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9話

「ジェラード、最近はずいぶんと機嫌が良さそうだね」


 場所は王宮。自分の執務室で職務をこなしていたジェラードにそう声を掛けながら入室してきたのは、この国グラスネット王国の王太子、メレディスだ。

 歳は27歳で、王太子妃もいる。すでに王子も生まれており、王族としての信頼も厚く、次期国王として極めて期待されている。

 金髪碧眼で容姿端麗、柔らかな物腰で、結婚した今でも令嬢たちの間では人気の的だ。

 ジェラードとは昔からの幼馴染の仲であり、未だに独身であることを気にかけている。

 ジェラードが仕事人間で婚期が遠ざかることを危惧し、強制定時退勤を命じた本人でもある。


「そうでしょうか。そんなつもりはありませんが」

「そのつもりはなくても、機嫌良さそうに見えるよ。やっとお嫁さんが見つかったかい?」


 機嫌がいいのは、昨日もリリスから報告書の概略の報告を受けたからだ。彼女が凛々しく報告する様を思い出すと、ついにやけてしまう。

 メレディスは応接用のソファーに腰かける。執務室にいたジェラードの側近が茶を入れると、退室していった。メレディスが来た時には、ジェラードと機密の話し合いがあるという暗黙の了解がある。そのため、ジェラードとメレディス以外は部屋の外に出なければならない。


「…いいえ、そのようなことはありません」

「待った、今間があったね?」


 さすが幼馴染は目ざとい。ほんの一瞬、ジェラードが言いよどんだことにすぐに気付いた。厄介な相手だと思いつつ、ジェラードは職務を続けていく。


「気のせいだ」

「いいや、気のせいじゃないね。で、誰なんだい?」


 2人きりということで、ジェラードの口調が王太子から幼馴染を相手にするものに変わる。


「嫁は見つかっていない」

「…ということは、お嫁さん候補は見つかったということだね?」


 そう言われ、ジェラードの頭にはリリスの顔が浮かぶ。しかし、彼女を嫁とすることはできない。しつこいメレディスにうんざりしつつ、同じ返答を返した。


「候補も見つかっていない」

「…ジェラード、ぼくは君の幸せを望んでいるんだ。君のために最大限協力を惜しまない。だから、さっさと吐くんだ」


 そう言うメレディスの顔は満面の笑みだ。そういう笑みを浮かべるときは、メレディスが楽しんでいる時だということをジェラードはよく知っている。


(さっさと吐けだと。吐いた所でどうにかできるわけでもあるまいに)


 悩んでいることはある。しかし、メレディスに相談することはできない。

 メレディスに相談したところで、彼の立場で言えば絶対にノーという返事になるからだ。若干25歳で将軍という地位についたジェラードの嫁候補が、ただの平民だなどと認めるわけがない。

 仮にメレディスが了承したところで、リリス本人が承諾しなければ何の意味もない。そしてそれこそが最大の関門だけに、ジェラードはどうにもできず、悩んでいるといのに。


「ふむ…どうやら、よほど深刻なようだね。君がそんな顔をするのは、国境侵犯の報告を受けているとき以来だよ」

「…そんな顔をしていたか?」

「ああ。済まない、どうやら君は相当深刻な悩みを抱えているようだな」


 さきほどの笑みとは一転、メレディスは陳謝した。ジェラードを茶化すことが多い彼だが、心配しているのは本心だ。


「その悩みは、君自身はもちろん、ぼくでさえも解決困難である。ゆえに相談することができない。そんなところかな?」

「まぁ…な」

「まいったな。……お相手は、平民かい?」

「っ!」


 まさか的確に言い当てられるとは思わず、つい椅子から立ち上がってしまった。その様子に、メレディスは頭をかく。


「図星のようだね。確かにそれは難しい問題だ。はっきり言って、君の立場で平民の嫁は国益を損する。認めることはできない」

「…分かっている」

「だが、それだけじゃないだろう?仮にそれが認められたとしても、当人がそれを受け入れるとは思えない。ただの平民が、侯爵家当主にして魔術軍団将軍様の嫁なんて、背負い切れるものじゃないからね」


