下等生物は呪術とであう
みなさん、土下座で、こんにちは。
やればできるスライム、やればできるスライムです。
只今、スライディング土下座、決行中です。
ごめんね、メ…んやマダーム、あんまり香水が臭かったからか、うちのスライム達が、過剰攻撃しちゃった。
いつもはこんな風に、汚物は消毒だー!ってはならないんだけど。あ、例の掃きだめは別ね、別。
人間にあるまじき、野生動物の巣穴の匂いは、滅菌!消毒!除菌!抗菌!だからね。
マダムは頭をかきむしった痕もあらわに血まみれだ。止めようと腕を取ったら、その腕を払いのけ、自分の両手で床をたたき始めた。床が血に染まったら、次は床をがりがりひっかいて、爪を剥がし始めた。
あ、YDS、これ知ってる。自傷行為だ。
そんなに、汚物認定が悔しかったのか。
「すいません、マダム。いつもはこんなに過剰反応はしないんです。本当です」
肌を隠すように布を巻いて一息。
恐る恐る、声をかけると、あんなに取り乱して暴れていたメス……いやマダムが、涙にぬれた目をYDSに向けてくれた。瞳と瞳が重なる。焦点が定まらなかった瞳に自我が戻るのがわかった。
そしてマダムは。
「……ミルー、シャ、さま……」とつぶやいた。
え、っと……、すがるようなまなざしで見られてるけど、スキンヘッド、気づいてない、よ、ね……。
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つきものが落ちた顔をしているな。
イーニアスは軽く眉をしかめながら、目の前のスキンヘッド全裸インシーツの女を見下ろした。
この女にこびりついていた、汚泥のようなひどい匂いは消えていた。
腐臭とすら呼べる匂いの元が、さっき吐き出した、黒くおぞましい何かなのだろう。
「あの黒いの飲み込んだ、スライムの方は大丈夫なのか?」
あんな変なもの飲み込んで、かわいィ…んん、気のいい奴らに変化でもあったら大変だと、アムネジアにそう尋ねると、ぱっと顔を上げ、こくこくこくとうなずいた。
「ひーちゃんは、聖属性なので、変なもん食べてもおなかを壊すことはありませんよー」
「聖属性……また、レアな……いや、小娘のところに、レアじゃない魔獣はいなかったな」
どこがどうなるから大丈夫なのかは、説明もないし、間違いなくアムネジア自身も分かってないのは明白。だけど根拠のない事でも、自分の魔獣のことなら、常人にはわからない、共感があるのだろう。
アムネジアのまっすぐな信頼の目に、ほっと肩の力を抜く。
くだんの客になりたがった女は初めはともかく、今となっては脅威はないのだろう。
一糸まとわぬ姿と物語ではよく目にする言葉だが、アムネジアにかかれば文字通り現実になる。
髪の毛から眉毛、まつ毛に、下世話だが下の毛にいたるまで、本当に一糸まとわぬ状態にさせられるんだ。
恐ろしい。
体力的、魔力的には一切の負荷がない代わり、あっという間に人間の尊厳をなくしてしまう恐ろしい技だ。
おまけに人間の持つ、欲とか毒とかそういうものも、きれいさっぱり溶かされる。
敵に回したらダメな奴だ。本当に。そんな風に見えないところが怖い。
なんせ、スライムだ。適当な棒で叩いたり、足で踏めば、消える弱小魔物の筆頭だ。
それがまさか、テイマーの資質によって、そこらへんの草食べて、超級回復薬やら毒消し薬やら作り出せるスライムになるなんて、だれが想像する?
