第十話 イムリ・バラガンゴルン
◇鉱窟族【どわーふ】
人類種/鉱窟族
膂力と鍛冶に秀でた人類種の一つ。
彼らは押しなべて身長が低く、代わりに筋肉質で頑丈な肉体を持つ傾向にある。
山、特に洞穴に慣れ親しみ、まるで獣が臭いを嗅ぎ取るように鉱物を掘り当てる。
その性質上、鍛冶仕事との親和性が高いため、
鉱窟族製の武具は性能良く、高値で取引される。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、探索団『終の黄昏』拠点・修練場、グラトナ・グストーナ
相手の見た目で判断する……手本のようなバカの所業だった。
この世には魔法があり、意能がある。
外見から読み取れる情報は重要だが、その真偽性を、そして内側に秘めた切り札の存在を疑うことを忘れてはいけない。
「いぎぃ、あ、あああああッ⁉」
イムリに力勝負を挑んだヨア。
威勢よく両手を組み合ったまでは狙い通りらしいが、あっという間に手首を返され、そのまま上に捩じり上げられた。
イムリ・バラガンゴルンは鉱窟族の少女。
鉱窟族は他種族と比較して生来の身長は小さいが、力に関しては頭一つ抜けていて、体格もただの人間より余程頑丈なのだ。
加えてイムリには【怪力】の意能がある。
自分の体重の倍以上もある武器ですら軽々振り回せる膂力を持っている。
「そォ~らァ~……よッ!」
イムリは自分を軸にぐるぐると回転し、全力でヨアを投げ飛ばした。
「ごはッ……‼」
水平に飛んだヨアが囲いの鉄板に背中から思い切り叩きつけられる。衝撃で肺の空気が抜けてさぞ苦しかろう。
「ぜぇ、ぜぇ…………、――ッッッ⁉」
意趣返しとばかりに剣が投げつけられる。ヨアの得物だ。
間一髪で頭を傾けて躱したが、次の瞬間にはイムリが目の前に。
イムリが身に秘めた種族由来の大力は、小柄な体に爆発的な速さを与えた。
「どーした! 副団長に認められた力ってーのを教えてくれよ!」
腕の防御を無理矢理こじ開け、強烈な膝蹴りがヨアの顔面に入る。
さらに容赦の無い回し蹴り。衝撃で体が浮き、続く掌打が修練場の反対までヨアの体を吹き飛ばした。
「あれを見てると、イムリと組み手すらしたくないわ」「身体能力だけなら実際の進値以上の力があるからね」
袋叩きとはこういうのだと、周囲に見せつけるような乱打。
一呼吸ごとに血飛沫が上がり、身に着けた防具が弾け飛ぶ。
反比例するように、イムリは殴るほど蹴るほどに調子を上げていく。
「それともただの虚仮威しってやつか! だったらよォ、副団長の見る目もたいしたことねえな!」
イムリは口を歪めて嘲り笑う。
「――――――――」
――その言葉が、目に見えない拘束を外す鍵だったのか。
ヨアを中心に膨れ上がった怒気が、全員の体を刺し貫く。
刹那の間に起こったそれに、気づいた者はほとんどいない。
勘の良い者は体をブルリと震わせ、だが原因が分からず怪訝な顔をしている。
そして斬込部隊でも古参の実力者は、ヨアに向ける目を鋭いものに変えていた。
一時の暇潰しの見物客から、強者を見極める立会人のものへと。
……さあ、この勝負どうなるか。
ヨアは防御一辺倒を止め一転、わずかな守りすら捨てて反撃を捻じ込んでいく。
イムリもヨアの変化に気づいたようで、より激しく、より苛烈な殴打を繰り出す。
――そして攻防を繰り返すうちに、ヨアは追いついていく。
防ぐことすら出来なかったイムリの膂力を受け止め、それに遜色ない威力の攻撃を放つようになっていた。
今、進値が上がったわけでもないのに、そんなことがありえるのか?。
であるとすれば――
避けた衣服の隙間から覗く、ヨアの右腕。
そこに熱を発し輝く痣の形。
――アレは……いや、まさか。
閃きのごとく私の脳裏を走った違和感。
その正体を突き止める前に、勝負は終幕を迎えようとしていた。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、探索団『終の黄昏』拠点・修練場、ヨア
血塗れなのに、気分が良い。
傷が増えるほど、力が漲ってくる。
自分でも何を言っているのか分からない。でも実際そうなのだから、仕方がない。
何より――戦いの邪魔にならないならどうでもいい!
突き込んだ拳がイムリの防御を剥がしていく。
「お、前……ッ⁉」
右腕が燃えるように熱い。見覚えのない意能が光っている。
【獣創】……これが今の俺に力を与えている意能なのか。
「なんなんだ急にッ……! さっさと倒れろ!」
顔に飛んできた蹴りを片手で受け止める。イムリが目に見えて驚愕した。
動きが見える、速さについていける、次に何が来るか予測する余裕がある。
イムリの力は驚異的だ。跳ね回る小さい体は捉えることも難しい。
でも、同じだけの力を手に入れたなら、体格と体重で勝る俺が有利!
イムリの攻撃の間隙を突いて組み付く。
そのまま軽い体を持ち上げ、叩きつけるように押し倒した。
「離れ、ろ、クソッタレ……‼」
「――俺はな」
俺の額から流れた血が、イムリの顔に落ちる。
イムリの瞳に映った自分の顔は、手負いの獣みたいに酷かった。
「お前の言うとおり、別に立派な人間でも何でもない」
左腕で首根っこを掴んで押さえつけ、右腕を振りかざす。攻撃が来ると分かったイムリが暴れまくる。でたらめな殴り蹴りが胸と腹を撃つが、もう痛みすら感じない体には関係ない。
「でも、グラトナ大隊長にふさわしくなくても……お前に認められなくても……!」
ダラダラ流れる血が目に入る。視界が真っ赤に染まった。
「俺に優しくしてくれたユサーフィさんを貶した奴は――ブッ飛ばす‼」
「ッ……!」
全身の力を右腕に込めて、思い切り振り下ろす。
***
◆自由都市グアド・レアルム、探索団『終の黄昏』拠点・修練場、イムリ・バラガンゴルン
修練場を割るような轟音が響いた。
ヨアの拳がウチの顔面――のすぐ横に衝突した音だった。
視線だけ動かすと、地面がひび割れて腕が手首まで埋まっている。
これを顔面で受けてたら……その未来を想像して、一気に汗が噴き出る。
ヨアの体から力が抜け、ウチの上にのしかかってきた。
「ぐぅ……どけ!」
押しのけるように蹴り飛ばす。
ヨアは既に気絶していた。
「イムリの勝ちだ。誰か治療室に連れて行ってやれ」
グラトナ様がウチの勝利を告げる。
見物していた団員たちに担がれていくアイツの姿を目で追いながら、ウチは地面に座り込んだ。
「勝ったのに不服そうだな」
グラトナ様が言う。
そうだ……この結果は、まったく喜んでいられねー。
「グラトナ様、あいつの進値いくつなんですか?」
「私が見たときは12だった」
「なら……ウチは進値が24あって、ちょうど半分の相手に負ける寸前まで追い込まれたってことです。……こんなの実質負けだ、くそ」
最後の攻撃……あの男の目が流血で塞がっていなかったら、治療室に担がれていたのはウチだっただろう。
急に動きが良くなったのは、あいつの右腕で存在感を放っていた意能の力だ。
あいつが反撃し始めたあたりから、何かしらの意能を使っているのは気づいてた。おそらくその効果でウチの身体能力に追いついてきたことも。
進値差を引っ繰り返すほどの意能。それを卑怯とは思わねー。
魔法にしろ意能にしろ、世の中にはどうしようもないほど理不尽な力が存在する。
