下等生物は考える。
ここまで来ればもういいかな~。
赤い鳥の姿を模って、疲れるまで飛ぼうと羽ばたいていたが、一向に疲れが来なかった。
なんだろう、この反則級の身体能力。眼下で変わる地面の起伏を見ても、追いかけてこようとする人影はなかった。
俯瞰して周囲を見渡しても、矢をつがえている人もいない。……あれ、いつの間にか一山か二山越えちゃったか。
まあ、結構な距離を稼いだことは間違いないので、ここらで羽を休めても罰は当たらないだろう。
ふふん、私だって成長するんだ、今や脱マジックスライム、どっからどうみても脊椎動物! ただし鳥類、凶暴。
ふふーん。あ、そうだ。少し羽根を休ませたら、人間の住処に近寄れそうな動物の姿になってみようか。
人里に違和感なく入り込めて、可愛がってもらえてー、あわよくばご飯なんか差し入れされちゃうくらいの、圧倒的可愛らしさを追求しないと。
何が一番、かわいいか、ちょっと人里に下りる前に、試しに変化してみよう。
赤い鳥からマジックスライムの姿に戻ってぽよんぽよん揺れながら考えた。
愛玩動物ってモフモフよね。コロコロしてて、ふにふにしてて、保護欲をかきたてる愛らしさがないと駄目よね。
あの竪穴で惰性でもぐもぐしてきた魔獣達を思い浮かべた。
……あ、だめだ、初めのころは意識がなくてほとんど本能のまま捕獲してたからよく覚えてないやー……。
うむ、悩んだところで仕方がないし、まずは変化をしてみよう。
ぽよぽよぽよんと体を上下に揺らす。跳ね幅が増え高く飛び上がった時に、勢い付けて、えいっと前転した。
次の瞬間、そこにいたのは、四つ足の銀色の動物だった。見事なふさふさの毛並みに力強そうな足腰、そして鋭い爪。ふんふんと全身を見るために右回りにくるうりと回って尻尾のふさふさまで確認する。
うん。あの穴の中で野生の証明していた強い個体じゃないか。なかなかいいねと、ぐっと歯をむき出しにして笑う。獣としての魅力も然ることながら、この毛並みの見事さ……!
ふっかふかじゃないか!
耳も、尻尾も、鬣も、ふっさふさじゃないか!
これは、もふりがいがありそうな個体だね! 人間的には良い、もふ加減と見た! くふふ。この魅惑の身体の前には誰も逆らえまい。腰砕けになって私を精一杯もふり倒す『人間』共の姿が目に浮かぶようだわ! ふははは。もふるがいい! もふりたおして、私の奴隷になるのだ!
むふーん。
気分がいいので吠えてみようと口を開いたら、遠吠えのかわりに冷気の塊が飛び出した。
…………あ?
び、びっくりした。腰から下ががくがくして力が入らない。
つららが口から飛び出しただよ。先のとんがったつららが、どすどすどすっと地面に突き刺さっただよ。
思わずびびって、白い尻尾が腹の下にひゅんてした。地面に突き刺さったつららに、腰を抜かしてぷるぷるしてる銀色の魔獣の姿が映っている。股間がじんわり濡れて冷たい。
だめだよ。うおんって吠えようとしたら、口からつらら吐いただよ。そんなんありえないから。
愛玩動物としての定義から激しく逸脱しているよ。これは餌をくれて可愛がろうとする個体じゃなくて、毒入りのえさを仕掛けて駆除する方向の魔獣だわ。姿は理想形なのに、なんて残念な。
じゃ、じゃあ、次だね。気を取り直して次行ってみようっ!
勢い付けて立ち上がり、またマジックスライムに戻って、ぽよぽよの自分を満喫する。
ほああああ、安心するわああああ、このぽよぽよな身体、たぷたぷたぷんと上下左右に揺れる身体。癒されるうううう。
たぷたぷたぷたぷと、徐々に跳ねるペースを上げて、また、くるんっと前回りをした。
自分的にはすたっと立ったつもりだったが立てなかった。
べちゃっと地面に潰れて落ちた。
あれ? あれ? と、自分の姿を見下ろすと、くちばしがやけに平べったい手足の短いずんぐりむっくりの緑色の生き物に変化していた。地面に突き刺さったつららを鏡代わりに観察する。緑色の毛並みは、思ったよりも固くて、一本一本が尖っている。
爪もなかなか鋭くて間違いなく凶器だ。尻尾がまるでこん棒のように、先に行くほど太く平べったくなっていて、櫂のようだった。まじまじと両手を見たら、水かき発見。
……なにこの魔獣、水中生物? こんなのんきな面構えで?
