油断大敵
「若、采配見事でございました。先代をも超える素晴らしい采配でした。あのような大部隊を相手にして犠牲が出なかったのも若の采配あってこそです。」
「なに、犠牲者は出なかったのか。あのような混戦の中で。」
「はい!負傷者は数名おりましたが、死者はおりませぬ。また、首級をあげることはできませんでしたが、おそらく相手には40名程度の損害が出ています。我らの大勝利です。」
「そうか!」
戦が終わって、俺たちはやっと話すことができた。
俺たちの撤退が上手く行ったのは敵が大損害を受けていたからというのもあるし、通泰が上手く指揮したからというのとあるが、最も大きかった要因は、俺たちの後方から北条氏康率いる800の軍勢が俺たちよりもはるかに大規模な側面攻撃を敢行。
まさか閃撃部隊に続いて氏康がそのような攻撃をしてくるとは予想していなかったようで、敵は大混乱。北条軍は敵をこっぴどく痛めつけたが、その後河東からあっさり引いたのだ。
つまり、この戦いは河東を引き渡すことを前提とした合戦であった。今川は氏康のことを舐め腐って、氏康にかなり前衛的な条件を飲ませようとしていた。
北条としては駿河の河東は引き渡しても良いが、伊豆は渡せない。なので、今川を敗北させない程度に追い込んで実力を示し、相手に河東のみの譲渡で妥協してもらおうとしたのだ。これは結果的に成功。今川義元はたいそう唸っていただろう。
「それより若、何か変わられましたか?」
氏康の戦略はいかなるものかについて通泰と話していると、そんなことを訊かれた。なので、俺は、
「あぁ変わったさ。俺のことは今日から殿、と呼んでもらおう。」
と言った。俺自身は人を殺し、家臣たちに人を殺させるための指揮を執った。それが上手く行ったこともあるが、改めて俺はそのことに責任感を強く覚えた。と、同時に戦国時代という乱世を生きるためには必要なことだと強く感じた。
故に、俺は覚悟を決めた。俺が今率いている閃撃部隊の長となり、戦場で彼らを死なせず、活躍させる覚悟を。
これを聞いた通泰は嬉しそうに、
「はっ、これからは殿と呼ばせていただきます。誠心誠意、殿に仕えさせていただきます。」
と俺にひざまずいて忠誠を誓った。
(そうは言ってもまだ家督は俺のものじゃないけどなあ。)
とか思ったが、少しカッコつけて言ってしまったものを撤回するのは恥ずかしい。ここは家督を父上から奪い取る勢いでいかねばならない。俺たちはこんな感じで呑気にしているが、その裏で北条家はさらなるピンチに直面していた。
〜〜〜〜〜
氏康が今川義元との戦に出る中、関東では不穏な動きがあった。
氏康の動きに合わせて、山内上杉の当主憲政が反北条大連合の結成を呼びかけ、それには扇谷上杉、古河公方、佐竹、小田、里見、宇都宮、那須が参加した。そして、まずは北条から武蔵を切り取ろうということで、武蔵の主城・河越城を落とそうということになった。
河越城はかの太田道灌が三堅城の一つとして特に注力して建てた城。守りは堅い。さらに、綱成が城代として城に立て籠もる体制を固め、北条側も準備万端であった。
ただ、北条側は3000の兵士しか河越城の守りに割けなかったのに対し、連合側は以下のような兵数を動員した。※()は支配領域
上杉憲政 25000 (上野、武蔵北部、下野西部の75万石)
上杉朝定 8000 (武蔵東部の21万石)
足利晴氏 8000 (下野&常陸&下総の一部の30万石)