(いや、その点は問題ないかもしれないがな)


 リリスの優秀さは、貴族としても抜きんでている。仮にその立場になったとしても、彼女は自分の嫁として、女主人としてこなせると思う。

 だが、問題はそこだけではない。それはメレディスでも読み取れなかったようだ。


「しかし、そうなると君のご機嫌な理由とつながらない。どうやら別のことでご機嫌なようだね」

「いい加減、無用な詮索をやめてもらおう」

「おお怖い怖い。わかったよ、今日はこの辺で退散させてもらうさ」


 もう温くなった紅茶を飲み干し、メレディスは立ち上がる。そのまま扉に向かったところで振り返った。


「ジェラード」

「まだ何かあるのか」

「本気で欲しいものなら、なりふり構わないことだ。残念ながら、国としては君が何かしでかしても手放せないからね」


 そう言って、今度こそメレディスは出ていった。


(何かしでかしても手放せない…か)


 メレディスが言いたかったこと。それは、少々国益を損なったとしても、ジェラードが責に問われることはないということだ。ちょっとくらい無茶をしてでも、手に入れたい物は手に入れろ。そう幼馴染への助言。


(リリス…)


 想い人の顔を思い浮かべる。このまま他の女性と結婚したとして、彼女を諦めることができるのか。

 おそらく無理だ。ずっと自分の心にはリリスが残り続ける。

 それに、リリスが他の男のところへ嫁ぐところを想像しただけで、心がひび割れそうなほどに痛む。

 もうそこまで自分はリリスに惚れてしまっていた。気持ちは無くなるどころか、日に日に増している。

 リリスの存在が、ジェラードを喜ばせ、苦しめていた。


(俺は、どうしたらいい?諦めることなどできそうもないのに、進むこともできない。こんなにも臆病だったのか、俺は)


 まさか女性のことでこんなにも悩む自分がいたことに驚く。今更ながら、決めた相手に果敢に突撃していく彼女らの勇気に感服だ。

 その勇気が自分にもあれば…なんて現実逃避まで始める始末。


(勇気…か。そんなもの、久しく忘れていたな。いや、今の俺には勇気ではなく覚悟か)


 今まで、リリスに直接気持ちを伝えたことはない。もし伝えて拒否されたらと思い、避けていた。

 だけど、伝えない限り先は無い。伝えた先の未来を受け入れる覚悟が、今のジェラードに必要なものだ。


「よし」


 覚悟を決めた男は、行動を開始した。



 ****



「えっ?」


 その夜。ジェラードに報告書の概略を報告し終えたリリスは呼び止められ、告げられた内容に混乱した返事を返した。


「聞こえなかったか?」

「い、いえ、聞こえております。ですが…」


 ジェラードから告げられた内容を、リリスは反芻する。


(今度、隣国のモンスロート王国との同盟100年祝賀記念にパートナーとして出席って、そんなの私が出られるわけがないわ!)


 あまりの内容に、リリスは受け入れることができなかった。元貴族とはいえ、現平民の自分が参加するには場違いすぎる。しかも、隣国との懇親会というは、国中の貴族はもちろん隣国の王族も参加する。下手な振る舞いをすれば、それが隣国との亀裂を生みかねない。


「私には無理です。荷が重すぎます」

「大丈夫だ。リリスの振る舞いなら問題ない。そうだな、ルーファス?」

「はい、リリスの作法は十分通用するものであると私が保証します」


 ルーファスにまでそう言われてしまい、逃げ場の一つが潰されてしまう。


「ですが、私は平民ですし…」

「今回ばかりは、俺もパートナー無しで出席するわけにはいかなくてな。だが、下手に他の令嬢をパートナーにすると後々厄介なことになりかねない。大丈夫だ、今回はリリスを紹介することはしない。婚約を申し込んでいる段階だとして、明言を避ける」