じゃあ、陸で生活するのには向かないねえ。でもまあ、水辺で生活する羽目になっても何とかなりそうだ。
日々のご飯に困ったら、謎の水生生物ごっこしながら、餌をねだるのも有りかもしれない。目指せるか、池の鯉……無理、か。緑なだけに沼の河童だわ。
はははと乾いた笑いを浮かべて、またマジックスライムの身体に戻る。
自分自身のぽよぽよに癒されながら、またくるっと前回りして、べちゃっとおちる。
今度は何だと胡乱なまなざしで自分の身体を見下ろしながら、つららの鏡をのぞき込む。つややかな漆黒の蛇だった。
しかもつやつやしている肌は、滑らかな毒の粘膜で覆われているようだ。肌が触れている地面がシュウシュウいって草ごと地面が溶けていた。匂いもなんかツンとしてて、変だ。
毒蛇なんて生やさしい代物じゃないようだ。こんなもん食べて良く腹壊さなかったなあ。
またくるんっと前回りして、すちゃっと着地を決める。
今度はちゃんと六足で立てたけどなんだか、体が大きい。
そっとつらら鏡を窺うと……六手の熊、かな、これ。自分の姿に震えあがってしまった。
厳つい顔には引きつれてる傷があって、左半分が良く見えない。なんだろう、この漂う歴戦の勇士感。大きなこげ茶色の毛並みの熊の手も、ふかふかのお腹も、力強そうなどっしりした脚も癒しになれそうもない。良き隣人が強面の熊ではお隣さんの気も休まるまい。よってこの個体も却下。
またくるんっで、猫型の巨大な何か。凶暴さを窺わせる目つきの悪さと鋭い爪と牙。さらに尻尾の先がトカゲみたいで震えあがった。白旗。
くるんっで、顔の細長い鼻先の長さの分が全部口の、鰐にしか見えない何か。残忍酷薄な爬虫類の目に凍りついた。全力回避。
半べそかきながら、くるんってしたら蜘蛛だった。つらら鏡の中、頭部の八つの目が獰猛さを競い合い、胸部の歩脚がわさわさしていた。気が遠くなってそれ以上は観察できなかった。スライムのガラスハートが壊れそうになった。
またくるんってして、巨大なピンク色のネズミ型。ピンクの毛並みに目指せ癒し系かと心躍ったのに、どこからどう見ても凶悪な面構えでした。ありがとうございます。
明らかに愛玩動物の枠外の生物だ。目つきの悪さと鋭い牙が、ラブリーな色合いを持ってしても、相殺できず残忍さと凶暴さが際立っていた。目が合った瞬間、ばりばりいかれちゃうよ。こんな固体、間違っても、近寄らないし、目があったら即逃げる。スライムのガラスハートがひび割れそうだよ。
ねえ、もうすこし可愛らしい個体はいないの?
もうやけになって、自分が変化できる魔獣の姿を確認していった。
だけど、悲しいかな、つららに映る自分の姿は、愛玩動物の枠に収まる愛らしさが無いものばかり。
変化できる個体が小さく弱いのになってきて、もう蟲だ。そろそろ打ち止めかなあと思いながら、惰性でくるんっと前回りをした。
べちゃっと細長い四肢が地面に落ちた。
ん? 脚だ、白い脚……?
あれ?
投げ出された白い脚を、目で追いかけた。艶めいた太腿、ほんのりピンクの膝小僧、キュッとしまった足首、繊細なつま先、爪が花びらのように見えた。
よろよろと脚に触れる、これまた白い手を見つめた。すんなり伸びた白い腕、自由に動く白い指。
あれー?
恐る恐る動かしてみる。手を握りしめて、開いて、握って、開く。
目を瞬かせた。
そっと両の手を持ち上げて「自分」の頬を押さえてみた。頬には弾力があって、すべすべしている。触り心地を確かめる「自分」の目の端に繊細な金糸が揺れた。滑らかな糸は一筋一筋が、黄金に輝いている。
指先で小さな顔を触ってみた。額、眉、まぶた、まつげ、鼻、唇。
唇はかすかに震えていた。
小さな顎から首筋、鎖骨、肩と指を滑らせて、下に目線をやると、形よく膨らんだぽよんぽよんのおっぱいが目に入った。そっと触れる。あたたかい。
なだらかなお腹から、二股に分かれた白い脚の先まで、目で見て指で触って確かめた。
それから慌ててつらら鏡を見込んだ。
癖のない金色の髪、深い青の瞳は切れ長で眉目の秀麗さを際立たせている。色をなくした頬と、華奢な肢体は守ってあげたくなるほど可憐だ。
見たこともない美少女が、目を真ん丸にして「こちら」を見ていた。
両手を地面において、恐る恐る立ち上がった。プルプル震えるけれど、立てた。
瞼を動かし、首を左右に振って、肩をまわし、腕を伸ばし、腰の関節を動かして、足踏み、足踏み。動く。……動く!
