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2 先駆者の功罪

 “まっつん”こと松尾誠二の変態性は研究者の殆どが認めるところであり、多くの犯罪行為を犯したという事実は確かにあるが、今回はそれらの是非については取り上げないものとする。


 計画の初期段階で、彼が最初に行った事はマンションのシステムをハッキングすることであった。

 エンジニアとしてはかなりの力量を持っていた事は彼の残したメモや書き込み等から伺えるだろう。

 マンションのオートロックを難無く掌握した“まっつん”はその女性の行動パターンを把握して、彼女の部屋に頻繁に不法侵入を繰り返すようになる。


 女性が部屋の中で仕事のために四六時中PCの前に座って、常時マウスを操作している所を“まっつん”はつぶさに観察していた。

 ここで彼の脳内に常人では有り得ない飛躍がおこる。

 “まっつん”は、自分がこのマウスになれば全ての問題が解決するという確信を持ったのだ。

 いつの世も天才の考える事は凡人には測れないものであるが、この逸話はその最たる例ではなかろうか。


 さて、皆さん。ここで現在の話しを少しだけさせて頂こうと思う。

 それぞれの専門家である皆さんなら全感覚没入フルダイブ型VR技術に必要不可欠な要素が何であるかは御存じの事だろう。

 そう、それは共感因子である。

 

 1996年にジャコーモ・リッツォラッティ等によって発見されたミラーニューロンは、一部の鳥以外では霊長類の脳内にしか存在せず、文化を継承する為のいわゆる“サル真似”を生み出すニューロンとして世界に衝撃を与えた。

 そして今から11年前、2025年にここ日本で新たに発見された共感因子はミラーニューロンの発見を凌駕する、脳神経学という分野に於ける大事件であった。

 既に多くの脳科学者によってほぼ解明が終わった、大脳新皮質の一領域に存在する共感野。その研究成果こそがまさに全感覚没入フルダイブ型VR技術と言って差し支えないだろう。


 共感因子の発見以前、人類は必死になって機械を人間に近づける研究をしていた。

 このやり方ではどんなに上手く研究が進んだとしても、あと30年は全感覚没入フルダイブ型VR技術が確立する事は出来なかった筈である。

 機械を人に近づけるのではなく、人を機械に近づけてゆく、この発想の転換がなければ現在の成功は存在しなかったのだ。

 そして事実上、世界で初めて共感因子を使って感覚没入ダイブに成功した、最初の人類こそ“まっつん”こと松尾誠二という男なのだ。

 共感因子という概念さえ存在しなかった2015年に、彼がどうやって感覚没入ダイブを成し得たのか?

 それを紐解く鍵は彼の変態性にある。 

 

 彼が思いを寄せる女性の部屋に不法侵入した際に、彼女が常に触ってクリックしていたマウスになりたいと本気で考え、それを成すための具体的な行動に移っていく。

 まずは彼女が使用しているマウスと同じ物を量販店で購入し、こっそりとすり替える事に成功する。

 彼女が使っていたマウスを、自室に持ち帰った“まっつん”が一体なにをしたのか? その詳細は研究者が偶然に発見したログに残っていた。

 彼はマウスを撫で廻し、更には舐め回し、その色や形、匂いや味までもじっくりと堪能したという。

 マウスに味が存在するなど寡聞にして聞いた事もないが、彼は五感の全てを使って彼女のマウスを感じ取ったらしい。

 そして次の行動に研究者一同は驚嘆する事になる。

 彼は全裸になった状態で自らの体の上にマウスを滑らせたと言うのだ。特に陰部は念入りにマウスをこすり付けたとの記述がある。そしてこれらの行為を最低でも一月は続けたというから驚きである。


 彼はこのマウスを完璧に理解し終えた後に、また彼女の部屋に侵入してもう一度マウスをすり替えたのだ。

 最初の感覚没入ダイブはその日の夜に起こった。

 彼女が帰宅してPCの前に座ったのを向かいのボロアパートから覗き見していた“まっつん”は彼女がマウスに触った瞬間、自分の体に触られた感触を得たという。

 それは全身に散らばってしまった薄い感触であったとログに残っている。

 “まっつん”は自分の失敗を悟り、すり替えて持ち帰ったマウス(量販店で買った物)に感覚没入ダイブを試みる。

 前回の反省を活かして2度目の行為は主に陰部、それも睾丸だけに特化した接触をひたすら繰り返したのだという。期間も前回より伸ばして二か月間も自身の睾丸に擦り付けまくったらしい。

