初めまして、下等生物です。
ある日ある時、気が付いたら、薄暗闇のじめじめした洞窟のようなところに「発生」しました。
ここに発生するまで、自分が別の時間空間の中で「人間」なるモノだったという記憶がありました。うん、なんか青春を謳歌していた雌だってことも覚えてるね。
どういう経過でここにいるのかって、頭ひねって考えても思い出せないけど、なんかすごく苦しくて悲しくてみじめで痛かったことを覚えてるから、「人間」としての生を終えたんだなってことも分かった。
では「死亡」したのちに「誕生」したのだろう、と人間としての意識が結論付けるが、やっぱりこれは「発生」で間違いないと思い返した。
はははーと乾いた笑みがこみ上げてくる。
だいたい発生場所が、この薄暗い洞窟ってところで、お察しだ。
周りはなんか血なまぐさいし、ぐぎゃーとか、あんぎゃ―とか、ぐじゅぎゅがきしゃーとか、なんかこう、洞窟内で元気いっぱい走り回ってるヤンチャな生き物達が野生の証明をありありとしちゃってるわけだ。
いや、野生の証明っていうか、化け物の証明だねと、遠い目になった。
あ、目あるのよ、解りづらいだろうけど、ここ、ここに、ね。え、わかんない?
しょうがないかな。私だって「発生」して、自分の置かれている現状を確認して、気絶したから。
そんで気絶してる間に、スーパーヒーロータイムが終了したらしくって、一匹んんん一頭? の化け物さんが、勝利の雄たけびを上げていたシーンなんですよ。まさに、イマココな状態。
誰得だ、これ。
ぎゃーすと雄たけびを上げた、優勝者が、最後まで生死をかけて戦っていただろう化け物さんの喉首に、がっと牙を立てる瞬間をまさにがぶり寄りの状態で、目撃してしまいました。あ、解りづらいだろうけど、私の目はここ、ここね?
がぶ、ばりいっと肉を引きちぎり、バリバリかみ砕く強靭な顎、暫定準優勝者さんを押さえつけてる四肢の……あ、ごめん、六肢の力強いことったら。同種族の雌なら惚れるぜちくしょー抱いてってなるところ。
惚れないけど。むしろ捕食対象物件な私。目があったら、腹の中直行だろうから、危機感しか抱けない。
気付くなよー。気づかないでよーと願う。
見つかってない今に感謝せざるを得ない。
夢中で咀嚼していらっしゃる、確定優勝者さんの目に留まらないうちに、移動しようと周りを見渡して、ふぐっとえずいてしまったのは仕方ない。
なんかもう、地獄絵図って言葉が浮かんできた。この大量虐殺現場は「人間」的にはアウトーだ。
だけど血肉が飛び散ってる現場を見て、あ、ご飯だーと思って一気に嬉しくなってしまった現状の自分こそをアウトにしたい。
だめでしょ、これ見てご飯って思ってる自分って。
ダメだろ。あ、こ、こら、とまれ自分、ダメだって、ダメだってばっ!
……うまうま。
はっ! と気が付いたら幸せにむぐむぐしてる自分が。
もぐもぐしてる場合じゃないよ、逃げなきゃっ! そう、そーっと、そーっと……、あ、こっちの血肉もなかなか。もぐもぐ、うまー。
心がほっこり、目の前には、ぱあああっとお花畑が広がって見えた。ああ、輝いてる。
いいんじゃないかな、ここ、血肉畑と名付けてあげよう。
あっでも今、目の前に危険な捕食者がいるから、物陰に隠れなきゃ……おお、こっちの血肉はまったりととろけるような食感で、舌の上でとろけるわ~。
じりじりと動きながら、ついでに飛び散ってる血肉をもぐもぐしながら、「人間」としたら考えられないほど慎重に距離を稼ぐ。
じりじり。
うまうま。
じりじり。
うまうま。
はうーん、天国うううっ。ぱあああっと気持ちのまま満面の笑みを浮かべた。
―――ら、捕食者と目が合致しました。なんでだ。私は岩と同化してたはずだ!
ふんふんと鼻先が、岩と同化して見えないはずの私を嗅いでいる。
じゃりっと土を踏みしめた力強いだろう、ふっとい脚。長い舌が顔面を染める赤やら緑やらの血しぶきを舐めていくのを、スローモーションで見せつけられた。
力強い六本の脚が、大地を踏みしめ、あふれ出す躍動感のままに、中空を跳んだ。
「きしゃあああああっ!」
(みぎゃあああああっ!)
