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下等生物は同情を売りに出す

 こんにちは、やればできるスライム。YDSです。

 想定外でした。

 あの高級店の店長、おかまのくせに足が速いのなんのって。少しでも気を抜くと追いつかれそうなんですよ。氷獣の足に匹敵する健脚の持ち主ってすげえ、なんて感心してる暇はない。

 計画が成るか、成らないかの瀬戸際なのに、くっそ!

 ひらひらした衣装を身に纏い、薄く化粧までした店長は、一見すると天辺からつま先まで整えられた艶麗美女だ。だけど、その、生物としての存在感が、他者と一線を介している。あんな格好しているんだから簡単に撒けると思っていた過去の私よ、ちょっと出てこい。

 生活感あふれる街かどを、全速力でわっふるわっふる駆けながら、当初予定していた地域で焦ってるYDSです。氷獣の脚力でかなり引き離したけど、かかかかかっとヒールが鳴らす音に、背中が震える。

 ここら辺は程よく治安の悪い場所で、よく女子供がかどわかしに合う場所なのだ。

 早々に洗濯物を盗んで身に纏うつもりが、あんまり店長さんが速いので、洗濯物を物色する暇がないのだ。ワンピ無いのか、ワンピ。乙女なスライムにとって親父の半股引は敵だよ!

 仕方なく駆け抜けざま、干されてたシーツを何とか口に咥えた。

 早くしないと足の速い店長が追いついてしまう!

 ばっとシーツを空に投げ、ふありと被る。比較的スムーズにできる様になった、身体変化に集中する。

 急激な擬態に、体中ががくがくしているが、それでも人間としての滑らかな肌に、ほっとした。

 なんでだろ、この姿が一番しっくりくるのよねー。あれかな、下等生物としては脊椎動物にあこがれのような感情を抱くからかしら。

 そんなことを考えながら、頭から被ったシーツの中でもぞもぞ。立ち上がろうとしたら、足がもつれて転んでしまった。膝が地味に痛い。わぁ、痛覚だ、懐かしいなんて感心してる場合じゃないよ。

 駄目だ、起き上がって二本足で立たなくちゃ。店長さんの処に行かなくちゃ、せっかく繋いだ縁が切れてしまう。

 ふるふる震えながら身体を起こそうと、両手をついた。

 力がうまく入らなくて、またべちゃりと伏せる。

 くそったれ、もう一回だと、両手で身体を押し上げて、さらに腰を上げ両膝を伸ばす。あれだ、バンビだ。プルプルしながら手を放して立ち上がる―――――かくん、と力が抜けてへたり込んだ。

 ……どうやって人間って立って身体を支えてたっけ? こうしてみると、四足って楽だったんだね。

 手のひらや膝に走る痛みにふるふるしていると、頭の上からガラの悪い声が聞こえた。

「……は、こりゃすげえ、上玉だ」

「…………ぅう?」

 獣の声帯から人間の声帯に変化したばかりだから、うまく声が出せない。

 でも聞こえてきた声が、店長さんの深みのある声じゃない事に安堵する。やだなあ、だみ声聞いてほっとするなんて。

 なんとかこの人間にも擬態する処を見られずに済んだようだ。用心深く耳を澄ましても、だれも私の変化に驚いている様子はなかった。あの店長さんにも暴漢に襲われて~とか言おうと思っていたから、ちょうどよかった。現実になる。

「おい、女、どっから逃げてきた? いや、そんなこたぁ、どうでもいい。こっちに来な!」

 ぐいっと手を引かれて、目が胡乱に座った。

 私の不機嫌が伝わったのか、動かない私に業を煮やしたのか、汚いおっさんが私を睨みつけてくる。

「ふん、そんな顔したってもう遅い。せっかく逃げてきたようだが、生憎だったなぁ」

 汚い歯茎をむき出しにして笑うおっさんに、負けずと私もにやりと笑った。

(……どっちが、お生憎だったのかな)

 私はゆっくりと口元を片手で覆った。

 この数日、これが出来るようになってから何度か試したが、対人相手に使うのは初めてだ。

 掌の中に転がり落ちる、透明な、どこまでも透明な青い珠を握りしめた。澄み渡った冬の海の色だ。そして今、私の瞳の色は赤く燃えているだろう。手の中の青い珠に口づける。

「さっさとしないか、女!」

 取り乱すことのない私の様子に、いらだった男が、力任せに腕を捻りあげるのと、私が青い珠を地面に転がすのは一緒だった。

「こい! 今日から俺がお前の主人だ!」

 唾を飛ばして威嚇してくる男の背後で青い珠が、ちかりと光った。

「聞いてんのか、このっ……」

 躊躇なく振り上げた腕。女を殴って言うことを聞かせてきたのだろう。その流れにためらいはなかった。

 男の顔を冷めた眼差しで見つめていると、ぱんっと頬が鳴った。じわりと熱が集まる。

 ふふんと笑う男に、心底嫌気が走る。

 暴力で女を意のままに操ろうとする心持が気に食わない。そして初めての実験に対するかすかな罪悪感が霧散した瞬間だった。

「……守れ」

「あぁ?」

 男がいぶかしげな声を発した瞬間。

 私の腕を捻りあげていた男の腕に、その場に現れた氷獣が噛みついた。

「っぎゃあああっ! いてえ、いてえ、いてえ!」

 無様に腰を抜かした男が、噛まれた腕を引き抜こうとやみくもに暴れはじめた。窮鼠の勢いに外れた歯をむき出しにして、氷獣が唸り声をあげる。

 まるで、夜叉のような顔。獰猛な獣だ。

 その獣の目が自分に注がれている事に気付いた男がひっと息を飲む。あわあわと四つん這いで表通りに逃げ出した。すぐに後を追おうとした氷獣を私は引き留めた。

 氷獣は困ったような顔でちらりと私を見た後、男のことを忘れたのか、尻尾を振りながら肩口に懐いてきた。縺れながら逃げていく男など、もう気にする必要も無い。

 私は氷獣のモフモフな背中に手を入れて、そっと彼を抱きしめた。

 ―――YDSな私は、この数日で新しい技を身に着けていた。

 ひょんなことから人間の姿に擬態できる様になってから、私の中のやる気スイッチが入ったのだ。

 本能イコール食欲だったあの頃と違い、やはり人間は考える葦。

 今の自分に何ができるのか考えて、行動した結果できることが増えていた。さすが脊椎動物。

 それは、スライムなままでは考えもつかなかった技だった。

 魔獣の核を利用して絶対の守護者を作ること。

 いくらYDSな私でも、最下層の下等生物なのは間違いない事実。我が身を守るすべを持つことが、生きる上で最優先だったのだ。

 自分自身の身体を媒介にしないと魔獣の力を使えないのでは、いつか破綻が訪れる。だから、何とかYDSな私を守る存在を作りたいと思ったのだ。

 スライムな身体から魔獣の核を切り離すのは結構な賭けだったけど、核を意のままに操ることができたのは幸いだった。本体を消化吸収しているからこそ出来る裏技なのだろうか。……切り離した瞬間ぱっくんされる事も考えていたから、あらかじめ、強い個体の姿で挑んだけどね。

 身体から切り離された魔獣の核は、宿主のいうことを忠実に聞くらしく、私が守れと言えば私を守るし、戦えと言えば戦ってくれる。

 なんていい子!

 褒めると喜ぶし、撫でると喜ぶし、こっちもそれじゃあとばかりにモフればモフるほど、腹を見せてもっともっととねだってくる。全身で甘えてくるのだ。

 かーわーえーえー、と全霊をかけてモフっていると、周りを囲む他の魔獣達がすねるので大変なくらいだ。

 ……そう。私は素晴らしいガーディアンを各種取り揃えることが出来たのだ! 

 いや六足熊とかワニとか蜘蛛とか蛇とか謎の水中生物とかばっかりだけどね。しっぽが蜥蜴的な猫とか、いかにも獰猛ですよ―な面相の、小型生物から順に巨大化していく猛獣図鑑も真っ青な、各種野生、取り揃えだけどね。

 言っておくけど、癒しはない。

 彼らがすねるとマジで涅槃を覗くことが出来るのだ。

 蛇なんか身体に巻き付いてぎりぎりしちゃうし。

 ワニなんか大きな口の中にぱっくんしてYDSな私を持って帰ろうとするし。

 蜘蛛なんかもう愛するあまりに自分に縛り付けようとするんだ。

 これってもしかして捕食じゃないかと思うほどのドsぶり。

 ……何も言うまい、六足熊の求愛も、蜥蜴しっぽ猫の給餌行動も、謎の緑生物が水の中に引き込もうとするのも、ピンクの鼠が周りを威嚇するのも、これも愛。あれも愛。きっとおそらく愛なのさ。

