第二十話 頼まれ事
◇とんがり帽子【とんがり-ぼうし】
防具/頭装備/帽子
鍔の広い、先端の折れ曲がったとんがり帽子。
特別な魔法の力を帯びている。
これは、防具としての防御力は皆無であるが、
「魔法使い、かくあるべし」という古に習った伝統装束である。
遥か北西の地、禁書庫での学びを修了した魔法使いへのみ贈られ、
ゆえに、この帽子を戴く者は、畏敬の念を抱かれる。
◆◆◆◆◆
◆〝外域〟浅層、ヨア
「では、行きますよ」
訓練の始まり。いつもの号令。
一気に加速するメリジュナ教官。その姿を追って走る俺。いつもの光景。
でも今日は、いつもと一つだけ違った。
森を駆け抜けるメリジュナ教官の軌跡をなぞるように追随する。
俺は今まで、メリジュナ教官に追いつこうとして、メリジュナ教官とは異なる道を選んでいた。速さで劣る俺が追いつこうと思ったら、メリジュナ教官より短い道を通るしか勝機はないからだ。
結果的に、その心理が俺の技術に見合わない無茶な場所を通らせて、逆に差が開く要因になっていた。
だから、その考えを一切捨てる。
踏んだ場所を同じように踏む――
避けた枝を同じように避ける――
体を捻ったなら同じように――
加速したなら――
減速したなら――
ひたすら見て、愚直に真似る。空っぽにした頭の中に、メリジュナ教官の姿を叩き込んだ。
「――」
不意に、前方から感じる空気が変わった気がした。
走る調子はそのままに、メリジュナ教官の動きがよりはっきりとしたものになった。
これは――
「見せて、くれてるッ……!」
足の運び、腕の振り、体幹の位置、足を置く場所の選び方、減速しない曲がり方、関節への負荷が少ない走り方。
必死に動きを真似ることで、ただ駆け抜ける行為に込められた数々の技術を実感する。ネルリハさんの言っていたのは、こういう事だったんだ。
メリジュナ教官は訓練中に助言をしてくれなかった……いや、助言しようがなかった。最初から正解を見せ続けてくれていたのだから。
……まあ、私の真似をして走りなさい、ぐらいは言ってほしかったけど。
走り続けながら、それでも俺とメリジュナ教官の距離は結局縮まらなかったが……その存在を、ずっと身近に感じることができた気がした。
それからも、ひたすら走る日々は続いた。
森を、遺跡を、川べりを、斜面を、崖際を。ただの一つも平坦な場所はなく、時折ヒヤリとしながらも、黙々と走り続ける。次第に、荒かった呼吸は整い始め、一歩を踏み始めた時には次の一歩、どこに踏み出せばいいか予測することができる。残り体力を意識しながら、速度の調整をする余裕も生まれてくる。
しかし、それで訓練が楽になることはなかった。俺の進み具合に合わせて、メリジュナ教官も走る速さを絶妙に上げていくのだ。
相変わらず教官に追いつくことはできなかった。
それでも俺は前に進んでいる手応えを感じていた。
「なんだか落ち着かないな……」
今日も今日とて、俺は訓練に精を出して――はいなかった。
いつもの時間に起床し着替え終わったところで、今日は訓練が休みだったことに気づいたのだ。
〝――どうしても外せない仕事ができました〟
昨日の訓練後、そう言われてメリジュナ教官から丸一日の休息を命じられたのだ。
……さりとて、しばらく訓練漬けだった弊害なのか、何をする気も起きず、こうして朝食を食べ終わっても食堂で座ったままぼうっとしているのだった。
「あれ? ヨアじゃん。珍しー。今日は走りに行かないの?」
そんな俺に団員のジンジャーが話しかけてくる。彼女は遠撃部隊所属で、よく団の仕事当番で一緒になることで仲良くなったのだ。
ジンジャーは花のたくさん咲いた土入りの木箱を両手で抱えていた。
「ああ、今日は訓練が休みなんだ」
「ほー。てっきり耐えかねて逃げ出したのかと思ったけど」
「いや、自分で言うのもなんだけどさ、俺、最近は手応えを感じてるんだ。そりゃあまだまだ上手くはいってないけどさ……こう、今まで霧の中を歩いてるようだったけど、やっと進む道を見つけたみたいな」
「ややっ、これは意外や意外!」
ジンジャーは演技じみた口調で冷やかすように言った。
「いやーでも正直よくやるよねー。私だったらあのメリジュナの下で教えを請うなんて、命が幾つあっても足りない気がするわー」
「……ジンジャー、あのっていうのは」
