これはハーレムですか? はい、ハーレムです。
や、やばい。
だらだらと出てくる冷や汗に背中を震わせ、四本の腕を振り上げて威嚇している六足熊を見上げながら、私は途方に暮れた。
ちょっとした世界の終わりだ。
逃げ惑う人間達。遠巻きに六足熊を威嚇する衛兵達、絶え間なく聞こえてくる悲鳴と、警笛。
やばいよ、やばい。
「……コ ム ス メ……あれもお前の使役獣だな……?」
低ーい声が頭の上から落ちてきた。
おそるおそる顔をあげたら夜叉がいた。
私の隣に立っていたおかま店長、イーニアスが、睨んでる。
ひぃっ!
「え、えっと、あの「返事は速やかに」は、はひっ!」
とりあえず横目で逃げ道を捜したが、そんなもん、無いったらない。
仕方なく頷いたら、がっと頭を片手で掴まれた。うわあ、掌おっきい……。
そしてそのまま、万力で締め上げるようにぎりぎりと、力が込められていった。
うふふふ~。お花畑が見えるよ~。
ちょっ、あの、魂が現世から離脱しそうなんですけど!
「ご、ごめんにゃさい、ごめんにゃさい、ごめんにゃさいっ!」
「……下手に隠し立てするなよ。あれはお前の使役獣なんだな?」
「う、ひゃいっ!」
お……おかま店長、女言葉はどこへ行ったの。まさかそれが地だとは言いませんよね?
「よし。では命令しろ。おとなしく……な?」
慈愛に満ちた美しい微笑みに震え上がる。
おとなしくさせないと、私の生命活動がおとなしくなるんだね、そうだよね。
了解しました!
えーとえーと、クマさんは何がお好みだったっけ。何か気を引くもの……。
……血肉と戯れる凄惨な姿しか思い浮かばないや。
やば。
あ、でも、私の本体と戯れるのは好きだったよね……一方的に咥えられて、巣穴に戻る、まるで子育て中の親熊のような行動だったけど。
よし、そうと決まれば、スライム変身! と身構えて、はた、と止まる。
だって、目の前におかま店長がいるじゃん。
人間の姿から、スライムに戻ったら地獄だよ! 主に私がおかま店長に息の根止められる方向でね!
勝てそうにないと実感する。
弱肉強食を生き抜いたからこそ、生物としての本能が、目の前の生き物に逆らっちゃいけないと訴えてくるのだ。
でも何とかしないといけない。
考えてる間も、六足熊は威嚇のポーズで人間とにらみ合っている。
アンギャアアっとの叫び声に呼応して、いやあああ、たすけてええええと人間達の悲鳴が続く。
おのれ人間。泣きたいのはこっちだ! しかも肉食獣に対して大声上げて関心を誘うなんて馬鹿なの、死ぬ気!?
「―――ああ、もう、静かにして! 考えがまとまらないでしょ!」
「ぎゃ?」
「こっちはどうやって大人しくさせればいいのか、考え中なの! 騒ぐな、暴れるな、静かにしてて、気が散る!」
せめて騒がず叫ばず石になってる方が捕食されずにすむ。一声吠えてから、また考えを巡らせた。
そうだ、六足熊の目の前に何か餌を準備すればいいんじゃないかな。滴るような生肉とか! でも、ちょうどいい血肉なんて、ないし……。
ふと気づけば、あたりはしん、と静まり返っていた。
「……ん?」
顔を上げると、世界の終わりを作り出していた六足熊が、すみっこで丸くなって小さくなっている。
物騒な極悪顔ながら、右だけ残るつぶらな瞳にきゅんとした。ではなく!
丸くなって、きゅんきゅんとこっちを窺っている六足熊に、逃げまどっていた人間達も困惑顔だ。
「……あれ?」
「……本当に使役しているようだな。たったあれだけでシックスフットが黙るとは……」
おかま店長の言葉で我に返った。
泣き喚く人間に対して叫んだつもりが、いつの間にか六足熊への命令になっていたようだ。六足熊の暴走は終わっていた。
六足熊を見ていると、街の人間達をかき分けて、ギルド長が走って来る姿が見えた。
「面倒だ。急ぐぞ」
私の襟首をつかんだおかま店長の勢いに押されて、二三歩進む。
慌てて振り返ると、六足熊と目が合った。
六足熊は小さく丸くなってこちらを窺ったまま、きゅんきゅんと鼻を鳴らしている。ちょっ、心臓ド真ん中なんだけど。極悪面の熊に胸キュンさせられるとは思いもしなかった。
私は手を差し出して、戻れと呟いた。
ふわりと光が六足熊を取り囲む。
光が一度強く輝き次の瞬間には六足熊の代わりに、黄色い魔石が私の掌の中にあった。
横目でそれを見ていたおかま店長は、私の襟首をつかんだまま、歩き出す。
「あっ! こら待て、イーニアスッ!」
「後は任せる」
「ばっ、待てこらっ! 説明っ……いやそれより、嬢ちゃんの登録のやり直しだっ!」
「しつこい。こいつは非力な新人だ」
「う、うそつけぇっ!」
興奮した街の住人達にまとわりつかれて身動きができないギルド長の叫び声を聞きながら、その場を後にした。
「声一つでシックスフットを止めたか。信頼関係は強固だな」
そう呟いたおかま店長と同じセリフをギルド長が呟いていたことを、私もおかま店長も知らない。
ただ、険しい表情のおかま店長が私を見下ろしてくる。
ははは。
……その目が『いいか、これ以上隠し事をするんじゃねえぞ』と脅してるよ。
一見、麗しいその笑顔を間近で見上げていたら、背中を悪寒が走っていった。
***
「……さて。一息ついたところで、さっさと洗いざらいすべて、綺麗さっぱりはっきりすっきり、包み隠さず、正直に話してもらいましょうか」
「―――――は、はひ」
おかま店長の高級魔石店、ふたたびである。そして仕切り直した麗しのおかま店長もリターンなのである!
