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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

回る視界と最後通牒

作者: 燈亜


 狭い部屋に奴の笑い声が響き渡った。心底楽しそうなその声は、四方の壁にぶつかって背筋を駆け上がるような不協和音になって戻ってくる。

 ……不愉快だ。心底、不愉快だ。

 両手首を背中の後ろで無駄に太い縄で縛られ、なおかつ二の腕を胴体に隙間なく密着させる形で同じ縄で縛られている。もちろん動くことは全くできないし、痛い。これもまた、とてもとても不愉快だ。

 壁にもたれて胡坐をかいている俺の前、一見すると無邪気な笑みを顔全体に溢れさせて見下ろしてくる奴。その吊り上がった口からはまだ笑い声がこぼれている。

 ……これこそ、史上最高の不愉快だ。

 縄でぐるぐる巻きの俺を、奴のきらきらした視線が何度も往復する。脱出を試みようとしたせいで擦りむけた足だとか、縄の食い込んだ二の腕だとか。奴の目はそういう箇所で、まるでうまそうだとでも言うように細まった。視姦されている気分とはこのことだ。腰の方から背筋を走った寒気が、体中に鳥肌を立てた。が、たかだか鳥肌に負けるつもりはない。俺が現在相手にしなければいけないのは鳥肌ではないのだ。

 俺は奴を、感じている不愉快さ全てを表に出して睨んでやった。下から上へと上がってきた奴の視線と、まっすぐ見上げる俺の視線とがぶつかる。その瞬間、奴は蕩けきった表情を浮かべた。緩んだ口から、ほぅ、と熱い息が漏れる。


「あぁ、もーほんと……」


 赤ん坊を見つめるような瞳。

 気持ちが悪い。なんでそんな目で俺を見るんだ、こいつは。

 理解できない。本当に、理解できない。



「拉致監禁ってのを一番初めにやった人はすごいねぇ」


 俺の視線を無視して、奴の視線がまた、ゆっくりと上から下まで滑る。


「冷たい無機質な部屋、太い縄に奪われた自由、抵抗のまなざし」


 芝居がかった口調で指を折りながら次々と奴は上げていき、そして最後に俺の頬に指を這わせた。その指は冷たかったが、俺は何の反応も示さなかった。ただじっと、奴を睨む。そんな俺に、首を傾げて奴は笑って見せた。


「何を取ってもキレイだ。ほんと、ぞくぞくする」

「……同性の野郎拉致って綺麗も何もないだろ」


 腰を屈めたせいで近くにある奴の顔に向かって、俺は淡々と吐き捨てた。すると、奴の唇の端が糸に引っ張られるようについ、と上がる。奴の人差し指、ぴんと真っすぐに立てられた人差し指が、俺の唇の真ん中に当てられた。

 また、冷たい感触。

 うろんげな俺の視線を受け止めて、奴はにっこり笑った。


「駄目だよぉ。拉致監禁の被害者は、加害者の許しがなきゃしゃべっちゃいけないの」

「んなの知るか」

「あーまたしゃべった。駄目だって言ってるのにー。……まぁでもこれも、楽しみの一つ、かな?」


 立ち上がった奴は、くすくすと笑いながら俺を見下ろした。


「ほんとーは。突っ込んでから、してもらうつもりだったけど。でも、縄でぐるぐるの状態でってのも悪くは無い」


 ―――その言葉が終わった瞬間。

 奴の、革靴を履いた足が、避ける間もなく俺のわき腹にめり込んだ。鈍い音。


「いっ……」


 コンクリートの床に、右半分の頬がぶつかる、奴の指よりももっとずっと冷たい。

 かはっと、体の中にあった空気が俺の口を通して吐き出された。連続して襲って来る痛み。耐える為に歯を食いしばる。

 その時。

 カシャッという、何とも気の抜けた音と一緒に、俺の閉じたまぶたの裏が一瞬だけ白く点滅した。


「なっ……」


 床に倒れたままの体勢で目を開くと、こちらにむけられたデジタルカメラのレンズと目が合った。その下から見える奴の口が、にんまりと大きく曲線を描いている。

 状況を理解するのにそんなに時間はかからない。


「お前っ……!!」


 理解したのと同時に、再び音と共に白い光が俺の目をくらませた。続いて聞こえてきたのは、不愉快な奴の声。


「あぁ、この顔だよこの顔。キレイだなー」


 自分が撮った写真を見ながら、奴は恍惚とした表情を浮かべた。


「やっぱり想像と実物じゃあ、全然違うよねぇ。俺、これだけで何回でもできちゃうかも。プリントして壁に貼って、その前でってのも悪くないなぁ」


 絶句する俺に向かって、奴は笑った。


「部屋も縄も良いけれど、やっぱり一番の要因は君だよねぇ。君あっての無機質な部屋、君あっての縄。君じゃなきゃダメ、君以外の他の誰でもダメ。君だからこんなにキレイなの。……あぁ、君の持ってるものが増長されて、俺を興奮させてくれてる。ほんと、最高」


 虫唾が走る。気持ちが悪い。わずかに、体が震えた。

 込み上げてくる吐き気は蹴られたわき腹のせいか、奴の言葉のせいか。

 歯を食いしばる俺を、奴は変わらない笑みで見下ろしている。拘束された手首が、二の腕が痛い。わき腹が痛い。片頬に当たるコンクリートの床が冷たい。奴の細められた目から覗く黒が、底が見えなくて気味が悪い。妖艶につり上がった唇もまた。

