第百五話 番人の間
◇説教者の額【せっきょうしゃ-の-ひたい】
武器/槌系統/槌
とある宗教の修行に用いられていた祭具。
享楽者ルヒガンの得物。
偉大なる開祖が千日の頭突きにより
大岩を割った故事に倣い、作られた。
柄の先の鉄球に、苦悶する僧侶の顔が象られている。
これで己が身を打ち、邪念を払い、真理に至るのだ。
しかし、ルヒガンは修行に意味はないと悟ると、
祭具で己が師を殴り殺し、その足で探索者となった。
金子が無かったので、祭具はそのまま武器となった。
◆◆◆◆◆
◆〝外域〟浅層、東部地下遺跡群・〝番人の間〟、ヨア
「――待ってもらおう」
驚きとともに振り返った先に居たのは、これまでの道中一度も遭遇しなかった、俺たち以外の徒党だった。
男三人、女二人。全員が十代後半頃の少年少女。
声を発したのは、中心にいる男だと直感で分かった。
丁寧に切り揃えられた白色の強い金髪。手には長剣を携え、力強い切れ長の瞳がこちらを睥睨している。
「誰だ?」
何者か問う至極当たり前の質問に対し、金髪の男はフンと鼻で笑って返し、「まさか、知らないのか?」と服の襟元に施された刺繍を指し示した。
戦火に翻る真紅の旗、その意匠。
「『紅蓮の戦旗』……」
レアルムに暮らす上で、その名を聞かずにいることは不可能だ。
結成から今日にいたるまで、いくつもの偉業を成し遂げてきた、最も有名な探索団。
その勇名は他の都市にまで轟き、入団希望者は常に絶えることがないと。
団の印の刺繍があるのはこの男だけだが、他の四人も全員『紅蓮の戦旗』の団員なのだろう。
〝外域〟で他者と出会うことは珍しくはない。けれど、状況的に挨拶しにきたって雰囲気でもない……。
彼らの意図を測りかねていると、
「その『紅蓮の戦旗』が私たちに何のようなのじゃ?」
緊迫した空気をものともしないニコラが問いただす。
金髪の男は余裕そうな笑みを貼り付けたまま、俺たちの背後の空間に目配せして、
「見るからに、その先の部屋は〝番人の間〟だろう」
「……そうなのかものな。これから入るところだから、実際どうかは分からないけど。それがどうしたんだ」
「その攻略の順番、僕たちに譲らないか?」
「はあ⁉」真っ先に声を上げたのはウェンブリーだ。「ありえないでしょ! こういうのは原則、先に見つけた方に優先権があるってギルドの通達が出てるじゃない!」
「そんな分かりきったことを声高に叫ばないでくれ。だからこうして頭を下げて頼んでいるじゃないか」
……まったく頼みごとをしている態度じゃないけど。
「アーサーくん、さすがにそれは……」
金髪男の仲間の一人である杖を持った女が、躊躇いがちに口を開いた。
だが、アーサーと呼ばれた男は「君は黙っていろ!」と声を荒げ、彼女を黙らせる。
「……失礼。さっきの話だが、勿論無償でとは言わないさ。手に入れた戦利品の四割は君たちの渡そうじゃないか」
分け前の提案に、今度はギルが反論する。声音は低く、とても冷たい。
「そいつぁ虫が良過ぎるんじゃねえのか。はい分かりましたって受け入れるわけねえだろうよ」
「はは、何を言うんだ。むしろ、こんなに美味しい話はないだろう。君たちは労せずして戦果の四割を貰えるのだから」
「ああ?」
「分からないのか? 我々は『紅蓮の戦旗』だ。日々厳しい訓練を重ね、〝外域〟探索の最前線に君臨している自負がある。日銭を稼いだら酒場で騒ぐだけの凡百の探索者と同じゃないんだ。……ああ、君たちまでもがそうだとは断じないが」
それは否定の言葉でありながら、明らかに真逆の意味を含んで発せられていた。
「つまりだ、可能性の高い徒党が攻略に挑むほうが、探索者全体への貢献を思えば健全だ。それに――必要のない犠牲を減らせるかもしれないだろう」
「俺たちが死ぬって言いてえのか!」
「可能性の大小の話だよ」