人間の頃の記憶の通りに、身体が動くのを確認して呟いた。
「―――――で、いつ人間食ったっけ」
呟いた声は耳に心地良いものだった。
****
いかん、覚えてない。
しかもこんな、うら若き女性。魔獣の穴に放りこまれるはずは無い……んん?
そういやなんか、さっき、記憶の混濁があったようなー……、なかったような-……。
……ま、いっか。
YDSだもんね。本気出せば人間にだってなれるさ。
食べた記憶が無いんだから、私の前世がこの美女だったって事だよ、きっと。
そうそう、食べた記憶が無いんだから、食べてないんだよ。
……多分。
一瞬、お腹を押さえて蹲った。
……食べたのかな、やだな、共食いは嫌なのに。身体はスライム、心は乙女だったのに、やっぱり、この身体は魔物の身体なんだな。
緊急避難的な、止むに止まれぬ状況下だったならまだしも、単に食欲全開だっただけとは救えない。ぜひとも回避したかったよ……!
ひとしきり、俯いて、そんな事をうだうだと考えて落ち込んでいた。
……だけど、えいやと立ち上がる。
「……くよくよしたってしょうがない。時間は戻らないし、現実は厳しい! 底辺下等生物にとって、生きる事とは食べる事」
それに擬態できる生物の種類が多ければ多いほど、生存競争に勝ち抜ける確率が上がる。
まずは、近くの村で人間の世界を垣間見ようではないか!
善は急げと一歩を踏み出して、はたと止まる。
「……いくらなんでも全裸はまずいよね」
理想は生きるのならば魔獣の世界の弱肉強食よりも人間世界のほうが生きやすい。
でもこんな極上美女、悪い魔獣じゃなくても食べられちゃうよ。性的な意味で。
全裸はまずいでしょ、全裸は。どうにかして服を調達しなくちゃ。
うんうん唸りながら、考える。魔獣の感性のまま、奪えばいいとは思いたくない。
それに無一文でも換金する当てはあるんだ。この腹に収めたままの核の山が。
……これって需要あるかな? 何しろ、もともとが魔獣のカスだ。
自信ないけど、まさかこれだけの光沢と艶をあわせもつ、魔獣のカス、いいえ、核。石とは格が違うのよ、核だけに!
そこらに転がる石と同等の扱いなはずは無いよね。
だってほら、綺麗だし。綺麗だよね?
きらきらしてたり、つやつやしてたり、ビタミンカラーで愛らしいのもあるし。うん、ここら辺の赤、オレンジ、黄色あたりはインテリアにも向いてるよ。 赤い核は陽にあてると発火して燃えだすけど。
オレンジの核は水に沈めると一瞬で沸騰させちゃうけど。
黄色の核は日光に当てておくと夜通し光り倒すけど。
……え、えっと。
物は使いようだよね!
それにこっちの暗い青や濃い紫や深緑の核よりは、飾れて、和むし、使い勝手いいと思うの。
青い核なんか、魔獣特性なのか延々と毒まき散らしたりするし、物によってはバチバチするし。
紫の核なんか、ぼっと火が付いたら、一晩中ゆらゆら燃え続けて困るし、たまに水があふれ出す奴に当たった時なんか、ゆらゆら光る核からずっと水が出てきて止まんなかったのよ。止まるまで水遊びしてたからまあいいけど。
で、でも、飾れないことはないと思うの!
光沢は無くて、ぬめってしてるけど、手触りもいいし、飾れないことも無いと思うの。暖色系より、寒色系が好きな人間もいるものね。
バラエティに富んだラインナップは、お客様を喜ばせるわ。女子供は光物に弱いはずだし、買い手はあると思うの。思いたいの。
売れるかな~。売れるといいな~。
本当は人の姿で売りに出せればいいけど、服が無ければ捕まるよ、捕まってあーれーな事になるんだよきっと。
やだよ。私だって乙女なスライム。初めては好きな人が良いもん。美味しい人が良いもん。
……やだな、食わないよ?
んじゃあ、一番人間にとって安心安全な個体で街に下りて、核を換金してくれる処を探してみようか?
最高のお使い魔獣は、やっぱり、氷獣だよね。
吠えない限り、最高のもふもふ。
そう、吠えない限り。
愛想良く、尻尾を揺らしながら隣人にすり寄ってみようかな。
そうと決まればまずは、市場調査だと、私はもう一度赤い鳥の姿に擬態した。