望むもの
バトルです。私の小説には必ずと言っていいほど、こういう場面があります。
ちょっと痛い描写がありますが、悪しからずm(_ _;)m
どす黒い声が荒々しく響いたと思ったら、背後で炸裂音がして何かが壁に激突する音がした。
その音に胸を締めつけられながらも、恐る恐るその方向へと振り向く。
その光景を見て、息ができなくなった。
先生の体が、力なく倒れている。
「せん、せい?」
二の腕と側頭部に強い衝撃を受けたのか、服が破れ、擦れた皮膚が赤い肉をむき出しにしていた。
こめかみを通って後頭部へと細く血が伝っている。
先生に意識はない。頭に攻撃を受けたのだ、無事ではすまない。
「はっ、……あ…...」
先生が死ぬ? 漠然とそう思ったら、不規則な動悸が襲ってきた。うまく呼吸ができず、吸っているのか吐いているのか分からない呼気が、口から漏れ出す。
動揺。肩も、震え出した。
「情けねぇなぁ同胞よ。グロいのはだめか? 塔で経験ない? ……思ったより下層にいた奴だったか。期待して損したぜ」
膝まである灰色のコートを着た男は、撫でつけた短い金髪を乱暴に掻きながら、鋭い黒目で負傷した先生を見、冷たく笑んでいた。
人間を蔑み嫌う、魔操者の目だとすぐに分かった。
「まぁいい。お前の存在を町で見て、迎えに来たんだ。魔女に対抗するためには仲間が必要だからな。どんなに弱くとも、いないよりはマシだ」
そうして手を差し出す。魔操者は皆、自分と同じ考えを持つと思っているのだろう。相手が手を取るだろうことに、なんの疑問もない。
「どうした?」
震える体は止まらない。早く治療しないと先生が死んでしまう。
先生の方へと無意識に歩み出した先に、男が体を割り込ませてきた。
「何する気だ?」
「決まって、る。先生を……助けないと」
「人間を助ける? お前、本当に魔操者かよ?」
早くしないと。先生の元へ駆け出すが、足をかけられて横転してしまった。
「お前、人間が嫌いなんじゃないのか? こいつの言葉、否定してただろうが」
そうさ、否定した。でもそれは、救いを否定しなくてはならないからだ。人間が嫌いなわけじゃない。
男はしばらくすると呆れたように舌打ちした。
「ホントにどうしようもねぇな…...まぁ弱い奴ほど魔操者のプライドより今を見ちまうんだろうが、俺は甘受なんかごめんだ」
言いながら、男の手が先生の方へかざされる。
「こいつに心を揺さぶられるなら、俺がしがらみを解いてやるよ。それで万事解決だよな?」
「!」
男の顔に嫌な笑みが上っていた。自分たち魔操者が導き手だと疑うことのない高慢さと、下等で蔑みの対象である人間を攻撃できる、その行為が楽しくて仕方ないと言わんばかりの邪悪な笑み。
それが何を意味するのかなんて、瞬時に理解できる。
「やめろ……!」
やらせるものかと、咄嗟に魔操を放っていた。男は空気の爆発的な振動に打たれて吹き飛ぶ。
「先生っ」
同じ魔操者を攻撃してしまったことよりも、今、心を占めているのは先生が死ぬかもしれない絶望だった。先生の言葉や自分に向けてくる思いが苦しいなら、そこから逃れたいなら、例え先生が死のうとこのまま見捨てればいいのに、どうしてかできない。
このままここから立ち去るなんて、できるはずがなかった。
(なんで……)
訳が分からない。そう思ったら、なんであの時この町で人を救ってしまったのかという思いがわき上がってきた。あんなことさえしなければ、先生と語り合うこともなかったはずだ。こんなに苦しむことも、きっとなかった。
治療しながら、勝手に涙が流れてくる。何に哀しんでいるのか、何が悔しいのか。なんで流れてくるのか分からない。自分が分からない。
そんな僕を、先生の赤紫色の瞳が見ていた。
「先生……!」
生きていた。良かった。そう思ったら、また泣けてきてしまった。
先生は傷の痛みに顔を歪めるどころか、穏やかに笑った。
「その涙はな、イルフ。行きたくても行けない心が、泣いておるんだ。君はもう、自分が何を望んでおるのか、本当は、分かっているんだよ」
唇を引き結んで、胸から溢れ出ようとするものを堪える。僕は今、どんな顔をしているんだろう。先生は、こちらを慈しむように目を細めている。
「てめぇ……」
どすのきいた低音が、森から風に乗って耳に届く。さっき吹き飛ばした男だ。顔を見なくても、その声から彼が怒りに満ちていることは簡単に想像できた。
涙を乱暴に拭い、先生からそっと離れ、男と対峙する。
男は外傷をほとんど負っていない。木や地面に激突する前に魔力を空気に練り込み、緩衝の役割を持たせたのだろう。