エメラルドグリーンに輝くつややかな髪と瞳がまるで、女王様のように輝いている。
女言葉に戻っているけど、目の前のおかまが一筋縄ではいかない男だということを実感したYDSです。
下等生物としての本能が逆らうなよー。逆らったら消されるぞーと言ってます。
下等生物、逆らわないよ。強者には絶対服従、これ自然の理。
店内に連れ込まれて、鍵をかけられ、窓という窓にはカーテンが閉められ、さらにおかま店長が懐から黒い魔石を取り出した。
「……これはね、沈黙の魔石よ。ここで発した音を外に漏らさないわ。私が身元引受人になったため、あなたの力を知る権利が発生したの。この先、あなたを守る為にあなたの力を知らなければならない……でも、すべて話せとは言わないわ。あなたがここまでと思うところまで、話してくれればそれでいいの」
これはきっと破格の扱いだ。
言いたくない事は言わなくて良いんだもの。私は、こくこくと頷く。
「落ち着いたかしら? じゃあ……ちゃっちゃと全ての使役獣の種類を吐きなさい」
……抗おうと思う気持ちすら霧散する、素晴らしくも美しい微笑みでした。
だから、腹をくくって魔石をテーブルの上に全部だした。
「……ちょっと待て、こんなにか?」
「端からいきますね」
青い魔石から、氷獣が現れた時は、おかま店長イーニアスさんは顔色を変えることはなかった。
黄色い魔石から六足熊が、銀色の魔石から大蜘蛛が現れた時も、想定内だったのか身動きすることは無い。
赤い魔石から赤い鳥を呼び出そうと、魔石をこんこんとノックした時、おかま店長が初めて身動いた。
現れた赤い鳥を目にして、彼は押し黙った。
緑色の魔石から謎の水棲生物が現れると大きく目を見開いて、身を乗り出し、右左と頭を動かし観察していた。
青黒い魔石から大鰐が現れた時は、ソファに置いていた両手の指先が、ぐっとひじ掛けを握りしめて白くなり、驚愕に震えるのを感じた。
黒い魔石から黒い大蛇が現れた時は、とっさに身を引いて、我に返り、恐る恐る顔を近づけて観察を始めた。そっと差し出した指が、蛇の身体に触れる前に制しておいた。
ショッキングピンクの魔石から凶悪顔のピンクの鼠が現れた時は、信じられないと言わんばかりの顔で私を見つめてきた。私に同意を求められても、この凶悪顔のピンク鼠の生態を知らないので困る。増やす気かと問われたけど、一体だけで増やせるの? 雌雄同体なんですか? と聞いたら、あからさまにほっとした顔をした。きつく、つがいだけは作ってくれるな。と言い聞かせられた。どうやら、やばい勢いで増える種らしい。飢饉のきっかけとなるくらいのすさまじい繁殖力を持つ魔獣らしい。
蛍光色の黄色の魔石から、尻尾が蜥蜴の猫もどきが現れた時は、遠い目になっていた。
伝説の最強魔獣がどうしてこんなにとかなんとか、聞こえたけど、みんな結構言う事を聞いてくれる気配り上手さんばっかりだよ? たまに愛情表現が激しすぎて、スライムじゃなくちゃ息の根止められてるけど。
もはや乾いた笑いしか出ていないおかま店長を前に、私は居住まいを正した。
いよいよ真打ち登場だ。
人間の変身を解いて、スライムに戻るのだ!
