下等生物は驚く。
こんにちは、私、下等生物!
夢は進化。打ち破りたい種族の壁、いつかなりたい脊椎動物。
そんなささやかな夢を持つ私は、やればできるスライム、やればできるスライムです!
たぶん例の男が竪穴を確認したのは、体感時間で一週間くらい前かなー。
もうそろそろ何か動きがあるはず。そして非常用にご飯残しておいてよかった。
雨風しのげる屋根付き、三食昼寝付きの、十分な住環境だけど、問答無用のバイオレンス付き物件。
これでは住む人を選ぶね。まあ、やればできるスライム、人じゃないけど。
それを差し引いても充実した食生活を手放すのは残念だ。
今まさに失う時だと思うと涙が……あ、目はここ。ここね?
どんなに居心地のいい物件でも、子供はいつか巣立つもの。
誰だってそうよね、たとえそれが下等生物たるスライムだとしても!
に、しても遅いな。
いつもなら生き残りがいないと確認するとすぐに別のご飯を持って来てくれたのに。
待ちくたびれた私は二、三回、洞窟内の隙間から抜け出そうとしたけど、これが、だめだった。
天井付近に結界が施されてて、洞窟内部から外へ出ることはできないようになっているのだ。ま、あぶない魔獣ばかりだもん、自衛手段?
私の中の獣が『おのれ小癪なっ!』と暴れて困る。うっかり壊さないように、宥めるのが大変なんだよ。
うむう、腹が立つと腹減るわー。
おやつ用に冷却魔法で冷凍保存しておいた、雷獣を熱風魔法と水魔法の合わせ技で蒸し焼きにして、びりびりする刺激を堪能しながら気分を紛らわせる。
あ、このピリッとした食感が最高だね! もぐもぐばちばちしていると、溶かしきれない硬いものが残った。んべっとだしてみると、オレンジ色の珠だ。ぺっと吐き出して、しげしげとみる。
……これは消化吸収した魔獣のカスだ。でもカスにしては丸くて艶々しててとても綺麗。
もう数えきれないくらいの珠が隅に積み上がっていた。小石くらいの大きさのやつからうんと大きなものまでいろいろある。
その中でも群を抜いてきれいな珠は、私のおなかに収納してある。
光物にロマンを感じるのは、何も人間だけじゃないんだよー!
眺めて良し、なめて良しの、齧って良しの優れモノ。さらに、お腹の中に納めておくと、このカスの元の魔獣の特性を発揮できちゃうのよね。だから最近では魔獣に敬意を表してカスじゃなく、核と呼ぶことにしている。
核に秘められた魔獣としての種族特性を使えば、こんな結界なんか気合一発で粉砕できる。
できるけど。私は顔を上げて天井あたりを見上げた。
きらきらと幻想的に輝く文様が浮かんでいる。あれがおそらく結界術だろう。
破壊して出るのはたぶん簡単なんだけど、そのあとが問題なんだよね。魔獣討伐隊とかが結成されたらどうしよう。いや、まあ、負ける気なんかこれっぽっちもないけどさ。
出来そうだけどしないのは、ぶっちゃけ面倒だから。
うっかり殺しても、人間はご飯にできないもの。四足の魔獣はおいしく楽しく頂けるけど、曲がりなりにも前世人間の記憶があるからか、人間を襲って食おうって気分にならない。
なんて言うか……、食べるためにする殺生ならまだしも、食べない人間を殺す必要を感じないの。
そして前世知識のなせる業か、私にとって人間すなわち隣人で、魔獣すなわち家畜の認識なのだ。牛豚鶏羊馬と、魔獣は同列で、人間はお隣さんね!
汝、隣人を愛せよって、誰かが言ったじゃないか。誰かは忘れたけど。
ふふふ、いつか、進化して霊長類サル目人科になった暁には、魔獣を解体して希少部位をステーキで味わいたいものだ。
リブロースはリブロースで、サーロインはサーロインで味わいたいし、骨付きカルビは是非とも濃い目のタレで頂きたい!
