1 “まっつん”について
VR:ヴァーチャルリアリティーと言う言葉はシュルレアリスムの詩人アントナン・アルトー(仏1896~1948)が芸術用語として生み出した造語だった。
これを直訳すると実質的な現実感という事になる。
つまり現代日本においてはヴァーチャルという言葉は違う意味に翻訳されているのである。ヴァーチャル=仮想は間違いでヴァーチャル=実質的が正しいのだ。
例えば仮想敵国という言葉がある。これを英語にするとハイポセティカルエネミーとなる。仮にヴァーチャルエネミーとした場合、実質的な敵という事になってニュアンスが変わってくるのだ。
講釈を垂れるのはこの辺にして、本題に入る事にする。
それは業界に衝撃を与えたある男の話しだ。
現在では当たり前となった全感覚没入型VRの開発に決定的な功績を残した、最も評価されていない男の話しである。
今から約20年前、2016年当時のVR技術はお粗末な物であった。
現在のような全感覚没入型VRの概念は当時から存在してはいたが、もっぱら量産されるネット小説のデスゲーム物に設定として登場するくらいで、現実には他人の夢を映像で見る事でさえ、非常に解像度の低い稚拙なものだった。
ここで紹介せねばならない男が初めて人の目に触れたのは2016年の2月。現在の世界統一掲示板6チャンネルの前身に当たる2チャンネルに立てられたスレッドが最初のコンタクトだったとされている。
研究者の中にはそれよりも前、2015年12月の段階で彼の友人が2チャンネルに書き込んだレスが最初だとする意見もあるが、今回は2月の説を採用する。
その男の名前は松尾誠二。
2チャンネルで使っていた固定HNは“まっつん”である。
当時の貴重なログが偶然にも残っており私自身もそれを見させてもらった。
彼の立てたスレッドのタイトルは『俺の金玉と彼女のマウスがリンクした件について』だった。
このスレッドは立てられた当初ほとんど書き込みがなく“まっつん”の独り言のように推移していく。しかし、事の重大性に気付いた少数の男達がこのスレッドに食いついて行く事になる。
このスレッドに食いついた男達はその画期的な技術には目もくれず、実質的な使用感について、つまり彼女がマウスを触ると自分の睾丸にどういうレスポンスがあるのか、という突っ込んだ質疑が繰り返される事になる。
“まっつん”は当時30代後半のしがないエンジニアで大脳生理学等の高等な専門知識は持ち合わせていなかった。
彼には膨大と言える程の暇な時間があり、殆ど引き籠っていた自室から覗ける、向かいのマンションに住む女性に恋をしたのだ。
“まっつん”はマンション入り口で待ち伏せ紛いの事をしてまで、彼女に告白をするが全く相手にされなかったという。
その時の彼女のバカにした態度に、心底興奮したと言う書き込みも発見されており、彼がいかに真性の変態であったかと言う証左になっている。
完全に玉砕した筈の”まっつん”であったが、どうしても彼女のことが諦めきれなかった彼はある計画をたてる。やがてその計画が前述したスレッドへと繋がっていき、ひいては日本が誇るVR技術の基礎概念を構築していく事となる。
この講義はフィクションです。