しかも個体差があってレベルが上がると、魔獣を綺麗に必要部位ごとに解体して魔石まで吐き出してくれるスライムや、廃棄品の魔石粉を食べて、傷一つない魔石を再構築して吐き出せるスライムに進化するなんて。
そんなこと、想像すらしないだろ。普通。
アムネジアとの協力関係の謎がわかったら、スライムの乱獲が始まるかもしれないと、アカガネが情報遮断に踏み切るほどだ。
誰も気にしない、そこら辺のごみ食べてただけの生物を、まずテイマーのスキルを持ってる駆出しでも、使役獣にしようなんて思わない。
Fラン冒険者だって、戦おうとすら思わない、路傍のスライム。
倒してもうまみがないと思われているからだ。
倒しても何の素材も出さない、経験値の肥やしにもならない―――その今までの概念が、がらりと変わった。
だが、アムネジアのスライム群は違う。
一体一体がすこぶる有能で友好的。アムネジアに有益な人間である限りという縛りがあるとしても、だ。
そのかわィ……げふげふ気の抜けたフォルムに騙されたな。
付き従ってる魔獣達も、軒並み高位魔獣のレアスキル持ちと来たもんだ。
そしてアムネジアに対する魔獣達の保護欲もすごい。まるで飼い主じゃなく自分の子供と認識してるんじゃないかと思うくらいだ。
あんなに魔獣使いに慣れてる魔獣を見たことはない。
俺が見たことのあるテイマーと使役獣の関係は、もっとずっとシビアだ。力ある魔獣を力で縛り上げ、なんとか力を放出させる方向を示しているにすぎない。
「てんちょー、怒ってない?」
おそるおそるお伺いを立ててくるアムネジアに怒ってないと返す。
それは本音だけど、むしろ、アムネジアにというより、こっちを無言で威圧してくる魔獣達への返事だ。
「怒ってないわよ。良くやってくれたわ」
と視線を向けると、それが伝わったのか、魔獣達の雰囲気が、すん、と凪になる。ほっと息をつく。
どこまでもアムネジアファーストな奴らめ。
だいたい、どこに怒る箇所がある? 明らかに呪術に侵されてた被害者を救ったじゃないか。
代償が髪の毛と衣服なら、安いもんだろう。
あれだけの毒素を胎に入れていたのだから、そう遠くない未来どんな死に方をしたかわからない。人としての姿さえ失っていた可能性すらある。
まあ、これほどの懊悩を見せたんだ、心を縛り上げられている間にどれだけ罪を犯していたのか。暴く方も気合を入れないとだめだろう。
唇を震わせながら、それでも気丈にこちらを見上げるまなざしに、もう覚悟はできているのだな、と思った。
まあ、ちょうどいい。
こちらだって、エセ聖女アンジェの裏の顔を知る相手と腹を割って話をしたかったのだから。
***
「私を聖国ユークリッドの聖神官様へ突き出してくださいませ。私は数えきれないほどの罪を犯しました。
白日の下にさらけ出し、ナデイル国の、ひいては周辺諸国の憂いを消さねばなりません。急がないと、」
シーツに包まった、すっぽんぽんのマダムが嫌にきっぱりした眼差しで店長を見上げて、そういった。
さっきまでの偉そうな横柄な態度はきれいさっぱり消え去っている。
YDSエステすげー。
身体の汚れと一緒に、心の汚れや魂のくすみなんかも打ち消してビフォーアフターするんだね。
体内から吐き出された、汚泥というか、ヘドロというか、ぶっちゃけ糞みたいなくっさい奴が無くなったからだね。
魂までも腐らせるなんて、それなんてヘビーな呪い。
店長も、あの呪いの恐ろしさ、悍ましさに、顔色を悪くしている。
人間の正気を失わせ、精神を腐らせる呪術。
正しい発酵を教え込んでやらなくちゃね! 麴菌とか、乳酸菌とか!
