第二十七話 春雷の妖精
「――お帰り、厳斉」
「ただいま……」
「何か、大分疲れてない。……あぁ、帰宅早々裸族に絡まれたのか」
「ははっ、失礼な。芸術鑑賞と言いたまえよ」
リビング代わりの共用スペースにて茶を淹れていた叡躬璃へと挨拶を返し、彼女の指摘へと――如何にかシャツまでは羽織った織渼衛が、反省の色皆無な軽口を叩く。
と言うか、よく見れば彼女の着用しているシャツは厳斉のものではなかろうか。
道理で織渼衛の身体には、サイズが合っていない筈である。オーバーサイズながらも、胸の周りは明らかに毀れそうになっているのだから。
「ふふふっ、ちょっと借りているだけじゃないか。ほら、此れは此れでグッとくるだろう?」
「そういう問題じゃ――まぁ、良い」
「そうだろう。スタイルには、私もそれなりに自信が有るからね」
「良いと言ったのは、そっちじゃ無い。……これじゃ、話が何時まで経っても進まないぞ」
ソファへと腰を下ろし、叡躬璃の淹れてくれた暖かな煎茶を啜り一息吐く。
今日は収穫量の割に、随分と厄介な出来事に遭遇したのだから――此れくらいの憩いの時間は、赦されて然るべきであろう。
それより、と――。
残念ながら、厳斉たちは大した情報も無く戻って来た次第であるものの。
仕事、と言った織渼衛もまた、何らかの手段により動いて居たのだと思われた。
「――てな訳で、区役所レベルでは何も判らなかったと云う事が判った」
「無知の知かな?」
「茶化すんじゃない。要するに、もし人為的な作用があるならば――もっと大きな意思が動いてるってことだよ」
判っていながら、おちょくる――悪戯娘な彼女をあしらいながら、次はあちらの成果を訪ねることにした。
厳斉の注意を理解したのか、それとも先んじてお叱りを回避せんと頭を働かせていたのか。
既に下もキチンと履き直していた織渼衛は、何とも無しに――ある意味で、とんでもない手法を口にしたのであった。
「――あぁ、私は此処の回線を使って、ちょっと電子の海に潜っていたのだよ」
「一応聞いておくが、まさか俺たちが帰って来るまでネットで遊んでたわけじゃないよな」
「むぅ、君は私の事を何だと思っているんだ。ちゃんと仕事をしていたとも――所謂、ハッキングというものかな」
彼女は彼女なりに動いてみたようであり、その点に関しては信用もしている。
しかしながら、と――。
大学へと入ってからとは言え、割かし付き合いは長かったにも拘わらず、今日の今日まで彼女がそのような技術を持ち合わせていることなど知る由も無かった。
隠していたのか、そうでないのか。
いずれにせよ。厳斉には判らぬレベルの話であろうとも、そうした手段が用いることも可能であるならば、情報収集においても期待が高まるものである。
――されども。
彼女の口から飛び出したのは、これまた混乱を招くような発言であったのだから。
「いやいや……。別に私が機械にもネットにも全く詳しくないことは、君たちも充分知っているじゃあないか」
「まぁ、織渼衛はスマホと検索エンジンの扱いが精々だからね。僕も、人の事は言えないんだけど。だから、此処の設備も十全に使えてなかったのが現状だし」
さも、当然のように言い放つ彼女へと同調するように――叡躬璃もまた、そんな風に続けるのだ。
では、一体全体如何やってハッキング云々を用いた情報収集に繋げると云うのだ。
「……わざわざ言うまでも無いことだが、ググりましたは専門的技術とは言わないからな」
「ははっ、解っているとも。だから、さ――つまりは、こういうことさ!」
言うや否や――その自慢の肉体を雷電へと変換した織渼衛は、談話室のテーブル上へと持ち込んでいた一台のラップトップの画面へと。
正しく、ダイブするかの如く飛び込んで往ったではないか。
そして、その証拠とばかりに――画面上には、まるで3Dモデリングされた身体を与えられた人工知能が如く、悪戯成功とばかりに満面の笑みを浮かべた彼女の姿が映し出されていたのであった。
『――ふふん、如何だい? 此れが、今回の顛末の絡繰りだよ』
機材備え付けのスピーカーから届くのは、紛れも無く聞きなれた彼女の声である。
されども――。
流石に此処までの展開は予想していなかった厳斉と同様に、隣から覗き込む紅絽絵もまた――その大きな瞳を最大限見開いているのではないか。
「えっ……、コレホントに織渼衛なの!? 電気になれるってのは知らされてたけど、こんなコトまで出来るなんてスゴ過ぎじゃない!?」
「初見だと間違いなく驚くよね。君たちが出掛けてる間、僕の隣でパソコン触ってた織渼衛が築いたら画面の中に頭突っ込んでたんだから――本当に、心底正気を疑ったよ」
「……成程な。此れで違法回線を伝って、文字通り『ハック』してきたってことか」
『ふふっ、納得してもらえたかな。一先ずは、サボっていた訳では無いと証明することが出来て何よりだよ』
そう言って――二次元の恋人宛らの可憐さでウィンクを一つ飛ばした後、彼女はまるで立体映像のように画面から浮かび上がり、現実世界へと舞い戻った次第であった。
今し方の光景は、恰も出来の良い夢であったかのように――今や再び、こうして触れられる距離へと織渼衛は帰還したのである。
「あぁ、そうそう――今も自動で私の切れ端をネット上に巡廻させているから、有用そうな情報があれば拾えるかもしれないよ」
「切れ端って、何だよ」
「うーん……。言語化するのは難しいのだけれど、意識の断片とでも表現するのが近しいかな。電子の妖精さんとして限りなく広がる電脳世界を探索させて、定期的に私に帰還させることによって、得られた情報を回収するということさ」
「ほぼ判らんかったが、現代社会においてはかなり有用だってことだけは理解出来たな」
「まぁ、便利なツールとでも思ってくれれば良いさ」
――一先ず、そろそろ食事にしようか。なんて。
帰って来て早々、彼女たちのリクエストにより昼食を用意する羽目になっていたが故――厳斉は手早く調理を済ませて、雛鳥の如く口を開けて待つお嬢様方へと献上する。
大根の味噌汁、肉豆腐、人参と蓮根のきんぴらにひじきのサラダ。
食材は己の異能へと収納しておけば腐ることは無いため、別段急いで生物から消耗しなければいけない道理も無い。
しかしながら、いつ何時であっても温かい食事というもののは、心身にとっても大切な活力になるのである。
其れは厳斉も彼女たちも同じことであろうし、幾らかの手間で友人たちにとっての一時の安寧を齎せるのであると考えれば――こうした過程も厭わぬものであろう。
「――しかしだね。こうして見ると、私たちは特に物資面でも他の面であっても、災害時にも拘わらずかなり恵まれているのだと実感するよ」
「だよねー! 暖かいゴハンに寝床、建物も丈夫そうだし、ココには知った顔しかいないからトラブルも起こらないしね。その辺の避難所よりも、ずっと安全な空間なんだと思うよ」
「こういう時こそ文句を言えるものでは無いんだろうけど、もしも普通に避難所に入れたとしても、食事やプライベートスペースの問題で心身にも負担があっただろうしね」
「まぁ、お前さんたちは女だし、特にその辺りは繊細な問題なんだろうがな」
箸を進めながらも、こうして安全な空間が確保できていることに。
厳斉も含め、此処の誰もが随分と助けられているということは――紛れも無い事実なのであった。
*
┏【技能】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
【☑花弁散る霹靂の君】
┗電子の海へと、探索の為の自身の分体を送り込む。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛




