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皇王と聖王

 濃紫の髪、濃い藍色の瞳の男は、何度も自分に言い聞かせた言葉をつぶやいた。


 こんどこそ、彼女のために死ぬのだ。 


「猊下、どうぞ騎竜をお使いください。それからこちらを」

 休むことさえせず、去ろうとする男に、皇国の王が懐から取り出した瓶を差し出した。

「いらないよ。これはね、贖罪の旅なのだ。身一つでたどりつかねばならない。それよりもこの色、貴重な薬ではないか」

 皇王であるからこそ買取が可能だった薬だ。だがもはや、使うあてがない薬でもあった。

「シードレイク商業地に腕のいい薬師が居ついたようです。注文しても手に入ることなどない薬でしたが、一月ほど待てば手に入るようになりました」

「本物の黄泉がえりの薬か」

 神の国に一番近い男だからこそ、知りえたことがあった。

「ええ。即死でさえなければ生還できる、欠損修復も可能と歌われた薬です」

 常人であれば、何を馬鹿なと笑って済ませるだろう。

 だが、相手は皇国の王で、シードレイク商業地のお墨付きだ。

「それほどの薬、自分のために持っているべきだろう」

「これは自分のために買い求めたモノではありませんから」

「……ああ、そうだったな」

 寂し気に薬の瓶を見つめて、淡く笑う皇王。聖国の聖神官として対話をした折に、彼の娘の冥福を祈ったのはずいぶん前だ。苦い思いをかみしめる。彼もまた間に合わなかったのだ。

「どうぞ、役立ててください。あの悪魔に一矢報いるためにも、猊下は生きねばなりません」

「では、これから先、私が神の国へ行くその時まで毎朝、未来を奪われた娘たちのために祈ろう」

 その言葉に、やっと小さな安堵を見せて、皇国の王は続けた。

「それでは猊下、件の魔獣使いへの探りは、皇王の名のもとに執り行います」

「……では、その一行の中にぜひ聖神殿の者を使ってくれ。あれを引き入れた元凶だ」

「それは……、罪を詳らかにしなければなりますまい」

「かまわない。あの者たちには、かならず血の一滴、肉の一片であっても残さずその手で回収せよと伝えてある。集めさせた血肉もすべて、あの穴に投じた。いつか彼女が戻るまで、贖罪のために尽くせと言いきかせてある。火稜鳥の発生は希望なのだ。渋るのならば、天への道が閉ざされると脅せばいい。従ったところで破門は覆ることはないがな。この凶事は、私も含め、すべて聖国の傲慢が招いたことだ」

「猊下」

「皇王よ。この先はもう私を捨ておいてくれ。私はもう、聖神官を名乗るつもりはない。この先は憎悪にかられた復讐者だ」

「それでも、それでも猊下は現人神で在らせられる。私が唯一ひざを折るお方です」


 そう言って、皇国の王は聖国の真の王である聖神官へ膝を折り、名を捨てた男は仕方のない子だと寂しく笑った。


 ***


 アリーシャと呼ばれた女がリヴァルトに撲殺されたあと、友とは音信不通となった。

 いや、ちがう。

 変わらず会っていた。

 だが、あれはもはや私の知るリヴァルトという男ではなかった。

 そして、そういう私もまた、私ではないものになっていたのだろう。

 記憶が飛ぶことに気付いたのはいつだった? わからないまま、あふれ出す焦燥感に身を焼いた。

 傍らのイルーシャを抱き寄せるリヴァルトの目はがらんどうだった。イルーシャは笑っている。花のように笑っている。

 リヴァルトは言葉少なく、イルーシャに付き従っていた。

 これは友ではない。そして私も、私ではないものに侵食されつつあった。

 かつて味わったことのない恐怖だった。

 無骨な友が、子供たちに見向きもしないことに何とも思わない自分に気が付いて、背を粟立たせ、そして気が付くとまた、イルーシャに侍って薄っぺらな言葉に酔っていた。

 ときおり訪れる一瞬の自我の起動。

 自覚は、さらなる恐怖を呼ぶ。

 聖水を頭からかぶって、なんとか自我を保とうと試みた。だが精神をイルーシャの微笑に侵食されていく感覚に、すがるような気持ちで手立てを探した。

 結局は外法と呼ばれる精神汚染の法を曲げて自分に施すしかなかった。

 自分の血を魔石に落とし、三日三晩月夜に照らし凝縮させて結晶石と化した魔石を、とぎれとぎれの自我をたよりに、おのれの心臓に打ちこんだ。

 心臓に打ちこまれた魔石は私の心臓を形どり、鼓動とともに身体中の隅々まで巡り行く。

 侵食していた他者の呪法も、血の巡りまでは管理できず、血流とともに、外へ押し出した。

 びちゃりと吐き出した血の塊は、おぞましく這いずり回り、生き物に取り付こうと蠢いた。

 忌々しくてたまらない。憤りのまま蠢くそれを踏みつける。

 いつこんなものに侵食されていたのだろう。この私がなぜ、こんな悪意の塊に気付かなかった?

