第二章:あの女
タバコの最後の一口を吸い、吸い殻を捨てた。吐き出した煙と一緒に、思考も消えていった。
存在が薄れていく。すべてがゆっくりと流れていくようだった。
空は美しくも不安定で、自信を失っているように見えた。
数えきれない星々が自慢げに輝いていたが、そのすべての美しさを見渡すことはできなかった。
風が肌を撫で、遠い記憶を差し出してきたが、私はそれを拒んだ。
胸の奥に鋭い痛みが走り、再び生を感じた。
その感覚は断続的な痛みに変わり、時が経つほどに強まっていった。
左脇腹の傷口がまたうずき始め、何かが中で動き出す。
それは肉を小さく噛みちぎりながら、骨の響きを伝えてくる。
右手が震え、魂は再びあの白い粉を求めて叫んでいた。
時間が止まった。涙がこぼれた。
一分ごとに、煙を吸いたい衝動が増していく。
星たちは嘲笑うように笑い、頭は膨張し、爆発しそうだった。
ほんの一瞬、意識が途切れた。
あまりにも短いその瞬間が、現実だったのか疑わしい。
爪を噛みながら不安を押さえつけていると、どこか懐かしい悲鳴が聞こえた。
それが静寂を切り裂き、心を少し落ち着かせた。
古い扉が開く音。
家の中から漏れる光が、通りの半分を照らした。
見慣れない男が慎重に出てきて、周囲を怯えるように見回した。
彼は背が高く、筋肉質で、立派な口ひげと顔に深い傷を持っていた。
高価そうな短いドレスを着て、鼻歌を歌いながら跳ねるように歩く。
その重い足音が街に響き、猫たちが一斉に鳴き出した。
彼を見た瞬間、胸の奥に警鐘が鳴った。
――近づいてはいけない。
暗闇が彼を呑み込み、再び静寂が訪れた。
しばらくして、私は立ち上がった。
痛みが全身を駆け巡り、体のすべてを破壊していく。
一歩ごとに足が震え、息を整えようと必死に吸って吐いた。
だが猫たちの鳴き声が神経を逆撫でした。
扉の前に立つと、何を言えばいいのか分からず怖くなった。
眩暈がして倒れそうになったが、心の奥では彼女に会いたいという思いだけが強かった。
深呼吸し、扉を二度軽く、そして一度強く叩く。
思考が澄んでいく。
扉が開き、彼女が現れた瞬間、私は再び生き返った。
裸の彼女のぬくもりが空気を満たし、すべてを忘れさせた。
その姿を見つめていると、不思議と心が穏やかになった。
彼女の褐色の肌、大きな瞳、真剣な表情――どれもが愛おしかった。
「久しぶりね」
怒ったような声が、現実に引き戻す。
「会いたかった?」
微笑んで尋ねる。
まぶたが重く、すぐにでも倒れそうだった。
だが彼女の前で倒れる約束はしないと決めていた。
彼女が心配を隠そうとする姿が、なぜか嬉しかった。
「入って」
背を向けながら、彼女は言った。
「キスもくれないの?」
寂しげに言うと、彼女は答えず、ただ部屋の奥へ歩いた。
私は中へ入り、忘れていた温かさに包まれた。
ここに来るたび、体の奥から声が聞こえる。
――帰るな。ここにいろ。
だが、それは叶わない願いだった。
古い椅子に腰を下ろし、ボロボロのリュックを横に置いた。
彼女がゆっくりと家の中を動く姿を目で追った。
その穏やかな動きに、心の毒が少しずつ薄れていく。
彼女の存在そのものが、薬のようだった。
なぜ、こんなにも美しい人が、こんな場所で生きているのか。
その理由を考えるたびに、胸が痛んだ。
やがて彼女は黒い大きなシャツを着て、私の前に来た。
手には酒の入ったフラスコ、ナイフ、そして針と糸。
いつもとは違う瞳で、私を見つめた。