今は自分の風呂敷に包んで美味しく楽しく一度に味わえちゃうんで、それぞれの部位ごとに食べるのが夢だ。じゅるり。
私がこれから外で生きる上に置いて、引っかかるのが人間の習性だ。
見つからないことが大前提だけど、人間は異質なものを排除しようと、徒党を組む生物だ。
魔物だってばれたらやばいので、目立たず騒がずいつの間にかお隣にいましたー、っていうのがベスト。
控え目な気の利いた隣人から、いなくなっては困る隣人になれたら最高。
そうそう、ぼろを出さないようにしなきゃ。奴らは敵と認めたものを徹底的に攻撃するからねぇ……。
絶望して心が折れても攻撃する手を緩めたりしないし。
己が正義に酔いしれて、突っ走ったあげく、弱者をいたぶるのが得意だ。
穴掘って出てこれなくなるまで攻撃し続けて、それで相手が再起不能になったら、そんなつもりはなかったんだ、って自己弁護する端迷惑な種族だからねえ。
あれ、なんかもの凄く腹が立ってきた。
口直しに、取っておいたハニーフラワーラットをむしゃむしゃする。うまー。
地魔法使って溶岩流で遊んでた時に、うまい具合にあぶり焼きにできたんだけど、うまいわ、これ。ハニーフラワーと名前が付くあたり、花の蜜のような甘さがアクセントになってる。うまうま。
人間は面倒な生き物だ。弱いくせに凶暴で弱いくせに好奇心だけで行動する……もちろん、そんな阿呆な人間ばかりじゃないとは分かるけど。
人間は家族や、家族が属する共同体を大切にする生き物で、その枠に納まっている間は、個を尊重されて幸せに暮らしていける。
そう、なかでも幼体は大切に保護される。
名前を呼ばれて、手を差し伸べられて、うれしくて、気恥ずかしくて、幸せな気分で差し伸べられた手に、手をのせ、て……。
あれ?
いいや違う、そんな記憶なんか無い。
見限られて、蔑まれて、どんなに声をからして叫んでも、誰も耳を傾けてくれなくて。
あれ?
味方だと思っていた相手がある日手のひらを返すのだ。蔑まれて、嘲られて、這いつくばらされて、忌々し気に蹴りつけられて、手を踏みにじられて。
あれ?
綺麗だと褒めてくれた髪は引き千切られ、痛みに呻いても誰も顧みてはくれず、高笑いのまま、背中を踏みにじられた。
母譲りの美貌と謳われた顔は無残に焼かれ、宝石に例えられた瞳は、嘲笑と共に抉り出されて、血を流す眼窩にはこれで十分だと石を詰められた。
あれ?
罠に嵌められたと気づいた時には、成しとげた出来事のすべてが「彼女」の功績として処理されていた。
私がしたことはすべてなかったことにされていた。
あれ?
関わった覚えのない悪事の元凶とされ、顔を合わせた覚えのない人間たちの仕出かしたことの責任を追及され、関わりはないといくら言っても、誰も誰も。
あれ?
助けを求めて伸ばしたその手は振り払われた。
あれ?
優しかったあの人も、楽しかったあの人も、守ってくれるはずの家族も、一緒に学んでいたあの人も、みんな、みんな、私から背を向けて去っていった。
私に向けていてくれた、柔らかな微笑みも温かい言葉もすべて「彼女」に向けられるようになって。
あれ?
涙も声も枯れ果てた。
押し込められた地下牢は一筋の光すら射さない、凍える寒さ。毛布と呼べないぼろ布一枚にくるまった。
美しい歌声称えられたのどは潰され、掠れた老婆の鳴き声となりはてた。
あれ?
触れることすら厭わしいと蔑まれ、息をしていることすら許されないと、手にした刃で追い込まれ、逃げることは許さないと足の腱を切られた。
……あれ?
愉悦にゆがんだ「彼女」のあざけり。
優しかった、楽しかった、守ってくれた、先を示してくれた、尊敬できた、心から笑い合えた大切な人達に囲まれて、優越感に満ちた眼差しで、私を見下す。
優しかったあの人の虚空を覗いているような、熱のないまなざしに絶望する。目を抉り取られた時は、これでもうあの眼差しを見ないで済むと逆に安堵したほどだ。
罪人として繋がれて、動物のように首に縄を巻かれ、町中を引きずり回された。
闇に包まれた世界では右も左もわからない。
切られた腱が熱を持ち、身体を支えるのは難しく、足を引きずるように進む私に、守っていたはずの民が、石を投げる。
馬に乗り先導する騎士は忌々し気に縄をひいた。
人とは善良で、勤勉な生き物だと思っていた。だが、そんな教えはまやかしだと思い知らされる。
彼らは善良ゆえにたやすく情報に流された。
自分が正しい行いをしていると思っている限り、どんなに非道な行いをしても、それが正義だと思うのだ。
かつて私を優しい声援と笑顔で迎えてくれた民が、花ではなく石を投げる。
焼かれた顔がおぞましいと石を投げ、さっさと去ねと汚物を投げられ、忠誠を誓ってくれた騎士は侮蔑に満ちた眼差しで、剣の錆にすることすら厭わしいと吐き捨てた。
行程の遅れを罵られ、鞭で追い立てられ、夜通し引きずられるように歩いた。
私はきっと「人間」ではなくなったのだ。「彼女」に出会った瞬間にそれはもう決まっていたことなのだろう。
国の果て、罪人にふさわしい終の場所だと獣の穴へと蹴り落とされた。
それでも『人間』としての性か、とっさに宙へ手を伸ばした。もちろんこの手を取って助けてくれる人などいない。
私の手は空を掴み、えぐり取られた私の目は、脳裏に澄みきった空の青を映した。見えてなどいないのに、鮮明な青だった。
もうこれで、私を貶める人はいない。
胸をえぐるような痛みに、凍えるほどの喪失感に泣くこともない。
やっと、苦痛が、終わったのだ。
―――――あ、れ?