 足の下の異形は蠢きながらも憎い、憎いと呟いている。

「言葉を発するということは、やはり人間の呪法か」

 分析をするも術者に辿り着けるか、五分五分だった。術返しを施し、踏みつぶす。

『ひいいいあああ、にくい、にくいいいいィィルゥゥゥシャアァァひゃああははは!』

 耳にするのも悍ましい、呪詛の声。聞いたことのある女の声だ。

 あの女。

 あいつだ。あいつが来た。そして、自覚とともに、絶望した。

 リヴァルト、お前が絶望のまま心を殺したのは、だからか。


 アリーシャ・イ・ル・ベルデュール。あの女はいつの間にかイルーシャと入れ替わっていた。

 

 そしてそれを自覚した瞬間にこの身を襲った絶望。

 真っ暗な闇に落ちていくような感覚。リヴァルトが撲殺した「アリーシャ」は、本当にアリーシャだったのか?

 それから、急き立てられるような焦燥感のまま、血眼になって消えた亡骸を探した。

 嘘であってほしい。

 どうか嘘であってほしいと願いながら。

 呪術に縛られ憔悴しきった聖国の神官たちを正気に戻した。私が私を取り戻した術でだ。

 外法だろうが関係ない。

 正気に返った彼らを魔獣調伏の為の術と同等の術で縛り、使役することに罪悪感は抱かなかった。

 聖神官である自らが、破門を言い渡した男達だ。直接声をかけ、呪術で縛った。

 お前たちが現人神と呼び崇めたてた私みずからが与えた試練だ、ありがたいと思ってもらわねば。

 精神疲労していようが、身体欠損で歩くことすらままならないが関係はない。聖王わたしの願いを叶えるために、その命、その血潮、最後の一滴まで使ってやる。

 私は決して忘れない。

 あの女の術に嵌ってしまった神官たちのせいでイルーシャは生まれた国を追われた。

 そして彼らがあの女を神殿に招き入れなければ、こんな事は起こらなかった。

 その責を求めねばならない。

 後悔にまみれるしかなかった彼らは、言い返すこともなく粛々と指示にしたがい、リヴァルトがアリーシャと呼んだ女の亡骸の痕跡を追った。

 

 ようやく見つけた時、捨て置かれた山中で、亡骸はボロボロのまま、ピンクスライムが覆いかぶさっていた。

 大きくなった体で、触手を伸ばし、土にしみ込んだ血を集めるように這いずっている。

「うわあああああ!」

 大声で叫んで、ピンクスライムを払いのけようとした。だが亡骸にかぶさったスライムはどんな術を放ってもはぎ取れなかった。どこに目があるのかをいつもイルーシャと論じていた。そのスライムの小さな目が私を認めた瞬間。ピンクスライムの身体に大きな変化が起こった。

 しゅわわときらきらした光の中に彼女が溶けていく。溶けて行ってしまう。泣きながら、やめろと叫んだ。なんで、どうしてと外皮をたたいていると(くー)と、ピンクスライムが力の抜けた声を出すから、私の動きも止まるのだ。彼女を吸収したこいつを殺せなくなるほどに、動けなくなるのだ。

「……お前、話せたのか?」

(くー)

 こいつは今までしゃべったことがない。

 ならば進化だ。こいつの進化は彼女の亡骸を吸収したからかと、いらだちまぎれにスライムを引っ張った。伸びが悪いのは精一杯身体を大きく開いて彼女を覆っているからだろう。

 だが、よく見るとピンクスライムも傷だらけだった。ところどころ食いちぎられてぼろぼろだ。

「魔獣にやられたのか……そうか」

 

 見渡せば、一目瞭然だった。

 ピンクスライムのまわりにはこいつと戦って息絶えたのだろう魔獣の亡骸が多くあった。

 酸で溶けたもの、毒で息絶えたもの、雷に打たれたように爛れたもの、火に焼かれたもの、鋭い何かで貫かれたもの、土で押しつぶされたもの、様々だ。

「……ああ、お前、そうか、おまえ……」

 じわりと涙があふれだす。

 術に囚われ、間に合わなかった自分を今ほど恥じたことはない。

 ピンクスライムは、ここで、たったひとりで彼女の亡骸を守ってくれていたのだ。

 こうして覆いかぶさっていなければ、彼女の亡骸はとうに魔獣に食い散らかされていただろう。

 ピンクスライムは、待っていたのだ。きっとリヴァルトがここへ来るのを待っていたのだ。

 でも、友は来なかった。だからあきらめて吸収したのだ。これ以上彼女を傷つけられないように。

「……ピンク。たのむ、ミルーシャとエルリックを守ってくれ。私はあの女の術を受けていて、あの女のそばには行けないんだ。頼む、あの子たちを、守って、くれ」

 ぼたぼたと涙がこぼれた。情けないと思う間もなく、涙があふれる。

 そして、友を思った。

 あいつはもう、流す涙さえ失ってしまったのだ、と。

 守るべき相手を殺してしまったときに、友の心も死んだのだ。

 ピンクスライムの身体は、まだ光り輝いている。

 温かく慈愛に満ちた優しい光に包まれて、投げ捨てられた亡骸は血の一滴も残さずに吸収されていった。


 謝罪もできないまま、見送る。

 最後の言葉も聞くことが出来なかった。

 それでも彼女の願いならば、分かっている。

 この忌まわしい術を解き、イルーシャが愛した子供たちを守るのだ。

 

