プロローグ・結◆夜
澱みなく早める川は繰り返し、作物に恵みをもたらす。広がる耕土は茶渋の絨毯のように一面に、古風な木造の家々はその合間を縫いながら軒を連ねる。
暗夜、満ち月は煌煌と光り鮮ぎ、山奥に響いた梟の鳴き声は淡く、ゆっくりと鎮まり返っていった。
深き山間、その小さな集落には、確かに、紛れもない夜が――たかだか蝋燭一本の僅かな光ですら無性に明るく感じられる、それがあった。
ある、一つの小屋のもと。
人が住むには余りにもみすぼらしい、材木の余りを張り合わせただけの掘建て小屋。まさに外観通り、といった内は驚くほど狭く、あるのは古びた寝台が一つだけ、そのすぐ近くには東向きの硝子窓が立て付け悪そうに、殆ど無い風を寄せていた。
木の床は所々が朽ち欠け、そこら中には鞄やら服やらの類が無造作に散らかり、雑把な様子が伺える。好んで住みたいとは言えないが、最低限の寝具は揃っている所、旅人が一夜を過ごす為に当てがわれた小屋なのだろう。
僅かなはずの寝息は静寂にそよぎ、絶える事は無い。窓辺に置かれた銀色の受け皿には溶け出た蝋がなみなみ溜まり、ゆらめく火は細やかな光を放ちながら、部屋全体をうっすらと照らしている。
そして眠りにつくのは、一人。
肩下ほどに伸びたうねりの無い長髪は混じり気のない、純粋な黒。それは女性、しかもまだ少女とも取れる顔付きで、身の丈は、年頃では中程というところだろうか。
澄みきった夜山から見えた空には、多くの星星が瞬いていた。窓は半開きになっており、近くには、読み古しているような本も、飲み掛けのカップも、何も無い。おそらくは、窓の外の何かを見ていたのだろう。
その時、呆れたような、一つの溜め息があったのが確かであったのかはわからない。何せそこに居たのは、その人、一人だけだったのである。
ただ、確かだったのは、無風の中揺らめく光が音を発てて消えた、という事だけだった。