第百一話 お友達から
◇羊蛇獅【きめら】
魔物/混雑種目/複雑種科
混雑種目に属する魔物。主に〝外域〟中層に生息する。
推奨討伐等級は八等級以上。
様々な生物の形質を宿した異形の姿。
卵生であり、一体一体の姿すら違う。
ほとんどあらゆる種の魔物と交配が可能。
なにゆえ斯様な生物が生まれたのか。
一説には種の保存のためであるとも、
究極の生命に至る兵器であるとも噂される。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、探索者組合・図書室、???
――あああああ……
――ああああああああああ
――あああああああああああああああ‼
――絶ッッッ対に変な人だと思われたよぉぉぉぉぉ!
今し方さらした目も当てられない醜態に、私は両手で顔を覆い、机の下で足をバタバタと悶絶させる。
人は第一印象が大事だって口酸っぱく言われてきたはずなのに、なんで私は……。
でも、だって!
ふっと我に返って目を開けたら知らない男の人が目の前にいたんですよ⁉
私が驚いちゃうのは仕方ないじゃないですか!
例えるなら、「君はレベルが低いから、まずは小鬼の討伐から始めてみようか」って聞かされてたのに、実際に行ってみたら羊蛇獅が出てきたみたいな!
いくら私が準備万端、気合十分で臨んだとしても、程度ってものがあると思います! 初心者が卒なく突破できる試験じゃありません!
本当ならそこで颯爽と「おはようございます。気持ちの良い朝ですね」と言えるのが普通の人なのに……。
しかも、よりによって私が目隠しに広げていた図鑑を読みたかったなんて。背の高い本を適当に棚から抜いたのが、まさか他人の探していた本だとは思いません。
お陰で、本当に読んでいた流行の恋愛小説を中に挟んだまま、あの人に渡してしまって……いくらバレたくなかったからって、あんな変な動きしたら……。
「はあ……」
「……お時間はよろしいのですかな?」
「え?」
呼びかける声に頭を上げると、傍らには心配そうな表情のヤレジュ様が。
そしてあの男の人の姿はありません。
見れば、窓から差し込む日差しの角度から、随分時間が経過していることが分かりました。
「彼はしばらく前にここを出て行きましたよ」ヤレジュ様は私が知りたかった事を教えてくださいます。「珍しいですな、こんな朝早くから利用者がいるとは。……お話はできましたかな?」
「あ、そのっ! ……、……できませんでした。むしろ恥ずかしい様を……」
「そうでしたか。貴方はこの爺とも普通に話せるようになるまでに時間がかかりましたからなあ」
ヤレジュ様は綺麗に整えられた白髭を撫でながら、懐古に目を細められます。
仰る通り、私が図書室に通い出してからヤレジュ様と親しく会話できるようになるまで少し……結構……かなり……時が必要でした。
このままではいけないことは私も分かっています、自覚があります。
ただ、いざその場面となると、どうしても身構えてしまい……。
そんな項垂れた情けない私に、ヤレジュ様は一つ提案をされました。
「いかがですかな、これも良い切っ掛けと捉えるのは。まずはあの少年と仲良くなり、お友達になることを目指すのはどうでしょう」
「――お友達っ⁉」
魅惑的な言葉に、私は悲鳴を上げます。
「お、お友達とはっ……いわゆる、あの、お友達のことでしょうか……!」
「私は世の中に何種類のお友達が存在するか分かりませんが、そのお友達のことですよ」
「お友達……お友達……」
〝お友達〟
――なんて魅惑的で甘美な響きでしょう……。
その言葉を口にするだけで、まるで世界から祝福されたかのような、えも言えない幸福感に満たされるのを感じます。
私はここ最近の会議でもなかったと思うほど真剣な表情でヤレジュ様に問いかけました。
「――ヤレジュ様、お友達になるために、私は何をすればよいのでしょうか」
「それを訊いてしまっては精進になりませぬ。自分で考えることが肝要ですよ」
「そんな‼」
「ホ、ホ、ホ。悩むことで成長できるのは若者の特権ですぞ」
私は精一杯の祈りを込めてヤレジュ様を見つめますが、図書室の管理者である好々爺は笑い声を残して容赦なく去っていきました。
去ったと見せかけて実はこっそり私を覗いており、困り顔を楽しんでから仕方ないなあと力を貸してくれる展開を期待して周囲を入念に見渡します――が、思しい姿は見当たらず……。
これは本当に、自力でお友達にならないといけないのだと、ようやく私は体の芯から理解しました。
「や――やってやりますよ!」
ここまで虚仮にされたなら、私も引き下がることはできません!
