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スキャンダル

作者: あさな

 王命により、すべてが白紙になった。


 私には婚約者がいた。

 侯爵家の三男で、名前はキール・コールマン。人より魔力が多い魔性憑きで身体中に黒い斑点が散っていた。そのせいで侮蔑の目で見られることも多い。両親は彼の未来を愁い、誰か支えになってくれる人をと願っていた。

 その誰かに選ばれたのが私だ。

 父が白魔術師で、人々に診療を施す傍らで魔性憑きの治療の研究をしていたのだが、その話を聞いたコールマン侯爵がキールのことを診てほしいと依頼してきたのがきっかけだ。

 コールマン家に訪問するときは必ず私も招待された。同じ年だから遊び相手になってほしい程度の意味合いだったのだが(私は貴族ではなく平民の子どもだったから侯爵家から見たらいくらキールが魔性憑きとはいえ嫁として迎えるなど考えも及ばなかっただろう)、思いのほか私たちは親しくなった。私は魔性憑きの人と関わることが普通の人より多かったから、キールの姿を見ても今更で、驚くことも不気味がることも嫌悪することもなかった。身体に斑点があるだけの人。それだけ。そして、そういう気持ちは相手に伝わるもので、キールは私に対して次第に心を開くようになった。

 キールはとても口数の少ない人だった。魔性憑きのせいで人と距離を置かざるをえなくて、そのせいで自信を無くし話さなくなった――というわけではなく、元からの性格が大変大人しいのだ。そして、とても聡明だった。常に周囲の人の気持ちに敏感で、可哀想になるくらいだった。

 この人は、魔性憑きでなかったとしたら、もっと大変なことになっていたのかもしれない。人の期待に応えようとして、一生懸命になって、心が疲れてしまうのではないかなと私は感じた。けれど、魔性憑きの彼に期待する人はいない。侯爵夫妻も本来であれば息子に良い家柄の娘と縁を結び、コールマン家の繁栄に努めることを求めるだろうけれど、魔性憑きだから望まない。ただ、彼が心健やかであればよいと願っている。期待されないということはそれはそれで辛いが、私は彼のためにもそれでよかったのではないかなと思っていた。


 将来私と結婚したい――最初に言いだしたのはキール本人だ。

 その申し出はまったく予想していなかった。

 繰り返しになるが、私は平民で、キールは魔性憑きとはいえ侯爵家の三男だ。身分がまったく釣り合わない。侯爵家と縁を結びたい下級貴族ならば、魔性憑きであれ構わないという家はある。コールマン家にとっては何らメリットはなくても、キールのためにいずれはそういう貴族への婿入りを考えていたに違いない。コールマン侯爵が私を招いていたのも、魔性憑きについて耐性があるためキールのことを厭わないからだろう。人付き合いというものを避けているキールが人との関わりを持てるようにその訓練が目的だ。それが、私と結婚したいと、あの、大人しく、周囲の空気を読むことに長けたキールが言い出したのだ。そんなことを誰も望んでいないことは理解しているはずなのに。

 当たり前だけれど、侯爵は難色を示した。いくら魔性憑きとはいえ、いや、魔性憑きだからこそ、平民の娘との結婚を認めるわけにいかない。口さがない者たちに、我が子を見捨てて平民に押し付けたなどと言われては侯爵家の名誉にも傷がつく。

 だが、ここで思いがけずの援軍が現れる。侯爵夫人とキールの兄弟たちだ。

 侯爵領の最南端にあるエール地方は気候も良く暮らしやすい。二人が結婚するならば、将来はそこの運営をキールに任せてもいい。一緒に魔性憑き専門の医院を開くのもいいだろう。魔性憑きに苦しむ者はけして少なくはないし、その治療への援助をしているというのはコールマン家の評判を上げるだろう。何よりキールにとっても下級貴族へ婿入りして肩身の狭い思いをするよりずっとよいのではないか。

 皆の説得により、最後は侯爵も折れた。

 こうして私はキールと婚約するに至ったのだ。

 未来が、着々と決定されていく。

 私はその流れに飲み込まれながらも、キールとならば静かに幸せに暮らしていけるのだろうと思っていた。

 だけど、何事も順風満帆とはいかない。

 私たちが十六歳になったとき、父の研究が実を結び、魔性憑きの特効薬が完成した。薬は劇的な効果をもたらし、魔性憑き特有の身体中にあった斑点は綺麗に消えた。もちろんキールにもその薬は効いた。キールは普通の人になった。いや、濃淡大小様々の斑点が消えてしまった彼は、とても美しい姿をしていた。



 その人は突然やってきた。

 マリア・ローレンス公爵令嬢。艶やかな金髪に美しい碧眼と、一点の染みもない真っ白な肌――隅々まで手入れの行き届いたいかにも貴族のお嬢様といった感じの垢抜けた人だった。

 そのような人が一体どのような理由で我が家へ来たのか。真っ先に考えつくのは魔性憑きの薬の件だった。彼女の周囲に魔性憑きがいるのか、或いは彼女自身が魔性憑きだったが薬で治ったことの礼か。私はのんきにそんなことを考えていたのだが。

