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第百話 朝と

◇二壊草【に-かい-そう】

素材/調合素材/生物由来


止血の効果がある薬草。

第三類薬草に分類される。


どの〝外域〟でも普遍的に採取できる。

探索者のお供の薬草の一つである。

食べ過ぎると血液細胞が崩壊する。


一度食べれば血が止まる。

二度食べれば血が溶ける。

   ◆◆◆◆◆




◆自由都市グアド・レアルム、探索団『終の黄昏』拠点・食堂、ヨア



 今さら気づいたわけじゃないけれど、

 やっぱり痛感せざるをえない。


 ――俺は勉強が苦手だ。


「ああっ、またヨア殿が燃え尽きておられる!」「え、あれ全部覚える気なの⁉」「いや絶対あんなにはいらないでしょ」「メリジュナ教官から覚えろって言われたらしい」「メリジュナさん、えげつね~」


 周りで誰かが何か言っている……。

 だけどもう脳が情報を受け付けない……。

 何も新しいものを受け入れられない……。


「――しっかりするのじゃヨア!」


 ゴッ! という音の後、視界と聴覚が明瞭になる。


「本を広げながら夕食を食うのは行儀が悪いのう! ちゃんと味わって食べるのじゃ!」


 その晩飯を作る鍋で俺の頭を叩くのも行儀が悪いと思うぞ。


 けど、味わって食べないのは確かに失礼だ。調理してくれた人だけでなく食材にも。

 うん、そうだ。勉強はほどほどにしてご飯を食べよう。決して勉強からの逃げではなく、健康を損なっては元も子もないからな、うん。俺は勉強から逃げていない。これでよし、自己暗示完了。いただきます!


「あ、ウェンブリー! そっちもご飯? 一緒に食べようよ!」

「……げ」

「こっちこっち!」


 食器を乗せた盆を手に歩いてくるウェンブリーに手を振る。

 食事はこれからなのにまるで不味い物でも口にしたかのような表情で彼女は近づいてきた。


「……子供かっての! 大声ださないでよ、恥ずかしい」

「ええ? なんで」

「……あー、そういやアンタにそっち系の羞恥心は皆無だったわね、忘れてたわ」

「ウェンブリーも一緒に食べるのじゃ、ワハハ!」


 ウェンブリーは何やらブツブツ言いながらも同じ席に着く。そして匙を口に運び、顔をほころばせた。

 さすがのウェンブリーも、この美味しさの前には険のある顔を崩さずにはいられないようだ。


『終の黄昏』には団専用の食堂がある。これはとても珍しいことらしい。


 ネルリハさん、ミランさん、マルシェーラさんの支援部隊の三人が専任で厨房係を務めていて、毎日百人を超える人の料理を作っているのだ。他の団員も交代で炊事場を手伝う。皮剥きとか皿洗いとか簡単な作業をだけど。

 朝と晩の二食、日によって献立は変わるけど、そのどれもが絶品だ。

 入団したての頃は、参考にするからと味の評価を聞かれ、素直に伝えていた。


 ミランさんからは、


〝――アンタ何食っても美味いしか言わないから意味無い〟


 マルシェーラさんからは、


〝――腐りかけの肉と野菜の煮込みより美味いって言われても嬉しくない〟


 と怒られて以来、感想を求められることはなくなった。

 実際出てくる料理は全部美味しいから、美味しい言い様がないんだけどな……。


 この料理を食べられるのはウチの団員か招待された客人ぐらいなので、レアルムの食通からは〝幻の料理〟と噂されているらしい。

 当のネルリハさんたちは「別に隠すほどでもないから普通に来て食べてくれてもいいんだけどねー」と言っていたけれど、団の拠点に部外者を入れるのは機密上よくないというので難しいだろう。


 ……と、美味しさに舌を鳴らしながら夕食を堪能していると、話題は俺の昇級試験に移っていった。


「――いや、絶対ここまで覚えなくていいでしょ……」超特別参考書を流し読みしたウェンブリーがげんなりして言った。「別に満点取る必要ないんだから。足切り以上の回答ができてたら問題ないでしょうよ」

「でも、せっかくメリジュナ教官がくれたんだしなぁ……」

「ま、アンタがそうしたいってなら、そうすればいいんじゃない? 私にはもう関係ない話だし」

「そう言えば、ウェンブリーは何等級なんだ?」

「六」


 つまり、既に昇級試験を突破した先輩ってことになるのか。

 ふうんと頷く俺にニコラが言った。


「私も六じゃぞ!」


 なん……だって……ッ‼


 驚愕のあまり手から匙が零れ落ちる。

 ごめん、本当に無意識にだけど、昇級試験の難易度を聞いてからニコラは七等級ぐらいだと勝手に思い込んでいた。


 え、いや、ええ……?


