そのころの下等生物は……。
崩れ落ちた牢獄塔を前に、険しい顔を隠すことはできなかった。
がれきを撤去しても、この有様ではおそらく生存者はいないだろう。
あの魔獣使いが使役する赤い鳥型魔獣のおかげで、自分にかけられていた傀儡術が無効になったことは明白だった。
だからあの鳥を使役していた魔獣使いを説得し、他の者を蝕んでいるだろう傀儡術を解除できればと考えていた。現にあの男は私たちの目をかいくぐり、禁域である罪人の穴で何事か成そうとしていた。
もしやすると彼もまた、聖女アンジェの被害者なのかもしれない。
彼を説得出来れば現状打破の一端になっただろうに。
これも聖女アンジェの「呪い」なのかもしれんと、ため息を吐いた。
……そして腹の立つことに、あの女との婚礼の儀式は後半年後と近づいていた。
術中に嵌っていた時は、早く早くと婚姻をせかしたそうだが、今は全くそんな気になれない。
そしてミルーシャを失って一年半を数えるらしいことに、愕然とした。
人一人陥れて殺したことに何の感慨もないのか、アンジェは城に仕立て屋を呼んでは、ドレス作りに余念がない。そしておかしなことに城の誰もが笑顔でアンジェのために動くのだ。あの気難しい宰相でさえ、アンジェの差し出した予算書を精査する事すらなく、すぐに許可を出していた。ミルーシャに向けられていた、孫を見守るような眼差しが、今はアンジェを映しているのがとてつもなく、苦しい。
「……珍しいな。宰相がすぐに許可を出すなんて。何時も、資料の隅から隅までよく読んで熟考してからでないと、許可などできんと突っぱねていただろうに」
思わずそう言葉にして、しまったと思っていると。
「――――聖女様のお願いに反対なぞするわけがありません。すべてはアンジェ様の心のままに……」
抑揚のない答えに、宰相の目を見て、理解した。
「……ああ、何だ。お前もか……」
城の主だった人員は、すべて聖女という名の悪魔に囚われていた。
尊敬する父も、優しい母も、筆頭公爵である叔父も、百騎兵団を統べる騎士団総長も、歩く式典辞書と呼ばれる王宮侍従長も。
笑顔を張り付けて城の中を行き来する彼ら彼女らを、うすら寒い思いで見やった。誰も彼もがアンジェを認め、アンジェの言う通りに、アンジェの思いのままに動く。
アンジェの呪術はいったいこの城内のどこまでを網羅しているのだろう、と思い浮かび、違う城だけではないと思い至った。城下町の喧騒の中、城へ急ぎ戻る私達に城下町の住人は笑顔で歓声を上げていたではないか。アンジェ、アンジェと。
「アルベルト!」
無礼な呼び声に、意識を呼び戻される。
回廊の向こうから駆けてくるアンジェに、一瞬顔が歪むのが分かった。だが、きっと、術にかかったままの私なら「笑顔」であの女を受け止めるのだろう。
いぶかしく思わせないために、微笑を浮かべて、腕を広げ願いのままに抱きとめた。おぞましい。
「ねえアルベルト。式典でつける首飾りを選ぶんですって。あなたに選んでほしいの」
無邪気を装った、欲にまみれた言葉に唐突に悟った。
ああ、そうか。私は彼女の装飾品なのだ。
女の矜持を満足させるための社会的身分と地位。ただそれだけで選ばれて装具された男に過ぎない。
声高に愛を告げるその裏で、その地位が、その権威こそが愛しいと目が語るのだ。
この女を手に入れるために引き起こした騒動とその代償を思うと、いっそ灰になって崩れてしまいたくなる。
「殿下。報告がございます」
「ああ。アンジェすまない、君と母上で先に首飾りの候補を選んでいてくれないか? 君と一緒に君によく似あう最高の宝石を選びたいけど、この騒ぎのおかげで片付けなければいけない案件があるんだ」
「魔獣だってもう百騎兵が片付けたって聞いたわ。アルベルトが無理しなくてもいいじゃない」
「私を心配してくれているんだね、うれしいよ。でも、これを片付けておかないと君と過ごす時間がもっと少なくなってしまうんだ」
なんて薄っぺらい芝居だろう。
「んん、じゃあ、お母様と先に選んでいていい?」
「そうしておくれ。母に任せれば大丈夫。きっと君の為に最上のものを選んでくれるはずだよ。ああ、見たいな……。私の為に着飾るアンジェは、美しいだろうね」
「ふふ、うんと綺麗になるわね」
優しく背を押し出し送り出せば、術を信用しているのか、疑いもしない。それを見送り、踵を返す。
浮かべた笑顔は消えていた。
ルシアーノに促され、執務室へ入ると、エルリックとハーバンクル教授、シゼリウスの三人が揃っていた。
エルリックの顔色の悪さは筆舌にしがたい。……が、顔色の悪さで言えば、ここにいる五人全員、変わらないだろう。