佐竹義昭 10000 (常陸の35万石)
小田政治 4000 (常陸の20万石)
里見義堯 10000 (下総の一部、上総、安房の60万石)
宇都宮広綱 8000 (下野中部の26万石)
那須高資 2000 (下野北部の10万石)
この合計は実に75000人。特に軍の中心を担っている両上杉や足利は傭兵も雇って戦力を増強しているようだ。
今川義元は氏康のことを今回の戦で高く評価し直したようで、穏便に講和を結ぶことになった。そして、氏康は急いで兵を引き返し、問題の河越城への対応をするために相模で兵を整え直し、河越城へと向かった。
〜〜〜〜〜
俺がこの時代にやってきてから早いもので、もう一年が経過しており、再び1月がやってきた。現世では共通テスト (センター試験)の直前にここへやってきたのだ。
ふと、自分がもし、そのまま現代に生きていたらどうなっていたのだろうかと考えた。どうせ大学に行って可もなく不可もない生活を送っているか、大学に落ちて浪人しやる気のないの勉強生活を送っているかの二択だろう。
それと比較すると、今の生活は過酷そのものだ。数ヶ月過ごした戦場では乾かした飯をふやかした乾飯を食わされるのだが、これがまた絶妙にまずい。時折漬物が出されて贅沢な気持ちになるが、よくよく考えれば漬物で贅沢と思う方がどうかしてるのではないか。
また、寝床の寝心地も悪く、風呂も入れずたまに川を見つけては行水するだけだ。俺はまだ現代生まれなので綺麗好きだが、他の奴らはそうでもないから冷たい川を嫌って入ろうとしない。故に仲間たちは臭い。慣れてきたものの大変不快である。
人も殺さないといけない時代だ。あの時殺した兵士の顔は未だに夢に見るほど鮮明に覚えているし、首を切った感覚は手にはっきり残っている。
しかし、俺はこの時代に来て本当に良かったと思っている。俺は今生きている実感を持っている。様々な選択肢がある中で北条氏康を慕い、彼を補佐して彼のやりたいことを最大限実現させたいという一心で仕事をこなしている。これほど生きている実感を得たことは一度もなかった。
おそらく、これから向かうのは死地だ。氏康は8000の軍しか用意できなかったが、相手は75000もの大軍で河越城を取り囲んでいる。普通なら勝てるはずもないし、俺は勝つことをわかっているけど、それでも激戦になることが予想される。一筋縄ではいかないだろう。
俺は今回、自分のところから100の兵を率いて出陣し、氏康から400の軍勢を預かった。寄騎として自由に使えとのことだ。これで計500の兵を動かせるので、いよいよ武将になったという感じがする。
「兵も整った。明日小田原を発ち、東へ向かう。諸将、準備はいいか?」
出発の前日、氏康は諸将を集めて確認を取る。ここに集められたのは幻庵、綱高、遠山綱景、松田盛秀、直勝、元忠、大道寺盛昌といったガチの重臣たちだ。それらと並んで俺も“将”と認められたことにはかなりの意義があると思う。
諸将が各々勝つぞというような意思を表したあと、氏康は、
「この状況で勝つって口を揃えて言いやがるなんて、とんだ馬鹿野郎どもだな。まあ俺もその口なんだがな。
俺は民のことを誰よりも思ってるつもりだ。二百年に渡って公方さん方や関東管領とやらはこの辺りを支配してきた。だが、あいつらは搾取を繰り返すばかりで一向に民の生活は良くならない。今こそ民を解放するべきだと思わないか?
