人それを処世術という
―――――惰性で始めた宝石店は、その日も朝から客の切れ目はなかった。
商業ギルドの隣の一等地に建つ店は、それなりの客層にそれなりに知れている。
物腰柔らかく笑顔絶やさず、客には下手に。気持ちよく金を生み出す魔法だと思えば、それはたやすい。
ここで得た金は、自由に研究に費やせるし、何より一人で実験棟にこもっているよりはマシだと思って始めた魔宝石店だった。
大体が、職人よろしくまじめに仕事をしていても、威圧的に作品を強要してくる奴らばかりが相手だった。
ならば最初から明確な値段をつけて店を出した方が都合がいい。幸い、国から依頼された魔石の研究で得た資金は、今も継続して財産を生んでいた。
身分を笠にきて魔石細工を要求してくる相手や、私の築き上げた研究成果を欲して引き抜きを図る貴族達が目立ってきていた頃だった。
店を出すにあたり商業ギルドの管轄下で、国とギルドと私の合資という形でこの場所に収まった。
国にとっては有能な魔石技師を手放さずに済むという利点が、商業ギルドにとっては優良店舗の出店に伴う地域の活性化が見込めるという利点が、そして私にとって、営業妨害をする相手に、国と商業ギルドがにらみを利かせてくれるという利点があった。
まあ、小さな嫌がらせはあった。それも最後には商業ギルドの顔役に追い払われるのだが、いつも『女みたいな顔しやがって』とか、『ギルド長の男妾』とか言われてた。
腹は立ったけど、花街の女衆に魔石細工を納品した時に、言われた言葉で目が覚めた。
『店長、眉間に皺寄せて威嚇してたら、いい客だって逃げちまわなぁ。笑いな、笑いな。美人の笑顔の前じゃ、どんな男も形無しさぁ』
誇りさえ失わなければ、どんな格好していても、どんな仕事についていても、顔を上げて生きて行けると彼女たちは笑っていた。
『あたしたちが男を上げさせるのさ。そう思えばこの商売もわるくないだろ? 男をその気にさせて、煽ててあやして、舞い上がらせるのさ。そしたら気持ちよ-く働けて家に帰れば嫁の機嫌だって取るだろう、子供に土産も買うだろう? 気持ちよく遊んで、気持ちよく払って、置屋も潤う、あたしたちも潤う。おまけに金が早く返せて、年季が早くあける。耐えたぶんも金が貯まって、明日も笑って生きて行くのさ。どうだい、悪い事ばかりじゃないだろう?』
……初めて女装した姿を見た彼女たちは、とんだ商売敵を作り上げたと笑っていた。
だが、腹はくくった。
私も彼女たちのように、技を売り、夢を売るんだ。
「あの人」が夢を追いかけたように。
鎧のつもりで施した化粧が、日々進化し、内心をうまく隠してくれた。
女性客が増え、その女性客に付き添う貴族が増えた。反対に横柄で横暴な貴族の数が減っていく。難癖を付けている際に、来店した女性客がどうも高位貴族の奥方だったらしい。
いつしか疎ましく感じていた美貌すら、この店を守るための武器だと思うようになったら、いけ好かない男の客にも笑顔を自然とむけられるようになっていた。
毎朝、どこから見ても隙が無いよう粉をはたき紅を引き、戦闘服を選ぶ。
整えられた爪さえ、鋭い武器になるように念入りに所作を確かめる。腕の動き、足の進め方、目線の流し方、物を取る時の仕草まで計算付くで、美女を演じる。
華やかに見えるよう、衣服にも、装飾品にもこだわって、それでも鏡を覗き込む。
嫣然と華やかに、微笑んで見せると、鏡の向こうの傾国が笑った。
そして、いつしかこの街の貴族女性の流行の先駆者となっていた。
貴族婦人の紹介で、多種多様な職人たちと交流が始まった。
はじめに仕事を一緒にしたのは服飾を扱う職人だった。その次は化粧品を扱う職人、革を扱う職人、と出会う職人が次の職人を連れてくる。
研究するのは楽しかった。
女性を美しく見せる生地の裁ち方、縫い方、色の調和、配置まで頭を突き合わせて考えた。
化粧もそう。軽やかに色をのせる方法、発色をよくするための原材料の選び方。はてはその開発まで。
その次は女性たちに贈るべく、情報の管理と発信に突き進んだ。商業ギルドが先頭に立って、初の女性向け情報誌を作成し、売り出した。
大反響だった。
特に美容のために何に気を付けるべきかの、美容方法の発表は画期的だった。美しくあるための影に努力があることを、男は知らなすぎる。
そしてまさか王妃様から、この美容と服飾の情報誌が絶賛されるとは思いもしなかったが、美容と服飾は女性の永遠のテーマなのだな、と思い知った瞬間だった。
いつの間にかこの街は、女性の美と健康の発信地となっていた。
手を変え品を変え、この国の技術を盗もうと潜入してくる者は後を絶たなかった。
金をちらつかせるもの、地位を用意するもの、後はそう、力を誇示して見せるもの。
