哲学部創設者
我が高校の哲学部は創設から10年以上続く伝統ある部活動である。俺はその部活の顧問を務める、飯田遥馬。この部活動は哲学などという大仰なお題目を掲げてはいるが、その活動内容は、地域の清掃活動、花壇の手入れ、学校の中庭に存在する大層立派な池に生息する亀・小魚などの世話などなど。それって良い子の集まりの生徒会ですらやりたがらないよね?というような、社会に出てこれらのことをやるとすれば、おおよそ無償であることが安易に想像できてしまう、いわば奉仕活動がほとんどである。
この部活に入部する生徒達は、大概の場合、この高校の校則である、”必ず部活動に参加しなければならない”という、THE体育会系と宣伝するような、厄介な校則を逃れたいがために入部する。我が高校は県内有数の進学校である。それでも部活動を推進しているのは、騎士道精神だとか、健全な精神は~だとか、そういった精神論が人間の潜在能力をひきだすとか、そんな思惑があるかららしい。
活動の内容が奉仕活動であることと、俺が顧問ということもあって、他の部活動に比べて、哲学部の部活動はぬるい。学校の生徒や先生には異色の部活動として認知されている。これでいて学校中の誰かが哲学部を名指しをして、あの部活動は怠けている!と言いださないのは、みんな自分のやることで精一杯だからか、はたまた、誰もやりたがらない陰気な仕事を一身に引き受けてくれていることを感謝しているからか。…前者だろうな、と俺は思うのだが。
そんな一種の校則の抜け道のような部活動ではあるが、生徒は真面目に部活動に取り組むことがほとんどだ。部活動の活動内容の性質上、進学時の試験の面接や小論文などで、アピールポイントになることが多い。部活の名称から、何をする部活なのだかわかりづらいのも相まって、面接官はスルーすることはできず、面接の対策が立てやすいという側面もある。だから生徒達は、あくまで我が将来のためと、せっせと奉仕活動に精をだす。
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今日の部活動の内容は中庭の掃除と池に棲む生物達の世話だ。その部活動に対して、指導という指導なんて存在しないものだから、俺も生徒と一緒になって、奉仕活動をする。一応、哲学部という名の部活の顧問であるから、俺は哲学に関して、一般人以上の知識を持っていて、部活動の合間にそれらしく話をしたりもする。だが大概、その話に真面目に取り合う生徒はおらず、生返事をして、”それより”という言葉を、話す内容の頭につけて、お気に入りのYoutuberの話や、流行りのソーシャルゲームの話を俺に振ったりする。まぁ俺も やりたくもない作業をしながら説教がましい講義を聞かせられる生徒の気持ちがわかるので、先生としては毅然とした態度で振る舞うのが正しいんだろうが、人としてはその方が正しいと思うから、そんな時は専ら話を合わせるのであった。
そんななか、俺の哲学に関する話を真面目に聞く物好きな生徒がいた。高原博人という、16歳になったばかりの少年は、部活動に対して不満を持っていた。奉仕活動そのものに大した不満をもっているわけではない、こいつは哲学が好きで、この部活動に入ったのだ。彼が怒るのは当然だと思う、らーめんと書かれた看板が掲げられている飲食店に入って、出てくるらーめんが不味いのならまだしも、らーめんそのものがないとなったら、多くの人が怒りをあらわにするに違いない。
だから高原は、部活が終わると決まって部室に戻って、部室の本棚にならぶ、申し訳程度に揃えられた、古い哲学本を一人読むのであった。高原しかそれらの本を読まないものだから、それらの頁の間に挟まる本のしおりは、高原がここまで読み進めた、という印になっていた。
俺も高原と同じように部室に戻り、小休止する傍ら明日の授業の準備をするのが日常になっている。事務作業を職員室でやっていると、感心だねぇ、なんて教頭に声をかけられ、やれあの先生はどうだの、ゴルフのスコアがどうだのを聞かされる羽目になる。まぁ教頭との付き合いは相当に長い俺であるから、そういう話が他の先生よりしやすいんだろう。それはそれで嬉しくもある。だから時たま職員室で作業するが、ほとんどは部室で作業する。
俺が部室で作業する時には、必ず高原が部室にいる。部室に二人揃うというのが、いわば哲学部のBパート、といったところだろうか。高原は俺に、今読んでいる哲学本に対する意見を求めたり、自分の考えを話したりする。学びて時に之を習う。おそらくこれが、高原の望む哲学部の在り方なんだろう。その時ばかりは、高原は水を得た魚のように活き活きとしているのであった。
俺はそんな高原をみて、かつてこの部活で交流のあった一人の少女のことを想起する。そいつは俺を哲学の道へ引きずり込んだ張本人であった。
(そういえば、あの時も二人きりだったか)
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部活動が終わり、俺が部室で作業していると、高原が意気揚々と哲学者の話をしていた。今、高原が読んでいるのは、ミルの自由論。
”満足な豚より、不満足なソクラテス”
なるほど、物事を自分の頭で考えられるようになってきた高校生が、好みそうな文言である。高原は考える事の妙味を知っているのだ、対して、哲学部に所属する部員はそれを知らない。言い得て妙か、この言葉は現状の高原をよく表している。なら、高原が声高にミルを賞賛するのも当然だ。高原はミルを推しだと言った。
「先生は推しの哲学者っているんですか!?」
推し。哲学者でアイドルグループやってるわけじゃないんだから、推しという表現は似合わないぞ、と思う。
「推し ねぇ。」
俺の脳裏に一人の名前が思い付く。あいつは、そう、思えば俺がこの部活の顧問をかって出る理由を作ったあいつが、俺にとってはあとにもさきにも一番の哲学者だった。
「芦塚楓花...」
高原は明らかにその表情に”?”を浮かべている。無理もない、だって俺の知り合いの名前なんだから。誰ですかと高原は俺に聞く。俺は俺が知っている一番の哲学者だと答えると、高原はやはり”?”をその表情に浮かべた。もっとメジャーな哲学者の話を期待してたのに、と言わんばかりに、高原は話を切り替える。
「明日の清掃活動面倒ですねー、他の活動って、校内で済むからいいですけど、清掃活動は街中を結構歩かないといけないじゃないですかー」
明日は土曜で、土曜日の午前中は地域清掃活動というのが哲学部の伝統だった。まぁ、他の部活動は一日走りっぱなしだというのもあるのだから、比べればそれでも相当楽な部類だと思う。
「うちの部活って、哲学部っていうわりに、全然それっぽいことしないじゃないですか?僕は哲学を勉強できることを期待して入ったのに」
そういって、机上の本を手に取りぱらぱらとめくる。こいつはこいつなりにちゃんと動機があってこの部活に望んでいるのだから、他の生徒と違ってやる気がある、といっていいだろう。
「誰がこんなボランティア活動みたいなことを哲学部の活動内容にしちゃったんですかね?」
確かに高原にとっては不運だ。哲学好きが哲学と銘打っている部活動に参加して、やらされることが奉仕活動なのだから。こいつの不憫さを解消できるとは思えないが、ならばその活動が何故 俺たちがやらなくちゃいけないことになったかを俺は話しておこうと思った。いや、芦塚の名前をだしたときにはもう、俺はその人の話をこの哲学少年に聞かせてやりたかったのかもしれない。
「俺だぞ」
え?と、高原はなにに対して俺が答えたのかがわからない様子だった。
「俺がこの哲学部を作って、俺達がそのボランティア紛いのことを始めた」