 我が家で一番高価な食器と、お客様用としている茶葉で淹れたお茶を給仕するために部屋へ入っていくと、マリア様と目が合った。目礼して彼女の前にカップを出す。その最中、まるで値踏みするような眼差しで見られていることが気になった。とても不躾だ。嫌な目線を振り払うように出ていこうとすると、


「あなたにも関係のあることですから、いてくださる?」


 とおっしゃった。

 私は驚いて父を見ると静かに頷かれたので、父の隣に座った。

 マリア様は私の出したお茶を一瞥したが、手を付けることはなかった。


「話と言うのはね、キール様のことよ」


 キールは学院に通い始めた。

 十六歳になれば貴族の子息令嬢は通うことを義務付けられている。だが、魔性憑きの彼はそれを理由に特例で自宅学習を受けられるよう申請をしていた。思いがけず薬が完成し、その必要もなくなり、普通の学生として通えるようになった。

 喜ばしいことだ。家に籠りがちだった彼の世界は広がっていく。それは彼にとって歓迎すべきこと。

 彼が学院に通っている間、私は両親とエール地方で新しく建てる医院の準備をすることになった。魔性憑きの薬は完成したので、魔性憑き専門医院の需要は低下したが、個々によっては薬の効きが悪いケースもみられたので、研究はまだまだ必要だ。

 エール地方は王都から馬車で一週間の場所にあり、話に聞いていた通りの温暖な気候で養生するのにはとてもよい環境だ。

 キールも卒業をしたらこちらに移り住み、私たちは結婚式を挙げる予定だった。

 

「少し緊張するけれど、友だちができたらいいな」

「心配いらないよ。きっとできるよ」


 学院が始まる前、私たちが離れ離れになる前、最後に会ったとき、彼は心配そうだった。私が返事をすると、そうだね、と笑った。

 実際、心配はまったくの杞憂で、キールは注目された。その美しい容姿が人々の視線を釘付けにした。疎まれるばかりだった彼には、好意という感情を向けられることに驚きがあったようだが、毎月届く手紙には楽しそうな内容が綴られていた。


「あなたは、キール様と婚約なさっているでしょう? そのことについてなのだけれど……キール様はもうこれまでのキール様と違うの」


 マリア様は父ではなく私を見つめている。

 私はこのときになってようやく、彼女がキールに好意を寄せていることを理解した。それも馬車で一週間もかけて私に会いに来るほどの好意と情熱だ。彼女はキールに恋をしている。だから、彼の婚約者の私が邪魔なのだ。

 いや、邪魔に思っているのはマリア様だけではなかった。


「あなたには感謝していますわ。苦しいときにキール様の()()()()()()寄り添ってくださったことは、わたくしもとても感謝していますの。けれど、キール様の病気は治りましたのよ。いつまでも病気の頃のまま何もかもが同じというわけにはいかないの。本来あるべき場所へ戻るべきだわ。けれど、キール様はお優しいから、これまでお世話になったあなたを病気が治ったからと言って見限ることはできないとおっしゃるのよ。でも、それではキール様の未来はどうなるの? わたくしはそんなこと見過ごせません。ですから、ここへきましたの。ねぇ、わかるでしょう? キール様をもう解放してくださらないかしら? キール様のためにあなたから、婚約を白紙に戻すように申し出てほしいのよ」


 マリア様は、そこまでおっしゃって振り返る。すると、後ろにいた従者の人が傍に寄ってきてテーブルに袋を置いた。ずしりと見るからに重そうだ。


「もちろん、ただでとは申しませんわ。こちらは慰謝料としてお支払いいたします。この医院についても今後は我がローレンス家が後ろ盾となりましょう。どうかしら? 悪い話ではありませんでしょう?」

 

 キール様との婚約を白紙に――そう願う気持ちだけなら理解できた。マリア様のおっしゃるように、三男とはいえ侯爵家の血を引くキールと平民の私とでは釣り合いがとれない。それでも婚約を結んだのは、キールが魔性憑きだったからだ。それがなくなり、普通の貴族として見られるようになったのだから、貴族としてもっと釣り合う相手との婚姻を望める。状況が変われば未来も変わる。それは何も珍しいことではなかった。

 けれど、慰謝料? 後ろ盾? そんな言い方をしているけれどその意図するのは手切れ金だ。金を払うので身を引け。もらえるものをもらえるのだからいいでしょう、とそれは完全に私への、私の両親への侮辱だ。

 

「申し訳ございませんが、キール様と娘の婚姻はコールマン侯爵家と我が家との問題ですので、マリア様からこのようなご配慮をいただく謂れはございません。どうぞ、こちらを持ってお帰りください」


 父は静かに言った。


「……まぁ、強欲は身を滅ぼしますわよ? いずれにせよこの婚約はなくなりますわ。国王陛下の命によりわたくしとキール様の婚約はなされます。そうなれば貴方がたは無一文で婚約を白紙にされますから、それはあまりにも可哀想だと思いわざわざ足を運びましたのよ。素直におなりなさい」


