第二十話 新居
――新拠点までの道中は、実に平和なものであった。
道を塞ぐものと言えば、瓦礫に放置車両に捲れた地面に――お約束の破落戸である。
とは言え、この程度の輩であれば、最早良くも悪くも相手にすらならないのだから。
単なる強盗の類であったら、以前にパトカーより拝借した拳銃でもチラつかせれば容易に尻を捲って逃げ出すのだ。
其れでも仮に数が多い徒党が粋がっていたならば、力の切れ端を少しばかり見せつけてやると効果的だ。
此処迄来た以上、異能を宿した人間には自分たち以外にも、彼らだっていずれは逢うことになるだろうし――明らかに悪質な与太者であれば、その時は加減無しに、まぁ……そういうことである。
いずれにせよ。そんなこんなで誰一人掛けることもなく、怪我の一つも負わずに新たな塒へと到着した次第であった。
「――おぉっ! このビル一棟、全部ホントにえみりんのモノなの!?」
「うん、そうだよ。中も軽くしか見回ってないけど、使ってないだけあって割かし綺麗なままじゃないかな」
目的地へと聳えていたのは、確かに小振りながらも四階建てのビルに間違い無かった。
パッと見では、周りの雑居ビルに近しい外観をしているものの。その中に一切のテナントを抱えていない為、その表現には相応しくないだろう。
但し、正面入り口にも窓にも至る所にしっかりとしたシャッターが降ろされており、この様子で在れば窓を割って襲撃を行うのも不可能と言えようか。
叡躬璃の話に依れば、地下室迄完備されている為――外観以上に、ずっと広い居住空間が広がっているとのことであった。
先導する彼女がカギを差し込み、隣に備わっているボタンの暗証番号を入力すれば――シャッターは自動で上がり、その先には堅固で重厚な金属の扉が顔を出す。
「さ、上がって上がって」
「ははぁ、まるで秘密基地だ。此れなら、暴徒の襲撃なんかにも十全に対応することも可能であろうよ」
ビルへと入る様に叡躬璃に促され、脚を踏み入れた織渼衛は――辺りを見渡し、感心するように呟いた。
事実、其処は無人なれども中々以上に立派な建物のようであり、廊下の先には幾つもの部屋が存在しているようであった。
「沢山部屋があるみたいだけど、何処で寝泊まりすることになるんだ?」
「一階の部屋は、まだ割かし手付かずで遊ばせてる感じかな。地下にもあるんだけど、普段使いには一応上の階に居住スペースがあるんだよね」
そのまま奥に備わっている階段で二階へ上がり先へと進むと、彼女が言った通りに家具やら何やらが存分に運び込まれている部屋が並んでいた。
一室一室が寝室に仕えるように寝具が備わっており、特に広々とした部屋は談話室やら食堂として用いることも可能となっているのであった。
今はネットに繋がらない筈であるものの――パソコンがずらりと並べられた部屋に始まり、長いテーブルの備わった会議室のような場所まで用意されているではないか。
此れならば確かに、オフィスなんかとして活用することも出来ただろう。
「――わわっ、凄っ! プロジェクターもあるし、機材も揃ってるや! コレなら大画面で映画とか見れるじゃない!」
「いやはや……。予想以上に快適に過ごせそうで安心したよ」
「厨房もあるし、暖かい飯にもちゃんと在り付けそうだな」
「喜んで貰えて、何よりだよ。一先ず、此処で楽にしててよ」
表情はあまり変わらずとも、そう言った叡躬璃も何処かほっとしたように頬を緩めているようだ。
厳斉をも含め、各々が喜色に溢れた声を漏らして賛美する。
そしてリビングとして活用するに相応しい内装の大部屋へと案内された後、準備良すぎるほどに用意されていた大き目のソファへと紅絽絵は遠慮無しに飛び込んでいたのであった。
「えへへっ! ふっかふかだぁー!」
「それじゃ、俺は茶でも入れることにするか。叡躬璃、給湯室借りるぞ」
「あぁ、お願いしても良いかな。君の淹れたお茶は、落ち着いた味がするから僕は好きなんだよね」
「煽てても、それこそ茶しか入れられんぞ」
「紛れも無い本心だよ。茶葉なんかは戸棚に色々と入ってるみたいだし、好きに使ってよ」
「――承った。茶請けは……スーパーで拝借した物から、何か出すか」
彼女より許可も貰えたことだと立ち上がった厳斉は、厨房までは往く必要が無いと判断した後、すぐ其処の給湯室で湯を沸かし――そのまま棚からカップを取り出して、皆の下へと紅茶を調達したのであった。
「曜日によっては、本来ならばまだ大学に居るような時間だと言うにも拘わらず――こうしてゆったりと暖かな紅茶を嗜むと言うのも、中々に悪くは無いものだね」
