第八話 金光
――外道に堕ちた者とは言え、己の意思で人間を殺人を犯した。
無論、鬱屈に鬱屈を重ねて人道から外れてしまった異常者である以上、あの場で処理しなければ己の方がやられていたと断言出来るだろう。
そうであっても、結局は自分の選択したことに対してだけは、目を逸らしてはいけないのだから。
兎も角、此れにて目先の脅威は去ったと言えようが、此処に来るまでに残されていた怪物と化した生徒たちは如何なったのかということも、気にならない訳では無い。
寧ろ、術者が消えてコントロールも失われるが儘に暴れ出すようなことがあれば、其れこそ目も当てられない。
されども――良くも悪くも、そのような最悪の予測だけは外れたのだということは、直ぐに理解出来ていた。
物音一つ聞こえない廊下へと抜け、そっと隣の教室を覗いて見ると――最早、死体が重なる様に物言わぬ肉塊が散乱しているだけであった。
動かぬ学生服姿の人型へと近付き、仰向けに倒れる身体を確認してみるが、既に誰も彼もが心の臓を止めていたようであった。
それでも、顔中に広がっていたのであろう墨色の奇妙な文様は消え失せ、不自然に白目を剥くことも無く。
眠る様に沈んでいたことだけは、これ以上彼ら彼女らを辱めることも無いと考えれば――現状においては、まだマシな程度に治まったということなのかもしれない。
死が救いになるかは今を生きる己には知る由も無いけれど、此処で弄ばれた皆に安らぎが与えられることを祈ることにしよう。
そうして、この校舎へと足を運んだ本題を思い出したように手早く行動をも再開せねばならないのだ。
時間は何時だって有限であるし、幾ら夜目が十二分に利くからと云って、進んで独り夜半を廻りたい訳でも無い。
初夏故にそう寒々しいこともないけれど、暗がりには何時だって良くないものが潜むのだから。
――そんなこんなで。
取り敢えず、動く幽鬼の居なくなった静寂に包まれる校舎内を探索するが、最たる目的であった通信設備の類は見当たらない。
校舎内の各所に、火災発生の際に消防へと通報するための防災ベルは存在するが、現状において此れを押した所で消防救急が来てくれるとは到底思えなかった。
昨日の意識を取り戻した際には辺りからもサイレンの音が鳴り響いていた気もするが、今や其れらもほとんど耳にしなくなったのだから。
壊滅とまでは言わないが、引っ繰り返っていたパトカーの様子を思い出しても、最早全く手が足りていないのだ。
加えて、己も含めて――先の先まで、常識では理解し難い力を持った人間と衝突していたのである。
つまり、人形遊びに興じていた哀れな暴君であった彼だけでは無く。
この状況下において、少しばかり倫理観の枷が外れた暴徒なぞに力が宿っていたならば、更に街は深刻な状態へと陥るということは想像に難くない。
兎にも角にも、今は自分のすべきことをするだけであろう。
通信設備が見当たらぬのであれば、役に立ちそうな物資でも掻き集める動きにシフトする。
食料やらも必要不可欠ではあるのだが、負傷した際に用いる薬品の類も欲しい所だ。
別に医学の知識が無かろうとも、怪我をした時には消毒の有無だけでも明暗を分け、助かる命もあるということくらいは理解しているつもりである。
故に動く者の無くなった廊下を抜け、階段を降りて往くと――一階の端に保健室の表札を発見することが出来ていた。
あの少年は肉人形を使ったお遊びに夢中で、如何やら積極的に校舎内の設備を破壊したりすることは無かったらしいという点においては、まだ幸いであったのかもしれない。
白いシーツの敷かれたベッドが数台に、保険医が腰かける椅子とデスク。壁際には薬品棚も置かれており、引き出しを探れば救急箱やら一式が詰まっているようであった。
使う者が居ない以上、この先の事を考慮して拝借させて貰うことにすべきであろう。
右手へと生み出した闇色の渦へと、片っ端から遠慮無しに物資を放り込む。薬や消毒液に治療キットをあるだけ浚い、そのまま空となった棚へと背を向けて保健室を後にするのであった。
職員室には、目ぼしい物も無く。一応と放送室にも寄ってはみたが、外部に繋がるような通信機器も見当たらない。
校庭の端に備わっているようなスピーカーを響かせるようなマイクなどはその辺りにありそうだが、下手に呼びかけを行って、余所から要らぬものまで招くことになっては堪らぬだろう。
唯でさえ、誰が正気で味方になるのか判ったものでは無いのだから。
せめて、大学の友人たちと連絡を取ることが出来れば――そうした相手で在れば、少なくとも見ず知らずの相手よりもずっと安全に行動も共にすることが出来るのでは無かろうか。
いずれせによ。一通りの目的を終えていたこの高校には、これ以上の用事も無い。
己に発現した異能の理屈など未だに知り様も無いが、使える物は使うとばかりに袋として活用しながら、独り静かに校舎を後にするのであった。
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【名前】薯騨 伴満
【性別】♂
【征痕】寄生する音波《パペットシャウト》
┣【能力】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
【暴力】E【耐力】E【応用】C【敏捷】E
┣【技能】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
【☑肉人形の宴】
┗己の声を介し、近くの人間を従僕に仕立て操る。
征痕を覚醒させている相手には、高確率で抵抗される。
人形と化した者の動きは幽鬼のように緩慢であり、
原始的な行動や単純な命令しか実行不可である。
術者の暴走により効果の範囲が一時的に増幅していたが、
代償として、傀儡の命を残らず削ることとなってしまった。
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荷物が幾らあったところで、荷重制限は取っ払われているようなものの。
一先ず、すぐに使えそうなものを中心に整理する必要があるだろう。
目的とは違えども、割かし収穫としては悪くなかった戦利品を携えて、こうして一度自宅へと戻って来たのであった。
道の途中はまた寂しいものであったが、あぁして何があるか解らないとなれば、抵抗する力を持たない者は隠れていた方が賢明だろう。
――事態の終息が何時になるのかという問題は、誰にとっても未だ解決しそうになかったが。
そして如何にか、道中で加賀を負うことも無く。無事、安普請ながらも住み心地は意外と悪くないアパートへである自宅へと戻ることが出来ていた。
周囲に建てられている今時の学生向きの賃貸住宅に比べれば、既に外観からして襤褸が見えるけれど。
その内装はリノベーションが済まされて居た為か、以外にも小奇麗な様相にて構築されているのであった。
しかしながら、何やら自室扉の前には嬉しい来客があったようで、
「――や、厳斉! 如何やら、君も無事みたいで良かったよ」
己――厳斉の帰宅を待っていたかのように、爽やかな笑みを浮かべて手招きをするのは、実に見知った顔ではないか。
茶色の髪は肩口にてふんわりとしたボブで彩られ、ぱっちりとした双眸に濃い睫毛。
すっと通った鼻筋は高く、桃色の口唇は艶を携えている。
全体的にほっそりとしながらも、女性らしく強調された胸部に丸みを帯びた腰回り。
清潔な白いブラウスの襟元には細いタイが巻かれており、薄色のロングスカートと上相俟って品に纏まっていよう。
中性的な口調であれども、彼女――織渼衛は見ての通り、紛れも無く美麗で可憐な女性であるのだから。
大学でも同じゼミに所属する仲間で在り、趣味の折り合いも良くしてきた中で、特に親しい友人の一人でもある。
彼女の来訪に、驚きはしたものの。こうして五体満足で再開することが出来て、厳斉としても心底安堵することが出来ていたのであった。
心は何時でも余裕が無くては為らないものであり、希望の光は――何時だって、確かに存在するのだ。