気持ち的には、弱小下等生物らしく、逃げの一手で、ささっと物陰に隠れるつもりだった。
でも、この体にはこの体なりの、防御形態ってのがあって、極限状態で放り出された防衛本能のままに私は。「体」をぶわりと開放してしまった。
風呂敷を広げるように、体が「開いて」こちらに向けて跳びかかってきた優勝者をくるんと包んでしまったのだ。
しばらく私の風呂敷の中で、ぎしゃーだの、ぐぎゃーだの、がるるっしゃっーだの、がふがふがふっだの、元気に大暴れしてた優勝者が、時が過ぎるうちに、徐々に動きが少なくなり、ぐうぅ……だの、ぐぎゃ……だのと、だんだんおとなしくなって。
―――私が広げた風呂敷の中で、動かなくなった。
……そして、私もまた動けなかった。
ゆっくりとしみ込んでくる満足感に、動けなくなったのだ。
恐ろしくて、何処が心臓かわからなくなるほど、体中がドキドキしていた。ドキドキして、がくがくして、震えていたはずなのに、私の体は、否応なく優勝者の体を溶かして、溶かして、吸収していく。
彼が持っていた力強さも、跳躍力も、俊敏さも、獰猛さも、容赦ない捕食者としての本能すべてが、溶かされ融かされて、私の中に吸収されていく。
牙も爪も持たなかった脆弱な、捕食対象の私の中に、しんしんと降り積もっていく、絶対強者の能力。
恐ろしかった。身に余るほどの力の激流が。
愉悦に震えた。この身に染み入る、絶対の力に。
だから私は洞窟の中で動けなくなったのだ。
……どれほどの時間が過ぎたのだろうか。
洞窟の岩肌と同化していた私のところに、誰かがやってきた。
天井だと思っていた岩が、動いて、光が差し込んだときは、暗闇になれた目がくらんで動けなかった。
「……失敗か。また次の魔獣を準備しなければ」
誰かがそう呟いた後、二三日すると、新しい獣たちが天井から落とされる。
ここはあの男の管理する場所なのだろう。
あの男は、魔獣と言ったけど何のために、獣を洞窟へ放り込むのだろう?
私的にはご飯が定期的に差し入れられるので幸いだけど、満腹になった頃、あの男がやってきて穴倉……いや男的には竪穴か? を、のぞき込んで眉を顰めるのだ。いったい何のために魔獣を集めて突き落とすのだろう。
はるか高みから投げ落とされた檻が衝撃でひしゃげたまま、何個も転がっているのを見渡す。
檻に押し込まれたまま魔獣たちは落とされ、下敷きになった同胞を踏みつけ外へ出てくるのだ。彼らは、獰猛だ。檻から出たとたんに、弱肉強食が始まる。弱い個体が淘汰され、強い個体だけが生き残る。
そして、戦う敵がいなくなったと油断した瞬間に、私の腹の中に納まるのだ。その繰り返し。
この洞窟内に発生してから、何種類もの魔獣を吸収した。
六足の獣、鳥型の獣、蛇やトカゲ型の獣、大鰐や蜘蛛に似た獣なんかも美味しく頂いた。
徐々に思考力が高く、早くなっているようで、寝ているか食べているか消化しているか吸収しているかだけだった私の生活リズムに、思考する時間が増えてきた。
自分がまとう色すら変化させることができるようになった。透明で脆弱な私はもういない。
ご、ご、ごと重い音を立てて開いていく天井の岩と、奈落をのぞき込んでいる声の主を見上げ「……今回も、か。生き残り魔獣が、気配遮断を覚えたのかもしれないな。あれだけの魔獣を糧にしていると仮定すれば、この状況は悪くない」
男の言葉に、そろそろ潮時か、と思った。
次、あの男が現れたらこの洞窟の中に火でも投げ込まれるんじゃないか? あ、でも以前放り込まれた火炎を扱う獣を難なく丸呑みできたから、火には強いと思うけど。
そういや、私だって私自身の事良く知らないけど、結構丈夫で長持ちだと思うよ?
今までいろんな獣達を丸呑みして、その獣の持つ、身体能力も消化吸収してきたし。
ん、いくら下等生物といえどもミジンコクラスから二枚貝クラスへ劇的変化してるかもしれない。
……ま、見た目も能力も最下層、私の精一杯の抗いなんか高が知れているけどね。
食事を重ねるごとに大きく成長した私の体は、洞窟内をくまなく覆うことができるようになっていた。洞窟の岩肌と同化した私の体の内側で、化け物たちは勝利を目指して戦い合うのだ。洞窟内が閉じられているなど、思いもせずに。
次にあの天井が開かれたら、岩に同化したままこっそりと地上へ出よう。
次に天井が開いた時、そこにいるのはきっと私の敵。
駆除しに来る前に逃げるが勝ちだ。
そう思いながら非常食用に凍り付かせておいたご飯を、火魔法でこんがり焼いて、もぐもぐうまーする。
まったりしていてしつこくなく、それでいて香ばしい肉の香りが、野性味をかきたてている。こりゃー、落とされた衝撃で弱った者に食らいついて野生の証明しちゃうのも、わかるね。
魔獣たちの若さを思う。その無鉄砲なまでの情熱といい、押さえつけること敵わない躍動感あふれる肉体といい、自分を信じる純粋さといい、実に実に……うまー。
大きく広げた風呂敷の中で、獲物が躍る。今日のご飯も大変結構。
あなたの能力は私が必ず生かしてあげるから、安心して私の糧となって。
……さて、某月某日、洞窟内に発生しました。
とりあえず、洞窟内最強を目指しています。
改めて、自己紹介をいたしましょう。
―――初めまして、私、下等生物!
真核生物界、アメーバゾア門、スライム網、スライム目の亜種、マジックスライム変形種。
なんでも溶かして吸収しちゃう、心は乙女、体はスライムなこの私、夢は脊椎動物です。