あの女はいったい何者なんだ。
玄関に入るとすぐに服を脱ぎ、洗濯機に放り込んだ。
住み始めた頃は、他人行儀だった部屋も、今ではすっかり自分にとっての癒しの場になっていた。内装的に落ち着かない占いの館にずっといるせいもあり、家に帰るとホッとする。
見た目がチャラいせいで、派手なものが好きだと思われがちだが、基本的にいつも好きになるのは、シンプルで控えめなものばかりだった。家具も服装も、女だってそうだ。
派手なものは目を引くが、ずっと一緒にそばにいて落ち着くのは、地味でシンプルなタイプが多い。信念というほどではない。単なる経験則だ。
そういう意味では、あの最後に来た桐谷レイナという客は、見た目はストライクゾーンだった。あんな変な質問さえしなければ良かったのに。もったいない。
だが、ただの客だ。もう二度と会うことはないかもしれない。忘れた方が身のためだ。
バスルームに向かい、シャワーを浴びる。
髪を洗いながら、クレンジングで顔を丹念に洗い流す。
占いの館を出るときに、ざっとメイクは落としているが、やはりきちんと手入れをしないと肌が荒れてしまう。女装を始めたころは雑に洗っていたが、みるみるうちにニキビができたり肌が赤くなったりと、散々な目にあった。
世の中の女性は化粧を塗りたくり、それを落とすために強力なクレンジングを使って肌を痛め、そのダメージを回復するために保湿ケアをする。
この無駄とも言える作業を、毎日繰り返しているのだから大変だ。自分が化粧をするようになって、初めてその苦労がわかった。最初は面倒臭いと思っていたが、今となってはもう当たり前の習慣になってしまった。
女性と変わらないレベルに、ケアをしている男はそういないだろう。これも仕事のうちだ。やるなら本気でやる。おかげで最近は肌が綺麗だと、客に言われる始末である。
風呂を出て、髪をタオルで乾かしながら、昨日作ったカレーを鍋ごと冷蔵庫から出した。少しだけ牛乳を足してから、コンロに火をつける。同時進行で冷凍していたご飯を、電子レンジで温めておく。
一週間のうち半分は自炊をしている。といっても休みの日に、作り置きが出来るカレーか野菜スープ、鍋の類を作って、ご飯を小分けし冷凍しておく程度の自炊だ。
料理をするのは気分転換にもなるし、経済的にも健康のためにも、このぐらいがちょうどいい。何事もほどほどが良いのだ。
温めたカレーとご飯を盛り付けて、部屋に運ぶと、ソファーに座ってテレビをつけた。
本当は録画してあった、お気に入りドラマの最終回を見ようと思っていたが、食べながら泣く羽目になったら嫌だなと考えて、ごく普通の当たり障りのないバラエティ番組にチャンネルを切り替える。ご飯を食べるには、このぐらいのほうがいい。
「いただきます」
やっぱりカレーは家で食べるに限る。お店のカレーはサラッとしすぎていることが多い。何日も煮込んだ後の、ジャガイモが溶けて、ドロリとしているぐらいが俺の好みだった。
デカめの具材も家カレーならではだ。二日目のカレーは満足な出来だった。昨日の俺を褒めてやりたい。グッジョブである。
「ごちそうさまでした」
食器を洗ってリビングに戻ってくると、テレビでニュースをやっていた。
三日前に公園で発見された銃殺死体についての続報だ。住所をよく見ると、やはりあの公園だった。占いに来た桐谷という女が、花を手向けていた場所だ。
元々は自殺と見られていたが、他殺の可能性が出てきたらしい。遺留品がなかったせいでわからなかった身元も、ようやく判明したという。
テレビ画面には、派手な顔立ちの金髪女性が映っている。写真の下には『桐谷レイナ(39)』と書かれていた。
「嘘……だろ」
俺は画面に釘付けになった。最後に来た客と同じだ。いや正確には名前と年齢が一緒なのに、見た目はまるで違う。同姓同名なのだろうか。
だが、そんなに良くある名前とも思えない。もし偶然ではないとしたら。あの女は故意に他人の名前を騙ったということなのか。
気になった俺はスマホを取り出した。本来、客の名前を調べるのはタブーだ。信用問題に関わるから、普段なら絶対にやらない。
だが、殺された可能性のある人間の名前を騙ったかもしれないとしたら、このままほっておくわけにもいかない。
検索してみると、今回の事件に関係するニュース以外は、ツイッターがヒットしたのでクリックしてみた。被害者が死んだであろう三日前から更新が途絶えている。
ツイートを遡ってみると、スーパームーンを撮影したという写真が投稿されていた。満月が写り込んでいる場所に見覚えがあった。あの歩道橋だ。
たまたまかもしれない。あの付近は隣にグラウンドがあって空が開けているから、撮影しやすい場所を選んだだけの可能性もある。
だが、なんだか気持ち悪い。桐谷レイナという名前の女が、本当に死んでいるとしたら、占いに来たあの女は、いったい何者なんだ。