 そうあの日に誓ったのに、ナデイルでもまた、ミルーシャのかけらを集めている。なんという悪夢だ。


 だが今度こそかなえてみせる。

 罪人の穴に落とされたあの子をを追いかけて、ここまで来た。

 あの子が可愛がっていたピンクスライムすら生贄として穴へ落とした。

 術の完成度を上げるために、ミルーシャの欠片も可能な限り集めてここへ来たのだ。

 

 あの時私は決めたのだ。悪魔に対抗するには悪しかないと。だから私も邪にも魔にも、悪にもなろう。


 そして迎えた第一級有害魔獣認定の火稜鳥が竪穴から解放されたあの日。


 幾重にもかけられていた、魔獣を外界に出さぬための結界術が断ち切られ、同時に、私の心を縛り付けていた最後の呪法の欠片が消えた。

 脳髄の奥の奥を掴まれていたあの感覚も、心臓に幾重にもツタが絡んだこの感覚も、術が消えて初めて、解放された事に気づいた。

 果ての地にぽっかりと開いた、罪人の穴を見下ろして、そこにあるべき魔獣の亡骸がかけらも無い事にも気が付いた。あるべき血臭も、邪にまみれた呪術の気配すらなかった。

 呪いにまみれ血にまみれ、邪にも魔にも染められて、目をそむけたくなるはずのこの空間が、一変していたのだ。

 暗く澱んで沈んでいるべきこの場所が、清涼な空気に満たされて明るく澄んでいた。

 ならば追うしかない。

 飛び去った火稜鳥が唯一の希望。

 そうして追いかけた先に、見た者は、いつかの夢の残像だった。


「あれは、だれだ」

 私はもう、狂っているのかもしれない。

 この世に居もしない者を現夢で見ているのだ。

 そうでなければ説明がつかない。

「夢だ、なあ、そうだろうリヴァルト」

 生命を謳歌している娘がいた。はじけるように笑い、服の裾を踊るように翻して走っている。伸びやかな足運び。弾むように娘の足元に色とりどりのスライム達が侍っている。

 そのうちの一体がこちらを見ていた。

 ピンク色の小さな個体だ。ほかのスライム達は見覚えがないが、あのピンクの個体だけは知っていた。私が捕獲し、あの子達に渡した個体だ。

「いまも、守ってくれているのだな……」


 私が捕獲した時でさえ、進化に至らない個体だったのに、この数年でそこまで成長してくれたのか。そして、至らないマスターの代わりに、守ってくれていたのか、と目頭が熱くなった。

 だが、もうあの頃のようには泣けない。

 泣く資格など私にはもうないのだから。

 守ると誓い、叶わなかった願いを今度こそ叶えるために。


 今、あの子の置かれた状況を確認するのに、少しかかった。

 あの子を保護してくれたのが、シードレイク商業地のミルーシャの教え子だったイーニアスだったのは、これ以上ない幸いだった。貧民流民の街とさげすまれていた土地ゆえに、あの女の興味は皆無だ。だが、まさかイーニアスがまだシードレイクに居たとは思ってもいなかった。あの頃真っ先にどこかの国に囲われたとばかり思っていた。何せあの魔法陣を開発した術師だ。

 少し、情報操作が必要だ。

 ちょうどいい。

 娘の目の前で唾を飛ばしながら、ののしり暴れる醜い女を使おう。

 だがその算段をつける前に、シードレイク商業ギルドが動いたことにも驚いた。

 歴戦の元Sランク冒険者、ヒュドラを退けたことのある大剣のアカガネの姿があった。

 ナデイル国近衛騎士団の若き団長になる予定だったレジオンの姿もあった。

 そして、娘の傍らには、銀色に輝く狼と、巨大な蜘蛛の魔獣の姿があった。

 姿は見えないが六足熊の気配も、黒大蛇の気配も、なんなら大鰐の気配も感じる。そしてまだ姿は見えないが、おそらく私があの穴に落とした数多の魔獣の気配をひしひしと。

 そこで、ようやく私は息をつく。

「では、これからはさらに慎重に動かねば」

 あの子が地獄から生還した今、また未来へ向けて足を運べるように。


「憂えるものは排除しよう。今度こそあの悪魔を消滅させてみせる」

 



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[一言] ピンクちゃんがヤバイ子でなくデキル子、YDSだった!!
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