第十七話 特別指導
◇見習い生【みならい-せい】
組織/探索者組合/制度
探索者を目指し訓練を受ける者。正確には、探索者等級の十等級にある者。
探索者を夢見る若者は、まずここで基礎知識を叩きこまれ、
鬼教官の下、体力作りに勤しむことになる。
若芽の君よ、険しい道と心折れるなかれ。
一騎当千の英雄も、万象自在の魔法使いも、
皆、ここから始まった。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、探索者組合・廊下、ヨア
「……七燃草は一年で七回取れて……あれ、七年で一回採れるんだっけ? 六肋草は五つの実をつけるけど先端に近い実には毒があって……六なのか五なのかややこしいな……」
『探索の初心者のための数ある薬草の総覧』という本を読みながら歩く。
俺がいるのはギルドの建物に併設された訓練場施設の廊下だ。ここでは探索者になりたい者が見習い生として、探索に必要な技能を習得することを目的にしている。俺もさっきまで実技訓練を受けていた。
見習い生の大半は進値1、全体でもほとんどが3未満だそうな。だから俺のように探索経験があるのに見習い生課程へ叩き込まれるのはかなり珍しいそうだ。
暗記のために本を読み上げていると、何やら前方が騒がしい。
見れば、俺と同期の見習い生たちが掲示板を前にして興奮している。
「何してるんだ?」
話しかけると、俺より少し年下に見える少年が「ああ……ヨアには一生縁の無い話だよ」と言った。
「探索団の新人団員募集の貼紙が更新されたのさ」
「それがどうかしたのか?」
「お前、本当に知らないのか? 探索団からたまにこうやって、修了見込みの見習い生に募集がかかることがあるのさ。優秀な成績を収めた生徒なら将来有望だってことで囲い込むためだよ。募集をかけるのは、新人を育てる余裕のある大規模探索団が多いから、見習い生の注目度も高い」
「じゃあ、皆ここを出たら、その探索団に行くってことか」
「そこがそう甘くないのよね……」と少年の隣にいた少女が言う。「あくまで優秀な人だけ。それこそ成績上位何人とかね。とはいえ、狭き門だけど普段募集してないような有名探索団の募集も訓練場なら来ることがあるから、大変でも頑張るのよ」
「そう。だから、一から十の薬草も覚えてないお前には関係の無い話ってことさ」
彼はそう話を締めくくった。
掲示板の貼紙には確かに、新しい団員を募集する旨の内容が書かれている。色んな探索団の名前があるが、どれも知らない。でも皆が色めき立っているってことはそれだけ有名なのだろう。
「……なあ、この貼紙の中で有名な探索団ってどれなんだ」
気になった俺はそう問うと、掲示板にいた面々はそろって呆れたように息を吐いた。
「……物を知らないお前に教えてやるとだな、まず『鉄血一座』。オールディン三兄弟が立ち上げた探索団だ。団員たちは連携力に優れていて、息の合った行動は芸術とまで言われてる」
「魔法を専門にするなら『金枝の会』一択さ。あそこは魔法関連の蔵書量がギルドを超えて一番だ。彼らの智慧に触れたいがために入団を望む探索者もいる」
「まって、『不朽の金床』を忘れてない? 生産系の探索者なら誰もが目指すとこよ」
「それなら『黒い鍵束』だろ。何でも作れるって点で言うなら、あそこに入る以外ありえねえよ」
……というように、俺を置き去りにして、どの探索団が最も魅力的かについて議論しだした。
そこに彼らのうちの一人がうずうずした表情で切り出す。
「――というか皆、レアルムの探索団を語るなら、三つばかし忘れてないか?」
「バカ、さすがにあんな所から訓練場に募集が来るかよ……」
「いやいや、ヨアは探索団のことなんて全然知らないんだろ? だったら上位三つの探索団は知っといて損はない」
いいか、とそいつは前置きして、「レアルムで探索者をやるなら、まず知っておかなきゃいけない探索団が三つある」と指を立てた。
〝天器〟のアーシア、〝熱鎖〟のギュランダル、〝絶壁〟のモルゴールといった名だたる探索者が所属する『紅蓮の戦旗』。
たった十人の少数ながら、全員が一線級の実力をほこる英雄揃い。〝蒼海〟のテンペスタが団長を務める、レアルム最強と名高い『蒼の天盤』。
「そして最後……探索団の中でも異例な、ほとんどの団員が女性で占められた、レアルムの華。〝暴嵐〟のカサンドラ、〝雷塵〟のエルマキナ、〝千貌〟のユサーフィが率いる――」
「――私を呼んだ?」
聞き覚えのある声に俺は振り向く。
そこには――普段と違い平服を身に纏ったユサーフィさんがいた。
「え!」「うそ、なんでここに……」「まさか、本物……⁉」
掲示板の前の皆も目を丸くして驚いていた。
「ユサーフィさん、どうしたんですか」
「君がギルドで頑張ってるって聞いてね、ちょっと様子を見に来たんだ。ついでに色々と用事を片付ける目的もあるけどね」
柔らかく微笑むユサーフィさん。今は鎧を着けていないこともあって、いつもの凛々しい姿とは大分印象が違った。
でも、レアルムの通りを歩いているような街娘のような格好にも関わらず、自然と目を惹く存在感がある。
「お、おい、ヨア、お前っ、〝千貌〟のユサーフィさんと、ど、どういう関係なんだ……⁉」
気軽に会話を交わす俺とユサーフィさんを見た見習い生の一人が訊ねてくる。
「ああ、『終の黄昏』の団員なんだ、俺」
『終の黄昏』に所属していることを伝えると――俺はいきなり取り囲まれる。
「そ、そんな事聞いてないぞ俺たち!」
「え、うん……だって特に聞かれてないし……」
「そういう重要な事は早く言えよ!」「なんでこんな補修漬けのヤツが……」
なんでとは失礼な。
「あ、あのぉ私、ブレンダ・ストリンガーって言います。豊穣都市グラバから来ました。『終の黄昏』のことを知ってからずっと憧れてて、あの、新人団員の募集とかはされないんですか? 入団試験とか……」「ちょっと、抜け駆けしないでよ!」「黄昏のお姉様方って、普段どこの工房で武器を――」
「うーん、ウチは今のところ入団試験とかやってないかな。これはと思った人に随時声をかけてるから、とりあえず探索者として実績を積むことを目標にすると良いと思うよ」
ユサーフィさんも早速見習い生に囲まれ、連射される質問に答えていた。
廊下内の空気が騒めき立ってきた時だった。
「――このような場所で騒いでほしくないのですが」
それはさほど大きな声ではなかったのに、耳に染み入るように届いてきた。
「メ、メリジュナ教官……」
膝にまで届くほど長い髪を持つ女性が、いつの間にかそこにいた。
すらりと背の高い、静かな雰囲気を纏った人だ。
教官……ということは、この訓練場にいる人なのだろうけど、このメリジュナという人物は記憶にない。
会っていたなら覚えていないなんてことはないと思うが……。
「久しぶりメリジュナ。元気?」
「私は変わりなく。貴方も壮健のようで、ユサーフィ副団長殿」
「相変わらず固いなあ」
ユサーフィさんはメリジュナ教官と知り合いのようで、親し気に話しかけている。当のメリジュナ教官は淡々とした調子だけれど。
「ちょうどよかった。貴方に会いにきたの」
「断ります」
「まだ何も言ってもないし頼んでもないけど、勘の良さは相変わらずだね」
「マリアンヌといい、貴方のところの団には良い思い出がありませんからね」
「一部自業自得も混じっている気がするけど、まあいいや。頼みがあるの」