技術者を守り、その技量を発揮してもらいたいこの国と、商業ギルドは、固く手を組み、技術者たちを守り、技術者たちは守られる。
いつもと同じ一日のはずだった。女性たちを美しくする術を教え、技能を守り、外道を迎え撃ち、煙に巻くために爪を磨く。
いつもと同じ一日の幕開け。……のはずだった。
目の前に氷牙狼が表れる日が来るとは思ってもいなかった。
しかも青い魔石があしらわれた首輪をして、魔獣使いの従属のあかしを露わにしてある。
これほどの個体を従属している魔獣使いなど聞いたことがない。
これはこの国に対する威嚇か、それともけん制かもしれない。
この国の最重要施設である商業ギルドに、接近を果たすほど有能な魔獣使いが、何を考えてこの国に来たのかを突き止めなければならない。
ギルドの制圧か、有能な魔石技師である私の連行が目的かと、目を離さずに窺う私に、氷牙狼が差し出した袋。
恐る恐る受け取ったその袋の中を改めて、一気に青ざめた。
中に納められていたものは、傷一つない見事な魔石だった。
艶々と輝くそれは恐ろしいまでの力に満ちている。
魔法陣を構築する技術者にとっては、喉から手が出るほどに欲しい媒体だ。
こんな見事な魔石があれば、構想だけで夢だと言われていた、あらゆる魔法陣が構築できるようになるだろう。
だが同時に、市場がひっくり返る代物だった。……いや、市場どころか、国家間の力関係までも。
……この国における魔石の所得所有率は各国のそれより抜きんでて高い。
腕のいいハンターが揃っている事も理由の一つだが、何より、魔獣の生息域に近い事が大きかった。
この国は古来より魔獣を狩り、人間の生息域を広げることに邁進してきた戦闘国家だった。
だが最近では、魔獣が身の内に抱え持つ魔石を取り出し、加工して他国へ輸出して生活を支えるようになって来ていた。
……魔石を生活魔法の動力源とした魔石構想は画期的で、それまでの人間の生活様式を劇的に変化させた。
村を作り、街を作り集団で行動していた人間達と、野生のまま各地を荒らしていた魔獣は、相対すべき戦う相手だった。
だが時折、倒した魔獣から取れる魔石の存在が、長く続いて来た関係を変化させた。
魔石の持つ可能性が明るみに出たおかげで、魔獣の持つ不可思議な力が人間にも使用可能な力だと、広く認められてしまったのだ。
結果、飛躍的に世界情勢は変わった。
それまでは狩猟民族、戦闘民族として他国より軽んじられてきたこの国が、一躍世界の頂点に飛び出したのだ。
結果、世界市場は沸いた。
魔獣を狩れば一攫千金だ。世界中から腕に覚えのある者が集まり、一地方の商業ギルドが世界中の注目の的になってしまった。
魔獣の持つ魔石を動力源として加工する技術に着目しそれを確立した、とある学舎の生徒達は全世界から喝さいを浴びた。
各々が出身国に歓喜と称賛と共に迎えられることとなったあの時。
私は、仲間と共に迎えられるだろう、その輝かしい未来を疑いもしなかった。
私達を明るい場所へ導いてくれたあの場所もあの人も、輝かしい未来と、称賛に彩られた物となるのだろうと、ただただ、無邪気に思っていたのだ。
皮肉にも確立証明してしまった魔石の有効利用法が、私達の騒がしくも愛すべき学舎を、この地より失わせてしまった。
じわりと腹を焼く怒りに身を任せそうになるのを、押し込んでさらに思考を続ける。
彼女が教えてくれたことを、忠実になぞるのは、もはや鎮魂以外の何物でもない。
考えることをやめてはいけない。固定観念に捕らわれることなく、自由に思考を羽ばたかせ、何度でも深く深く考える。
―――――その学舎は、名もない、金もない、明日をも知れぬ腹を空かした貧乏学生達の楽園だった。
どこの国の学舎であっても成果を出さねば、研究費は切られる。
だがその大国の一地方にあった、小さな小さな学舎は、取るにたりない研究生にも、資金を惜しまなかった。
あの当時は分からなかったが、あの学園は大国が出資した国立の学園とは違い、一地方貴族の慈善事業だった。
学園長は柔和な物腰の女性だった。大国の名のある貴族で、この学園は私の理想を実現するための実験なんだと笑っていた。
優しい柔らかな声で、小汚い私たちを導き、清潔と食事と知識を与え、時に褒め、時に諭し、学習を繰り返すことで知識の定着を図れることを立証しようとしていた。
日々の学習とも言えない、些事の繰り返し。
だが質の悪い環境を補って余りある学習意欲だった。何せ、学ぶだけで飯が食えるのだ。
孤児や食いっぱぐれた農民たちが群がった学舎に、足しげく通ってくれた学園長は貴族のご令嬢だった。
他家貴族には、しょせん金持ちの道楽と軽んじられた。