理不尽に文句を言っても何も始まらねー。最前線にあり続けたいなら、理不尽を呑み込んだうえで勝つ方法を考えなきゃいけねーんだ。
互いに武器を使って戦っていたら、ウチが勝っていたかもしれない。……なんて思わないでもないけど、そうならなかったのは、アイツが考えて手を尽くし、ウチを肉弾戦に引きずり込んだから。ウチは真っ向から受けて立ったと言えば聞こえはいいが、格下と侮って何も考えていなかった気もする。
そんなことを考えていくと、どんどんムカついてきた。
「あいつ……ヨアはこれからどこの小隊に入れるんですか?」
「おや? イムリ、お前が勝ったら入団は認めないんじゃなかったのか?」
グラトナ様が揶揄うように笑いながらウチに目配せする。
その笑顔も絵に描いて残したいと普段なら狂喜乱舞していたが、今この瞬間に限っては、意地が悪いと思わざるをえなかった。
「……ウチが勝ったと納得してねーんで、勝負はナシです。認めますよ、『終の黄昏』に入る資格があるって」
「そうか」
「んで、さっきの質問の続きですが、斬込部隊で暫定的に面倒見るとして、どこか小隊の当てはあるんで?」
『終の黄昏』では〝部隊〟って考え方と〝小隊〟って考え方で団員の所属を分ける。
〝部隊〟は、適性が似通った奴らを集団にしたものだ。近接戦が得意な奴、魔法が得意な奴、支援が得意な奴。概ねは同じ蝕業の人間同士で固まることになる。
かなりの大人数で活動する時は、部隊として役割を分けることで、合理的に行動する。所謂縦の集まりだ。
対して〝小隊〟は、部隊の垣根を超えた横の集まりになる。少人数で組んで〝外域〟を探索する場合も、攻撃、囮、回復と担う役割は分けた方が良い。魔法部隊や治療部隊所属の団員に声をかけて、前衛・中衛・後衛と偏りなく配置する。
団からの命令が無い時は小隊単位で行動するのが基本になる。〝外域〟を探索したり依頼を請け負ったり。過ごす時間は自然と小隊の方が長くなる。
小隊は組む相手が既に固定化されている。
『終の黄昏』の団員全員が同じ仲間といえ、長い時間を共に過ごした小隊の仲間は特別な存在だ。
今さらそこに新人、しかも男が割って入ることに懸念が無いとは言えない。
だから、ヨアがいったいどこの小隊に組み込まれることになるかが気になった。
「うん、そのことだが、良い考えを思いついた」
冷静な表情のグラトナ様だけれど、ほんのわずかに銀色の尻尾が揺れていた。これは面白がっているときのグラトナ様のクセだ。こう言っちゃあなんだが、あまりロクな事を考えていない感じがする……。
それはともかく、ウチはウチに出来ることをやる。
「イムリ、お前も治療室に行っておけ」
「ウチは大丈夫です。それよりも、これから〝外域〟に出ます」
「〝外域〟? 急にどうした」
「今度アイツと勝負したとき、完全に捻じ伏せられるように鍛えてきます」
勢いよく立ち上がったウチにグラトナ様は何かを言いかけて、止めた。
そして「ほどほどにな」とだけ言い残して去っていった。
そうだ、ヨアが治療室から戻ってきたとき、改めて自分の身の程しらずさを叩き込んでやらねーと。
あのいけ好かない後輩に、目に物を見せてやる!