 王命――そんなことにまでなっているのかと呆然としているうちに、マリア様は帰ってしまわれた。


 それからすぐに父はコールマン家へと向かった。

 私も一緒に行こうとしたけれど、お前はここにいなさい、と拒否された。私のことなのに、もう私のことではなくなったということだろう。私が辛くなるからすべて任せなさいという親心でもあるのだろう。私はそれに従った。


 父が旅立ってから、私はこれまでの日々のことを考えていた。

 

 正直な話をするならば、キールと婚約してから「うまくやった」というのはずっと言われていた陰口だった。

 魔性憑きであれ侯爵家と縁故になれたのだから万々歳じゃないか。平民が領主夫人なんて、玉の輿だねぇ。ああ、羨ましい。そのようなことを何度聞いただろう。別に私はそのような気持ちでキールと婚約したわけではなかったが、他人から見ればそのように思えることがひどく歯がゆかった。私の心には汚泥が積もっていった。そんな風に言われるくらいなら、この婚約はやめてやる――衝動的に叫びそうになったこともある。

 けれど、私をギリギリのところでとどめたのはキールだった。

 彼は私に本当に優しくしてくれた。大切にしてくれた。

 無責任な第三者の言葉に振り回されて、この人の手を放していいのだろうか? いいわけがない。大切なものを見失ってはいけない。

 強く彼の手を握れば、それ以上に強い力で握り返された。それがすべてだ、それだけを信じればいい。私は惑うたびに彼の手の温もりを確かめた。

 だけれど、あの日々は、もう終わってしまったのだ。私は何一つ変わっていないけれど、私が変わらなくても世界は変わる。


『強欲は身を滅ぼしますわよ?』


 マリア様はそうおっしゃった。健康になったキールと婚約しつづけることは強欲だと。私はその言葉に心臓が凍てついた。

 魔性憑きの病気が縁で繋がった私たちは、その原因がなくなったのなら不釣り合いすぎる縁になる。この先ずっとキールの生涯を縛るなんて強欲。金銭を支払ってあげるからそれで納得しなさい。その言い分を是とする人が少なからずいる。マリア様がそう。ならば、キールは? 同じ貴族のキールはどう考えただろう? 狭い世界で、私とだけ向き合っていた頃とは違う。貴族の世界に出て行ったキールは、本来いるべき場所へ帰ったキールは、どう思うのだろう。 

 考えると私の心臓を肺を凍らせた。




「彼らは誠実であったよ」


 三週間後、王都から戻ってきた父は私に言った。

 父の話によれば、キールはマリア様から熱烈なアプローチを受けていたがずっと断り続けていたのだという。それに業を煮やして彼女は両親に泣きついた。ローレンス公爵家は現国王の妹君の嫁ぎ先であり、現国王にとってマリア様は姪にあたる。可愛い姪の恋を叶えてやりたい。既に決まった婚約に国王が口出しするなど普通では考えられないが、キールの相手は平民の娘で、恩義があるから断りにくいだけ、このままではキールの将来が駄目になる。これはキールを助けることにも繋がる――そのような大義名分で王命が下された。

 まさかそこまでの強硬手段に出られるなど露ほども考えていなかったコールマン家はすべてが後手に回り、その間にマリア様が我が家を訪問された。自分たちを差し置いて私たちのところへ話をしに行くなど、そのことにも大変憤慨されていたと。


「彼らは誠実であったよ。キール様はお前との婚約白紙は望んでいないと。今もどうにかできないかと奔走しているのだと。だからもう少し待ってほしいとまで言ってくださった」


――ああ、


 私は安堵した。

 そう言ってくれたことに心の底からほっとした。

 父もそれを心配していたのだろう。

 王命が下ったのだ。国で一番権力のある王の命令を覆せる人なんていないのだから、どれほどあがいたところで最後は私とキールの婚約は白紙になる。それはもう確定された未来だった。あと残されていることといえば、コールマン家は、キールは、どのようにして私たちに告げるかということ。手紙一枚書いて寄こすだけかもしれない。何も言わないまま、マリア様との婚約の発表がなされ、それをもって白紙撤回されたという証明とされるかもしれない。彼らがそのような不義理な人だとは思えないが、人は変わる。変わってしまう。相手は侯爵家なのだから、平民など平気で捨てることだってある。それではあまりにも私がみじめだ。だから、父はコールマン家に乗り込んだのだ。きちんとけじめをつけて欲しいと、ただ待つのではなく、私のために私の尊厳を守るために、乗り込んでくれた。どのような対応をされるかわからないから、ただ一人で。