「そうだ! やることないならさー、これ、フェルム大隊長のとこに持ってってよー。大隊長は温室にいるからさ。私、他にもやることあるんだよねー。じゃ、よろぴくー」
「ちょ……!」
俺の座っている卓に木箱を置いていくと、ジンジャーは風のように去っていった。
……まあ、確かに今は暇なので、持っていくのは吝かじゃないけどさ。
フェルム大隊長は温室にいるという。この温室というのは、『終の黄昏』の拠点敷地の端の方にある硝子張りの施設のことだ。建物に蔓が這っていて、日光を遮るから定期的に刈って掃除をするのも団員の仕事の一つだ。
温室では様々な種類の薬草が栽培されていて、中には使い方では毒にもなる危険な薬効を持つものもあるから余程用がない限りは近づくことはない。
だからか、いざこうして入口の前に来てみると、本当に入っていいのか躊躇ってしまう。
と、まごまごしている俺を見かねたように、扉が独りでに開いていく。
――入って……。
と、風に乗るように声が届く。
「……お邪魔します」
鉢植えの薬草が並ぶ棚の道を慎重に歩いていくと、急に開けた空間に出る。
温室の中心、円錐型の天井からは、硝子を通して日光がふんだんに取り入れられ、植物たちにたっぷりと浴びせかけている。
そこにはとても大きな机が置かれ、その上を埋め尽くすように実験器具が並べられていた。
フェルム大隊長は机の上で薬草を擂り鉢で混ぜているところだった。
「持ってきてくれて……ありがとう」
「あ……」
手の中の重みが消えたと思ったら、俺が持っていた木箱が勝手に浮いて宙を滑り、棚の空いたところへ納まった。
「今のって魔法ですか?」
「…………」
フェルム大隊長は言葉を返さない代わりに、液体が入った幾つもの容器を空中に躍らせ、擂り鉢へ順番に注ぎ入れていった。
――日々、探索団で過ごす中でフェルム大隊長の為人についても多少なり耳にしている。
それぞれ個性的な大隊長の中において、フェルム大隊長は存在感が薄いというか、何か積極的に主張する性格ではない。
けれども、魔法に関しては団の内外問わず一目置かれる腕前で、それは黄昏で魔法部隊の長を務めていることからも明らかだ。
フェルム大隊長の象徴と言えば、今も被っている鍔の広いとんがり帽子。
この帽子は、魔法使いが集うという学院で知識を修めたことを示す証であり、魔法の研究を志す人にとっては非常に権威のあるものだという。
俺は配達を終えたのだが、フェルム大隊長が何をしているのか気になって、そーっと後ろから眺める。
大隊長は俺がいることに気づいているだろうけど、特に何も言うことなく、手際よく作業を進める。
擂り鉢で混ぜ合わせたドロドロの液体を細かい網で漉したものを容器に入れ、火にかける。
容器の蓋からは硝子の管が伸び、それが別の容器に繋がって、そこからも管が何本も延びて……ダメだ、もう何をやってるか分からない。
しばらくして、
「……興味が……ある?」
作業が一段落ついたのか、フェルム大隊長が話しかけてきた。
「えーと、興味というか……正直何してるのか全然分からないんですけど、こう、何かが出来ていく光景は面白いと思います」
「……そう……」
ちょいちょいっ、と大隊長が手招きする。
俺はゆっくりと近づいていった。
「……これは……分留の操作をしてる……」
「分留?」
「……混合物を……沸点の違いで分離するの……分留したものを集めると……成分の濃縮ができる……」
「へ、へえー」
さっぱり分からない。
「結局これは何を作っているんですか?」
「……魔効液……」
「魔効液?」
「……魔石を材料に使う薬……知らないの……?」
フェルム大隊長がじーっと俺を見つめる。
表情こそ無かったが……ああ、この感じは、俺がギルドのことを知らないと言った時と同じ空気だ。
「……魔効液は……」フェルム大隊長は独特のゆったりとした口調で説明してくれる。「……通常の薬草を……魔石と一緒に純水の中で熱して……成分を抽出して作る……これが基本。魔石を加えると……薬効が格段に向上するの……。ここでは主に……回復の魔効液を作ってる……」
「それを飲めば傷が治ると?」
「……即効性はないけど……骨折ぐらいは……一日あれば……」
なるほど、と頷きながら、一つの疑問が浮かぶ。
「回復魔法じゃ駄目なんですか? 魔法ならほとんどのケガや病気は簡単に治りますけど」
「……回復魔法は……確かに素早く簡単に……治るかもしれない……でも……魔法は使う度に精神力が削られる……精神が摩耗しても無理を押せば……壊れて廃人になってしまう……」