「まぁ、そもそも大学自体今は嫌でも休講状態だけどね。地域の避難所には指定されてたハズだけど、この状況だと何処まで機能してるものやら……」
「そうは言っても、こんな未曽有の災害なんだ。俺たちは運良く――か、悪くかは解らんが。こうして生きる為に役に立つ力を手に入れられただけで、そうでなきゃ今頃荒れた街で右往左往だぞ」
高校を遊び場にしていた狂った虐められっ子も、スーパーを占領していた猿山の大将も――あくまで対処することが出来たのは、彼ら同様に人知を超越した異能を発現させていたからに他ならない。
そうでなければ、今頃皆も暴徒と脅威に塗れた街をふらふらと歩くことなど出来んかったであろうし、厳斉も満足に物資も集められずに道半ばで倒れることとなっていたかもしれないのだから。
軽い口調で菓子を摘まむ寛ぐ彼女たちだって、その実は才媛ばかりなのだから――当然の如く、それくらいのことなど初めから理解している筈である。
でも尚、こうして明るく振る舞っているのは、未だ先の見えない事態に塞ぎ込まぬ為であり、同時に親しい仲間と共に身を寄せ合う事が出来たからに等しいのであろう。
――兎にも角にも。
こうして気を解しながら、皆で茶を啜っていると――。
「――ちょっと、今回の災害について気になることがあるんだよね」
本題は別にあったのだとばかりに、カップを置いた叡躬璃が一息置いて話し始めたのであった。
「実はさ。此処のビルに有るパソコンって、とある特殊な回線を用いてネットに繋がってるみたいなんだ」
「えっ……! じゃ、じゃあ其れを使えば、警察とかに連絡出来るんじゃないの!?」
希望が見えたとばかりに、喜色を浮かべて立ち上がった紅絽絵であったが、そんな彼女に対して叡躬璃は小さく首を横に振る。
「いや、警察のホームページも一般回線からアクセスする仕組みになってるし――そもそも、向こう側が連絡を受信することが出来る状態じゃないんだよね」
「……なーんだ。でも、そんな旨い話があれば、此処に来る前にえみりんも通報してくれてるよね」
気が抜けたように、再びソファへと。
その柔らかで肉感的な尻を沈ませた彼女から視線を切り、叡躬璃は更に説明を続け紡ぐ。
「と言うか、この回線自体があまり褒められた代物では無いようだから、公にするのは宜しくないんだよ」
「本当に……君のお爺さんは、一体何者なのだろうね」
「去年の夏休みは、他人の孫である俺たちも含めて――何処ぞのビーチを貸し切りにして遊ばせてくれた際には、随分と楽しませて貰ったな」
「近くの別荘まで借りられちゃって、ホントいい思い出になったよねー!」
「まぁ、僕は高校生の時まで友達と遊び歩くことすらなかったから、爺さんもこんな仏頂面で可愛げが無い孫にも連れが出来たことに喜んだんでしょ」
彼女の祖父の恩恵により、あぁした良き思いでを得られたのだから、厳斉には微塵も文句など在り様筈も無い。
それよりも――、
「叡躬璃が仏頂面で可愛げが無いってことの方が、俺たちからすれば不思議な話だけどな。お前さんはちゃんと向き合えば表情も豊かなのが判るし、好き嫌いもはっきりしてるから結構子供っぽくて――可愛い所とか、たくさんあるんじゃないのか」
「……うん、まぁ、その……。面と向かって言われると、僕も結構恥ずかしいんだけど……」
「ほら、な。こんな感じて、可愛く女の子らしい所だって幾らでもあるんだ。叡躬璃の魅力に気が付かないのは、真っ直ぐに向き合うのが遅かっただけの話なんだよ」
「ゃ、……さ、流石に、その辺りで勘弁して……。もぅ、僕……なんか、顔から火が出そう……」
普段通りに接しただけのつもりであったが、不思議と頬を紅潮させて彼女は小さく俯いてしまったのであった。
そして何やら、余所からは非難がましい視線と共に――残りの女子二人が顔を寄せ合い、小声で何やら話すのだから。
「――出たよ、此れ。始まったよ、此れ」
「全く、いやらしい手管だなぁ……」
「てか、私たちにはそんな言葉の一つすら無いとは差別では無いのかな?」
「何か厳斉ってさ、えみりんには要所要所で甘いトコあるよねー……」
「あーあ、あれはもうちっぱいの良さにに目覚めたんだよ。きっと」
「えっ……いつもはあれだけ、ボクたちのでっぱいに夢中な癖に……っ! くやしいっ」
「其処、ヒソヒソ話はやめなさい。あと勝手に、不穏なことを吐くんじゃないよ」
何処か小さくなった叡躬璃を余所に、湿り気を帯びた視線を寄越しながら送られてくる理不尽な言葉へ、と。
やれやれと言わんばかりに、厳斉は温度の下がりつつあるカップを傾けるのであった。