「断ります。仕事があるので」
「――貴方にヨア君の指導をしてほしいの」
――いつの間にか、窓の隙間から木擦れの音が聞こえてきた。
そんな小さな音が明瞭になるくらいの沈黙が横たわっていた。
「……意図を測りかねるのですが」
「ヨア君が正式に探索者として活動できるようにしたいの」
「そのための訓練を今受けているでしょう」
「ここの訓練で得られる経験なんて、この子はもう終えてるよ。知識は後で詰め込めば済む話だし」
聞きようによっては、訓練なんて無駄な事止めさせて、と言っているような表現だった。
これにはメリジュナ教官もピクリと眉を動かした。
「見習い生課程の途中でも、教官から推薦があれば修了認定してもらえるでしょう?」
「……私は指導の現場から離れて久しい。現役の教官に頼めばよいでしょう」
「彼らの画一的な評価基準じゃ、測れるものも測れないわ。それに貴方ほどの実力者の口添えなら疑いようもない。だから、ね? お願い」
対するユサーフィさんはさらりと言ってのけて、メリジュナ教官を伺っている。まるで、出掛けのついでに少しの買い物を頼むような気軽さだ。
「それは、私に不正をしろと?」
「指導って言ったでしょう? 貴方のやり方で試したうえで、貴方が彼を認めるに足ると思えば……と言う話よ」
「…………」
「〝一年前の借り〟を返すと思えば、ねえ、安いものでしょう?」
一年前の借り。
その言葉に、諦めたように息を吐いて瞑目するメリジュナ教官。
再び目を開いた時には、力強い意志が宿っていた。
「……勿論、私が認めるに足ると判断しないこともあり得ますが」
「ええ。でも、そんな事にはならないでしょう。これくらいは軽々と乗り越えてもらわないと。ねえ、ヨア君?」
そのヨア君こと俺は、ユサーフィさんから平然と放たれる圧に慄いていた。
これ、メリジュナ教官に認められませんでしたって未来はありえない前提で話が進んでる……。
そしてメリジュナ教官が俺を見る目は既に険しい。
「分かりました。彼の指導を引き受けましょう。私情を挟まず、確と見定めさせてもらいます」
「うん、よろしくね」
「よ、よろしくおねがいします……」
これから何が始まるのか不安になっていると、成り行きを見守っていた同じ見習い生の一人にそっと肩を叩かれ、耳打ちされる。
「さっき貴方のことを羨ましいって思ったけど、今は世界で一番可哀そうに思うわ」
「え……?」
「〝悪蹴〟のメリジュナのしごきは地獄だったらしいからね。精々頑張りなよ」
「――貴方たちは用が済んだなら早く退所しなさい」とメリジュナ教官の声が飛び、彼ら彼女らは慌てて退散していった。ユサーフィさんも「じゃあ私も行くね」と去り、残されたのは俺とメリジュナ教官の二人となった。
「…………あ、あの」
「〝外域〟に行きます」
「え? い、いつ?」
「今以外にいつがありますか?」
「……な、ないです」
「急ぎ装備を整えて西の大門の前に集まりなさい」
言い捨てるように指示し、メリジュナ教官は長い髪を翻して立ち去っていく。
その後ろ姿が見えなくなってから金縛りが解けたように、俺は武器と防具を取りに戻るべく弾かれたように探索団の拠点に走るのだった。
◇豊穣都市グラバ【ほうじょう-とし-ぐらば】
地名/都市
この世界の食糧生産を支える都市の一つ。
大量生産される農畜産物を輸出し、高品質の武具や工芸品などを輸入する。
農畜産業、林業、製造業、加工業……一つで全てを担える都市は存在せず、
各都市の特産品を相互に輸出入することで、人類の生活は成り立っている。
食糧品が格段に安いグラバは、浮浪者が少なく治安も良い。
生産労働の役務に従事していれば、飢えて死ぬことはないだろう。