 けれど、彼らからは丁寧な謝罪と、何よりこの王命をよくは思っていない、どうにかできないかと奔走している――だから我が家に何の連絡もしていないのだと言ってくれた。

 その言い分をまるっと信じるほど父も私も愚かではない。彼らは貴族だ。マリア様との婚姻がどれほどメリットになるか考えないわけがない。恩義や義理、誠実さだけで世の中生きていけるほど甘くはない。キールの周囲の空気を読むに長けた性格からしても、本当はどうするのがよいか答えなど出ていたに違いない。そう、答えなど、とっくにあった。にもかかわらず、王命として下るまで突っぱね続け、そして王命が下ってからもすぐに動かなかった。揺らいでいた。揺らいでいたからこそ、ギリギリまで私たちに連絡をしてこなかったのだ。それを問題を先延ばしにしていただけと思うことは出来るし、このまま言わずに黙って縁を切るつもりだったと疑うこともできるが、そんな悲しくなるような受けとめ方を好んでする必要はどこにもない。だから私は私に都合よく、言えずにいたことこそ彼の誠意なのだと思う。いくら魔性憑きの特効薬を開発したといえ、由緒正しい公爵家の威光を前には何の力も持たない。すぐさま掌を返されたって文句はいえない。けれども彼は揺らいだ。同じ天秤にかけたというその事実だけでも十分に私の矜持は守られた。

 その考えは父も同じで、だからこちらからキールと私の婚約の白紙を申し出て、すべてに区切りをつけてきたと言った。

 私は父の判断に正しいと納得した。

 それに、狡い本音を言えば、キールは美しくなって、世界を知って、私をつまらないと感じたわけではなくて、これは王命だからどうしようもないと、そのような言い訳をくれたことをむしろよかったのではないかと思う。全部を国王陛下のせいにして、どうしようもない理不尽のせいにして、終わらせることができるのだから。


「キール様は私が屋敷を出るときも、待っていてほしいと繰り返しおっしゃった。彼だけは本気でそう思っているのだろうね」

「……はい。彼の気持ちを私も信じます」


 きっと最後の最後まで、マリア様と婚儀を上げるそのギリギリまで、私を思ってくれるのだろう。未来ではなくて、私の方を振り向いていてくれるだろう。強く――何度も握り合ってきた手が離れていくのを感じながら名残を惜しんでくれるだろう。

 望みと、それが実行可能かはまったく別の話だ。だけど、何処に心があったのかそれは信じてもいいのだと思う。


「彼となら幸せになれただろうに。お前には申し訳ないことをしたね。……薬など完成させなければよかったかな」

「馬鹿言わないでよ、お父さん。私は、よかったと思うよ。それに本当は少しだけ、しんどかったんだ。貴族の妻になること」


 それは半分本当で、もう半分は強がりだ。


 ああ、けれど、素っ気なくされないのなら、最後に一度会っておけばよかった。信じて会いに行けばよかった。そして二人で、思いっきり綺麗ごとを並べ立てて、お互いのこれからをたたえ合って、お別れしたかった。それだけが唯一の心残りだ。







 キールとの婚約が白紙になって、私たち家族は隣国へ移住しようという話になった。

 コールマン家は、このままエール地方で医院を開くようにと言ってくれたが流石にそれは……どれほど私たちの中では違うと言っても、他人から見たら私は貴族に捨てられた可哀想な娘なのだ。そうでなくても噂になっているのに、捨てられた貴族の領地にいつまでもいられるほど図太くはなかった。

 世界は広いのだ。このことを誰も知らない土地へ行こう。

 幸い、父は白魔術師として有能だ。受け入れてくれるところは多くある。幾人かの知り合いに手紙を送れば、ぜひうちにと誘ってくれる人がいた。

 とはいえ、すぐに出発というわけにはいかない。引き継ぎという仕事が残っている。父がここで医院を開くことはないが、医院そのものがなくなるわけではない。幾人かの医師たちが集い、魔性憑きの特効薬を生み出した病院としてすでに多くの患者に頼りにされている。

 父は先に母と私を送り出すことにした。家族が揃っていては引き止められるまま、いつまでもずるずるしてしまいそうだったから。

 そんなわけで、二週間後、母と私は旅立つことになった。

 その、朝のことだった。

 朝食を終えて、そろそろ家を出ようかという頃合いに、人が訪ねて来た。

 出たのは私だ。


「ハンナ・アルベルトさんはいらっしゃいますでしょうか?」

「……ハンナは私ですけれど、どちらさまでしょうか?」


 ベレー帽を被った三十代くらいの男性と、髪を肩先ぐらいでそろえた活発そうな女性が立っていた。


「ああ、私はこういう者です」


 差し出された小さな四角い紙には「サンフラワー新聞社 編集部次長 トラック・ハミルトン」と書かれている。

 サンフラワー社といえば王都で一番有名な新聞社だ。


「新聞社の方が私にどのようなご用でしょうか?」


 父にというならわかる。何せ魔性憑きの特効薬を開発したのだ。これまでもいくつかの取材を受けた。けれど、ハミルトンさんは私を名指ししている。


「どうか、そんな警戒なさらないでください」

「次長。その言い方がすでに怪しいですよ。ここは私にまかせてください」女性の方がそう言うと、ぺこりと軽くお辞儀をして「私はルー・ペッパーと申します。同じくサンフラワー新聞社で記者をしております。今日こちらに伺ったのは、我が社の大スクープ記事の続報のために、ハンナさんに独占インタビューを受けて頂きたいからなんですよ!」

