第十六話 ギルドへようこそ
◇第三類薬草【だい-さん-るい-やくそう】
学問/植物学/毒草類
現在の植物学の分類法において、第三類に属する植物。
第三類は「少量の摂取であれば生体に有用な効果を及ぼす植物」である。
純然たる毒草である第二類と比較して採取自体は難しくないが、
正しい薬効のみを得るためには、最も知識が重要となる薬草でもある。
薬草の道は、長く、険しい。
◆ ――自由都市グアド・レアルム、探索者組合・講義室、メリジュナ・レイン
白墨が黒板を小気味よく叩く音が響く。
書き終えると振り返り、教え子たちに向き直る。
「――このように濁馬は特定の縄張りを持たず、極めて広大な範囲を徘徊する性質があります。それも濁馬が雑食性で、肉、木の実、葉や根っこ、魚、虫、さらには完全に腐った死骸まで食することができるため、特定の餌に頼る必要がないからですね。その過程で摂取した毒物は体表から汗として排泄することも特筆すべき点です。……ここまで何か質問はありますか?」
「はーい、メリジュナ教官」頬杖を突きながら講義を聞いていたセルバンスが手を挙げる。「どういう男性が好きですかー?」
――そのお調子者の額の真ん中へ白墨を投げて命中させた。
「あ痛っ⁉」
「居残り補修の貴方のために、こうして私が講義をしてあげているんですよ? もっと真面目に聞きなさい」
セルバンスが額を押さえて悶絶する様子に、他の五人の教え子たちが声を上げて笑った。
「バッカだなあ、セルバンス」「……もっと訊くべき事があるだろ」「そうそう、まず彼氏の有無を訊かないとな」
「はあ……男ってバカよね。ねえ、ルリィ?」「え、えっと、確かに今する質問ではなかったような……」
「はあ⁉ ここに居るんだからバカはお互い様だろ!」「私は用事があって講義に出席できなかっただけですー! 一緒にしないでくれますー⁉」
言い争うラペルとカンネラにも私は白墨を投げつける。
頭を押さえて机に突っ伏す二人を余所に、私は腰に手を当てて彼らを叱った。
「貴方たち……補修を倍にしてほしいのかしら?」
「「「「「「ごめんなさい!」」」」」」
性別も性格も異なる六人。
彼らが一斉に頭を下げて謝る姿に、私は不覚にも怒りを忘れて苦笑してしまった。
勇敢で周囲を導くラペル・グリンゴ。
忍耐力に秀でたカンネラ・ポルター。
皆を笑顔で和ませるセルバンス・ジェーレン。
仲間思いのビーロック・シルベール。
寡黙だが頼れるタンタ・ラン。
素直で実直なルリィ・オルオーレン。
私の可愛い、六人の教え子。
初めての愛しき我が子たち。
彼らに惜しみなく与えたい。私が知りうる全て、私が培ってきた全てを。
「講義を続けますよ。他の注意すべき魔物としては――」
しとしとと、講義室の外。
雨が静かに降り注ぎ、世界を叩く心地良い音が響く。
いつまでも、私の心に残って消えない思い出。
忘れはしない、私の――
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、探索者組合・講義室、ヨア
白墨が黒板を小気味よく叩く音が響く。
「……この時、魔物の中に嘘栗鼠がいる場合は注意が必要である。ギルドで定める嘘栗鼠の等級と、戦いになった場合に注意する点三つを……ハムエル、答えよ」
「はい! 嘘栗鼠は八等級魔物。注意点は、頬袋に貯めた粉塵で視界を奪おうとすること、人間の声真似をするので不自然に同じ台詞が聞こえたらそれは嘘栗鼠と疑うこと、前脚の小指の付け根に毒腺のある棘があることです」
「うむ、正解だ。よく勉強している。特に補足するところはない」
前の方の席に座った、俺と同い年ぐらいの少年がハキハキと回答する。
教壇に立った元探索者だというニール教官が満足気に頷いた。
「森での探索において植物学の知識を知らないことは、自ら命綱に鋸を引くことに等しい。そこに自生する植物の特性、薬効を頭に叩き込んでおけば、思わぬところで命を拾う可能性がある。私は実際に鎮痛作用のある薬草を覚えていたおかげで、傷の痛みを押して体を動かし、〝外域〟からレアルムに帰還することができたのだ。……では、薬草の分類法における第三類の定義を答えよ……ルッカ」
「はい。第三類は、大量の摂取は人体に害を及ぼしますが、少量であれば有用な作用を期待できる薬草類です」
「そうだ。特に有名なのは、強心効果のある伏魔草だな」
教官が質問し、見習い生が答える。
俺はその光景を真剣に見つめる。
「魔物が住処を選ぶ時、当然だが己の生態に適した環境を選択するものだ。しかし、明確な縄張りを持たず、餌を求めて広範囲を徘徊する魔物も存在する。そうした習性を持つ魔物は生存競争の相手が多くなり、比類して狂暴性や脅威度が高いか、もしくは外敵に対する強力な防御能力を持つ傾向にある……では、濁馬の生態に関する特徴を答えよ」
教官は室内を見渡したが、全員目を逸らして視線を合わさないでいる。誰も答えが分からないのか。
そう、俺以外は。
「はい!」
元気よく挙手した俺に、ニール教官はあろうことか疑いの眼差しを向けてきた。