「それは…」

「…必要であれば、面布を付ける。それなら、顔がバレることはないはずだ」


 ここまで難色を示しても、ジェラードも引き下がらない。


「少しだけ…考えさせていただけませんか?」

「…分かった。色よい返事を期待している」

「失礼します」


 なんとか猶予をもらい、リリスはジェラードの執務室を退室した。

 足早に自室に向かうと、綺麗に整えられたベッドにしわがよるのも気にせず飛び込む。


(いくらなんでも、私には荷が重すぎるわ。もし、ジェラード様に恥をかかせるようなことがあれば…)


 自分だけが恥をかくのならまだいい。でも、今回はジェラードのパートナーとして出席するのだ。リリスの恥はジェラードの汚点になりかねない。

 そんなことは我慢できなかった。


「…でも、私が受けなかったらジェラード様は…」


 パートナー無しでの出席は出来ないと言っていた。リリスが同意しなければ、リリス以外と出席することになる。

 しかも祝賀記念のパートナーだ。ジェラードが言っていた通り、その場限りというわけにはいかないだろう。ジェラードはそのつもりでも、相手がそうとは限らない。

 もしかすれば、そのパートナーとなし崩しに結婚という流れになるかもしれない。


(仕方ないって、諦めたはずなのに。ジェラード様の隣は、私なんかじゃ力不足なのよ)


 そう思っても、心はそれを受け入れられない。

 一人の女の子としてジェラードを好きになってしまった。それはもう、理屈で収まるものではない。

 ふと、指輪が見たくなった。小箱を取り出し、青の指輪を取り出す。


「お母様は…どんな気持ちでお父様と結婚したの?」


 母は自分の身分を明かさなかった。貴族でもないが、平民とも言わなかった。

 それは結局最後まで分からなかったけど、母は身分という垣根を乗り越えて父と結婚したのだ。

 だからか、2人は幸せそうな姿しか思い出せない。生活が苦しくても、決して喧嘩も非難もせず、いつも2人で協力していた。

 それに比べて自分はどうだ。身分差に怯え、自分に嘘を付こうとしている。

 それにジェラードは言っていた。自分の顔や家柄、立場だけに寄ってくる女にうんざりだと。彼を、そんな女のもとへ行かせていいのか。


(ダメよ、そんなの。ジェラード様を苦しめるような、そんな女の元へなんか行かせない)


 指輪を握り締め、固く誓う。


「自分のことばかり…こんな私のままじゃダメよね。お父様、お母様」


 ジェラードに恥をかかせたくないといっておきながら、結局は自分のためだった。自分のせいで、ジェラードが恥をかくのがイヤだから逃げようとした。

 ジェラードは自分を助けてくれた命の恩人だ。なら、今こそその恩に報いるとき。


「よし」


 気合を入れると為に、両頬を叩く。思ったより強く叩きすぎてちょっと涙目になってしまったけど、これでいい。


(早く言いに行かなくっちゃ)


 リリスはさっき退室したばかりの執務室へと向かって、部屋を出ていった。



 ****



 それからリリスは一気に忙しくなった。

 祝賀会に参加する国内貴族はもちろん、参加予定の隣国の王族や貴族まで網羅していく。面布を被り、喋らないようにはするけど、万が一ということもある。ジェラードへの補佐という役割もあるためだ。

 参加するためのドレスも急遽作ることに。

 ジェラードは金に糸目をつけず、王都の有名デザイナーを呼び寄せ、ドレスを作らせた。

 祝賀会ではもちろんダンスも踊る。そのため、毎晩ジェラードとリリスはダンス練習に励んだ。


 そうしてついに訪れた祝賀会当日。

 リリスは朝から屋敷中の侍女によって、それはもう磨きに磨かれまくった。マリーアを筆頭に、それぞれが持てる技術の全てを結集してリリスを至高にまで至らせる。


 ドレスはジェラードの瞳の色である黒を基調にしている。全体に金をまぶし、夜空に輝く星々を思わせる。スカート部分は何層にもドレープを重ね、ボリュームと優雅さを演出。裾や袖には大量のレースをあしらい、透け感を出していた。

 徹底的なまでに艶を出した銀髪を結い上げ、宝石をあしらった銀の髪飾りを添える。


(す、すごい…)