いつ、そんな目にあったんだっけ?
ぼんやりと天井を見上げていたら、ご、ご、ご、と天井が動き出した事に気が付いた。
はっ! と思った拍子に、今まで考えていた何かが、私の中から霧散する。
どうせ大したことなんかないはず。
胸に押し寄せ、一瞬で消え去った痛みに思いをはせることもない。
だって私、下等生物だからね!
とうとうだ! と胸を躍らせる。
天井が開いてから少しの間、あの男は必ず様子を見るから、その間に逃げよう。
私は光魔法を駆使して色彩を操り迷彩をまとうと壁を伝って、のったらのったら進んだ。
いつも四角く切り取られた天井に空の青が見える。かすかに覗く緑の木々。風がふわりと私を包む。心が沸き立つ。心が躍る―――――外だ。
私はうんと体を伸ばして、ふるんと体を揺らした。
でもまだ、忌々しい結界術が残っている。早く結界術解いてくれないかな。うずうずしながら待っているのに、入り口に固まっている人間たちは一向に動こうとしない。深刻な顔で穴をのぞき込みながら、何事かを話し合っているようだ。
うーん……、なんかもう、待ってるの面倒になってきたぞ。
大人しくしてたって、私を見ればわかっちゃう。
よし。逃げよう。
私は消化吸収した魔獣の能力の中から、適した能力を選び出した。
透明スライムからの変化は一瞬だ。
私は吸収した魔獣の中から、羽根を持つ個体の姿を選んでいた。夕焼けの澄んだ赤い色だ。羽根はさしずめ、燃え盛る炎のように見えるだろう。
大きく羽ばたいて外を目指す。羽音に気付いた男が、竪穴をのぞき込むのと、穴をふさぐように張りめぐらされた対魔獣用の結界が切り刻まれるのは一緒だった。
「……やはり完成体がいた!」
男が指で術式を編み、呪術を練り上げているのが見えた。
あー、あれが傀儡の術かー。
―――術式無効っと!
くるんと一回転する間に、魔法を放った。ばちいっと音が鳴り響いた。
竪穴の周りにも張りめぐらされた結界と、男が放とうとした傀儡の術、それから、魔獣の出現に冷静に対処した男達が放とうとした、攻撃魔法の数々も一気に無効化させる。
人間達の顔色が変わった。
あははっ、これくらいで驚かれたら困るわ。
さらに高く舞い上がり、圧縮した空気を一気に地面に投下する。
持ち堪える人間はいなかった。
竪穴の前に集っていた人間すべてが、膝をついたのだ。
ご飯を持って来てくれる男も、地位のありそうな男も、彼らを取り囲んでいた男達も。
ふっふーん。下等生物舐めんなよ。先手必勝、逃げるが勝ちってね!
夢にまで見た青い空だ。
喜びのまま翔け上がって声を上げた。
「―――――あはっ。じーゆーうー! 自由だーっ!」
歓喜に震えながら上空を一回りして、とっととその場を逃げ出した。
とりあえず、マジックスライムの実用性を人間に示して有益なベストパートナー、もしくは隣人を目指そうっと。
幸い、消化吸収した魔獣達の能力を使えば、お役立ちスライムとして自立できるかもしれない。
獣の幼生の姿を取れば、保護してくれるかもしれないなあ。
かわいらしくって、弱そうで、守ってあげたいって思えるような、つぶらな瞳でこう、うるうると見上げてくるような、子犬を目指すのだ。雨に濡れて震えてると、なお良し。
とりあえず下等生物の地位向上を目指して活動して、それでも足蹴にされたりフルボッコされたり、搾取されるようだったら、可愛い獣の幼生の姿をまとおう。自立したくて行動しても、スライムということで自立を妨げられたなら、誰かに養ってもらえばいいんだ。
炎揺らめく羽根を動かすのも、お手の物だ。洞窟の中で夢を実現させようと奮闘してきた甲斐があった。
各種魔獣に擬態する練習してて良かったなあ。
ふふふ、目指す目標は高いけど、今はとにかく、鳥類になれました。
やればできるスライム、やればできるスライムな私。口から火だって噴けちゃうぞ!
♪おお、わい、でぃ、けー。
……あ、やればできるじゃん。私。な、ノリで。