第四話 非情
――独りぼっちの夜回りから、一夜明け。
充分な睡眠の後に再び街へと繰り出すと、やはり昨日の出来事は夢で無かったと云わんばかりに――災厄の爪痕が、街の至る所へと刻まれた儘になっているのであった。
取り敢えず、相も変わらずテレビもラジオも電話もネットすらも繋がらない有様故に、何かしらの情報をも仕入れられたら良いなとばかりに、付近の商店街へと足を運んでみた。
しかしながら、ある意味で其処もまた予想通りであったと言えようか。何処も彼処も人気は無く、店舗にはシャッターが下ろされた儘の様相である。
其れも当然暴漢対策ともなれば、昨夜の状況を鑑みても容易に理解することの出来るものであろう。
ふと、シャッターも無く、扉も開かれた儘の店舗に期待を寄せてみたものの――家主と思わしき人影も無く、祭りの跡とばかりに荒らされた痕跡のみが痛々しくも寂しさと共に残留しているのだから。
そして街路を歩き続ければ、炎上こそ治まっているが、焼き焦げた車両やら倒壊した電柱の下敷きとなって潰れた車体を晒すものも少なくは無い。
焼却されて真っ黒なフレームが遺された車両の中には、何かしら人間大の黒い塊が生々しくも残されているようであったが、最早手の施しようも無く目を背けて歩みを進めることしか出来ないのであった。
何処も彼処も、本当に酷い有様であるとしか言いようが無い。
車は持っていないし、こんな路面状況であれば――所持していたとしても、満足に移動に用いることが出来るかは怪しい所だろう。
この状況故に、講義も無い代わりにもしも大学が残っていれば、避難所として活用されているかもしれない。
それに加えて、同じ街で暮らす友人たちの安否も心配であることに違いない。
連絡のしようがないのだから声をすぐに聴くことも出来ず、家まで距離がある相手ともなれば、移動するにも一苦労であろう。
何より打算的な面から考えたとしても、暴徒や――昨夜遭遇した化け物のような人型が闊歩していることを考えれば、やはり如何して信の置ける仲間と共に居た方が、互いの生存率もグッと高まるに違いない。
既にこの街は、何時までも独りで生きて往けるほど生温い場所では無いのだ。
――例え、不可思議な異能を享受することになろうとも。
いずれにせよ、行動するならば今現在、陽の高い内に済まうに越したことは無いが故――もたつく時間などないとばかりに、荒廃した都市の中を足早に翔けるだけである。
加えて、此処以外の地区が安全だという保障も何処にも無いのだ。
それこそ、別区域は既に世紀末が如き末法の世が蔓延っている可能性すら視野に入れておかねばなるまい。
――それは、さて置き。
歩みを進める内に、己の脚は近隣の高校へと辿り着いていたようである。
この街は生まれ育った地元では無いが為に其処迄詳しいとは言い難いが、確か偏差値としても極々普通で荒れた様子も見られない公立高校であった筈である。
されども、現状町中がしっちゃかめっちゃかになっている以上、此処だけがそんな災禍を免れているとは言い難い。
事実、校門は開かれた儘であり、バリケートや警備の類も存在しない。
つまりは、現在の治安状況を鑑みても、人間が潜んでいる場所がノーガードであるという事は考え難く――最早、避難所としてすらも機能していないという結論を容易に弾き出せる次第へなるのだから。
恐る恐る敷地内へと足を踏み入れてみると、やはり其処には日常の亡骸と化した世界が存在しているに過ぎなかった。
子供たちが青春を謳歌するための学び舎は静まり返り、校舎玄関の前には人間の死体が当たり前のように転がっている。
正直な処、そのようなものを直視するのは己としても出来るだけ避けてしまいたいのだが――目に入って来た死体の惨状から鑑みると、損壊した身体は明らかに部分部分が欠損した様相を曝しているのだ。
転んで頭を打っただとか、物の下敷きになって潰れて死んだという形状では無く。
眼を見開いたまま凄まじい形相で果てたであろう野晒しの死骸には、宛ら獣に食い荒らされたかのように千切れ空けられた各位がその身に見受けられたのであった。
昨夜の邂逅によって切れてはいけない線でも切れてしまったのかは知り様も無いけれど、生まれて初めてのあまりにもグロテスクな亡骸を見下ろしながらも――気分が悪い以上の感覚は、如何にか押し止められる程には落ち着きを維持することが出来ていた。
パニックも起こらず、吐き気を催す程では無い。
この人としては何処か掛け違えてしまったかのような奇妙な感覚を押さえつけながらも、土足のままに校舎の中へと足を踏み入れた。
望み薄ではあるものの、もしかすると隠れている人が居るかもしれない。
それに災害時には地域指定の避難所として機能することもある学校で在れば、何かしらの通信手段が遺されているかもしれない――なんて。
甘い期待を抱きながらも、リノリウムの床を進みながら教室の一つを覗き込むと――部屋の中には、なんと学生服を纏った少年たちが数人ばかし屯しているでは無いか。
災害から日を跨いだにも拘らず制服姿と云う事は、恐らく校舎に残って夜を明かしたのだと推測される。
暖かな日差しが降り注ぐ時間帯で在りながら、更には生存者を見つけたことに安堵を覚えて、思わず声を掛けてしまったが――その行動は、すぐに絶望に変わることとなった。
「あ゛……ォ゛ぁぉお、お、お゛……」
――昨日の怪物との遭遇が、今になってフラッシュバックする。
嫌な程に聞き覚えの在ってしまった声を上げながら立ち上がり振り向いた先には、あの怪物同様に顔中に荒れ狂う刺青のような印を這わせて無気力に揺れる――生ける屍が、ただ四体揃っていただけなのだから。
此方も変わらず、白目を剥いたまま涎を垂らし――譫言のように呻き声を上げるだけの肉塊と成り果てているのだ。
結局の処、目の前の怪物が人の形をしているのか。
それとも、何らかの災厄によって人間があのような化け物に転じてしまったのかは、己には知る由も無いだろう。
しかし、そうであったとしても――自身の左手に刻まれた紋様の件を鑑みても、此れがそうした状況と無関係だと思う事だけは如何しても出来ないのであった。
いずれにせよ。このまま逃げ出してもこの先同じようなことが待っているかもしれないと考えれば、決して此処で背を向けることなど不可能であろう。
もしかすると、玄関口に放り出されていた食い残しの死骸にも、目の前の彼らが関係しているのかもしれないのだから。
無論、正義感や異能を得たことによる万能感に酔いしれている訳では無い。
あくまで――こんな世紀末宛らの荒廃の最中へと身を置きながらも、人として最低限の矜持だけは手放すことが出来ないと思っただけでしかない。
故に右手の渦より拳銃を取り出し、目の前の廃墟を蠢くだけの哀れな人型の怪物を眠らせてやろうでは無いか。
首すら座っていないかのように、ゆらりゆらりと死人のように歩み来る学生服の怪物たちへと――手にした拳銃を以って、躊躇い無しに銃弾を叩き込んだのであった。
校舎内へと火薬の炸裂する激しい音が連続して響き渡るが、当然のように此方へと駆けつけて来る警察も野次馬も皆無であろう。
右手に握った武器の熱さを掌へと感じながら、硝煙と残響を纏うように――己の覚悟へと、なけなしの火が点いた儘であった。
生きる為に踏み越えなくてはならない時が、いずれ来る。
きっと、今がその試練の真っただ中なのであろう――と。