友達の一人や二人くらい、簡単に作れるんだって証明してやります!
早速、私は全ての本棚を微に入り細を穿つように調べ、『感情伝達の基礎の基礎』、『社会性動物における思考共有の生存重要性』、『第一印象で失敗したあなたへ』、『とぎれない会話』、『相手を動かす会話術』のとりあえず五冊を抜き取る。こういう本なら借りて持って帰って、万が一見られたとしても誤魔化すことは可能です。
受付台に本を乗せると、ヤレジュ様は複雑な面持ちで貸し出し手続きをしてくださいました。まるで、そうじゃないとでも言いたげな……どうされたのでしょうか。
ですが、手続きは問題なく完了しましたので、別に間違ったことをしているわけではないということでしょう。
私は決意を新たにして図書室を後にしました。
そうして、私は毎日手隙の時間に本を読み込みつつ、朝に図書室へと顔を出します。
彼もあの日以降、毎日図書室に来ては難しい顔をしながら魔物図鑑に目を通しています。
私はその姿を離れた席から横目に見つつ、まだ時期尚早であると、あえて距離を保ちました。お友達を作る技術を磨くために借りた本はまだ全て読破できていませんし、その内容も完全に咀嚼できているとは言い難いのが現状です。
今彼に話しかけるということは、旅装が整っていないにも関わらず旅に繰り出すがごとき愚行と言わざるをえません。
本番ではなく準備が最も大事なのです。
そのことを自分自身によく言い聞かせ――ようやく準備万端と確信できたのが昨日の夜。
夜が明けた決戦の朝、私はいつもの席であの人を待ち受けます。
「ふぅぅぅ……ふぅぅぅ……!」
大丈夫、本に書いてある内容を実践できれば失敗することはない、失敗するとしたら私の精神に乱れがあったときだけ、心を平静に保ち、ごく自然に振る舞うことを意識するのです、私……!
「……、…………、……………………来ないですね」
いつもこの時間帯なら既に来ているはずなのですが……。
いえ、たまたま今日は遅れているだけなのかもしれませんし、そんな日があったっていいはずです。待ちましょう。
ですが、あの人は現れないまま朝日はだんだんと昇っていき、私が図書室を出ないといけない刻限がなってしまいました。
「会えなかった……」
あの人はここでの目的を終えて、もう用がなくなった――そんな最悪の想像がよぎる。
だとしたら、私は準備に時間をかけすぎて……いや、そんなことは、でも……。
私はかつてないほどに祈りました、この世界の運命を司る何かに向けて。
お願いだから図書室に来てください。一回でいいから。
まさかもう来ないなんてこと、ないですよね……?