……ここまで明け透けに侮辱されると、腹立ちが込み上げてくる。
隠すことなく怒りをあらわにする俺たちに向かって、金髪の男……アーサーとその集団は、しかし臆することなく眼前まで歩み寄ってきた。
俺の獣噛みの大剣、アーサーの腰の剣。
どちらも間合いに捉える距離。爆発的に緊張が高まる。
「一等級と二等級、合わせて三人も抱えているせいだろう……自分たちの希望は全て押し通ると勘違いしているかもしれないが、お前たち『終の黄昏』は目に余るほど協調性がない」
嘲りを含んでいたアーサーの声色。
そこに非難の色が混じる。
「他の団と比べても、レアルムや探索者全体への貢献より平気で自分たちの都合を優先する行状は不愉快だ」
「……、……そ、そうなのか?」
俺は首だけで振り返り、小声で皆に問いかけた。
「ま、まあ、そういう傾向はある、かもしれない……ことは否定できない。少なくとも大隊長格以上は……」
カレンが非常に言いにくそうに答えてくれる。
「会合に出席しても、〝面倒だから突っぱねてきた〟と零しているのを何度か聞いたことはある。……そうか、『終の黄昏』に排他的な印象があるのは、そういうところも影響しているのか……」
と、衝撃を受けた顔で考え込んでいた。
「そんな奴らが『紅蓮の戦旗』と同格の面をしている。まったく、笑わせるよ。僕たちがどれだけレアルムのために貢献しているかを思えば、おかしな話だと思わないか、ヨア」
「……っ。俺の名前を」
「知っているさ、勿論。巷じゃお前を評価する声が多いが、誰も彼も見る目がない。よく見てみろ、〝神器〟の力で〝殺し屋〟から生き延びただけの、ただの幸運な男じゃないか」
アーサーはさらに一歩近づき、俺の右肩に手を置く。
そして視線は合わせないまま、耳元でのたまった。
「……だが人格の誠実さは、別の次元で測るべきだとは思うさ――もう一度言おう、攻略を譲れ。他者がどう言おうと、君たちの貢献は絶対に忘れない。俺が団を束ねる立場に上った暁には悪いようにはしない。利口になれ」
「…………」
――パンッ
俺の手は、
考えるまでもなく、奴の手を振り払っていた。
「……ごちゃごちゃとお前の勝手な理屈を振りかざして語るなよ。お前ら『紅蓮の戦旗』がどれだけ偉いか知らないけどな、俺たちは探索者だ」
探索者になって日の浅い俺でも、これだけは分かる。
探索者は皆、きっと何かを変えるためにこの道を選んでいる。
生きるだけなら楽な道もあるはずなのに、だ。
俺のように、そうするしか生きる理由がなかったとしても、己の運命に抗うために剣を手に取った。
俺たちの毎日はとっくに、自分より強大なものに挑み続ける日々だから――
「――借り物の名前で張った虚勢に、今さら威竦むなんて思うなよ」
「よく言った!」とギルが快哉を叫ぶ。
俺だって、たまには格好良いことぐらい言うのさ。
「それに俺は生憎と〝万年補修のヨア〟の異名をとってしまうくらい勉強ができないんでな――お利口さんには程遠いのさ!」
「それは普通に格好悪いわよ」
「えッ」
呆れた顔のウェンブリーを捉える俺の視界の端で、アーサーがくつくつと肩を揺らした。
「……そうか。やはり」
俺の目の前で彼はあえて見せつけるように掌を宙に躍らせ――
「バカはバカのままか」
――声が真後ろから耳朶を打つ。
背中に触れられる感触。
振り返る時間すら許さず、衝撃が俺を貫いた。
天地が何度も回転し、土埃が激しく舞っていることだけが理解できた。
「ヨアッ⁉」
「来い、お前ら」
最後、何かに衝突し、ようやく俺は停止する。
ぐらつく視界。痛む総身。口の中の、土の味。
何をされたかはおよそ理解できる。俺は発条のように跳ね起き、獣噛みの大剣を構えた。駆けつけてくれた仲間が周囲を固めてくれる。
だが――〝番人の間〟へ続く入口は既に閉まり始めており、
狭まりつつある扉の隙間の奥で、アーサーは興味の失せた目を俺に向けていた