溜め息をつき、彼女はフラスコを差し出す。
私はそれを一気に飲み干し、顔をしかめた。
「ひどい味だ」
彼女は笑い、フラスコを取り返した。
「深呼吸して」
そう言いながら、酒を傷口に注いだ。
アルコールが肉を焼き、体が反射的に跳ね上がる。
悲鳴を飲み込み、頭の奥で血が鳴る。
「情けない男ね」
もう一度フラスコを渡してくる。
私はまた一口飲み、彼女の瞳を見つめた。
「息を止めて」
その言葉と同時に、ナイフが腹に刺さった。
彼女の手が狂気のように動く。
口があっても、声は出なかった。
やがて痛みに慣れ、奇妙な安堵すら覚えた。
彼女の腕が私の体の中に沈む。
腐った肉の塊を掴み取り、傍らのバケツに投げ捨てた。
「どうしてまだ生きてるの?」
失望と安堵が混じった声で言いながら、彼女は酒を飲んだ。
「あなたに会いたかったわ。おかえり」
彼女は再び手を突っ込み、今度は指を深く押し入れた。
その瞳は陶酔しきっていた。
何かが胸の中で動き、膨らみ、蠢いている。
腕を深く突っ込み、何かを掴んで引きずり出そうとする。
だがそれは、肉にしがみつき、離れない。
中から骨を噛むような音が響く。
「痛いけど、我慢してね」
最後の力でそれを引き抜いた。
一瞬、世界が白く弾け、私は意識を失った。
――再び目を開けると、天井が見えた。
「本当にしぶといわね」
彼女の声が聞こえる。
瓶の中で暴れる巨大な虫を見せて、楽しそうに笑った。
その歯は鋭く、私の肉片がまだ挟まっていた。
「名前をつけて」
「ロドルフォ」
「最悪な名前ね」
彼女は笑い、針を手に取り、静かに縫い始めた。
不思議な静寂が満ちる。
血の匂いと温もりの中で、私はなぜか幸福だった。
「…幸せ?」
「バカね」
彼女は突然言い、瓶の中の虫を見つめた。
「あなたの名前はトンチキよ」
その瞬間、トンチキの心が壊れたのを見た。
縫い終えた彼女が微笑む。
「いくら?」
「いらない。その子で十分」
私は頷き、リュックからチョコレートケーキを取り出した。
「どうぞ」
「あなたは?」
「もう食べた」
彼女は涙ぐみながら受け取り、一口食べた。
頬をふくらませ、子供のように笑った。
「おいしい。…本当にいらないの?」
私は首を振った。
その笑顔を見ているだけで、十分だった。
沈黙が戻る。
しばらく彼女を見つめ、心の中で思った。
――塔に戻らなきゃ。
でも、今はまだ、ここにいたい。
「私に惚れないで」
「どうして?」
「年が違いすぎるの」
「そうか。まあ、君は俺のタイプじゃないし」
「はぁ?どんな女がタイプなのよ」
「あと二人で終わりか?」
「そう。あと二人で夢が叶う」
「大きな家族ができても、貧しいやつらを忘れるなよ」
時が流れ、酔いが回り、世界がぐるぐると回る。
私は立ち上がり、言った。
「明日は早いから、行くよ」
「ねぇ…考えたんだけど」
彼女は扉にもたれて言った。
「一緒に家族にならない?
もうここで傷を売らなくていいのよ。
二人で貯めて、違う人生を生きよう」
その瞳の輝きに、心が砕けた。
酔った女の幻想だと分かっていても、
その言葉が嬉しかった。
振り返らずに外へ出た。
もし見てしまえば、もう戻れなくなるから。
「バカね。私、本気で言ってるのよ」
彼女は扉を閉めた。
ランプの灯りが消え、再び闇が包む。
冷たい夜が肌を撫で、優しく囁いた。
――おやすみ。
闇が毛布のように私を抱きしめ、
わずかな愛と静かな死をくれた。