 見上げる俺は何もできず、ただ奴を床に這いつくばったまま睨むしかない。……むかつく。

 不意に奴は、膝を屈めた。俺と奴の顔が近付く。見たくもない奴の顔が近付く。


「んー……」


 俺を眺めた奴は、考え込むように自分の顎に手を当てた。


「そーだなぁ、ちょぉっと色が足りないかもしれないねぇ」


 一体何の話だ。

 見上げる俺の前、奴はくすぐるような笑い声を洩らした。


「大丈夫だよぉ、殺したりはしないから」


 言いながら、奴はズボンのポケットから取り出したものをかざす。


「持ってきといて良かったなぁ、これ。……ね、そう思うでしょ?」


 知るかよ。

 心の中で毒づく俺から答えは期待していなかったようで、奴は笑いながらカチカチという音と一緒にそれの刃を押し出した。

 愛想の欠片もない蛍光灯の白い光を受けて小さく輝く刃。いわゆる、カッターナイフ。


「この部屋はモノクロ、君の学生服もモノクロ。これじゃあちょっと足りないの」


 ――大丈夫。俺が君をもっとキレイにしてあげるだけだから。

 優しく耳元に囁かれた言葉。それと同時に近付いてくる銀色の刃が目の端に映る。

 俺は奴から目を離さなかった。奴の鈍く光る目を凝視する。

 また、頬に冷たい感触。奥歯を噛みしめる。当てられた刃は、結構な力を持って斜めに走った。


「……っ」


 思わず鼻に皺が寄った。さっきの痛みよりはまだましだと、自分に言い聞かせる。それでもやはり、痛い。


「おおー」


 間延びした奴の声に怒りがこみ上げる。背中の後ろで拳を握り、高ぶった感情を込めて奴を睨む。目力、もしくは眼力というやつだ。


「いいねぇ、黒と白と赤って。モノクロに赤っていうアクセントがあるだけで全然印象が違う。突き放すような印象から媚びてくる印象になったって所かなぁ。……まあ、君自身はまだモノクロのままだけど」


 そのギャップがいいんだよ、と付け加えて、奴は睨む俺と目を合わせて微笑んだ。

 当たり前だ。俺が奴に媚びる時なんて来るはずがない。冗談じゃない。

 俺の気持ちが分かったのか、奴はふっと小さく笑った。


「君が俺に絡みつくような視線を向けて、その口でもっとって言うようになるまで、あとどの位だろうねぇ」

「っざけんな、そうなったら俺じゃねぇよっ」


 勢いよく放ったつもりの声は、予想外に低くかすれていた。しまったと思ったがもう遅い。

 予想外だったのは同じだったらしく、奴はぱちりぱちりと数度目を瞬かせた。

 嫌な予感。そういうのは当たるものだ。

 見上げた先、奴の顔から始終浮かべられていた笑みが消えた。笑顔という存在そのものを顔というノートから消す早業だ。

 俺は今まで無表情という表情なんて無いと、信じていた。見たことがなかったからだ。けれど目の当たりにした奴の無表情は、恐怖よりも何よりも違和感を覚えさせた。奴に対する罵詈雑言を無限大に準備していたはずの俺の口は動かない。

 不意に、伸びてきた奴の腕が倒れたままの俺を引き起こした。血液がざぁっと流れる感覚。視界が九十度動いて、奴の姿が眼球に映る。


「……」


 何か言わなければと、舌を強制稼動させようとした時だった。俺の顔は、思い切り奴の肩にぶつけられた。鼻がぺちゃんこになる感覚と同時に、後頭部と背中に手の感触を覚える。

 俺の体は奴に押し付けられているわけだ。言い換えなんてしたくないがあえてしてみれば……抱き締められている。

 酷い、凄まじい、とにかく強い、力だった。絞め殺されるくらいのだ。それに加えて、至近距離で、それもうずまき管に直に吹き込まれるように囁かれる声が脳内でわんわんと鳴り響く。


「あーあ、ほんとに君って計算乱してくれるよねぇ」


 アーアホントニキミッテケイサンミダシテクレルヨネエ。

 無駄にエコーのかかった音の羅列に暗い視界が回る。


「でもねぇ、君は分かってないんだよ。俺が何より望むのはあの世界から君を知る俺以外の全ての存在が消えること。流石に無理だって分かってるから実行しなかったけどねぇ。……ああそれからね。俺は俺がいないあの世界に君がいるのが許せないの。でも君のいない密室(ここ)に俺だけがいるのも許せない。だから君をここに連れてきたの。ここもあの世界の一部だけど、それでもここには俺と君しかいないでしょ?俺と君しかいないのに、君が君以外の何かに取って代わるわけがないよね?」


 呪文かあるいはお経のような長々とした、けれど滑らかな言葉だった。頬の傷が奴の服に擦れて痛い。視界は依然として回っている。食道を、何かがせりあがってきた。


「俺と君しかいないんだから大丈夫だよぉ。どんなふうになったって君は君だし俺は俺。何も心配は無い。心配無用ってやつかな?」


 ぐわんぐわんと脳みそが回転する。

 ふざけんな迷惑千万唯我独尊野郎。宣戦布告だ。

 返そうとした言葉は途切れた息になって奴の耳に届いたのかも分からなかった。

 こみ上げてくる何かに息を吐き出して、ぐらぐらする視界に目を閉じたのが最後、だったのかもしれない。








 ―――俺は貧血を起こした。らしい。


「なぜここで貧血?俺の話最後の方ちゃんと聞いてた?ねぇ?」

「悪い、正直何も。それよりも血が足りねぇ、レバーとほうれん草食わせろ」





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― 新着の感想 ―
[一言] 一言失礼します。冒頭で惹きつけられそのまま読み進め、2人の会話はもちろん地の文、最後のオチまで、表現出来ないくらい好きな文章で久しぶりに感動しました。ありがとうございます。
2015/02/04 22:24 退会済み
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