罪の力
かなり深く眠っていたのか、今度は女性の甲高い泣き声で目が覚めた。
さっき目が覚めた時は夜だったようで、今は窓から太陽の光が照らしている。
外が騒がしい。
昨日上がらなかった右腕を動かしてみた。痛みは多少残っているが、出歩くくらいなら問題ない。上体を起こして脚をベッドから下ろしてみても、歩くのに支障はなさそうだ。
そういえば、この病院で気がつくまでどれくらい眠っていたのだろう。魔操者はその身に流れる魔力によって身体機能が人間よりも活性化しているため、傷の治りが早い。しかしそれは人間から見れば少々奇異に映る早さだ。まだ介抱から一日、二日しか経っていなかったら、出歩く姿を不審がられるだろう。
本当は魔操者ということを隠して大人しくしていた方がいいのだが、外からの空気が異様な緊張感をまとっていたので、そうも言っていられない。
不審がられないことを祈りながら病室を出る。
外に出ると、太陽の光が眩しくて目を細めた。日の光に慣らして徐々に視界を開けていくと、そこにはまったく予想だにしない光景が広がっていた。
建ち並ぶ木造の家々に走る大きな傷、屋根が剥がれてその木片が道を塞いでいる。
砂を巻き上げて空気が埃っぽく、その惨状はまるで竜巻に襲われたかのようだ。
人も何人か倒れている。この災害に巻き込まれたのだろう。皆、怪我人の治療で右往左往している。もちろんザクロ先生の姿もあった。
町の様子を見ながらゆっくり近づく。
怪我人は皆、鋭い爪で引っかかれたような傷を負っていた。竜巻が原因なら、この傷の説明がつかない。
なら答えは一つ。
これは魔操者の仕業だ。
「先生お願いです! 彼を!」
髪の長い女性が先生にしがみついて何か懇願していた。先生は首を振っている。
側には男性が一人横たわっていた。
見ると、服が赤く染まっている。左脇腹が血でべっとりと濡れていた。
男はかろうじて意識を保っているようだが、目は虚ろで、虫の息だ。先生が泣き崩れる女性を支えて悔しそうに目を閉じているのを見る限り、どうやらもう助からないらしい。
こんな所でまで人の死を見ることになるなんて、これは罰なのか。自分の犯した罪を忘れるなと、そういう。
分かっている。血なんか見せなくたって、忘れられるわけがないんだ。
許されようなんて思っていないから、もう突きつけないでくれ。
女性の慟哭が痛切に鳴り響く。人の悲しみはこんなにも悲痛な音で胸をかき乱す。塔にいた頃は人を死に追いやったって泣く奴なんかいなかった。むしろ喜んで犠牲を作るくらいだ。そんな現実を受け入れたくなくて自分を責め続けて、奴らと同じにならないよう心だけは守って。
そんな心に一体どれだけの価値があるのかと、今は空虚な思いしか自分にはありはしないけれど。
また逃げようと背を向けて、しかし思いとどまった。
確かに、人間の医者にはもう彼を助けることはできないかもしれない。
でも、魔操者の治癒の力なら。
「……」
迷っている時間はない、か。
「イルフ君……!?」
青年の傍らに膝をつき、血で濡れたその箇所に手をかざす。
「清く慈悲溢れる風をこの傷に。活性の力をこの体に。強く、早く」
小さく呟くと、透明な風が傷の中に溜まった汚れた血を取り除き、細胞を癒し始めた。
ほのかに光をまとっているその魔操は、こういう使い方をすれば救いの光となる。その光がかつて、治癒力の向上や不老の研究のために人体に施した非人道的な罪の力だとしても。
「何を、しているの? この人に何するの!?」
不安で錯乱しそうになった彼女が腕を掴んできた。当然だ。愛する人に見たことのない事象が施されているのを、黙って見ている恋人はいないだろう。
その女性を、先生が宥めた。
「……イルフ君、それは?」
先生の真剣な言葉は聞こえていたが、治療に集中しているふりをして答えない。
「……任せて、大丈夫だね?」
小さく頷くと、先生は男性を見守る町人に女性を任せて、次の怪我人に向かっていった。
その時何気なく肩を叩かれ、なぜだかそれが、とても嬉しかった。
「お前、魔操者だな?」
傷を完全に塞ぎ、そそくさとその場を立ち去ろうとしたら、丁度正面で治療の様子を眺めていた壮年の男が睨んできた。こうなることは分かってやったことだから無言で立ち上がり、病院に置いてきた荷物を取りに行こうと足を踏み出す。
「待てよ!」
腕を乱暴に掴まれ、素早く胸倉をねじ上げられた。
「この町を見ろよ。お前の仲間がやったんだ。お前らはなんなんだよ! 五年前に現れてこんな……! 俺たちをどうしたいんだよ!」
怒りはもっともだと思った。塔を破壊され、生き残った魔操者は人間を脅かす存在として今、危険視されている。力で人間を支配しようと、こうやって町を襲う輩ばかりが目につくのだから、例え塔の条理を叩き込まれていない平和を望む魔操者でも、人間には同じ、危害を加える者として映っているのだろう。
それを承知していたから、すぐに出ていきたかったのに。
「なんで黙ってんだよ! 答えろ!」
「殴りたいなら、殴ってくれ」
自棄になっていたのもある。何より、魔操者は制裁を受けるべき存在だ。知られてしまった以上、足掻いても仕方ない。
その挑発を買い、男は素直な怒りで返してくれた。
「何してるんだ!」
先生の声だと分かったのは、もう意識が薄れていた時だった。殴られた位置が悪かったのか、そのまま気を失った。