「はい?」


 まったく意味がわからない。いや……彼女は今、大スクープと言った。私が関わったスクープとなるような話と言えば、()()()婚約のことではないだろうか? マリア様は国王陛下の姪だ。王族の関係者の婚姻というのは記事となりえるだろう。でも、それで何故私にインタビューなのだろう? 元婚約者として何かコメントを求められるということだろうか? ……或いは平民の娘を捨てて公爵家の令嬢を選んだとかキールのことをスキャンダラスに面白おかしく書かれたりするのだろうか。

 冗談ではない。

 目の前が真っ暗になる。


「あ、違います! 違いますよ! たぶん、お嬢さんが考えているようなことではないですからね。この馬鹿! 余計に不審がられちまったじゃないか」

「うわわわ、ごめんなさーい。違うんです。私はそんなつもりじゃ」

 

 二人があわあわと口にする言葉の何を信じればいいのか、私はただ、立ち尽くすことしかできない。

 すると、騒ぎを聞きつけた父がやってきた。


「一体何の騒ぎだ? ……貴方たちは?」

「あ、お父様でいらっしゃいますか? わたくしは新聞社の者で……その、けしてお嬢さんの名誉を傷つけるようなことは致しません。と、とにかく話を! 話を最後まで聞いてください!」


 ハミルトンさんが懇願する。

 その真剣さに気圧されて、ひとまずここでは何だから中へと二人を案内した。


 応接室に通して、一息つくと、ハミルトンさんは改めて自己紹介をした。

 それから一通の手紙と新聞と取り出して、まず手紙の方を私に差し出した。


「こちらは、キール・コールマン様からお預かりしました手紙です」

 

 驚きながらも受け取り、あて名書きを見た。そこには見慣れた文字で私の名前が書かれている。裏の封蝋もコールマン家の家紋だった。


「どうぞ、まずは中を検めてください。そちらの方が話が早いと思いますので」

「今、ここで?」


 キールのことはまだ整理がつけきれていない。なのに、人がいる中で手紙を読む勇気など私には持ち合わせていなかった。


「けして、悪いことは書かれていませんから、安心してお読みください」


 だが、ハミルトンさんはまるで内容がわかるといわんばかりに勧めてくる。

 それでも読む覚悟が定まらずにいれば、


「……では、先にこちらを読んでください。わたくしどもの新聞です。十日前に王都で配られた号外になります。どうぞ」


 そう言って渡されたのは一枚ものの新聞だ。

 見出しには大きく「引き裂かれた愛・卑劣な権力を許していいのか」と赤字で煽るような文言が目に飛び込んでくる。私はチカチカとする視界を二、三度瞬きをしてやりすごし、本文へと目を移した。




◇◆◇


 これは、権力によって婚約者と引き裂かれたある貴族の魂の訴えである。

 どうかこれを読んだ方は、一緒に声をあげてほしい。

 我々は、権力の濫用をけして許してはならないのだ。


$$


 私の名前はキール・コールマン。

 コールマン侯爵家の三男として生まれた。

 私は生まれながらに魔性憑きだった。ご存じの方も多いと思うが、身体中に黒い斑点ができるこの病気はその見た目から奇異な目で見られ、差別的な扱いを受けることもある。私の存在は両親や兄たちにとって衝撃をもたらすものだったに違いない。だが、彼らは私を見捨てることなく、外部からの悪意の目から守ってくれた。そして、最良の治療も受けさせてもらえた。のちに、魔性憑きの特効薬を作り上げることとなるヨハン・アルベルト氏が私の主治医となってくださったのだ。

 だが、私の幸運はそれだけではなかった。ヨハン氏は診療のときに私の遊び相手として彼の娘を連れてきてくれた。ハンナ・アルベルト、その人こそ私の人生に与えられた最大の幸運だ。

 彼女は同じ年とは思えないほど、達観したところがあった。父親の仕事柄、魔性憑きの患者と接することが多いとはいえ、幼い子どもにとってやはり私の姿は不気味に映っただろうに、そのような感情は少しもみられなかった。ただ、まっすぐに私の目だけを見つめて話すその眼差しがこそばゆくあった。

 家族以外ではじめて普通に話せる友人。

 それが最初に彼女に抱いた感情だ。

 だが、会う回数が増えるほどに私は彼女に全く別の気持ちを抱き始めた。

「この人を幸せにしたい」――別段彼女が不幸だったわけではない。私などいなくても彼女は十分幸せだっただろう。むしろ、私こそが家族や周囲に負担をかけている存在で、もっと自分のことをどうにかするべきなのに、だけど私はそう思った。私が彼女を幸せにしたい。それは私の生きる原動力になった。