「誰からだ?」
取り乱さない覚悟を付ける時間だけはあった。私の問いかけに、一歩進んだのはエルリック。
ミルーシャの実の弟、エルリック・ルーン・フォルテシオだった。
「……姉が支援する孤児院で発見された黄金の神像ですが、神殿長が神殿に持ち去ったようです。黄金の神像の確認はできませんでした。黄金の神像以外の、禁制品の密輸記録や、二重帳簿などはすべて姉が管理する孤児院の部屋からから出てきましたが、孤児院を運営する神官や、下働きの者など、アンジェの息がかかった者ならいつでも細工ができたでしょう。……なにせ聖女アンジェの育った孤児院ですから」
皮肉気にエルリックが笑う。
こんな暗い笑みを見せる男ではなかった。
「……俺が書いたという記録を読みました。俺が、ミルーシャ様をあの地まで歩かせたのは本当でした。……罪人として、蹴り落したことも事実でしょう。……俺の字でしたから」
下を向いたまま唇をかむシゼリウスを、誰も責めることはできないと知っていた。
「殿下。すべて終わったら……」
「――――シゼリウス、私も同罪だ」
間違いなく執行書にサインしたのは私だろう。
重苦しい空気を破ったのはハーバンクル教授だった。
「殿下、私も報告書を読み返しました。ふ、ふふ。これを……麻痺薬も使わずに、力ずくで抉り取った、と」
ハーバンクル教授が差し出したビンを凝視した。
無造作に放ってあった記録書を、むさぼるように読み返していたがやはり、衝撃は大きい。
空を切り取ったかのような碧の眼球が一体分、ビンの中に浮かんでいた。……よく見た色だ。
「……ミルーシャ……」
そっと、ビンを受け取り、おしいだく。
目頭が熱くなるがそれをぐっとこらえる。私にそんな資格はない。
ハーバンクル教授が私の前で跪き、額の前で両腕をクロスさせた。罪人が審判の前にとる無抵抗の証だ。 その隣にシゼリウスが、エルリックが並び、膝を付いて同じように両腕を差し出した。
そして、ルシアーノまでがそれに倣った。
「……シア」
「記録によれば、私が聖女アンジェの願いを聞いて、彼女の顔を焼いたそうです。殿下」
ルシアーノは夜通し報告書を読んでいたのだろう。取り返しのつかない罪を犯したと、悲し気に呟いた。
取り返しなどつくはずがない。
「……シア。ミルーシャは、何と思っただろう」
ずっとそばにいた。
幼い頃からそばにいて、いくつもの季節を、駆け抜けた。
「彼女の足の腱を切ったのは、私だ」
だからこそ。
跪いた彼らの顔を、ゆっくりと見渡した。
「……彼女の冤罪を晴らさねばならない」
これはもはや願いでも目標でもない。
やらねばならない事柄だ。
「……これ以後はアンジェに気取られないように各自言動に注意せよ。また術を掛けられたら厄介だ。あの女の悪事の証拠を掴むまでは、今まで通り接せよ」
ミルーシャの失墜にはあの女が関係しているはずだ。絶対に許さないと心に誓う。
「あの女の関与が分かれば、ミルーシャの冤罪は晴れるだろう。あとは、あの赤い鳥型魔獣だ」
あの赤い魔獣を操れる魔獣使いを探し出し、この国に張り巡らされている、傀儡の術を断ち切らせたい。
術を断ち切られたらナデイルは混乱の極みにおちいるだろう。それほどに傀儡の術は国中に張り巡らされていた。
「牢獄塔が崩れたのは惜しかったですね……あれほどの魔獣使いはおいそれと存在しないでしょう」
ルシアーノの言葉にエルリックが一瞬遠い目になった。
「どうしたエルリック。まさか、心当たりがあるのか?」
その何かを探すような顔に、声をかける。
「いいえ、殿下。魔獣使いに心当たりはありません」
「そうか……」
残念さをにじませて頷く私に、エルリックは申し訳ないと、小さく呟いた。
「ええ、あの男は魔獣使いというよりも、奇術師でしたから。私がまだ幼い頃に屋敷に遊びに来ていた父母の古い知り合いに、恐ろしい魔獣にわざわざ擬態させた動物を使って奇術を見せる、道化師がいたんですよ……」
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「はくちゅんっ!」
くちゅんっ、くしゅんっとくしゃみをする私に、おかま店長が気が付いた。
「小娘、もう少し火の側によりなさい」
「大丈夫ですよぉ、くちゅんっ! 私よりもこっちの骨皮さん達こそ温めてあげてくださいな。私には生きた毛皮の氷獣がいまーす」
そういって氷獣のもっふもふの体毛に顔をうずめる。
ふあああああ、ふっかふか! あ、でも軽く氷点下の体温なので、温かさはないな! だがそこがいい!