「そう痛がるなよ。ただ弾き飛ばすだけの意能さ。その程度、探索者にとってはかすり傷にも数えられないだろう?」
「お前ッ……!」
「じゃあな、幸運なヨア」
そう不愉快な残響を残して、
扉は、俺たちの目の前で音を立てて閉じた。
***
◆〝外域〟浅層、東部地下遺跡群・〝番人の間〟、アーサー・ヘイズ
扉が閉まるや否や、バネッサが詰め寄ってくる。
「アーサー! いくらなんでも、このやり方は……!」
どうせまた、皆の空気を読んで意見を代表しに来たんだろう。
君のことはよく知っている。人から頼られることが好きで、損な役回りを進んで引き受ける性格だ。自分が言わねばと頼まれてもいない義務感に駆られての行動だろう。
バネッサが口火を切ったことで、他の三人も勝手に思い思いのことをうるさく喋り出す。
「バネッサさんの言う通りです、あの言い様は論理を欠いています」
魔法攻撃役、口うるさいロンメル。
「そうですよアーサーさん! 絶対後で問題になりますよ!」
回復役、気の弱いシンディ。
「まったくでござる。これでは咎められても仕方ないでござるよ」
斥候役、変な語尾のアザマ。
「今からでも戻って謝れるなら……」
そして弓使い、姉御気取りのバネッサと僕を加えた五人が、ここ最近探索に繰り出す際の固定人員だ。
五等級への昇級試験が近い僕の実績作りのため、他者を率いる経験を積めと、上から言われて組んだ相手ではある。
しかし……同じ団員を悪し様に言うのは好ましくないが、心底、君たちには辟易とさせられる。
「――なぜ今なって、それを言うんだ?」
そう口にすれば、ピタリと反論が止む。
「それは……」
「バネッサ、本当に手段が気に食わないと言うなら、それは僕たちが扉をくぐる前に言うべきじゃないか?」
続いてシンディに目を向ければ、彼女は怯えたように目を逸らす。
「君だって、僕に止められた程度で閉口するということは、本気で悪いとは思っていなかったんじゃないか、シンディ? 意見を言うなら、反論も衝突も起きて然るべきだというのに、そこから逃げるのは言葉を尽くしたとは言わないよ」
「う……」
「ロンメル、アザマ。君たちも僕に文句を言う資格があるのか? 今の今まで口をつぐんでおきながら、やけに饒舌じゃないか。交渉を人任せにしておいて、安全な場所から何様のつもりだい」
問いただすように視線を合わせても、誰一人僕と目を合わせることもできやしない。
これなら、まだあのヨアの方がマシと言えるだろう。
歩調を合わせない『終の黄昏』の団員というだけで不愉快で、
〝殺し屋〟と戦って生き延びたという、探索者の本分とは関係ない点を評価され上がってきたのも腹立たしく、
なにより対面して感じたが、言葉にできない生理的な部分で嫌悪を感じる。
これに関しては相性の問題で、彼に非がないとはいえ、嫌いなものは嫌いだ。
けれど。
〝――借り物の名前で張った虚勢に、今さら威竦むなんて思うなよ〟
僕の目を見据え、真っ向から自分の声をぶつけてくる意志の強さは僕の好くところだ。
それが今の僕の仲間たちに明確に欠けているものだから、余計にそう思う。
はあ、と溜息を吐いてから意識を切り替えた。
「……僕は君たちを責めてるわけじゃないんだ」優しい声音、柔和な雰囲気を作り、話しかける。「僕もそうだし、君たちも六等級への昇級試験に箔をつけるためにこの遺跡に来たんだ。何の手柄もなしに帰りたくはないだろう?」
「まあ……」「ええ……」「それはアーサーの言う通りだが……」
「それに、レアルムへの貢献に不真面目な『終の黄昏』より、もっと全体を考えられる探索団が資金も〝遺産〟も手にするべきだと言ったのは、その場限りの詭弁じゃないさ。究極、その探索団は僕たち『紅蓮の戦旗』じゃなくたっていい。ただ、『終の黄昏』ではない――そう思う気持ちは真実だ。君たちにだって、そう思う理由はないかい?」