それに……、とフェルム大隊長は一拍置いてから、
「……魔法は使えば使うほど勝手に熟達して……効果が上昇して……いずれ精神が行使の負荷に……耐え切れなくなってしまう……そうなれば進値を上げることで……魔法の行使に耐えられるように……精神力を上げるしかない……」
「……つまり、魔法が強くなると、使う側も悪影響がある?」
「……そう……だから薬で治る傷病は……出来る限り薬で治した方が良い……それが結局……長生きに繋がるから……」
……俺は唸ると同時に、これまでの戦いの記憶を振り返る。
今までの俺は回復魔法の万能性に頼り切って、傷を負うこと前提で臨んでいた。むしろ相手の攻撃の隙を突くために、あえて肉を切らせ骨を断つ戦い方だ。
相手と自分、傷の不等価交換――
けれどそれは、回復魔法の使い手の寿命を縮める行為でもあった。
俺が世話になった治療部隊の団員は、そんな事一言も言わず、魔法を使用してくれたが……。
「……それは多分……回復魔法を習得して日が浅い子が……優先的に魔法を使ったと思う……やっぱり魔法の効果が弱いうちは……役に立つ場面も少ないから……君は練習台にされたの……だから気に病むことはない……」
「そう、ですか……」
ほんの少しだけ安心したが……やはり回復魔法にばかり甘えるのは気が引ける。
しかし、なら今度から治療には魔効液を優先的に使おう――という単純な話でもないらしく。
「……魔効液は薬効が強すぎて……進値1の人には毒になる……。進値が上がっても……それ以上に強力な魔効液だとやっぱり毒……逆に、進値より薬効が低い魔効液は……効果がない……だから自分の進値帯に適合した……魔効液を飲まないといけないの……」
フェルム大隊長によると、魔効液だからと何でも飲んで効くわけではないらしく、薬効の強弱によっては、弱すぎて効果が無かったり、逆に強すぎて体に害になるというのだ。
だから通常、服用者の進値に応じて薬効を調整された様々な魔効液が作られているという。同じ製品が、薬効の違いだけで十種類もあるのはザラなのだと。
少量でも薬効がかなり強烈な場合は、それこそ進値一つごとに調整されたものもあるのだとか。魔効液を作る人は大変だ。
また、進値が上がるほど、魔効液も薬効が強いものに切り替えていく必要があり、必然、魔効液の値段も跳ね上がっていく。そうなると魔法の使用も視野に入れざるを得ない。
だが魔効液と同じように、高進値になってくると弱い回復魔法は効きづらくなってくるという。
そうなると、強力な魔法を使ってもらう必要があるが、そういう魔法持ちは大抵進値の上限が近いので軽々しく使用は……と、二進も三進もいかなっていく。
こうなると、出来るだけケガを負わないようにすることが一番になるけど、それが難しいんだよなあ……。
「……ふぅ……久々に……一杯喋った……わ……」
フェルム大隊長は大きく息を吐く。そして軽く手を振ると、中に専用の仕切りが作られた丈夫な鞄が飛んできて俺の手に収まった。
中には液体が詰まった瓶が十本。
「え、な、なんですか?」
「……個人的に頼まれてた飲み薬……今から言うお店に……届けてほしい……」
「俺がですか?」
「……だって……暇そうな顔してたから……」
今の俺の顔はそんなにしゃきっとしていないだろうか……?
「……届けてくれたら……お礼に魔効液をあげる……世界に一本しかない物……」
「え……⁉」
大隊長手ずから作製した魔効液。それも一点物。どれだけ貴重なのか想像すらできない。
「それはいったいどんな効果が……!」
「……飲んだ人の体毛を……密林のように豊かにする薬効……この前初めて試作品が出来たの……まだ動物でしか試してないけど……服用したらどんな効果が出たか……具体的に報告してくれると……嬉しい……」
……それはお礼ではなく実験台と言うんですが。
◇魔効液【ぽーしょん】
道具/消耗品/魔効液
魔石を材料に用いた液状薬。
魔石を含む薬は、効用に関係なく全て魔効液に分類され、
取扱いや服用方法など、一般の薬と厳しく区別する。
ほとんどは負傷や疾病に対する即効性の治療薬として製造されるが、
「相手に投げつけると爆発する」など、攻撃用途の魔効液も存在する。
蝕業に関係なく製造しうるが、調合を補助する魔法、意能により、
その効能は飛躍的に向上することが知られている。




