第十二話 新しく知るということ
「とても難しい悩みを抱えているのね」
ママはわたしのことを、正面からぎゅうっと抱きしめてくれました。ママか着ている肌触りのいい薄桃色のブラウスがわたしの頬に優しく触れます。洗剤とお菓子作りと、ママの匂いでわたしはいっぱいになりました。
「自分が何をどこまで知ればいいのか、それはきっと誰にもわからないことよ。貴女の言う通り、新しいことを知れば新しい疑問が浮かぶ、そこには終着駅なんてないのかもしれない」
ママがわたしの頭を撫でる手はとても優しい。
「だけどひかりも私も、みんな知ることを止めない。なんでだろうね?」
「……わかんない」
ママはわたしの方は向き直り、軽く肩を掴んで言いました。
「ダメ。ちゃんと自分の頭で考えるの、必要な答えはいつも自分の中にあるものだから」
強く、優しく、厳しい目です。ママはじぃっとわたしの目を見つめています。
「……自分一人じゃあ、知れること、はちょっとしかない、と思う」
自分の考えを言語に表すことはとても難しく感じます。いいえ、やっぱりそれは違う。自信のないことをするのが、喋ることが怖いんだと自覚しました。失敗をすることが、間違うことが怖いのだと思います。
「でも、ママやパパや先生、沢山の人がわたしに、多くの知識を、知る喜びを与えてくれます」
しかし段々と、わたしの頭は冷静に、透き通った答えに近付いて来ていると感じます。
「きっとわたしもいつか、誰かにこの喜びを伝えるのかもしれない……わたしの経験を、知識をきっと伝える」
本当に答えは、わたしの答えはわたしの中にありました。
「そうやって、次に繋がるんだ。わたしが知ることは、わたし一人のものではないんだ。だからわたしは知ることをやめない。知らないことはこれからいっぱい知ればいい。知らないことが恥じゃない、知ろうとしないことが恥ずかしいんだ」
ママは優しく微笑みました。雨模様の天気とは対照的に、わたしの中のモヤモヤは澄み切った太陽に照らされているように晴れやかなものとなりました。
「じゃあ今日はひかりに、新しい世界を教えてあげる」
ママはそう言うと、キッチンから一つのボウルをとってきました。中身はクッキー生地のようです、チョコチップも混ぜ込まれております。
「実はクッキーを焼く前の生地ってね……」
人差し指で生地を一すくいすると、なんとママはそれを口に入れて食べてしましました!
「とっても美味しいの」
ママは、至福の表情を浮かべます。
「さあ、ひかりも新たな世界へ。クッキードウに手を出してしまいなさい」
身体には決して良くないからちょっとだけね、と付け加えてわたしは誘惑されております。では、少しだけ……わたしはテーブルのスプーンを手に取ります。しかしママに止められました。
「これは普段やってはいけない禁断の世界。スプーンでお行儀良くなんてナンセンス。指でいきなさい」
わたしは意を決して指を生地に突っ込み、禁断の世界とやらに足を踏み入れました。
「これは、本当に美味しい……」
ママと二人、内緒のおやつは秘密が不思議なスパイス。新たな食の世界を垣間見ることができた雨の日でした。
良い子はあんまり真似しないでね