「将来、僕と結婚してほしい」

 私が彼女にプロポーズをしたのは十歳のときだ。彼女は大きな目をまんまるにして、探るように私の目を見つめ返してきた。困惑、混乱、躊躇い――でも冗談にはされなかった。

「キール様は貴族で、私は平民なのですよ」

 ただ、静かに身分差があるのだから難しいだろうと諭された。

「それが問題ではなくなったら、僕と一緒にいてくれる?」

 私が更に続けて言うと、彼女はにっこりと笑った。肯定ではあったけれど、この問題を乗り越えられるはずがないと思っていることがわかった。彼女はとても現実的だった。

 私はなんとしてもこの問題を解決せねばならなかった。

 魔性憑きに罹患している私の将来は、コールマン侯爵家と縁を持ちたい下級貴族の婿養子に入ること。それが最善の幸せであると両親は考えていた。そして、それはおそらく正しいのだろう。私も少しでもコールマン家に有利となれる縁を結べるようにするのが親孝行というものだ。だが、私は彼女と将来一緒になりたいと両親に懇請した。

 当然、最初は馬鹿なことをと相手にしてもらえなかったが私は諦めなかった。ずっと自分に負い目を感じていた私は、望みを口にしたことなどなかった。与えてくれるものを有難いと感謝こそすれ、何かを望むなど贅沢だとそのような考えが何処かにあった。だが、これだけはどうしても譲れない。そんないつもとは違う私の様子にまずは兄が、それから母が私の味方になってくれた。そして、最後は父も納得してくれた。

 天にも昇る心地というのはあの時の気持ちを言うのだろう。

 こんなことを思うのは、きっと他の魔性憑きで苦しんでいる人たちからは反感を買うだろうが、これは私が魔性憑きだったから叶ったことであった。だから、このときばかりは、この身体に生まれたことを感謝した。

「キール」

 婚約が成立してから、彼女は私に敬称をつけなくなった。敬語もなくなった。ずっとぐっと近くなったこの距離がたまらなく嬉しかった。

 それから、私は勉学に勤しんだ。

「あらあら、最近頑張っているわねぇ」

 母は嬉しそうに私に言った。

「ええ、将来困らないように頑張らなくてはいけませんから」

 私は彼女と結婚したら領地の一部の運営を任されることになっていた。そこで領主として立派に務めて、彼女が困らないように少しでも豊かな暮らしが送れるように、そのためには勉強は必要だ。

 私は、私が望んだ未来のために、誇らしい気持ちで日々を過ごした。

 だが、そんな日々に陰りが見える。

 不幸は一見幸せな顔をしてやってくる――そのように言ったのは誰であったか。私のそれもまさに幸福という形で私に近づいてきた。私が十六歳になる頃、彼女の父、ヨハン氏の長年の研究が実を結び魔性憑きの特効薬が完成したのだ。

 その特効薬は私にも効果をもたらした。身体中に散らばっていたあの魔性憑き特有の斑点が綺麗に消えた。私の見た目は健常者と変わらない姿となった。それはとても喜ばしいことだった。

 ちょうどその時期、私は貴族の子息令嬢が通うことを義務付けられたセントルシア学院に進学せねばならない年齢だった。魔性憑きということを考慮され特例として自宅学習を受けることになっていた。だが、普通の生徒として学院に通うことができる。病気を理由に社交の場に出たことのなかった私には緊張もあったが、将来のためにも人脈作りは大切だ。それに、直接授業を受けるほうが身にもつくだろうとも思った。

 学院は、私が想像していたよりも楽しいところだった。

 斑点の消えた私の容姿は、人から好意を持たれるものだったようで、気が付けば私は多くの学友に囲まれ過ごすようになった。それは嬉しいことだった。こんなこと今までなかったから、浮かれる気持ちがあった。ちやほやされるのは気分が良かった。世界が広がっていくのを肌で感じた。

 だが、それだけでは終わらない。ある公爵家の令嬢が私に好意以上の――恋情を抱いて近付いてきた。私にはハンナがいる。そのような気持ちに応えられないと断ったが、彼女は笑いながら言った。

「キール様はこれまでと違うのですよ。辛かったときに親切にしてくれたことを恋と勘違いするのは仕方ありませんわ。けれど、もうそのことに縛られる必要はないんじゃないかしら? 目を覚ますべきですわ」

 多くの人がそのように誤解するのは私にも理解できた。

 特効薬ができるまで、私の世界は実に狭くあったから、狭い世界で他に誰もおらず、その中で出会った自分を見てくれる人に縋っただけ。そのような解釈をする人もいるだろうことはわかっていた。他ならぬ両親がそうだったから。だが、違う。私は寂しくて、一人ぽっちだったから、傍にいてくれたハンナを必要としたわけではない。――いやそれが全くなかったとは言わない。けれど、それ以上の強い気持ちで彼女を幸せにしたい、私の手で幸せにしようと決めたのだ。それは世界が広がろうと揺らぐことなどない。私の寂しさや孤独とも関係がない。ただ、私は魔性憑きという病気の中でも運命の人に出会った、それだけだ。