 じゃ、じゃあ俺が苦しみにのたうちながら頭に叩き込もうとしてるこの本の内容を、ニコラは既に……。


「動揺しすぎでしょアンタ……。コイツは普段こんなだけど、別に頭が悪いわけじゃないのよね。勉強が出来るバカというか」

「だったら俺は――――勉強もできない、バカ……?」

「あーいやそこまでは別に」


 ああああやっぱり無理だってこんなのおおおお!

 ダメだ、自信がなくなってきた……いや元から無かったけどさ……。


「……はあ、しょうがないわねぇ――」


 ウェンブリーは絶望を抱いて机に突っ伏した俺を足で小突きながら、


「――いつまでもウジウジ鬱陶しいから、勉強法ぐらいちょっと教えてあげるわよ」

「‼ ウェンブリー……!」

「ちょおっ、グイグイ来んなっつの!」


 それだよ、それ! 俺が真に求めていたのは!

 力業(ちからわざ)でなんとかするんじゃなくて、試験を突破するための技術の話を聞きたかったのさ!


 行儀良く椅子に座り直した俺に、ウェンブリーは匙を指示棒のように振るって説明を始める。


「まず目標の認識を改めなさい。アンタがすべきは学力試験で良い点を取ることじゃなくて、合格点以上を取って試験を突破することでしょ。メリジュナが参考書くれたことに義理立てする必要なんかないわ。申し訳なく思うなら、その分早く昇級して恩返しすることよ」


 さらに参考書の頁を捲る具体例を指し示しながら助言をくれる。


「時間も無いから、アンタが採るべき方針は〝確実に取れる暗記問題を徹底的に潰す〟。これ一択ね」

「暗記問題?」

「そ、例えば……そうね、ここに書いてある『二壊草を採取して止血薬を作製する時の手順』なんかは、薬草の重量に対する水の割合とか調合の知識を前提にして、実際に薬を作る場合の数量計算が出題されるわ。特に二壊草は成分量が多過ぎても少な過ぎても人体に害があるから計算問題によく出てくる薬草よ」

「そんな傾向があるのか……」

「こういう問題は一問当たりの配点は高いけど、回答するのに時間がかかるし、結局回答できなければ0点なのよね~。まあ温情で部分点はあるかもしれないけど、それを期待するのは不確実だし効率も悪いし……。それよりも、もっと単純な〝これはこういうものだから〟っていう事柄の暗記に絞って対策して、後は暗記より難易度の高い頻出問題を対策するぐらいかしら。私も試験受けてるから、どんな問題が出たかはだいたい憶えてるわ」


 ス、スゴいよウェンブリー先生……!


「あと、暗記対策は朝に勉強しなさい。夜の疲れた頭じゃ憶えられるものも憶えらんないわ。朝が一番脳がスッキリしてるから捗るわよ。朝を制する者は一日を制する! 分かった?」


 途中から息が熱くなり満足そうに語り終えたウェンブリー先生。

 ふと周りを見渡すと、俺以外の団員たちも息を呑んで耳を傾けていた。


「な、何よ皆⁉ 急に黙って気味悪い……」

「ウェンブリーちゃん!」一人がウェンブリー先生の手を固く握る。「私にも試験対策教えて!」

「は……はあああああ⁉ なんで私がアンタらの面倒まで――」

「お願いします先生ぇ!」「私も昇級試験控えてるんですぅ! 割とマジでヤバいんですぅ!」「好きな甘味なんでも奢るからぁ!」「ヨアに先越されたら先輩としての威厳がぁ!」


 皆が真剣味を帯びた表情でウェンブリー先生の下へ殺到していく。

 ちょっと! 先生の一番の生徒は俺なんですけど!