「急ぎたいのはやまやまだが、もうじき王太子殿下とその婚約者の婚姻式だろう。今そんなことを発表しても、気が狂った一女官としか思われないだろう」
肩をすくめて店長がマダムを見る。
マダムは真剣な顔で店長を見つめると、「ですが、」と、唇をぎりりと血が滲むほどに噛みしめた。
「みんな、聖女の術中にいるのです。自分の考えは深く深く沈められて、胸の内に渦を巻くのは、聖女の役に立つという意識だけになり果てる。悪事ですら聖女のためになると聖女が思えば、それは善行だと思いこむのです。自分で自分が信じられない。私は、私だって、人の子の親だった、のに」
ぼたぼたとマダムの瞳から水が落ちてくる。
「……悪夢なら良かった」
マダムが自分の葛藤を振り切るように、低く言葉を紡いだ。
「悪夢であれば、よかった。目を覚ませば、夢が覚めるのですから」
でももうそんな未来はないのだと、そんな未来を夢見ることは許されないのだと、マダムは唇をかんだ。
「お前の罪は、後回しでいい。ちゃんと、罪を償うんだろう。ならその時まで、俺たちに協力しろ」
マダムの懊悩に、店長はなにか優しい言葉をかけようと思ったんだと思う。
YDS、YDSだからわかる。
店長はそういう人間だ。厳しくて、やさしい、理想的な群れのボスだ。
でもそんな慰めなんかいらないってことが、店長にも分かったのだろう。だから、店長は、あえてそっけなく言葉を投げた。
おそらくマダムも、自分の罪を自覚している。下手な慰めより、有効なのは、どうやって罪と向き合うか、だ。
店長はマダムの懊悩を理解したうえで、こちらの協力者になれと、言っている。
そして、マダムはおそらく。
断らない。
「城内で意識を保っているものがいるか?」
「少ないと思います。城内で働く侍女や侍従に手作りの菓子をよく差し入れてましたから。それを食べていない者と言えば、汚れ仕事の者か、畜舎管理の者くらいかと。今思えば、彼女の菓子には中毒性がありました。飢餓感を刺激されて何枚でも口に運びたくなるのです。そして食べると、一気に幸福感に包まれて、思考が鈍くなりました」
まるで麻薬だ。
そのお菓子の中の毒が溜まりたまって、黒いヘドロになったのかもしれないな。
んじゃあ、髪の毛をはじめとした体毛全て、きれいに除去されたのだって、スライム攻撃としては不法薬物排除ってことになるかもしれない。
「あ、じゃあ、みーんなの腹の中のもの吐き出させて―、それを、ぜーんぶ返してあげましょー!」
真っ黒ヘドロは、製造者のもとへ!
にっこにこで告げると、それは良い考えだと店長もマダムも乗り気になった。
YDSもやる気を見せたんで、せーちゃんやひーちゃんがとげとげをビシビシ出してアピールしてくれた。
スライム達もやる気だ。
ほかに何か気づいたことはないかとの質問に、マダムが少し考えこんでから。
「調香を趣味として練り香を作っておりました。それを城内の各所で焚いておりました。殿下はもちろん、陛下たちの執務室でも同じ匂いを嗅いだ覚えがあります」
「国の政の根幹にかかわる高位貴族は、全員、掌握済みってことか」
匂いか、厄介だな。気化した毒物を吸い込んで体の中にためてるってことだもんね。
風魔法の得意なスライムもいるけど、お城は広いし、そもそも広範囲だしなー。
赤い鳥なら風魔法も使えるけど、火魔法との併用だしな。一気に城ごと燃えちゃいそう。
「近衛騎士団の鍛錬場には足しげく通っておりましたが、城以外では行っておりません」
「顔のいい奴のところにしか行ってないってことだな。最近の近衛達の動きが悪かったのもそのせいか。だからアカガネ達冒険者や平民出身の兵士が多い百騎兵団は統制が取れているんだな……」
ふむふむ。てっぺんが腐ってても、末端まで腐りきってない状態なんだね。
で、キレイどころの騎士たちは懐柔済みってことね。