「……一応聞いておこう。濁馬の生態を答えよ、ヨア」
「その魔物からは食べられる肉がいっぱい取れて、一体狩るだけで数日間は食料の心配をしなくてすみます」
「違うわ戯け! それは活用方法であって生態ではない! そもそも濁馬は食に適した魔物でもない!」
クスクスと教室中から笑い声が聞こえる。
「いや、確かに筋張ってて臭くて味はしないですけど……でもずっと噛んでると空腹が紛れますし、腹持ちも良くて、」
「お前のおかしな食談義はもういい! 貴様は補修だ!」
俺はこうして授業を受けるに至った経緯を思い返す。
〝――なあ、皆がよく言ってるギルドって何なんだ?〟
俺がギルドのことは何も知らないと言うと、小隊の皆は絶句していた。
探索者がギルドのことを知らないのは、曰く……鍛冶師が剣とは何かを知らないまま剣を打っているような、とにかく意味不明な状態らしい。
逆に探索者稼業を行っていながらギルドに所属していないのは所謂〝モグリ〟というようで、大抵が脛に傷のある連中だから、今の俺の状態は外聞的によろしくないのだとも。
今までギルドの話なんて探索団の誰にも訊かれたことはなかった。
というか、まさか俺がギルド未加入だなんて想像もしていなかったらしいのだ。
――探索者組合、通称ギルド。
俺たちが普段口にする〝探索者〟には明確な定義がある。
それは、ギルドに正式に登録されていることである。
どれだけ魔物を狩ろうと、どれだけ成果を出そうと、ギルドに登録されていない者は探索者ではない。他人からの信用も低い。未登録で活動せざるをえない後ろ暗い事情があると警戒されるからだ。
それを裏付けるように、ギルドに登録することには多くの利点がある……モグリになろうという発想すら浮かばないほどに。
討伐した魔物から採取した素材の買取、ギルド提携の商会から仕入れた安価かつ良品な探索必需品の販売、第三者からの依頼の斡旋、報酬金からあらかじめ天引きしてくれる自動預金制度、さらには貢献度が高い場合に引退後支払われる退職年金に、もしもの時遺族に支払われる弔慰金など……。
後半の方は何を言われているかさっぱりだったが、
〝――とにかくッ! 四の五の言わずに加入してきなさいッ!〟
烈火のごとく怒ったウェンブリーに命令され、せっかく連携の目途が立った小隊の活動は一時休止となったのだった。
というわけで双大蛇討伐後。
グラトナ大隊長にギルド未加入の件を話すと、俺は速攻でギルドの見習い生訓練課程というものに放り込まれた。
「急な話で悪いが、今からでもこいつに最低限の常識を叩き込んでやってくれないか」
「うむ。まあ幸い今期はまだ始まったばかりだから座学には追いつけるだろう。しかし、この子が本当に双大蛇の漂白個体を……」
そう呟いて目を瞠ったのは、ギルドの教官たちの取り纏め役だという老人だ。
「お陰で進値も3上がりました」
あの白い双大蛇を倒した俺は、進値が17に到達していた。一度の討伐で3つも進値が上がることはなかなかない。それだけ双大蛇が強い魔物だった証だ。
……と、自分が強くなった感覚に浸っていると、
「偉そうに言うことか、バカ者。急激に進値が上がったことをもっと焦れ」
グラトナ大隊長のお叱りと拳骨が落とされる。
「少年よ、私はクレールという」痛む頭を撫でさする俺に、クレールと名乗った老人は言う。「探索者を志す者は皆、最初は進値が上昇することに喜ぶものだ。しかし、それは探索者としての寿命、ひいては人生の時間を縮めていることに等しいのだ。努々そのことを忘れるなかれ。人外に成り果てる最後など、一生の終え方としては悲劇と言わざるをえん」
「いやっ、でも、俺は――」
死ぬことで進値が下がる――と言おうとして、慌てて口を噤んだ。
【捧命】の意能を口外しないよう、俺はユサーフィさんから固く口止めされていた。
二人は口をつぐんだ俺の様子を訝しんだが、その後は淡々と事務的な話をして終わった。
それからは……俺は強力な魔物と戦う以上の苦戦を強いられた。
引退した探索者による授業を浴びるように受けた。いや、受けさせられた。
この魔物の特徴は――
この薬草の効能は――
この状況で取るべき行動は――
近くにある素材だけで道具を作るには――
先生たちは俺にあらゆることを考えさせ、間違うと補修を繰り返した。
一緒に授業を受ける生徒……見習い生と呼ばれている……は一切文句も言わず、それどころか少しワクワクしながら講義に耳を傾けている。俺には理解できない。初めて〝外域〟に出た時から、講義で教えられた事なんて意識したこともなかったし、実際それで困ったこともなかった。
……堪らずそう口にしてしまったことが運の尽き。
俺は座学の成績が振るわないくせに生意気な生徒として認知され、さらに課題の量を増やされるのだった。
◇モグリ【もぐり】
用語/探索者
ギルドに未登録のまま〝外域〟で活動を行う者。
往々にして、良い印象は持たれない者たち。
未登録での〝外域〟探索自体は何らの法を犯しているわけではないが、
彼らの大半が手を染める行為を考えれば、悪印象も納得である。
すなわち、ギルド禁制品の密輸、密売、密猟である。