「ハハッ! アンタが来てから騒動には事欠かないねえ、ヨア」


 ……と、喧騒から離れた席で高みの見物を決め込んでいる集団から声が飛んでくる。

 彼女らは既に六等級以上の証を持っている先輩団員たちだ。チビリチビリと酒の入った杯を傾けながら、さも愉快そうな赤ら顔でにんまりと笑う。


「先輩たちだって昇級の試験はまだあるんじゃないですか?」

「バーカ、五等級四等級に上がるのに何年かかると思ってるんだよ。新人の内は死ななけりゃトントン拍子に上がってすぐ試験が来るけど、ウチらはお声がかかるまでまだまだ時間があるからな。のんびりゆっくり準備してりゃいーの」


 そう言って先輩は気持ちよさそうに杯を飲み干す。そうそう、と周りの先輩も同調して酒を呷る。


 ……ほうほう。

 なるほど、なるほど?

 こうして試験に苦しむ俺たちを酒の肴にして悦に浸っているわけですか。


「……今度、メリジュナ教官に言っておきますね――ウチの団に意識がたるんでる人が大勢いるので特別授業を(・・・・・)しに来てほしい(・・・・・・・)って」

「はあ⁉ オメーふざけんなよ!」「それはマジでヤバいって!」「冗談だよね……? ねえ、冗談って言ってよぉ!」

「勉強するんで部屋に戻りま~す」


 俺は参考書を脇に抱えて、逃げるように食堂を後にした。

 よし、早速ウェンブリー先生の教えを実践してみよう。






 ――そんなわけで、俺はこれまで夜にやっていた勉強を朝一番に行うことにした。


 すると驚くべきことに、暗記の精度が上がったのだ。

 まだまだ一筋縄というわけにはいかないけれど、時間が経っても知識が頭の中に残っていると感じるようになった。


 それと暗記科目に絞って集中したお陰か、メリジュナ教官の超特別参考書もその本来の効果を発揮してくれた。

 暗記する項目に対し、その由来や経緯、豆知識が注釈されていて、ただ憶えるよりも印象が強く残る効果に気づいたのだ。


 こうして、一時はどうなるかと思ったが、俺の昇級試験勉強は意外な事に順調に滑り出すことができたのだった。






「こんな場所があったのか……」


 早朝。

 今、俺はギルドの図書室に来ていた。

 勉強を進めるにあたり、どうしても魔物の図鑑を見る必要があったからだ。


 メリジュナ教官は、魔物の生態に関する分野はあえて参考書を作成していなかった。

 理由について訊いたところ、


〝――そちらについては、既にギルドが作製した図鑑が十分に役に立ちます〟

〝――魔物の生態は、要点だけを記憶する()をしていると、把握していない行動によって万が一命取りになりかねません。だから余さず学習してほしいのです〟


 ということだった。

 魔物との戦闘は些細なことが全て生死に関わる。ちょっとした習性を知っているか否かで大きく戦い方が変わることもある……自分の未熟を恥じるばかりだ。


 反省もそこそこに、図書室へと踏み入る。

 受付に居た職員だろうお爺さんが眉を上げて驚いていた。

 まあ、確かに? こんな朝早くに勉強しに来る俺みたいな殊勝な人間はそういないだろう。せっかくだから日当たりの良い場所で勉強しようと二階に行く。


 そう鼻唄混じりに階段を上がれば――そこには既に先客が。




 ――黄金を糸にしたかと思うほど美しい髪。


 ――宝石を嵌め込んだような光輝く碧い瞳。




 それこそ……本の中から飛び出してきたという表現が似合う女性がいた。


 俺と同じぐらいの年齢だろうか。清楚な薄青色の服を身に纏い、とても楽しそうに本を読んでいる。

 何を読んでいるのかと見れば、俺が探していた『中央地方に生息する魔物総覧 第一巻』だった。

 当の女性は読書に夢中で、俺が近くに現れたことに気づいてもいない。……そんなに魔物図鑑は面白いのだろうか……?