あの当時、貴族にもてはやされた学園とは、潤沢な予算に裏打ちされた贅沢な備品と、著名な学者達による授業だった。
だが、平民や農民相手の生きるために必要な教育では、そんな授業、望めるはずもない。嘲笑を浴びせる横柄な貴族たちの蔑んだ眼差しを思い出す。
もっぱら学園の考えに賛同してくれたという、女性の侍女や護衛騎士、屋敷の使用人……使用人であっても高等教育を施されていた……が、私達に施す授業は、本来なら貴族ではない私達には得られるはずがない知識だった。
そして彼らは、読み、書き、計算はもとより農民として独り立ちするのに必要な知識まで与えてくれた。
畑の耕し方、肥料のやり方とその時期、食べられる山菜、木の枝の剪定、木の実の選別、収穫方法。畑を荒らす魔獣の種類と効果的な罠のつくり方、魔獣ごとの的確な倒し方。綺麗な皮のはぎ方と、なめし方。獣脂の取り方、肉の加工法まで。
……そしてまれに魔獣から採取できる魔石の取り出し方法も。
初めて魔獣から取った魔石は、商業ギルドで買いたたかれた。
きれいに魔石を取り出すと買い取り価格が跳ね上がった。
価格が上がれば腹いっぱい食べられて、そのうえ商業ギルド内の格付けが上がる。一石二鳥とはこのことだと張り切ったものだ。
やがて、魔石にも魔石ごとに特性があることに気が付いた。
商業ギルドで鼻で笑われた事柄も、学園はガキの戯言と切り捨てずに、柔軟な考えを止めてはいけないと私達を励ましてくれた。
まさか、そんなわけはないだろうと思われていた魔獣特性を持つ魔石の取り出しに成功したときは身震いがした。
魔石に一定の強度で圧力を加えると、もともとの魔獣が持っていた魔獣特性を発現できるという事に気付いたのもこの頃だ。
そこから魔法陣の構築が得意だった私が、効率よく魔獣特性を引き出す魔法陣の作成に成功すると、世間の目の色が変わった。
彼らには私たち生徒が金の生る木に見えたのだろう。
新たな研究施設を提示され、家族ともども移り住む者、国お抱えの研究者になった者、家族をあてがわれ柔らかな檻にそれとわからず捕らわれた者。
それでも彼女は私たちの好きにさせてくれた。
研究成果は私達のものだと言い切って笑って見送ってくれたのだ。
今も耳に残る声が繰り返す。
『夢を夢で留めるのか、実現させるかは、あなた方の気持ち次第』
『夢を形にするのも、夢で終わらせるのも、自分自身なのだから』
そして。
『自分で自分にここまでだと線引きするのはお止めなさい。諦めない限り、いつか道は開くものよ、だから……』
学園長の澄んだ青い瞳と、やさしい声が忘れられない。青い目を細めて、優しく前髪を撫でてくれた繊細な指を思う。記憶に残るあの人は、いつも光に満ちて輝いて見える。
ふっと現実に立ち返れば、押し寄せる現実に押しつぶされそうな自分に、苦く笑う。
現実にあんなことが起こるなんて、夢にも思わなかった。
後悔ばかりが降り積もる。
『―――――振り返らずに、前へ進みなさい』
学園長の懐かしい声に、背中押されて前を向く。
気を取り直して掌の中で転がした魔石は、今まで見たことも無い傷一つない物だ。
おそらく偶然取り出せた一級品だと思うが、氷牙狼を使役する魔獣使いならば、あるいは画期的な摘出方法を確立したのかもしれない。
それとも。
新たな魔石産業に着手したという、他国の意思表示なのかもしれない、と思い至る。
これは容易ではない案件だ。まずは、真意を探らねば、この後の国との折衝にも差し支える。
この魔石を持ってきた氷牙狼に目線を向けると、私の視線を感じたのか、ひらりと踵を返して走り出した。
「っ、待ちなさい!」
氷牙狼の姿を慌てて追いかける。
逃がしてはいけない、彼の主人が何を考えてこの国に潜入し、商業ギルドのそばに現れたのかを突き止めなければ。
彼女の意思を継ぎ、平民たちへ広く魔法陣を与え、生活の利便性を図ることが、私に残された使命なのだから。
だから私は、何も考えずに前を行く氷牙狼の後を追いかけた。
***
そして、目の前には少女と氷牙狼。
こわごわとこちらを見上げてくる少女の顔に、懐かしい面影が重なる。
だが、挫けそうになる自分を奮い立たせる。
目の前のこいつは得体のしれない敵国の間者だ。甘く柔らかそうなあのひとの面影で、私をごまかそうと画策する敵国の回し者に違いない。
意のままに男を煙に巻き、操ろうとする悪女に違いないと思うのに。
……くそ、頼りなくへにゃりと眉を下げるんじゃない! まるで私があの人をいじめてるみたいじゃないか!
この少女の背後に潜むは、他国の思惑。もしくは売国奴の思惑。
おそらくは、私を取り込もうと動く貴族の陰謀だろう。だが飲み込まれはしない。
目の前の少女は、敬愛すべき学園長であった、大国ナデイルのミルーシャ様に瓜二つだった。