そんなに笑わなくてもいいじゃないですか。
女刑事は思い出し笑いでもしているのか、なんだか妙にニヤニヤしている。
「何か良いことでもあったんですか」
「いやぁ、なかなか占い師さんも大変だなと思いまして。告白されたりしちゃうんですね」
さっきのやり取りを聞いていたようだ。
「盗み聞きですか。趣味が悪いですね」
「ごめんなさい。職業病なんです。無意識のうちに聞き耳を立ててしまうといいますか」
女はまだニヤけている。そんなに面白かったのだろうか。
「知っていたのなら、笑っていないで助けてくれたら良かったのに」
「もしかしたら、そういう趣味の方の可能性もあるし、邪魔したら悪いかなと思いまして」
「残念ながら、恋愛対象は異性のみです」
俺は小さなため息をつく。
女は顎に手をやり、ふーんという半分ぐらい疑いの目で、こちらを見ていた。
「一応そうだろうなと思いつつも、最初は黙って聞いていたんですが、どう考えても嘘をついている流れになってきて。あなたがどんどん追い込まれていく様が、臨場感たっぷりだったもので、つい聞き入ってしまいました」
女は机の上に置かれたスマートフォンにちらりと目をやる。
「とっさに彼氏がいると嘘をつくとしたら、友達か本人の写真を見せたのだろうなと推測していたんですが、やっぱりご自分の写真でしたか」
慌ててスマートフォンを手に取ったが、遅かった。俺のチャラい写真が表示されたままだったのを見られたようだ。
「あなたのことだから、他人の写真を見せて、万が一トラブルに巻き込まれたら困ると考えて、きっと自分の写真を見せているんじゃないかなと思ってたんです。ビンゴでしたね」
女はいかにも刑事らしい思考のトレースをしてみせる。まるで自分が犯罪者として、取り調べを受けているような気分になって、一瞬ゾクリとした。この人の前では、あまり嘘はつかないほうがよさそうだ。
「自分の写真を見せながら、『彼以外のことは考えられない』というセリフを、いったいどんな顔をして言ったのだろうなと想像したら、少々面白くなってしまいまして。すみません」
我慢しきれなくなったのか、女は吹き出すように声を出して笑った。笑われているのもムカつくが、八重歯を見せながら、本当に楽しそうに笑う顔に、うっかりドキッとしてしまった自分にもムカついた。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
「ひー。ごめんなさい。勘違いから始まるシチュエーションコメディとか大好きなんです。それがリアルに目の前で発生してると思ったら、もうおかしくて。はーあ」
笑いすぎて涙まで出している。疲れたように肩で息をしていた。そこまで思いっきり笑わなくても。
ハッとしたように、女は笑うのをやめて、小声で耳打ちするように言った。
「でも相手の方は、あなたが男性だという事情がわかってないのですから、あの告白は真剣な申し出だったわけで、それを笑うのは不謹慎でしたね。すみません」
真面目な表情で深々と頭を下げられた。どうやら悪気はなかったようだ。
気がつくと、女が俺の顔をじっと見ていた。ついさっきの嫌な流れを思い出す。だが中年男性にジロジロと見られるぐらいなら、自分好みの女性に見られたほうが、よっぽどマシである。
「どうかしましたか」
「いえ、今更こんなことを言うのはアレなんですが、改めて見るとやっぱり化粧上手ですね。教えてもらいたいぐらいです」
女は初めて来た日に比べると、目の下のクマが消えて血色はいいかもしれないが、今日も化粧っ気がないようだ。
「もしかしてあなたが化粧をしないのは、面倒臭いからというより、下手だからという理由があったりするんですか」
女は小さく頷いた。
「仕事が忙しくなってくると、物理的に時間もないし面倒臭いのもありますけど、これでも仕事を始めた頃は頑張って化粧をしていたんです。でも上司にも同僚にも『人には向き不向きがあるから』とか、『お前は化粧しないほうが可愛いよ』とか、やんわりと言われてしまいまして。よっぽど残念だったのではないかと」
じっと女の顔を見る。パーツごとに見るとそれなりに整っているし、土台は悪くない。ただ少々地味で、派手さがたりない顔という感じだ。
うまくやれば、むしろ化粧映えするタイプのような気がするのだが、他人がやめろと口出しをするぐらいなら、よっぽどひどい化粧だったのだろうか。
「化粧は、顔に絵を描くのと同じようなものなので、確かに向き不向きはあるかもしれません。色を重ねたり引いたりするだけとはいえ、ある程度、技術は必要ですから」
俺はさらに質問する。
「小さい頃は図画工作とか得意でしたか。絵を描いたりそういうの」
「まるっきりダメですね。残念ながら、猫を書いたつもりが、馬だって言われるぐらいには下手くそです」
何をどう書いたら、猫が馬になるのか。
俺は頭を抱えた。女はため息をつく。
「夏休みの宿題で、一番嫌いなのが絵日記でした。真剣に書いてるのに、悪ふざけをするなと怒られたこともあります。創作じゃなく、事実を描けと」
「それはまた、なかなか根が深そうな」
根本的な絵心がないという感じだろうか。ここはたぶん、これ以上はスルーしたほうが良いのだろう。あまり立ち入ると、とんでもない画伯の歴史を知る羽目になりそうだ。
「何も教えなくても、絵が上手い人がいるように、最初から化粧が上手な人もいますけど、結局は慣れですよ」
「慣れるまでに、周りにダメージを与えるほどの場合はどうしたら」
「それは……やめておいたほうが、世の中のためになりそうですね」
俺がため息をついたら、女もため息をついた。なんだかタイミングがぴったりで、思わず二人で、顔を見合わせて笑ってしまった。
「すっぴんの女性のほうが、好きだという男性もいますし、そんなに化粧が向いてないなら、無理にやらなくてもいいんじゃないでしょうか。別の得意なことを、頑張れば良いだけですよ」
「なるほど。得意なことですか。黒帯なので、悪い人を投げ飛ばすことぐらいですかね」
俺は苦笑する。どうやら俺をつかんだ時や、同僚を蹴り飛ばした時の力強さは、柔道で鍛えた筋肉のおかげだったようだ。
「じゃあ頑張って、悪い人をやっつけてください。もしどうしても、どこかに化粧して出かけないといけないときは、メイク手伝ってあげますから」
「本当ですか」
「その代わり、常連さんになってもらえると助かります」
「善処します」
どうやら新しい常連さんがゲットできそうだ。これでプラマイゼロだ。
「で、今日は何を占いましょうか」