ま、それはさておき、ガイコツさん達ったら、ガリガリのヨロヨロ。色つやの良い脊椎動物、もとい、YDSの私より、積極的に介護しないと死んじゃう。まじで。
「それに大事な証人でしょ?」
えっとえっと、ミルーシャさまの冤罪はらす生き証人なんだっけ?
「……主にお前のせいで何度も死にかけてるけどな」
ギルド長の目線が怖い。ついーっと目を逸らした。死にかけてはいるけど、スライム点滴外したら即涅槃だよ? そりゃあ見た目的に、巨大スライムの体内でうごうごしてるから、ぱっと見インパクトありすぎるけど。いい加減ガイコツさんたちも諦めて、身を任せたらいいのに……。
上目使いで見上げたら、おかま店長がパッと目を外した。
「死にかけてはいるが、何度もこっちへ引き戻してもいるだろう。治療だ、治療」
「この絵面が、治療じゃなく捕食にしか見えねえ……」
「やだな、もう、レジオンさんったら、正直!」
そこにチビスラの姿はない。
七色に輝く巨大なスライムが一体いるだけだ。
そんでもってその巨大スライムの体内で、ガイコツさん一号から三号までが漂っているだけ。
飲み込まれている、ともいうね。
大丈夫だよ、うっかり消化吸収しちゃわないよう、きつく言ってあるから!
ぷるんぷるるん。
ほらほら、合体チビスラが、ガイコツさん達に造血剤や、抗菌剤や、殺菌剤を注入してるだけだよ。
ぷるんぷるるん。
うんうん。肉芽組織が増幅しやすくなるよう、増殖力を盛んにする肉芽細胞も注入済み! なんだって。痒いところに手が届いてるでしょ?
ぷるるんぷるるるん。
うん、そうそう。人間の三大欲求に訴えれば、生きる気力もわいてくるよねー!
ぷるるるんぷるるるん!
えっと、三大欲ってたしか睡眠欲だよね。まどろんでいられるように麻薬成分多めに入ってますって。ほどほどにね?
うんうん。肉芽細胞増やすためには栄養も必要よね。口に突っ込まれてるなんか淫靡な形状の管から栄養剤が注入されているんだって……うん、食欲ね。
うんうん。性欲旺盛になる媚薬もがっつりなのかあ。
…………びやく?
「ぴんくちゃん! 本気出しちゃだめだからね! 聖ちゃんのいう事ちゃんと聞くんだよおおおお!」
魅惑のスライムボディがぷるんっと揺れると、びしっと角が突き出た。ピンクだ。きっとピンクなあいつだ!
「なんて言ってるんだ、小娘」
おかま店長が口角をひくひくさせながら、私に尋ねた。
なぜ、訊ねる。
「おお、途中経過を聞きたいもんだな。スライム治療はどこまで行った?」
商業ギルド長が私の顔を覗き込んできた。
「もしかすると体力が戻って意識が戻りそうなのか?」
興味津々ってな感じのレジオンさん他数名のギルドスタッフ。
みんな興味津々な顔で私の答えを待っている。
しらざあ、言って聞かせやしょう!
「大丈夫元気に勃ってるよ☆って……」
―――――どこがだ!
きっとみんなの答えは一つになった。
私の可愛いチビスラ達が細心の注意を払って、自慢の薬剤注入してるんだから、絶対回復するよ!