 さて、どうしたものか。

 俺も魔物図鑑を読んで勉強したいところだが……。


 腕を組んで何気なく視線をさまよわせていると、魔物図鑑の背表紙に『貸出厳禁』と印が貼られている。

 とりあえずこの人が図鑑を持ち出す可能性は無さそうだから、読み終えた段階で次に貸してくれないかお願いしてみよう。それまでは参考書で勉強して時間を潰そう。

 俺は対面の椅子を引いて座ると、栞を挟んだ頁を開く。




 それからはしばらく、声のない時間が続く。

 響くのは、お互いが頁を繰る音だけ。

 朝の清浄な冷えた空気が肺を満たし、頭だけでなく全身を覚ましていくような感覚が心地いい。

 まったくの初対面、名前も知らない人といるはずなのに、

 居心地は不思議と、悪くなかった。




「はぁ……」


 溜息に視線を上げれば、女性が本から面を上げたところだ。

 そしてようやく俺の存在に気づく。


「あの――」

「――ひゃいぃぃぃっ⁉」


 話しかけようとすると、その人は本を胸に抱いたまま、なぜか勢い良く直立して不動の姿勢になった。


「いや、あの」

「な、なな、なななななななんでごじゃいましょうか⁉」

「えっと、お、落ち着いて……?」


 なんだろう。

 ただ話しかけているだけのはずなのに、とても悪い事をしている気分になった。

 こう、怯える子供から物を巻き上げてるみたいな……。


「ひゃいっ、落ち着きましたっ⁉」


 絶対落ち着いてないよ。


「その魔物図鑑なんだけどさ、読み終わったなら次に貸してほしいんだ」

「どうにょっ‼」

「どうにょ⁉」


 女性は腰を直角に曲げ、ズビシッ! という幻聴が聴こえそうな勢いで本を差し出す。

 まるで貢物を無理矢理差し出させてるような……ああ、なぜか罪悪感が湧いてくる。


 とはいえ、俺にも昇級試験という切実な事情が迫っているため、涙を呑んで借り受ける。


「あ、ありがとう……ん? 何か挟まってる?」

「はっ⁉」


 受け取った魔物図鑑だが、真ん中が不自然に膨らんでいる。

 俺がその違和感に気を取られ、不用意に図鑑を縦向きに持ち換えたせいで、挟まっていた何かがストンと机の上に落ちた。


 何か、図鑑より小さい――


 ――ズギャアッッッ‼‼‼


 一瞬だった。

 目から送られた情報を脳が咀嚼し、味わい、理解、分解する前……

 事は既に終えられていた。


 後に残っていたのは、物体が高速で移動したであろう影響による旋風、何かが強烈に擦り合った摩擦により仄かな白煙を上げる机、

 そして右手を脇に挟み込んだ体勢の女性。

 見様によっては腰に下げた剣を抜き放たんとする姿勢にも見えるけど、直感が訴えている。

 あれは、もう、剣を振り終えた後の残心なのだと――!

 ……俺は図書館で何を考えているんだろう。


 そんな殺伐とした事が起きるはずもない場所なのに。

 整理すると、図鑑に挟まっていた何かが落ちて、それをこの人が回収した……んだと思う。


「……それって君のだった? 気づかず持っていっちゃってごめん」

「はいっ! いいえっ! お気になさらずっ!」


 目まぐるしく表情を変化させ、なぜかわちゃわちゃと手を動かして受け答えする姿は非常に挙動不審だ。

 そうか、ようやく分かった。




 この人は――変な人なんだ。




「あ、じゃあ、どうも……」

「は、はい……すみませんでした……」


 何やかんやあったが図鑑を借りることに成功した俺は、無意識に少し離れた席を選んで腰を下ろした。


 さて。

 気を取られてしまったけれど、勉強を再開するとしよう!

◇中央地方に生息する魔物総覧【ちゅうおう-ちほう-に-せいそく-する-まもの-そうらん】

学問/生物学/魔物


魔物の生息地域について詳細に記された本。

各地域別に出版されている。

中央地方は主にグアド・レアルムを中心とする地域。


地域に生息する魔物の情報は、言うまでもなく必須。

試験では基本を問う設問が出題される。


勉学は常に己が身を助ける。

興味の無い本を、いかに楽しく読めるかである。

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