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言葉の真実

真実に触れた時、伝えたいという思いだけがある。伝わるかどうかという不安はない。つまりそれが知るべきであることであり、本当のことはきっと誰にでも分かると信じているからでもある。わたしが今感じていることは、言葉とはその起こりの前にある何かを伝えようとする手段であると、いうことである。そして、その何かこそが我ら自身であり、それは不定形であるからこそ形を成そうとエネルギーを集約している。それは全ての(これは真の意味での全ての)物質にあてはまる。そして、我らという命は生きていようとエネルギーを、どこかへ集約している。そのどこか(仮に中点とする。以降中点と呼ぶ。)から、何かを伝えたいという動機に基づいて、言葉が起動し、発せられる。つまり我らが伝えたいことは、言葉そのものでなくて、その前にある何かである。この何かこそが、我らが生きているということであり、またエネルギーの集約体であるという事実でもある。そこに真実がある。我らの一部はそれらと共通している。エネルギーたちと、物質たちと、そして命たちと。それは我らがそれらそのものである事実から、疑えない真実である。そして、命として繋がっている等しさがあり、この星の一部としてある等しさがある。この星は太陽系の一部であり、銀河の、そして宇宙全体の一部である。我らは、間違いなくこの宇宙の一部であり、共通する部分を持っている。そして、命とは星を含む巨大なシステムの一部であり、決して独立しているものではない。このことが、我らを担保している。つまり、我らにとって生きていることの是非を語ることは愚かしい。言葉とは本来そのようなことのためにない。我らそのものである、名前のない(この次元に言葉がない)何かを、形に表すために言葉もまたある。そして、絵画、音楽、彫刻、舞台芸術、などなど芸術という形のないものを形にする行為の源である。つまり、中点から起こる波の起こりこそが、形のない我らそのものが発する初動こそが、表現の起点となる。そして、その起点に呼応して、表現として言葉を選ぶものは言葉として、描くことを選ぶ者は絵(動画も含む)として、音を選んだものは音楽として、動きを選んだものは舞台芸術として・・・等々それぞれの趣の中で、表現は追及される。これこそが、我らが我らである所以であり、言葉を含むすべての芸術手段の生まれた所以である。だから、わたしは言葉を選び、詩を書いている。つまるところ、これがわたしにとっての詩の書きかたである。

今回の試行を通して、ある真実に辿り着いたと感じている。これを今後は、作品にしていきたいと考えている。

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