「城に施されている防御魔法を、一時解除して潜入するのは難しいか?」
「無理に解除すれば、その時点で警報が鳴ります。すぐに囲まれて、逃げることはできないでしょう」
「城の防御魔法を管理しているのは、防衛大臣と宰相閣下、そして国王陛下か……」
「入城許可証があっても、たやすく近づける相手ではありません」
店長とマダムが顔を突き合わせて、深刻な話をしている。
そんな物騒な事柄を考えて懊悩している店長に、びっくりして、YDS二人の顔をまじまじと見つめてしまった。
「なんだ、何か意見があるのか?」
それに気づいた店長がYDSを見た。
YDSとしてはいつもの店長じゃないな、焦りで視野が狭くなってるんだって思ったんだ。
ええと、と、店内の作業机の上で、探し物。お、あった。
「てんちょー、てんちょー、そんな物騒な計画立てなくっても、ほら、これ」
ん?と眉をしかめる店長に、ぴらんとギルド内で回ってきたお知らせを見せた。
「これ……」
目の前に掲げられたお知らせを、店長がまじまじと見つめた。
―――それは民の無料奉仕に対する参加者募集の紙だった。
各国要人をお迎えする一大行事になる王太子の結婚式の前に、城の無数にある部屋や、倉庫、厨房、厩舎前庭、裏庭など、広範囲に一斉清掃を行うので、ボランティアを呼び掛けるものだった。
無料奉仕でまる二日。ただし一般人は庭師の指示で庭掃除が主だったものだ。
だが、既存の清掃会社への無料奉仕のオファーもしるされていた。
「ただじゃーやだったんで、断ろうかなと思ってたんですー。ええと、この清掃会社枠なら城の王族の部屋以外なら、どこまでも入り込めます。しかも監督責任者がお城の侍女長らしいんですが……マダムの階級はいかがです?」
改めてシーツインすっぽんぽんマダムを見れば、マダムは意表を突かれたような顔で私達をみた。
「王太子の婚約者である聖女様付き侍女でございます」
「何番目?」
「侍従長と侍女長をトップに7番目です。ですが、清掃班を取り仕切る地位としては一番手になれます。こういった裏方の仕事は成り手が少ないので、手を上げれば確実に入ることができます」
そう言い切ったマダム。
店長とYDSも顔を見合わせる。
にや~と笑いが込み上げる。YDSだって悪い顔。
店長も片眉を上げて挑戦的な微笑を浮かべた。
これは、チャンスってやつだ、そうだろう?
「てんちょー。清掃会社枠でお城に入れてもらってー、マダムに案内してもらいながら、片っ端からちびすら突撃隊を部屋に突入させちゃえば、いいんじゃないかな?」
室内はもちろん、そこにいた人たちまでも、まるっとすっきりきれいにしちゃうよ!
店長はその言葉に軽くうなずくと、すこし考える様子を見せた。
「いい考えだがその前に、国王陛下と王妃陛下のスライムエステを慣行だ。王妃陛下から話を持っていけばすぐにオーケーが出るだろう。髪の艶と毛量が増える実績を見せつければ、城のトップたちも、軒並み正気に戻せるぞ」
「お国のてっぺんの人達に正気に戻って貰うんですねー」
「協力者が増えれば、掃除できる部屋も増える。聖女に狂わされてる人たちを正気に戻せる」
おおー!さっすが、店長。さすてん!
「被害者たちが吐き出した汚物はポーちゃんに回収してもらって、浄化するもよし、ため込んでそっくりそのまま、製作者に返品もできますよー」
「そりゃあいい。俺としては、そっくりそのまま、返品のほうがいいな、とってもいいプレゼントになるだろう?地獄直行便だ」
さっすが店長。さすてん!
元凶の花嫁にさぷらーいずするんですねー!
くふふふ!
楽しみー!
「アカガネを呼ぶぞ。レジオンもだ。マダム、もう少しこの店にいていただくことになりますが、よろしいでしょうか」
「もちろんです。城の中の主だった通路と、使用人通路を図解いたします」
「願ったりだな」