 鏡の中の自分を見て、リリスは侍女たちの本気に驚愕していた。

 まるで別人ではないかと思えるほどの出来栄えに、リリス本人がこれが自分だと信じられない。

 でも、顔を動かせば動くし、手を振れば鏡の中も手を振る。間違いなく自分だ。


「はい、できましたよ」


 そうしてすべてが完了し、リリスは立ち上がった。

 さすがに布も宝石もふんだんに使ったドレスは重い。ゆっくり歩かないと、ドレスの重さに振り回されそうだ。


「ありがとうございます。みなさん」


 本当は深々と頭を下げたいけれど、色々と崩れてしまうから少しの会釈で留める。

 頑張ってくれた侍女たち一同は、満ち足りた表情をしていた。


「いいえ。私たちも、やっと持てる力の全てを出し尽くす機会が得られましたわ」

「さぁ、ジェラード様がお待ちですよ」


 そう言われ、リリスの心臓が跳ね上がる。

 着飾った自分は、彼の目にはどんなふうに映るんだろうか。

 部屋を出る前に、こっそり母の指輪が入った箱を懐に忍ばせた。


(お母様…どうか私に勇気を)


 お守り代わりに指輪に祈りをささげる。

 期待半分、不安半分の気持ちを抱えつつ、玄関前へと向かった。


「ジェラード様、お待たせしました」

「いいや、待ってな…」


 ジェラードはすでに玄関先にいた。

 黒の儀礼服をまとい、その胸元には数多くの勲章が輝いている。

 普段は下ろしている黒髪は後ろになでつけ、普段とは違う色気を醸し出していた。


(か、かっこいい…)


 いつ見ていても、恰好いいと思う。でも、今日はまた一段と格好いいと感じる。

 そうして見惚れているリリスと同じく、ジェラードも徹底的に磨かれ、着飾ったリリスに見惚れていた。


「ウォッホン」


 ルーファスのわざとらしい咳払いに、2人に時間が戻ってきた。


「…リリス、今日は一段と美しいな」

「ありがとうございます。ジェラード様も素敵です」


 ジェラードの賛辞に、リリスも照れながら返す。なお、『今日は』ということをスルーしてしまったことにリリスは気付かず、ルーファスはそっとため息を吐いた。


「さて、行こうか」

「はい」


 ジェラードの差し出した手に、リリスの手袋をつけた手が添えられる。エスコートされて玄関を出ていった。

 用意された馬車にまずジェラードが乗りこみ、中から手を差し出す。その手にリリスの手が乗り、リリスも馬車へと乗り込んでいく。

 2人は同じ席に並んで座った。


「いってらっしゃいませ」


 ルーファス含む使用人一同が、頭を下げて主人とそのパートナーであるリリスを見送る。


「ああ、行ってくる」

「行ってきます」


 馬車の扉が閉まり、ゆっくりと馬車は進み始める。


「リリス、これを」


 車内でジェラードが取り出したのは面布だった。


「ありがとうございます」

「付けてやろう」


 言うやいなや、さっさとつけられてしまう。そのとき、距離が縮まった瞬間にジェラードから香る香水に、胸が高鳴る。

 黒い絹で作られた面布は、色は見えにくいが輪郭はそこそこ透けて見えた。ほんのり染まったリリスの頬を、面布が隠してくれる。


「まるっきり隠しては歩きづらいからな。どうだ?」

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」

「面布は王太子に許可をもらっている。あと、会場では俺から離れないように。何もないとは思いたいが、どうなるかは俺も想像できない」

「はい」


(そうよね。これまでパートナーがいなかったジェラード様が連れてきたんだもの。みんな興味を持つはずよね)


 そのあたりはルーファスからも散々警戒しておくようにと言われている。嫉妬に狂ったご令嬢たちが何をするか。同盟祝賀会だから下手なことはしてこないと思うが、断言はできない。


 談笑していると、馬車は王宮へとたどり着いた。そして祝賀会の会場手前で馬車が止まる。


「さぁ、行こうか」

「はい」

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