第十八話 参人目
――何処に行くにしても、直ぐには遠くまで移動するなど難しいと言わざるを得ない。
電話は通じず、ネットも駄目。
電車やバスと言った公共交通機関もストップし、そも路面状況から考えても大型の乗り物は使えそうにない。
引っ繰り返った車両の数々に捲れ上がった地面などは、とてもじゃないが車輪を用いた移動に適しているとは言い難いだろう。
加えて、有事の際にその辺りに乗り逃げした為であろうか――車が通れるような道路には、山ほど放置車両で溢れているのだ。
仮に動く車が手に入ったとしても、其処を通り抜けるんなどまず不可能であった。
ギリギリで、マシな路面を選んで自転車やバイクを転がすことが出来るかもしれないと言った所か。
警察に消防は見当たらず、助けを求める相手も変わらず見当たらない。
そして今日はまだ時間は残されて居ようとも、此れより先は徐々に陽も傾き出して往くのだ。
幸いなのは、この時期が初夏で在り、瑠璃の帳が引かれるのも比較的遅くなるという点であろうか。
いずれにせよ、自分たちは決定を下さねばならないのだ。
生きる為に――あの日常へと、帰還する為に。
「――取り敢えず。今日はまだ時間もあるし、必要な物があるんなら近場で在れば行けなくもないな」
「ふむ……とは言え、凡そ物資も集めたからね。厳斉の異能によってその量の確保にも困らなかったし、私たちだけであれば暫くは十分に食べていける目算も立っているよ」
織渼衛の返答通り、何処ぞの避難所なぞのように大多数を抱えている訳でも無いのだから。
即座に物資が枯渇する心配も無く、焦って掻き集めなければならない物も、現状特には思いつかない。
身を守るための武器なんかはあるに越したことは無くとも、己にはこの理解し難い異能も発現したが故――何が何でも、武装を整える必要など無いのであった。
少なくとも慢心さえしなければ、予想外の事故を除いて、刃物や鈍器を振り回すだけの暴徒に屈する可能性すらもまず無いと言い切れる。
油断は何時でも禁物だが、強いて言うならば――何時まで最低限のインフラが機能するかも解らぬ為、このアパートよりも堅固な拠点が見つかれば移り住む可能性も視野に入れるくらいのことであろうか。
したがって、あと残っている心配事はと言えば、安否の確認が取れていない友人についてである。
されど、噂をすれば何とやらではないけれど――。
「――あっ! 誰か、来たみたいだね」
室内へと響いたのは、来客を告げるチャイムの音色。
こんな時だからこそ。扉にはキチンと施錠も降ろしてあったが為に、客も勝手に部屋へと侵入することも不可能であった。
何時もであれば、この入り浸る友人の誰かしらが居れば、当たり前のようにフリーパスで出入りする次第であるのだが。
そして覗き穴から外を見れば、やはり如何して――其処には、実に見知った顔があったのだ。
今し方、丁度身の上を思案していた友人の到来である。
「良かった――その様子なら、厳斉も無事だったみたいだね」
「其れは、コッチの台詞だ。まぁ、兎に角怪我も無いようで安心出来たし上がると良い」
ショートボブの黒髪は変わらず艶やかであり、白磁の貌には髪と同色の双眸が深く吸い込まれるように鎮座している。
一見すると、彼女はやや表情に乏しいように思われるが、ある意味で人形のように整った造詣を携えているとも言えるだろう。
薄桃色の花唇には少女のような潤みが有り、彼女の体躯もまた――華奢な様相を隠そうともしないが儘に、ほっそりとした次第であった。
黒いスラックスに白いワイシャツ、上着も濃い影色のジャケットと言う……ユニセックスと通り越して、やや男性的とも言える装いである。
しかしながら。触れれば折れてしまいそうな細い肩に、薄かろうとも丸みを帯びた腰回りは、紛れも無くその美麗な顔立ちとも相俟って、女性であることへの佇まいに間違い無かった。
そして今し方、訪れた彼女――叡躬璃をリビングへと連れて往くと、其処では寛ぎながら歓迎するように歓迎の声が上がっていたのである。