 私はかつて両親にしたように、その令嬢にも話をした。誤解しないでほしい、勝手に決めないでほしい、私の幸せは彼女との未来にあるのだと。

 だが、その令嬢は私の気持ちを少しも信じてはくれなかった。それどころか、

「わかりますわ。そうやって思い込まないといけないお気持ち。キール様はお優しい方ですもの、病気が治ったからといって別れるのは申し訳ないと思って、そのように自分を追い詰めていらっしゃること、わたくしにはわかります。けれど、心配はいりませんわ。そのような愁い、わたくしが取り除いて差し上げます」

 と言って、あろうことか王命として自分との婚約を申し出てきた。

「伯父様にお願いしたのよ。恩義のためにあなたの将来が駄目になるかもと泣いてお願いしたのよ。そしたら、一人の青年を救うためならとこうして王命を出してくださったのよ。これはすごいことよ。ねぇ、だから大丈夫よ。キール様が気に病むことは何一つないのよ」

 国王陛下が妹君を愛されていること、その娘ですなわち陛下の姪である令嬢に甘くあることは知っていたが、このような私事を王命として出すなど信じられなかった。私とハンナは正式な婚約を交わしている。いくら国王陛下といえそれを取り消す権利などあっていいはずがない。だが、王命は下された。

「ふふ。わたくしがここまでして差し上げたんですから、キール様もいい加減覚悟をお決めくださいませ」

 そう言って笑うその令嬢が、私には何か別の生き物に思えて恐ろしかった。

 何故、私の言葉が届かないのか。

 私は怒りと絶望で気がおかしくなりそうだった。

 だが、どのようにしてこの状況を打破すればいいのか――考え巡る間に今度はヨハン氏が私を訪ねてみえた。彼の令嬢がまたしても勝手にアルベルト家に行き私と令嬢が婚約をすると告げたのだという。その真偽を確かめにヨハン氏はやってきた。

 情けない話だが、私はようやく自分の不甲斐なさを実感した。令嬢の振る舞いに怒るばかりで、私はハンナへの配慮を何もしていなかった。私のところで食い止めて撤回させればそれでいいとそのような甘い考えで、結果として先手を打たれ不安を抱かせてしまったのだ。

 私は正直に事情を話し、問題を必ず解決するからどうか待っていてほしいと告げた。

 ヨハン氏はにっこりと笑った。その笑顔には見覚えがあった。

 かつて私がハンナにプロポーズをしたとき、身分差があるから無理でしょうと言われ「問題ではなくなったら、僕と一緒にいてくれる?」と言ったときの彼女の笑顔と同じだ。

 背中に冷たい汗が流れた。

 微笑んだままでヨハン氏は続けた。

「キール様のお気持ち、ハンナには伝えさせていただきます。娘もきっと喜ぶでしょう。ですが、わたくしどもは弁えております。どうぞご無理などなされませんように。この度のご縁は、一度白紙に戻しましょう。もし再び、そのような時がくることがございましたら、お待ち申し上げております」

 何故。何故、聞き分けてほしい者は己を通し、聞き分けてほしくない者ほどこうもあっさりと辞してしまうのか。

 私にはわからなかった。もう何もわからない。このままいっそう、大きな流れに委ねてしまえば楽になれるだろうか。そのような気弱さが私を飲み込んだ。

 貴族としての利益を考えるならば、公爵家の令嬢との婚姻はけして悪くはない話だ。ハンナとの縁は私が魔性憑きでなければ結ぶことができなかったもの。魔性憑きでなくなった今、その縁は終わり、貴族としてあるべき縁を辿るのが一番平和なのかもしれない。

 そのような投げやりさに身をゆだねてしまいそうになった。

 だが、もしそうなれば、私のこれまではすべて否定されるだろう。ハンナへの思いは、狭い世界で、他に誰もいなかったから恋と錯覚しただけの、世迷言だと片付けられる。それだけはどうしても許容することはできない。

 だから私は、この記事を書くに至った。

 この先、王命の通りに婚姻を結ぶことになろうとも、私の本当の心を知っていて欲しかった。これを読むすべての人に、証人になってもらいたい。

 私はけして、誰もいなかったから彼女を、ハンナを求めたわけではない。たとえ世界が広がっても変わることなどなかったこと。魔性憑きという負い目も忘れるほどただ彼女に恋をしたこと。


 ハンナ・アルベルト様。

 貴方だけを愛していました。たとえこの先、私と貴方の道が分かれようとも、この気持ちに一切の嘘はありません。ずっと貴方を愛しています。 




◇◆◇




「……なんですか、これ……」

「ええ、ですから、少し前に王都で配られた号外ですよ。我が社始まって以来の大反響をいただいております」

「そうではなくて、こんな記事が広まったりしたらただではすまないじゃないですか!」


 私は思わず叫んだ。

 こんなものがバラまかれたら、大変なことになる。国王陛下や公爵家が黙っているはずない。キールだけではなく、コールマン家だってどんな罰を受けるか。そんな愚かな真似をキールがするなどと到底思えなかった。ならばこの記事は――これは、この新聞記者が勝手に捏造したのではないか、そのような疑いがむくりと湧き上がり私は目の前に座るハミルトンさんを睨みつけた。


