び出した術者の意思による送還、もしくは――
「やったのですね、ヨア……」
その呟きに応えるように、壁の裂け目から教え子が姿を現す。酷い身なりだ。砂埃でボロボロ。だけどその顔は、死線を潜り抜けて明らかに一皮剥けた戦士の顔つきだった。
これではもう、見習いなどと呼ぶことはできない。それは彼への侮辱となってしまう。
「メリジュナ教官……大丈夫ですか?」
「それは私の台詞です……とはいえ、貴方に問い直す必要はなさそうですね。よくやりました、ヨア」
ヨアは何かが決壊したように、息を吐いて地面に尻を着けた。
「は、はは……今頃になって震えてる……」
そうですか。
ですが、今からの受け答えによっては、さらに震えてもらわなければなりません。
「――さっきの戦い方はなんですか?」
私の声色が変わったのを察したのか、ヨアは姿勢を正して傾聴の態度を取る。足を畳んで踵の上に尻を載せる……〝東荒〟出身の人間が謝罪の意を示す時に組む〝せいざ〟とかいう体勢でしたか。
「目の前の相手に集中するあまり、周りが全く見えていません。これは決闘ではないのです。横槍が飛んでくるのは当然なのですよ」
「はい。いや、でも、そうしないと」
「分かっています。……持てる限界を出し尽くしてぶつけなければ勝機すら見えない相手であったことも。だからこそ命を拾ったことを喜び、同じく命を失いかけたことを反省しなければ。私も……私の行動で貴方を危険に曝しました。申し訳ありません」
召喚獣の蛇の尾。アレのとどめが甘かったせいで、本来なら今頃、彼の肉体には毒の滴る穴が穿たれていたはずなのだ。
ヨアの至らぬ点を指摘しながら、それ以上に猛省せざるをえない。
勘が鈍っている。
少し、戦いから離れすぎたかもしれませんね。
「…………」
――蛇の噛み付きを躱した意能。
見覚えがあるどころではない、あの自然法則に逆らう不自然極まりない挙動、空中で静止せしめた力。あれは明らかに【足蹴】によるものだった。
私が先にゲトリクスと戦った時に見せた意能の力を見ていたから、土壇場に才能が覚醒して切り抜けることができた……そんな奇跡的な美談どころの話ではない。
――原則、魔法と意能は、進値が上昇した際にしか習得できない。
〝絶対がない事だけが、絶対〟と言われるほど何でもありな、魔法、意能。
それでも、新たな魔法と意能は、元より人から人へ伝授する異常なものを除いて、進値上昇時にしか習得できないと信じられている。
それが、見聞きしただけで、まったく同じ意能を入手してみせた。窮地に追い詰められていたのだとしても、到底納得できることではない。
この現象はヨアにだけ起きるのか? 他の人間でも同様なことが起きるのか?
それとも、意能を模倣する意能でも存在すると? そうならばヨアはそれを宿しているのか?
「メリジュナ教官……?」
ヨアが不安そうな顔で覗き込んでくる。
……また私の悪い癖が出てしまった。すぐに他人を置いて考え込んでしまう。
過程はどうあれ、彼は私が課した訓練を、私の予想を上回る結果で修了してみせたのだ。
ヨアはただの雛鳥から、どこにでも羽ばたいて行ける成鳥となった。
「……お説教は終わりです。そして訓練も」私は思考の渦を断ち切って言った。「帰りましょう。私たちのレアルムに」
「……メリジュナ教官」
ヨアの声が震えた。
辛く苦しい指導が終わり感極まったのかと思ったが、様子がおかしい。
ヨアの視線は〝エゴンの声痕〟……守護者たる声痕が討ち果たされ、剥き出しとなった歴史の記述に釘付けになっている。
熱に浮かされたように、ヨアの口から古が語られる。
虚ろなるウィゼラ、背教の自己犠牲
只人のため、その所業は美しく
仲間の一人も寄せ付けず
すべての獣の敵とならん
機械仕掛けのウィゼラ、堂々たる行進
流れる血は、もうそこになく
あらゆる死は意味をなさず
ゆえに、この戦争、恐れを知らず――
自分が呟いたことに気づいてもいないような、感情の失せた声が鳴る。
ああ、謎はまだあった。この子がなぜ古代文字を読めるのか。
……諦めよう。私が考えることではない。諸々は全部、あの歴史好きな放浪癖の治らない友人に投げつけてしまおう。
今度こそ私たちは遺跡を後にした。
おそらくだが、私はもう、ここに来ることはないのだろう。
「――今まで、ありがとうございました」
古に、現代に、人を教え導いた猛将へ、私はさよならを告げる。
一陣の風が吹き抜け、静寂だけが横たわった。
◇導きの猛将ゲトリクス【みちびき-の-もうしょう-げとりくす】
歴史/古代/人物
異能大戦後期~王たちの戦争の時代にかけて活躍した武人。
一匹狼であり、武者修行に各国を放浪していたゲトリクスは、
当然のように傭兵として大戦に参加し、槍を振るったという。
しかし、戦争がもたらした惨劇を知り、それに加担した己に絶望した。
彼は、後に英雄となるウィゼラに槍を捧げ、忠誠を誓い、
彼女を慕う新兵たちを厳しく鍛え上げることとなる。
数多の命を奪ってきた男は、数多の命を救う戦士たちを育て上げ、
最期は、学び舎たる廃宮殿で恐ろしき獣と戦い、
壮絶な討ち死にを遂げたのだった。