「あぁ、君も無事みたいで何よりだよ。しかし此れで、探しに往く手間も省けて万々歳だね」
「――いらっしゃい、叡躬璃! 一人で此処まで来るの、大変じゃなかった?」
先客たる彼女たちに迎え入れられ、その先は何時も通りに同じように叡躬璃も寛ぎ始めた。
と云うよりも、彼女も含めてこの部屋にも状況にも順応し過ぎでは無かろうか。
既に来たばかりの叡躬璃も上着を掛けて、出された飲み物片手に随分とリラックスした様を見せているのだから。
「実に厳斉の部屋は、良い具合に寛げる場所だよね。正に、実家のような安心感」
「少なくとも、ボクが大学生になってかは、実家に戻るよりも遥かに長い時間をココで過ごしてるって断言出来るね」
「――おやおや、厳斉も随分と罪深いじゃないか。女三人を飼い慣らして、一体何を企んでいるのかな」
「どっちかって言うと、寄生と云う表現の方が正しいだろ。あれよあれよと言う間に、お前さんらが勝手に居付いてたってだけなんだよなぁ……」
呆れ気味にそう口にするが、そんな彼女たちはカラカラと厳斉を肴に姦しく笑い声を上げるだけであった。
兎にも角にも、と。
此れで如何あれ、またしても友人の安全を確保することが出来たと云うのも大きな進展であると言えようか。
しかしながら、此処に至るまでの彼女の経緯を紐解けば――結局は、楽観視してばかりも要られぬ話であったのだから。
「叡躬璃もしかし、良く此処まで無傷で辿り着いたものだね。街の中には、この状況を幸いとしてアレな輩も居たのではないかな」
「そうそう、ボクたちも強盗にだって遭遇したし、女一人で歩いてたら余計に危なかったんじゃない?」
厳斉も彼女たち同様に疑問を抱くが、其れもなんてことが無いかの如く――直ぐさま氷解することとなった。
「あぁ、大丈夫――何か良く判らないけど、こんなことが出来るようになったから」
叡躬璃が、言うや否や――。
彼女の空であった手の中には、瞬時に氷のグラスが出現したのだから。
加えて、其れだけではなく――次の瞬間には、そうして作られたグラスは蒸気となって霧散した。
同時にその華奢な体躯は蒼い炎を吹き出す人型のトーチへと変貌するが、彼女が立つカーペットには焦げ目すら付いていなかった。
「――へぇ、そんなことが出来るなんて便利だな」
「温度操作か分子振動かは解らないが、此れまた使い勝手の良さそうな能力じゃあないか」
「何か、織渼衛と云い叡躬璃と云い……御洒落な感じでズルいなぁ。どうせなら、ボクもそんな応用力があってキレイ目なのが良かったよ」
厳斉を含めて三者三様の反応であったが、叡躬璃としてはそれ以外のリアクションを期待していたらしく。
元の姿へと戻っていた彼女は、変化に乏しいながらも少々不安げな表情を浮かべて小さく口を尖らせていた。
「ちぇっ、何だよ……。こんな超能力を見せたんだから、もっと驚かれると思ったのに――でも、その様子だと皆からしても既に珍しくは無かったみたいだね」
そのまま流れるようにベルトを外し、如何したことやら――さも、当然であると言わんばかりに。
叡躬璃はそのままジッパーを下げ、細身のスラックスをストンと下してシャツをたくし上げた。
真っ白な肌の鼠径部に映えるように――布地の少ない黒いローライズの下着が、何とも言えないいかがわしさを醸し出す。
「――おっ! ストリップかな? そのえっちな布の間に、札を捻じ込めば良いのだろう?」
「ははっ、まだ陽も高い内からいやらしいなぁ。そんな短いの履くなんて、全く誘ってるとしか思えないよねー」
「いや、単にこの下着がセットで安かったから買っただけなんだけどさ」
「女子大生がオッサンみたいなリアクションしてんじゃないよ……。てか、お前さんたちも人のこと言えたもんじゃないだろ」
あられの無い姿を晒してまたしても盛り上がる三人娘であったが、それよりも――。
叡躬璃の臍と下着の間には、例の如く刺青のように刻まれた紋様が――その存在を確かに主張していたのであった。