秋月秀について
僕は、昔から女の子が苦手だった。
何がという訳じゃない。漠然とした気持ちだった。
だけど母親だけは普通に接することができた。
生みの親だからだろうか?
それとも、一緒にいる時間が長いせいだろうか?
理由はよくわからないけど、甘えたい盛りの僕はよく抱きついては子どもなりに構って欲しいって訴えてたっけ。
優しく思いやりのある母は、いつでも僕の事を大事に思ってくれていたと思う。
どんなときも、笑顔で接してくれていたから。
父は、厳かな人だった。
礼儀作法に厳しくて、寝ぼけて起きておはようが言えなくて、それだけでも怒られたっけ。
だけどその分まっすぐ生きていくための力みたいなのがついたと思うし、何より厳しさの中に愛情が感じられる人だったから、嫌いになったりしなかった。寧ろ大好きだった。
欠点が一つあるとすれば、研究に没頭するような人だったことだと思う。
当時の研究のリーダー、谷川夫妻の補佐について、色々頑張っていた父。
斎がキューブを開発してことで、「なら秀も」なんて簡単に研究の世界に足を踏み入れることになったときは、さすがに驚いたな。
父も母も忙しい人だったから、わがままはあんまり言えなかったし満足に甘えることはできなかった。
子供心に理解していた。忙しくしているのは僕を育てるためであり、国を守るためであると。
だから甘えちゃいけないんだ。いい子にしていなくちゃ。あんまり困らせることはしちゃダメなんだ。
寂しかったけど、わざわざそれを言うことはなかった。だからあの日。あの日が本当に嬉しかった。
それは、僕の誕生日で。
母はケーキを買って帰ってくると言った。父は誕生日プレゼントを買ってきてくれると聞いた。
「今日は早く帰れるから、学校が終わったら研究には来ないで家で待っていなさい」
優しく笑って今日の予定を語る父に、飛び跳ねるほど何度も嬉しいと気持ちを伝えた。
僕の誕生日を祝うために早く帰って来てくれる。
こんなに嬉しい気持ちは今まで感じたことがなかった。
これまでは忙しさで、あんまりお祝いらしいお祝いなんてされたことがなかったから。
るんるんの気持ちを隠すことなく学校に行って、斎にどうしたのと尋ねられて、自慢するようにことの経緯を話した。
「そっか。良かったね」
笑って、楽しい誕生日会になるようにと念を送ってきて、僕も笑った。
帰宅して、リビングにある戸棚の中から蝋燭を取り出した。
ケーキを買った時にくっついてくるかもしれないことは念頭になく、今日はこれを自分でさして、火は一吹きで消して、二人を驚かしてあげるんだ。
そう思って、時計と睨めっこすること数時間。
父さん、母さん、帰って来ないな。
手に持った蝋燭は片時も離すことはなく、握りしめすぎて熱くなっていた。
さらに時間が経って深夜、零時を回る。
もっと前におかしいと気付くべきだった。
早く帰って来れると父は言っていたのに、なぜ帰って来ないのか。
母は、今何をしているのか。
お腹がすいた。
すごくすいた。
二人とも、今どこ?
お腹をぐうぐう鳴らせながら頑張って待っていたさなか、やっと誰かが帰ってきた。
がちゃ……と、小さな、いつもとは違う、不自然なほどに静かに開くドアに、おかしいと気付くべきだった。
寂しくてたまらなくて、早く顔が見たくて。そんなことを気にする余裕もなく、ただ無邪気に玄関へと駆けた。
「おかえり!!」
嬉しくていつもより大きな声で言った。
──だけど、ただいまの言葉は返っては来なかった。
帰ってきたのは、父だった。
父の顔だった。
真っ赤に染まった父と、その体を這うようにして小さな青い瞳の虫たちがまとわりついていた。
父であり、父ではない。
気が付いた。死人に殺され、死人に操られてここまでたどり着いたこと。
死人に操られて鍵を開けて、僕を殺しにきたこと。
手に持っているのは、まぎれもないぼくのたんじょうびプレゼントとであること。
はやくかえろうとしていたのだろうことを、ふぁすなーがしまりきっていないかばんがおしえていた。
どうしたらいい。
どうしたらいい。
ちちをたすけたらいいのだろうか。
どうやって?
こどものぼくがどうやって?
ちちはもうしんでいる。
ぼくをころそうとしている。
ちちでないものがちちのからだをつかってぼくをころそうとしている。
頭の中は真っ白。
その場から体は微動だにしなかった。
虫が這う父の腕が動いて、僕の頭を鷲掴みにして持ち上げた。
抵抗なんてできなかった。
ただただ父が絶対にしないような表情で、僕を食べようとしているその行為に、カタカタと震え、体の自由は奪われていった。
父の口が人間だと思えないほどに大きく開いて、僕を丸呑みにしようとしてきたその時、力いっぱい彼の体に体当たりした一人の男の子。
「いつ、き……」
「秀! 抵抗しろ!」
臆病な彼は、言葉と行動の果敢さとは似合わない、眉尻の下がった恐れの表情で死人となってしまった父を押さえつけていた。
だけど子供の力というのは貧弱なもので、人間でないものの力には決して敵わない。
猫の首根っこを掴むように、父は斎をひっぺがして、品定めをするように上から下へと視線を辿らせた。
……恐怖。それしか、なかった。
「離せ! 離せよ秀のおじさん!」
じたばたとする斎を見て、どうにかしなきゃと思った。
元は父であったとしても、今はそうではない。
父は死んでしまった。
ここにいるのは、父ではないのだから。
傘置き場に立てかけた金属バットに手を伸ばす。
斎の事を見続ける死人に、静かに近寄った。
もう、引き返せない。
今現在守るべきもののために。
大事な友達のために。
僕は──父親だったものにバットを振るった。
(ばいばい、父さん)
さよならすら満足に言わせてもらえず、ただ無心でバットを振るい続けた。
キューブに好まれたのは、それから数年経ってからの話だ。