13話:崖の下で
「――イト! ――イト!」
誰かの呼ぶ声がする。確か、俺たちはあの後崖から落ちて……。
「レイト、目を覚ませ! レイト!」
目を開けると必死に俺を呼んでいるイリアとハルカが目に映った。崖から落ちたからだろうか、体のあちこちが痺れる。五十メートル以上ある崖の転落から助かっているんだから奇跡としか言いようがない。
「あの高さの崖から落ちて二人は大丈夫なのか?」
「私たちは落ちる寸前にレイトが守ってくれたから平気だったが……」
思い出した、確か二人を守ろうと下敷きになったんだった。ハルカが突然、泣きながら俺に抱き着いてくる。
「もう、レイト、本当に心配したんだよ! いつまで経っても目を覚まさないし」
心配した、その言葉を聞いたのはいつぶりだろうか。嬉しさのあまり泣きそうになった。だが、今はそんな場合じゃない。空を見上げると冷たい雫が頬を濡らした。
「雨か……」
この世界では初めての雨だった。雨宿りできる場所が必要だな、と辺りを見回してみるとちょうどすぐ近くに洞窟があるのを見つける。
「イリア、ハルカ、とりあえずあそこの洞窟で休もう」
洞窟の中は想像以上に広く、目を凝らして奥を見ても壁が見えることはなかった。辺りには魔物の姿もなく、灯りは水晶のようなものが光源代わりになっている。問題は食料だが……見たところ何もなさそうだな。いくら周りの環境がよくても食料がないとなると絶望的だ。
「ここは手分けして洞窟の中を探索してみよう、くれぐれも深追いはしないでくれ。集合場所はここ、どうだ?」
「「わかった」」
二人は頷くと俺の後をついてくる。先に進むと分かれ道が三つ。
「私は右を行く」
「ハルは左を行く」
「じゃあ、俺は真ん中か」
各々選んだ道に進んでいった。俺が進んだ真ん中の道は特に何もない通路が長く続いているだけだ。十分以上歩いているのに曲がり道も何の発見もない。まるで、先ほど来た道に戻っているような感覚だった。
「何もないな、帰るか……」
長い道のりを引き返し、元いた広い場所に戻ってくるとハルカがすでに戻ってきていた。ハルカは壁にもたれかかって一人で泣いている。
「ハルカ、どうしたんだ?」
「うっ……レイト?」
赤く腫れた目がこちらを向く。その姿は初めてミオンが涙を見せたあの頃にとても似ていた。あの時、ミオンはなんで泣いてたんだ、全く思い出せない。
「なんで、泣いてるんだよ……」
「だって、このままじゃハルたち帰れないかもしれないんだよ!」
「でも、諦めなければいつかは帰れるさ」
「いつかっていつなの! ハルたちには時間がないんだよ!」
「時間がないってどういうことだ……?」
その言葉を聞いてハルカは驚く。不思議な話だ、俺が時間がないという言葉に驚いて聞いたのに逆に驚かれるなんてな。
「まさか、知らないの? DOKの校内選抜戦が明後日に行われるんだよ」
「明後日だったら充分戻れるだろう、崖があるならきっと上に戻るための出口も――」
「ないよ!」
突然の叫びに思わず肩が上がる。
「なんでそんなこと言い切れるんだよ!」
「だって、ホントに戻れる道があるんならそもそも落ちないように柵が建てられているのが普通でしょ!」
思い返せばこの森に入ってから柵を見かけたことなど一度もない、ハルカの言う通り落ちる人を助ける道を作るよりも落ちないように柵を建てるのが当たり前だ。それがないということは……その先は考えたくもなかった。
「DOKの選抜戦に参加できないとどうなる?」
「まず、そのギルドは不参加と見なされる。また来年挑戦すればいい話だけどあと三回しかないチャンスを棒に振りたくはない! ハルはなんとしても優勝しないと行けないの!」
優勝したいという一つの夢のためにハルカは諦めたくないらしい、当然イリアも同じ気持ちなのだろう。
「そんなに大事な夢なら簡単に諦めたりするなよ!」
「なんで、この前編入してきたばかりの常識ない人にそんなこと言われないといけないの! レイトに何がわかるの!」
ハルカの言っていることもわかる。自分の長年追ってきた夢をあたかもわかったように話す人を見ても、あまり気分がいいものではない。でも、これは綺麗事なのかもしれない、余計なお節介でハルカを傷付けてしまうかもしれない。けど、泣いている人を見過ごせるほど俺は人間を辞めてない!
「可能性はゼロじゃない、ゼロと決めてしまったらそこが自分の限界だ」
ハルカの目からは涙があふれ、すぐに頭を下げて顔を隠してしまった。
「……偉そうなこと言わないでよ」
逆に怒らせてしまったのかもしれない。でも、今はこれでいい。俺の言葉をいつの日か思い出してくれるのなら。
「レイト、私の方は何もなかったぞ」
右の洞窟に進んだイリアが疲労に満ちた顔で帰ってくる。ハルカもこの調子なら何の発見も得られていないだろう。待てよ、俺の場合は先が見えなくて引き返してきたけど二人はどうなんだ。
「二人とも洞窟の先はどうなっていた?」
「洞窟の先か? 何もない道が続いていてしばらくすると行き止まりだったから引き返してきたが」
「……ハルもそうだったよ」
俯いたままハルカは答える。二人が進んだ先は行き止まりだった。だが、俺の進んだ先はまだまだ続いているようだった。今すぐ進みたいところだがみんな体力を消耗しすぎたのか今にも倒れそうだ。
「今日は休んで体力を回復しよう。大丈夫だ、まだ希望はある」
「「……わかった」」
二人は何も問わずに俺の隣で寝始めた。洞窟の硬い土の上はお世辞にも寝心地がいいとは言えない。右にはイリア、左にはハルカが俺の腕を胸の間に挟んで寝ている。これ、どんな状況だよ。こんな状況で寝られるはずがないため、俺は気分転換に二人を起こさないよう外に出ることにした。
ずっと洞窟に響いていた雨音はいつの間にか聞こえなくなっていた。
「さて、食料でも探すかな」
暗い夜の中、月明かりを頼りに森の中を進んでいく。この時間、動物たちは寝ているはず。予想通り、目の前で大きな猪が木に持たれて寝ていた。だが、何かが違う。立派な角が頭に二本生えており、大きさは普通の猪の二倍はありそうなほどだ。一突きで終わるだろう、だが、それは起こさなければの話、近づくと草を踏む足音に猪が目を覚ます。
「これって結構ヤバいかも……?」
猪は寝起きにも関わらず瞬時に状況を判断してこちらに突進してくる。咄嗟に背中の剣で猪を抑える。押し切られると思っていたが意外にも筋力だけで防ぎ、食料にしたいので武器を持っていない左手で殴る。猪はそのまま吹き飛び、地面に倒れた。
「あれ、思ったより弱かった……?」
いや、俺が能力で強化しすぎたのか。どちらが正しいかわからないまま俺は猪の体を担いで洞窟へ戻った。