「キール様のことが心配なのですね」

「当たり前でしょう!」

「はは、確かに……けれど、ご安心ください。これは何もキール様がやけになってしでかした捨て身の戦法などではありませんから」


 私の睨みなど大したことないと笑い飛ばすみたいににこにことハミルトンさんはこの一連の出来事の説明を始めた。

 それは驚くべき話だった。


 現国王陛下が即位されて以降、その実の妹・エルザベート様の嫁ぎ先ローレンス公爵家は優遇されてきた。国王陛下がエルザベート様を溺愛しているのは有名だったので多少のことならば仕方ない。だが近頃のローレンス家は目に余る。これでは他の貴族にも示しがつかないと王妃殿下は繰り返し苦言をていしたが、国王陛下はその場では了承するが、いざ可愛い妹におねだりされると聞き入れてしまう。そんなときに起きたのが、キールとマリア様の王命による婚姻だ。キールには正式な婚約者である私がいたのにもかかわらず、一方的なマリア様の言い分を聞き入れ、二人の婚約を王命として下した。

 そのようなもの許されていいはずがない。だが、王妃殿下が咎めたところでいつものように流される。ならば、聞き流されない者に声を上げてもらえばよい。国王陛下とはいえ、無視できないもの。即ち民意だ。

 そこで王妃殿下は秘密裏にハミルトンさんに指示を出し、キールと連絡を取ってこの記事を書くことを依頼した。


「いやぁ、想像以上ですよ。今ではお二人の恋は世紀の悲恋として、王命を取り消し二人を婚姻させろと毎日デモが起きているくらいに。もうこの流れは止められません。みんな、ロマンスが好きなんですね。……まぁ、ローレンス家から損害を被った貴族や商人がここぞとばかりに扇動しているというのもありますけれど。国王陛下も自分の身の方が可愛いですから、私は騙されていた、不幸な令息を救うためだと嘘をつかれたのだ、とマリア様を叱責しローレンス家とも距離を置かれたとか。これだけ赤っ恥をかかされてはねぇ」


 愉快愉快と話すハミルトンさんに私は何と返せばいいのかわからない。

 確かにデモという民意により決まりかけの法案が撤廃になったという例はある。昔の絶対王政だった頃から今は随分変わった。国が豊かになり力ある町人が増え、あまりに酷い貴族の横暴は市民が団結して反乱するということも起きている。だがそれは特別な例で、私たちの婚約についてそのようにうまく人が動くものなのだろうか。

 予想外のことが起きすぎて、どう考えればいいのか、私は完全に混乱していた。


「疑ってらっしゃいます? けれど、これについてはあまり深く考えないほうがよろしいとだけ忠告を。いろいろとね、裏でやり取りがあるものです。それは貴方には関係のないことですから、今の貴方が真っ先に考えなければならないのは、キール様とのことでしょう。キール様のことが心配だというのであれば、一刻も早く彼の元へ行って差し上げることが一番よいでしょうね――王妃殿下もラブロマンスが大好きな方ですから、お二人がハッピーエンドを迎えるなら絶対に咎めなんてあろうはずがありません。あ、でも、先にキール様の方がこちらにつくかもしれませんね。その手紙、恐らくその旨が書かれていると思われますよ」


 キールがここへ?

 

 ハミルトンさんが指さした私の手の中にある手紙。

 薄い青の封筒。いつも彼が私に書いてくれたものと同じもの。最後に手紙をもらったのはいつだったか。彼からの手紙は毎回とても分厚い。だいたい平均十枚ほどある。無口な彼は手紙の方が饒舌になる。少し癖のある文字が懐かしい。でも、この手紙はとても薄い。薄いけれど何の温度もないはずのそれを撫でると奇妙に熱く感じられる。

 ここには何が書いてあるのか。ハミルトンさんの言うことを裏付けること?

 全然、実感の持てない話。信じるなんて簡単にはできない。

 本当にこれは現実なのだろうか? 私は夢を見ているのではないだろうか?

 けれど、こくりと唾を飲み込むと、それが合図みたいに私は急に恥ずかしくなった。

 この号外がいろんな人に読まれているなんて、私はこれからどんな顔をして町を歩けばいいのだろう。こんな赤裸々な告白を、私はキールからこれまでされたことがなかったのだ。

 混乱と困惑と羞恥と、そしてどうしようもない胸の高鳴りを感じている。感情がバラバラで膨れ上がって叫びだしたくなるような、こんな気持ち初めてでどうしていいか本当にわからない。

 逃げ出したい――それが一番近いのかも。私は自分の臆病さと小心さを知る。

 そんな私にハミルトンさんは追い打ちをかけるように、


「ええ、我が社としてもお二人の婚礼まで密着取材をいたしますので、どうぞよしなに!」


 まるで私たちの婚礼は、もう何があったとしてもけして覆りようのない決定事項なのだとばかりに、にやりと笑ってそう言った。

読んでくださりありがとうございました。


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