ないですよね⁉
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、探索者組合・一階大広間、ヨア
今日も今日とて俺はギルドの図書室――ではなく、一階大広間を訪れていた。
依頼票が貼り出された掲示板の前では、何十人もの探索者が頭を捻りながら請け負う依頼を吟味している。いつもの光景だ。
今回は掲示板の依頼を請けるわけじゃないけど、今どんなものがあるかは気になってつい目で追ってしまう。
「おーいヨア、早く来いって」
受付台の前でギル、ギニョル、カレン、ウェンブリー、ニコラが待っている。
「ごめんごめん」
「今はあっちよりも金になりまくるかもしれねえ依頼があるんだ。よそ見しまくってる場合じゃねえぜ」
そう言いながら不敵な笑みを浮かべるギル。
「――いい? アンタたちは何か見つけたら私に見せるのよ! 金にならないかもと思って勝手に捨てたら蹴っ飛ばすわ! アンタらじゃ目利きなんてできないんだから逐一私に相談すること!」
ギニョルとカレンとニコラに捲し立てているのは、今日一番気炎を燃やしているウェンブリーだ。
適当に指差した物を、硬貨何枚分の値段か的中させると言われても信じられるぐらい、今のウェンブリーは目の色が違っていた。
話に相槌を打ちながら、俺はこうなった経緯を思い返す。
「ヨア……お前、いい加減に〝外域〟へ行ってきたらどうだ」
そんな事を突然言われたのは昨日の夜のことだった。
夕食を食べ終えた俺にグラトナ大隊長が前置きもなく言う。
「昇級に向けて頑張るのは別にいいんだ。ただ、あまり体を動かさないのは褒められたことじゃない。体の鈍りは、一日分取り戻すのに三日かかるとも言われるんだぞ」
「そうなんですか?」
「三日が誇張された数字だとしても、言わんとすることが事実だというのは感覚的に分かるだろう? それに、体以上に勘というのはすぐに埃を被るものだ。一瞬の判断で生死が決まる時に備え、常に磨くのを怠らないようにしろ」
……言われてみれば、ここ最近〝外域〟へ赴いた記憶はない。思い返せば超特別参考書と睨み合うことばかりだった。
そう思うと、急に体を思いっきり動かしたい衝動に駆られた。木々が生い茂り獣道すらない悪路を、速度を落とすことなく駆け抜けたい……と思ってしまうのはメリジュナ教官との走り込み訓練の賜物だろう。実際あれは足腰だけじゃなく全身を使う必要があるから良い運動になるはずだ。
「聞いた話では、ギルドが割の良い探索依頼を最近出しているそうだ。体の慣らしを兼ねて請けてみるといい。……ああ、くれぐれも小隊の皆で請けるんだぞ。絶対にお前一人で……もしくは関係のない奴を誘ったりはするなよ。いいな、絶対だぞ」
そう言ってグラトナ大隊長は颯爽と去っていった。その姿がとても格好良く見えた。
試験勉強ばかりで視野の狭まっていた俺では体の衰えの危険性なんて思いもよらなかっただろう。
俺も、ああしてさりげなく適切な助言をできる人間になりたいものだ。
さて、善は急げだ。明日〝外域〟へ行くことを皆に話をしよう。
俺が向かったのは拠点の建物内にある談話室だ。
今みたいな夕食と就寝の合間の時間で、特に用時が無い暇な人はここに顔を出しているのが相場だ。大抵は誰かが屯しているから、話し相手を探すにはもってこいである。それ以外にも簡単な打ち合わせに使うのに便利と、何かと重宝する場所だ。人探しをするならまずここからだ。
いくつかある談話室を回ると、俺以外の仲間が寛いでいる部屋を見つけた。
早速声をかける。
「なあ皆、明日――」
「――〝外域〟に行くわよ!」
椅子にふんぞり返ったウェンブリーが遮るように宣言した。
◇イカサマ技能攻略本【いかさま-ぎのう-こうりゃくぼん】
魔道具/〝遺産〟
読むだけでイカサマに関する技能を習得できる本。
遺産階級:(監視→制限→)封印
既知のイカサマ、未知のイカサマ、あらゆる不正が
この本には事細かく記されている。
ただそれだけの本であるため、当初は捨て置かれた。
しかし、この本を巡って看過できない争いが何度も起き、
遺産階級は異例の二度改定が行われ、封印された。
通るはずの無い貸し出し申請は今も引っ切り無しだ。