「――っと、その前に水浴びぐらいはしねーとな……」
ウチは着替えを取るために宿舎の三階、自分の部屋に帰った。
――ウチの部屋の壁がぶち抜かれていた。
服、本、その他諸々が床に散乱して……瓦礫と埃も被って。
壊れた壁からはレアルムの街並みが見える。
どうしようもない有様だった。
部屋の中央に転がるのは、あの男がぶん投げたウチの槌……。
「アイツァアアアアアアアアアア――‼」
前言撤回。
身の程知らずさを叩き込む前に、ウチの拳を顔面に叩き込むことを決意した。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、探索団『終の黄昏』拠点・治療室、ヨア
「……なんでまた戻ってきてるんですかぁ……」
「いやあ……」
イムリとの勝負の後。
俺は治療室に担ぎ込まれて、一日ほど眠りこけていた。
その間看病してくれたのが、一番最初に治療室で目覚めた時、出会った女の子――アリサだった。
お陰で怪我も完治して気分もすっきり爽快。
「あの傷が一日寝ただけで治るのはおかしいです……」
「でも治らないよりはいいんじゃないか?」
「そういう問題じゃないです……」
凝り固まった体を解していると、勢い良く音を立てて治療室の扉が開いた。
「アリサ、無事⁉ またあの男が運ばれたって……!」
それはあの時、剣を振りかざして俺に襲い掛かってきた少女だった。
「お前は――! そこに直りなさいッ、今度こそ叩き斬ってやるッ!」
「やめんか」
「いにゃッ⁉」
少女が剣の柄に手をかけたところで、その背後から頭へ拳骨を落としたのはグラトナ大隊長だった。よく拳骨を落とす人だ。
「ミネルヴァ、お前は壁際に下がっていろ。騒がれては話もできん」
「……はい」
ミネルヴァと呼ばれた少女は肩を落として壁際に佇むと……視線だけで殺してやるとでもいうように俺を睨みつけてくる。一言言ってやろうかと思ったが、グラトナ大隊長の拳に力が入るのを見てすぐにやめた。
「ヨア、体の調子はどうだ」
「寝たら元気になりました」
「……あの怪我でか?」
「はい。いつの間にか治ってました」
「お前に施したのは薬での治療と聞いていたが……誰かコイツに回復魔法を使ったのか?」
問いかけるようにグラトナ大隊長がアリサと、ミネルヴァと呼ばれた少女を見るが、二人とも首を横に振る。
「……そうだ! 魔法じゃないなら――」
「あ、おい!」
直感に従い、俺は右腕の袖を捲ってみせた。
右腕には、その人間が今持っている意能が痣の形で現れる。
俺のそこには【身体強化】、【捧命】、【咆哮】、【獣創】――加えて、今までは存在しなかった【自然回復強化】という意能が刻まれていた。
「そうか、これのおかげで早く治ったのか!」
「…………」
グラトナ大隊長は何か言いたそうな表情だったけれど、俺の意能について触れる事はなかった。
代わりに口にしたのは俺の配属の話だった。
「昨日、お前を配属する部隊について協議し、決定した」
「はあ……」
大隊長が言う部隊とは、話を聞く限り同じ蝕業持ちの集まりという理解でよさそうだ。
それで、俺はどこの部隊に入ることになるのか。
「お前が入る部隊は――無い」
「……へ?」
無い?
「お前の実力は一定認めるが、まだ未知数なところが多い。そのために各部隊に入れて適性を測ることも考えたが……止めた。結論から言うと、個性的な能力を持った団員を各部隊から一名ずつ選んで、ユサーフィ副団長直轄の小隊を作ることになった。私はその隊の監督役だ。お前はそこで経験を積め。……まあ色々言ったが、要するに」
グラトナ大隊長は獣人族の耳をピコっと揺らし、
「特殊任務小隊の結成だ」
◇獣創【じゅうそう】
意能/身体強化系
手負いの獣、その狂猛の力を身に下ろす意能。
己が傷つけば傷つくほど、肉体に力が漲っていく。
ただし治癒力を高める効果はなく、また回復に応じて力は失われていく。
この意能は教えてくれる。
獲物を狩る瞬間こそが、最も危険だということを。
死を迎えるまで、彼らも狩る側の生き物なのだ。