「……これで終わりかしら?」
「いいえ。最後に」
「ええ、最後に?」
……悲鳴を上げて攻撃されるかもしれないと、頭の片隅で思わなかったわけではない。
私は目を閉じて、身体の奥深くに仕舞い込んでいた魔獣としての本質に働きかけた。
もとへ戻れと。
「……へえ。最後にスライムの上位種か。まさかこれだけの魔獣を使役しているとは思わなかったけど、なるほどね」
おかま店長が呟いた言葉が耳に入ってきた。
「まさか、聖属性のスライム使役しているとはねぇ。だから魔獣たちがおとなしいのね。聖属性の加護をつかった魔獣使いなんて初めて見たわ。あなた、もしかすると帝国の魔獣使いなのかしらね。かの国も最近荒れに荒れていたから」
おかま店長がさらに呟いた。
「え?」
思わず目を開けて、おかま店長を見上げた。
「なによ」
おかま店長は片眉を器用に上げて、私を見下ろしてくる。
その瞳に嫌悪はなかった。
「もっと、こう強い感情ないんですか? 怖いとか、気持ち悪いとか、こっちくんな化け物とか」
思わず身を乗り出して言い募ってしまった。
さんざん魔獣を出しておいて最後の最後にスライムだ。
そりゃあ、自分がラブリーだってことは百も承知だけど、人間にとって百人が百人ラブリーと思ってくれるとは限らない。しかも人間だと思ってた女の子がいきなりスライムになってプヨンプヨンしてたら驚くでしょ、叫ぶでしょ、逃げるでしょ、普通!
「あんたみたいなコムスメ、別に怖くもないわ。そんなあんたが使役する魔獣だって怖くないわ。もっと怖いのは人の皮をかぶった悪魔みたいな人間よ」
いや、まさに私、人の皮をかぶったスライムなんですけど。
あれ、でもこの反応おかしくないか?
いくらおかま店長でも目の前でスライム変化した人間を見たら、騒ぐだろう、慌てるだろう?
おっかしいなと思って、自分のラブリーに変化しただろう魅惑のぷにぷにスタイルを見下ろしたら、何と人間の姿のままだった。
「あ、あれ……」
両手を目の前に持ってきて握ってみた。五本指の人間の手だ。視線を下すとさっき準備してもらったお店の制服を着た少女の脚があった。
そして。
人間の姿のままの私の真ん前のテーブルの上に、魅惑のぷにぷにしたスライムさんが揺れていた。
「まさ、か。分裂……っ」
テーブルの上で愛を叫ぶスライムさんは、私の意識から切り離された存在のようだ。
ただ意思の疎通は可能のようで、一方的に最大級の愛情を与えられている状況だった。
思わず両手で自分の身体を確かめる。右手で胸を叩くと、確かに身体の奥に私のスライム本体の核の存在を感じた。
「な、なんで、なんで」
私の焦りに同化したように身体の奥から、音が聞こえる。ドクン、ドクン、と音が聞こえる。
「ちょっ、コムスメ、なにやって、お、俺の前で揉むな!……ど、どうしたの、コムスメ。胸が痛いの? なんでいきなり泣きそうな顔になってんのよ? あ、それとも何かギルドに忘れ物したの?」
「忘れ……確かに」
これじゃ本当にアムネジアだ。
スライム本体への変身が出来なくなっていた。山では変化できたのに、変身の仕方をわすれてしまったかのようだ。
「あ……私の核が、心臓になってる?」
人間の小娘の姿になった時は、意識して動かなかった心臓の動きに似せていたのがあだになったのか。
それに気づいた瞬間、両の眼から温かい水がぼたぼたぼたと零れだした。
なんだ、これ。
「うわっ、な、泣くんじゃないわよ」
慌てたおかま店長がきれいに折りたたまれたハンカチを出して、温かい水を拭ってくれた。
でも止まらないのだ。止め方がわからない。
この温かい水と一緒だ。どうやったら止まるのか、どうやったら元に戻れるのかわからない。あんなに簡単に変化していたのが嘘のようだ。
両手で左胸を押さえつける。この身体の奥にスライムの核が鎮座していた。
この人間の心臓と同化してしまったようだ。ここにあるのに、思い通りにならない。
第二の人生を勝手に始めてしまった私の本体は人間の身体の檻から逃れることが出来なくなっていた。
よ、よし。気を取り直してもう一度と、変身しようとしたら、また別のスライムを生み出してしまった。
「あら、今度はヒールスライム? こっちはポイズンスライムじゃないの。なるほど元々はスライム使いなのね。聖属性のスライムを使役してほかの魔獣を隷属させたのかしらね」
ちがーう!
いや、違わないのか。
スライムでおいしくもぐもぐした結果がこの魔獣ハーレムだもんね。
それより、もっと切実なことがある。
……こんなんで私、YDSとして存在していいのだろうか。
少しシュンとして、それからはっと顔を上げた。
期せずしていつの間にかあなたのお隣作戦成功してるじゃないか!
脊椎動物への進化、のぞむところだっただろう、私!
そんな風に落ち込んだり、舞い上がったりと忙しく表情を変えている私を、おかま店長イーニアスは目を細めて見ていたのだ。
あ、訂正。
キッズスライムまみれになってる私と、私をテリトリーに囲い込もうと互いに威嚇しあっている魔獣達を、だ。