敵方は約8万?都合がいいじゃねえか。そっちの方がまとめて始末できるんだからよ。」
と言うと、立ち上がって刀を腰から抜き、
「お前ら行くぞ!関東の馬鹿大名たちの胸に恐怖とともに植え付けてやるぞ、俺たちこそが関東の支配者だってことを!そして、民を救うぞ。」
そう力強く呼びかけた。この間まで民を虐げる側だった元忠もこれに同調していたのは滑稽だったが、皆が力強くこれに応えていた。もちろん俺も大賛成だ。
俺も少しだけ農民暮らしをしていたから嫌というほど、農民は大変な仕事をしていることを知っている。だからこそ通泰がする稽古にも耐えられたのだ。
まだ北条領内の農民は税率負担が少なくてマシな生活をしているが、それでもそれなりに苦しい。さらに他の大名たちは税を負担させているのかと考えると、怒りすらこみ上げてくる。
俺は諸将の中でも力いっぱい腕を振り上げ、氏康に同調した。
翌朝から河越城への旅が始まった。途中で江戸城付近を拠点とする太田資顕を扇谷上杉から離脱させて河越城へのルートを確保。一気に河越城へと距離を詰めた。
「策はあるか?道之助。」
二日間歩き詰めて武蔵の西部に陣を敷いた氏康は軍議で俺に訊いてくる。
「そうですね…。一旦、退路を確保しながら大軍に近づき、接触して退きましょう。そうすれば、戦意を喪失したものと敵は考えるでしょう。何しろあの大軍ですから、普通ならまず戦意は失います。
さらに、撤退後には降伏する意思も見せつけてしまいましょう。これを受理しようとしなかろうと、これで敵はかなり油断するはずです。そこを奇襲しましょう。」
ほぼ俺が言ったことは史実のあらすじを述べたまでのことだが、氏康はそれを称賛して賛成し、この作戦が採択された。
翌日から早速河越城へと進軍し、敵軍との接触を図った。すると、西側に布陣していた宇都宮軍と扇谷上杉軍、さらには山内上杉軍が北条軍を感知して追ってきた。
北条軍は、よろよろと進軍してみたら敵が予想外に多かったので驚いて退却した、という間抜けな軍隊を演じ、見事に演じ切った。退路は確保してあったし、途中で森に逃げて木を伐り倒すなどして敵の進路を塞ぐ工作もしたので、無傷での撤退も達成できた。
「さらに降伏文書まで出せば、きっと奴らは騙されましょう。」
俺は氏康に確信を持ってそう進言した。
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その夜ー。
「おい見たか!奴らの逃げっぷり!誠に滑稽であったなあ!」
陽気に陣中ではしゃぐのは扇谷上杉の当主・上杉朝定である。彼はまだ21歳と幼く、大戦は今回では初めて。喜ぶのも当然だ。
とはいえ、喜んでいるのは彼だけではなく、
「あぁ朝定殿!そのとおりであるぞ!貴殿の追撃が見事で、奴らは木を伐って倒すしかできんかったわけじゃからの。」
と山内上杉の当主である上杉憲政も喜んでいた。そこへ、
「お待ちくだされ。わざわざ森に逃げ込んで木を伐る準備をしていたということは、敵は退路を確保していたということです。油断なさらぬよう…。」
と、憲政の重臣である長野業正が諫言したのだが…、
「黙れ業正!どうせ、お前は自分の大好きな戦争だというのに功を立てれなくて焦っているだけだろうが!水を差すな。」
憲政たちにはどこ吹く風といった様子で聞き入れてもらえなかった。
「それにな業正、あのバカ殿氏康は降伏の申し入れもしてきている。それによると、武蔵や下総の領地はすべて上杉家に返し、今後は全面的に北条家は上杉家に従うらしい。河越城も手こずったがもう落城寸前だ。こんなに勝つ材料があるのに何を警戒しろというのだ?」
「河越城が落ちそうだからこそ、奴らは起死回生のために我々を油断させようとしているのです。ここが戦場だということを思い出し、今一度警戒し直していただきたい。」
業正はその後、何度も憲政に警戒しろと忠告したが、意外に長く河越城が猛攻に耐えたため諸将は皆疲れ切っており、「今日ぐらい、いいではないか。」の一言には勝てず、大宴会が始まってしまった。
そして、兵士たちも混じって宴会が行われ、すっかり皆に酔いが回った頃、南方から悲鳴が聞こえた。
「なんだ?喧嘩か?おい、誰か行って確認してこい!」
当初、誰もがどうせ酒に酔った兵が喧嘩を始めたのだろうと勘違いしていたのだが、全く違った。
憲政が、騒ぎが起きた方へ側近を向かわせて1分ほどして、側近が慌てて帰ってきた。
「おいおい、そんなに慌ててどうしたんだ?」
内心、憲政も嫌な予感がしていた。
「それが…、北条氏康率いる数千の兵が攻めかかってきております!」