「お前は魔操者だろが。人間に味方するたぁ、どういう了見だ? 俺たちを裏切ろうってのか?」
味方とか裏切るとか、そんなこと、今はどうでもよかった。とにかく先生を助けたい。
「頼む、退いてくれ」
「あ? 何言って……」
「退いてくれ。そしてもう、この町には手を出さないでくれ」
もう一度言うと、男の顔が歪んだ。あからさまな嫌悪。
「……人間と生活するうちに情に絆されたか? 堕ちたもんだ。少しは大目に見てやろうかとも思ったがやめだ。お前みたいな同胞なんかいらねぇよ!」
人間に味方すると認識した途端、男は攻撃態勢になった。
「切り裂け!」
体内を巡る魔力を練り、掌を媒介にして空気に乗せる。言葉は自らのイメージを強くするものだ。より形が緻密に形成され、魔操の威力は増す。
男の言葉を受け、風が刃となって襲いかかってきた。
魔力で強制的に作られたものはすべて、同じ量の魔力をぶつければ防ぐことができる。
両腕を突き出して同等の魔力を練り、ぶつける。その波動は男が発生させたかまいたちを消滅させると、男さえ吹き飛ばした。無意識に強く力を出してしまったらしい。
そして気がつく。魔女の正体を知らない、塔の中下層で暮らしていた目の前の魔操者と、自分の力量の差を。
例え先生を庇いながらでも、本気を出せば負けることはないのだと。
「このやろう!」
「退いてくれ!」
再度攻撃を打ち消し、男へと小さな攻撃を加えていく。男は信じられないといった顔を向けながらも、攻撃の手を緩めない。
「分かるだろう! あなたでは僕には勝てない。大人しく退いてくれ!」
何度か衝撃派を当てると、男は膝をついた。
「思ったより、やるじゃねぇか。なんで力のあるお前みたいな奴が人間なんかに……まぁいいや」
懐から紙切れを一枚取り出し、男がそこに言葉を乗せると、火が灯った。
炎の攻撃か。しかし火炎が飛んでくるより前に、不完全燃焼した空気から黒い煙が発生する。
(煙幕!?)
視界を遮られる前に、風でその煙を晴らそうとしたところを狙われ、かまいたちが体を切り刻んできた。二の腕、肩、胸、脚。どれも軽いが、動きを止めるには十分な攻撃だ。
「守るものがある奴は弱い。しかも人間なんて脆弱な生き物を守って戦うのはさぞ、骨が折れることだろうさ」
男は倒れた先生を見下ろすように、掌を向けていた。
「動けばどうなるか、分かるよな?」
魔操者、しかも人間を見下すような魔導主義者と呼ばれている魔操者は、どんな卑怯な手を使ってでも人間を、逆らう者を従わせることができればその誇りは守られる。勝つためには手段を選ばない、それが典型的な魔導主義者――魔操者の考え方。
動けない。上層にいた実力者なら遠くに魔力を飛ばして魔操を発動できるが、掌をそちらに向けなければそれは難しい。それをする前に先生が攻撃を受ける。どうすれば。
「切り刻め!」
余った手を向け、男が再び風の刃を見舞ってくる。腕を、脚を、胸を、頬を、鋭い刃物が擦っては刃を返し、別の箇所を切り刻む。刻まれたところから血の糸が舞い散り、痛みがじわじわと生じてくる。
全身を巡るような痛みに、たまらず膝をついた。
「裏切り者にはお似合いの姿だな」
魔操者相手でも人を痛めつけ優越感に浸るのは、人間に対して持つ感情と同じようだ。男は楽しそうに笑っている。
その男の表情が突然、驚きに変わった。
「てめっ」
先生がふらつく体に鞭を打ち、男の腕に必死にしがみついていた。
危険だと叫ぶより前に、僕の頭は目の前の男を倒すことを優先している。
魔操では先生も巻き添えにする危険があったから、男の顔面に思い切り拳を叩き込んだ。塔で研究に明け暮れていた細腕では筋力などたかが知れているが、額に渾身の一撃を食らえば、平衡感覚を少しの間狂わすくらいには脳に衝撃がいく。
思った通り、男はふらついて隙だらけだ。その間に先生を離して横たえ、男に掌を向けた。
「ごめん」
今度は衝撃波を胸に直接叩き込み、森の奥へ吹き飛ばしてやった。
これで頭と胸へ受けた衝撃で、すぐには動けないはずだ。動けるようになっても、反撃してこないことを祈りつつ、先生の元へ急ぐ。
ふらつきながら傍らに座り、本格的な治療に取りかかる。
先生は必死になっている僕を見て、また笑っていた。
「やっぱり君は、人を助けるべきだな」
本当に嬉しそうに笑うから、また涙が溢れてきそうになった。見透かされて心に入ってこられると、その心を塞き止めている壁が嘘のように決壊してしまう。なんだか情けない。
でも苦しくない。悔しくて、痛くて泣いているわけではないとはっきり分かったから。
うまく笑顔を返せただろうか。
もう大丈夫。そこまで治療を終え肩の力が抜けた途端、僕の意識は闇へ落ちた。