 十分に堪能したあと再度マウスのすり替えを行った結果、素晴らしい効果が得られたと興奮気味の記述が見つかっている。

 そこには次のように書かれていた。


『すっげーーーー!! あの女がクリックする度に俺の金玉がクリクリされちまうぅぅぅ!!』


 まさに変態にしか成しえない偉業であったろう。

 彼はこの偉業を友人に伝え、自身も掲示板に書き込む事で世界に広めようとした。しかし残念ながら一部の同行の士にしか理解を得られずにスレッドは寂れていったのだ。


 こうして世紀の大発見が人知れず消え去ろうとしていたのだが、運命の女神は一人の研究者に微笑んでくれたのだ。手前味噌な言い方になってお恥ずかしい限りなのだが、“まっつん”の残した偉大な功績を発見しVR技術に新たな地平を切り開いたのは私である。

 そしてこの話の中心人物の一人、“まっつん”の思い人だった女性こそ私の母なのだ。


 母と私はいわゆる母子家庭で、仕事の忙しかった母は当時12歳だった私を祖父の家に預けて、単身で職場の近くに住んでいた。

 そこで“まっつん”との接点ができたのだ。

 私が“まっつん”の事に興味を持ち調べるようになったのは、母から聞いた話が切っ掛けとなっている。

 残念な事ではあるが“まっつん”こと松尾誠二さんは2016年の初冬に亡くなっている。

 一人身で不可解な死を遂げた上に、部屋からは母の写真が見つかった事もあって、警察から事情を聞かれたのだそうだ。母はそこで初めて彼が死んだ事や彼の名前、更には母の部屋に不法侵入していた事などを知ったのだ。

 中学生の時にその話を聞いた時は随分と衝撃を受けたものだ。そのせいもあって、大学に通い始めてから彼の事を調べるようになったのは必然、あるいは運命だったのかもしれない。

 私は“まっつん”の感覚没入ダイブの謎を解き明かし、共感因子の発見という僥倖を世界に発信する事が出来た。

 偉大な先駆者“まっつん”。

 しかし彼はその功績に見合うような評価を得られていないのが現状である。


 ここまで長い話に付き合って頂いた諸兄には感謝の念を送りたいと思う。

 最後に今後の私の研究テーマについて少し述べさせて頂きたい。

 皆さんもご存じの通り共感因子は有線でないと繋がる事はできない。この事は太陽が東から昇るのと同じくらい当然の事として捉えられている。

 しかし私はこの常識を覆したいと思っている。すなわち無接触感覚没入アンタッチドダイブを実現させたいのだ。もしこれが成功すれば世界に激震が走るだろう。

 全感覚没入フルダイブ型VRを気軽に持ち歩けるようになるのだ。その時に起こる技術的ブレイクスルーの影響は計り知れないものになる。


 この野望を話すと他の研究者はもれなく笑い出す。『お前は共感因子の発見で傲慢になっている』と言われた事さえある。

 私だってこんな荒唐無稽な研究はしたくない。

 しかし、私には確信があるのだ。無接触全感覚没入アンタッチドフルダイブは可能だと。

 その根拠は“まっつん”こと松尾誠二さんの死因にある。

 彼は全くの健康体にも係らず室内で窒息死をしている。首を絞められたり薬物を服用したりの形跡は一切ない。

 そして、重要なのが彼の部屋からマウスと共に見つかった椅子なのだ。

 母がPCを使う時に使用した椅子と全く同じ椅子が“まっつん”の部屋にもあったのだ。

 諸兄はお気づきになられただろうか? 窒息死と椅子の関係に。

 私の推論はこうだ。

 2015年にはすでにマウスとの感覚リンクに成功した彼はそれだけでは満足できなくなる。そこで次のターゲットに選んだのが母の椅子だ。

 2016年の冬に亡くなった事を考えると長い時間を掛け苦労して感覚没入ダイブ出来るようになったのだろう。

 そして顔と椅子の座面を感覚共有したのではなかろうか? “まっつん”は母の尻に顔を押さえ付けられて呼吸困難で亡くなったのではないのか?

 私はこの推論に自信を持っている。

 何故ならば。

 彼こそは人類の遥か先を勇敢に突き進んだ冒険者だったのだから。




1話目の冒頭とミラーニューロンのくだり以外はフィクションです。

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