 YDSじゃなかったら、間違いなく息を止めていただろう過激な求愛行動を、遠い目で思い返していると、街角が一気に騒がしくなった。

 表通りで無様にあの男が泣き喚いていた。助けてくれ、魔獣だ、と叫ぶ声に悲鳴が重なる。

 人が集まりつつあるようだ。こちらへ向けて駆けてくる幾つもの足音が聞こえる。

 ち、と舌打ちをして腰を上げようとした時。

「―――おい! 大丈夫か、こっちに危険な魔獣が出た、と……」

 目をまん丸くした衛兵らしき男と、目が合った。衛兵の顔がみるみる赤く染まる。私から視線を放さず、衛兵は懐から魔石を取り出すと、地面に叩き付けた。

「ち、違うっ。この子は私を「警告するっ! 表で騒いでいる男を捕縛せよっ! 人攫いの現行犯だ、絶対に逃がすなっ!」たすけ……え?」

 魔石が砕け、かっと光った瞬間、男が発した声が大音量で辺りに響いた。

 あれれと思っているうちに、各所から集まった衛兵たちが、例の男を縛り上げているのか、怒鳴り声が切れ切れに聞こえてくる。

「……あ、れ……?」

「なあ、大丈夫……じゃ、なさそうだな。立てるか? どこから浚われてきた?」

 脅かさないように距離を保って声をかけてくる衛兵は、労わるように尋ねてくる。

 あ、これ、被害者だと思われてるわー。確かに被害者だけど、単なる被害者じゃないんだけどな。

「あ、あの、」

「ああ、無理に話すことはないぞ。その、怖がるなってのは無理かもしれないが、俺たちはこの街の治安を守る衛兵だ」

 差し伸べられた手を、取ろうか取るまいか考えている私の耳が、勢いよく走って来る足音をとらえた。

 氷獣のふっさふさの耳がピンと立ち上がる。この鋭角的な足音。

 向かう先の角から見知った顔が現れた。

「ああ、ちょうど良かった。レジオン、ここらでワンちゃんを見なかったかしら、綺麗な銀の……」

「「「あ」」」

 現れたのはおかま店長だった。

「ワンちゃんっ」

 高級店舗のおかま店長は、氷獣を認めて相好を崩した。

 そして彼が守るようにしている私を見て、目を見開き、動きを止めた。奇妙な時間が過ぎていった。

 私はこてんと小首を傾げた。

 おかま店長はそんな私の様子を見て、我に返ったようだ。苦く、切なげに目を細めて微笑んだ。

 とても綺麗な微笑みだった。

「あなたがこの綺麗なワンちゃんの飼い主さん?」

「はあ」

「ちょっと待てイーニアス、知り合いか」

「あら、レジオン。……ねぇ、これはいったいどういうことかしら」

 ちらりと私の現状を確認すると、おかま店長改めイーニアスの眉間に皺が寄る。レジオンと呼ばれた衛兵は、俺は無実だと言わんばかりに両手を上げた。

「警邏中に市民から危険な魔獣が現れたと訴えられた。言われた場所に来てみれば、可憐なお嬢さんが頬を腫らして蹲っている。そして騎士よろしく威嚇してくる魔獣がいた」

「女の子を殴る男はみんな死刑でいいと思うわよ」

「……最後までちゃんと聞け。その魔獣はどう見ても、彼女を守っていた。あの姿を見て危険だという男の方がよっぽど危険だ。だから訴えてきた男の捕縛命令を出した」

「賢明ね」

「俺の事情はそれまでだ。で、お前は?」

 レジオンが話を促すように肩をすくめた。

 イーニアスが話し始める。

「私は、最高品質の魔石を持参した賢いワンちゃんを追いかけてきたのよ。飼い主のもとに案内するそぶりを見せるから、思わず全力で追いかけてしまったわ」

「ほう。イーニアスが髪振り乱して、追いかけるなんてよほどすごい魔石だったんだな……で、誘導されてここか」

「ええ、そうよ」

 頷き合った二人が、次いで、図ったかのように私を見た。

 一瞬、背筋が寒くなったのは、気のせいじゃないと思う。

「……お嬢さん。悪いがこれも仕事でね。どこで浚われたのか、どうやってその魔獣を使いに出したのか、伺っても?」

 レジオンの言葉に、ここが正念場だとこぶしを握った。

 おずおずと顔を上げると、二人の視線が突き刺さる。

 ……よーし、有る事無い事並べ立てて、同情を買おう! 悪い事はぜーんぶあの男のせいで!

 いい? と氷獣と顔を見合わせて、意思疎通を確認する。腕を伸ばして氷獣の首根っこにしがみ付いた。氷獣もくぅ~んと甘えた声を出した。彼ら二人に緊張が走った。

「あ、あの……ここはどこですか? 私、以前の事も良く覚えていないのです。気が付いたらここに」

 これは本当のことだ。どうしてあの竪穴にいたのか、始まりが何時なのかなんてわからないままだ。

「私は、ただ傍にいてくれたこの子に、誰か頼りになる人を連れてきてと頼んだんです」

 これも本当。数日観察していたこの街の住人の中で、一番頼りになりそうだと感じたのが、おかま店長だったのだから。

「この子に魔石の入った袋を持たせたのは、あの男に取り上げられずに済むと思ったから。先に逃がしたのは、必ずこの子が誰かを連れて、私のところまで来てくれるだろうと、そう、思ったからです」

 本当なら合流した店長さんに暴漢に襲われたんです~とか言って、同情を買うつもりだったけど、現実になったから、心が痛まないね!

 この数日で集めたクズ魔石は結構あるから、店長さんが機嫌良く買い取ってくれるといいんだけど。

「この子を逃がしたのが男にばれてしまって。私も慌てて逃げたので、どこをどう走ったのか、覚えてません。すいません」

 ここでぺこりと頭を下げるのも忘れない、私は立派なYDS。

 どうだろう、何から何まで謎のままだけど、ごまかされてくれないかな。

 そうおどおどと考えていたのが、表面に出ちゃうのが、下等生物の悲しさよね。

 窺うように見上げた私を、困ったように見下ろしていた男とおかまは、そろってため息をついた。



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