四人は目を見合わせて、恐る恐るという風に頷く。予想どおりだ。
「揉めるというなら構いやしないさ。僕たちのやり方は彼らにとって卑怯というなら、彼らの在り方も、僕たちにとって看過できない。手に入れた〝遺産〟をレアルムの発展のために使わないというならば、力づくでも奪い取る。それが正義以外の何だというんだ」
――嘘の思いを吐いているわけじゃないが、それをもっともらしく装飾し並べ立てる。
案の定、彼らは目の前に出されたソレに安心し、安堵し、自分たちの行いは正義だと信じ込む。
こうして人は易きに流れる。
彼らに限った話じゃないが、大多数の人間は自分で決断することができない。
時には自分の運命すら左右する選択の決定権を他人に委ねたくて仕方がない。
肝心な場面で語らず、後になって不満を言う。
だから――飛びつきやすい理由を用意してやるのだ。
例えれば、そのままでは口をつけたくならない素材を、捌き、盛り付け、飾り立て、料理として出すかのように。
皆、待ちかねたように理由を飲み込む。
その本質は何一つ変わっていないというのに。
さっきの僕の振る舞いが問題になるかだと? なるに決まっているだろう。ギルドからも団からも咎められる。
冷静に考えれば分かる事なのに、放棄して安易な理由に飛びついた。
そんな彼らを含めた大多数の生き方を、生態として理解はしても、人間として共感はできない。
僕は違う――考えたうえで、損と益を天秤にかけて、それでも目の前の攻略を優先すると決断した。
先の行いによって昇級試験の査定は悪くなるだろう。昇級が遅れることもあるかもしれない。
――しかし、昇級と引き換えに、未発見の遺跡に眠っていた〝遺産〟を手に入れることができたとしたら?
〝遺産〟とは、滅亡した古代王国文明が作り出した魔道具……現代では同じ物を再現することが不可能であり、作成できたとしても性能は遠く及ばない。
強大な力を有する〝遺産〟を持つことは、そのまま戦闘力、生存力の向上に直結する話であり、より上位の等級に昇り詰めるための暗黙の条件のようなものだ。
〝遺産〟
〝神器〟
頂点に君臨する者たちはおしなべて、それらに類する物を所持している。
特に、遺産封印監視機構なんて組織が幅を利かせている現状、今の状況のような好機は滅多にないかもしれない。
それに、番人を倒してのけたうえで〝遺産〟を手に入れたならば、いくらギルドでもその戦功まで取り上げることはできない。実際に命を懸けて戦い、勝ち取ったのは事実なのだから。
罰は重くてもおそらく、〝遺産〟以外の回収品を全て差し出す程度。
金なんて他にいくらでも稼ぐ手段がある物に固執せず、替えのきかない方を取りに行くのは当たり前だ。
何を差し出し、何を得るかを考えろ。
――そうでなければ、僕たちはいつまでも、大多数の中の一人でしかない。
――だというのなら、僕は何ためにこの世に生まれ落ちたのか。
「まずは目の前の敵に勝つことだけを考えよう」
「ああ!」「うん!」「ええ!」「ござる!」
感情に沈みそうになる思考を振り払い、前を見据える。
〝番人の間〟、その中央へ僕たちは歩み寄る。
周囲に働像のような目に見えた敵はいない。
何が飛び出してきてもいいように、油断なく神経を張り巡らす。
唾を飲み下す音すら聞こえそうな静寂の中――頭上から鎖が擦れ合う音がしたのは突然だった。
◇〝番人の間〟【ばんにん-の-ま】
地名/外域/遺跡
古代王国文明の遺跡において時折見られる部屋。
部屋には働像などの番人が置かれ、部屋の奥、
厳重に秘された財宝を侵入者の手から守っている。
……のだが、苦労して番人を倒しても、
奥の宝物庫が空という事件がままある。
番人によっては戦わずに通り抜ける方法もあるらしく、
それが意図したものか否かは遺跡の作製者に訊くしかない。