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7話

「お疲れ様でございます」

「ああ」


 馬車が屋敷に戻ると、リリスはあてがわれた部屋に、ジェラードは私室に戻っていた。上着を脱ぎ、ひと息ついて椅子に腰かけたジェラードに、ルーファスは紅茶を入れる。


「いかがでした?」

「予想通りだった。全くもって愚かなものだ」


 おかみと呼ばれた者の醜態を思い返す。強きものに媚び、弱きものを虐げる。久しぶりに胸糞が悪くなる邂逅に、ジェラードの表情は険しい。


「だが、荷物は持って帰ることはできた。もう、リリスがあんなやつらと関わることはないだろう」

「さようでございますか」


 紅茶を一口飲む。そんな主人を、執事はもの言いたげに見ていた。


「…なんだ?」

「いえ、リリス様にずいぶんと肩入れなさるなぁと」

「……ふん」

「女性不信のジェラード様にしては、らしくないと思いましてね」


 少し拗ねた様子の主人に、老執事は愉快そうに笑みを浮かべた。


(好きで女性不信になったわけではないことを知っているくせに。全く…やれやれだ)



 ジェラードは顔・家柄・立場と非の打ちどころがない存在だ。それゆえ、結婚を望む令嬢は後を絶たない。だが、そんな令嬢たちの礼を失した求婚行動にジェラードは嫌気がさしていた。

 ジェラードとて、結婚しないままでいいとは思っていない。当主としての立場がある以上、いずれは結婚するしかないだろう。だが、あからさまに【女】を主張してくるような者は相手にしたくないという思いがあった。


(俺が求めているのは【女】だけではない)


 ジェラードはテルドール侯爵家当主にして、魔術軍団の将軍だ。それゆえ、伴侶となる妻にもそれ相応の振る舞いが求められる。それは、女であること以前に人として尊敬されるようなものだ。

 ジェラードにとって妻とは、妻である以前に人生のパートナーとしての価値を求めている。女であるかどうかはその後だ。にもかかわらず、真っ先に女であることを主張したがるような令嬢どもは、ジェラードからすれば判断する価値すらない。

 人間としての当然の資質。魔術軍団将軍の隣に立つだけの器量を備えていること。侯爵家当主の代理にもなった際の対応がとれること。これらを最低限クリアしたものだけが、妻として相応しいかのスタート地点に立つことができる。


(俺の肩書目当てに近寄るやつらなど、羽虫以下の価値もない)


 そんなジェラードにとって、リリスはこれまでの令嬢とは異質の存在だ。ジェラードに対し女であることを一切主張せず、むしろ女扱いされることを迷惑がる始末だ。ジェラードの好意も受け取ろうとせず、屋敷に住まわせると決めてもジェラードに色目を使う様子は微塵も見せない。

 それゆえ、ジェラードはリリスの人柄を先に知ることができた。餓死しかけていたことからも、世間知らずなのは明白だ。しかし、だからといって礼儀を欠くことはしない。場にふさわしい振る舞いを心掛け、貸しを作ることを良しとしない。媚びる様子が無いのも、ジェラードに良い印象を与えている。


(あいつは、俺を知ってなお近づこうとはしない)


 会ってからたった1日しか経っていないというのに、ジェラードの中でリリスはかなり好ましい存在となっている。そのため、今日のように同伴したりなど、らしくない振る舞いをしてしまっている。

 そんな主人の様子は、長年勤める使用人たちにはバレバレだ。中には、もうリリスがジェラードの嫁になるのでは?と先走っている者もいる。

 ジェラードにはまだその気はないが、もし…と考えたとき、間違いなくリリスは候補に挙がるだろう。そして、それを不快に感じない。


(まったく、気の早い連中だ)


 それだけに、今日リリスの以前の住まいにいったとき、おかみのリリスに対する振る舞いについ怒りの感情が漏れ出してしまった。なかば拷問まがいのことをしてしまったのは反省すべきことだ。魔術はそのように使うべきものではないのだから。

 しかしそこでも驚くべきことがあった。さんざん冷遇してきたおかみに、リリスは感謝を述べた。絶対的優位にあり、自分という最強の後ろ盾があったのだ。いくらでも罵倒なり非難は出来たはず。それでもなお感謝を述べる姿を、ジェラードは見たことが無い。これがますますジェラードに好印象を与えているのだが、当のリリスはそんなことを知らない。


 一方、荷物を持って帰ることができたリリスだが、結局持って帰ってきた荷物のほとんどは捨てることになりそうだった。どの服も色褪せ、汚れが落ち切れなくてシミになり、塞いだ穴もある。はっきり言えばこの服に思い入れは無い。ただ、着替える服まで全部世話になることを申し訳なく思っただけ。

 それも、マリーアにあっさり説得されている。


「この屋敷で働く使用人にふさわしい服を着てもらわないといけませんからね」


 そう言われてリリスに反論することはできない。残りそうなのは両親の形見だけ。でも、これだけでも持ち帰ることができたのは、リリスにとって一番重要なことだ。


「本当に美しいですね。まるでリリス様の瞳のようです」


 指輪を眺めていると、マリーアにそう言われて嬉しくなる。リリスの瞳は母譲りだ。この指輪自体は父が付けていたものだが、元は母の持ち物。この指輪を付けている時、父は本当に嬉しそうだった。

 父は男爵だったけれど、母は平民…らしい。らしいというのは、母は実家について一切語らなかったからだ。しかし、振る舞いや教養は間違いなく貴族のもので、平民のはずはない。おそらく今のリリスと同様、没落した家の出なのだろう。リリスはそう勝手に納得していた。


 その後、出入りの商人にリリスの服が勝手に発注され、その日のうちに届けられた。

 出世払いということらしい。


「出世払い…ですか?」


 世間知らずなリリスはそれすら知らなかった。


「まぁ簡単に言えば、お給料の一部を勝手に支払いに使わせてもらいますってことですよ」

「そうなんですね、わかりました。どうぞ使ってください」


 そうきっぱり言い切るリリスに、マリーアはちょっと心配になった。これはちょっと放っておけないと。主人であるジェラードから世間知らずを指摘されてはいたが、これはなかなかだ。市井で暮らしていたはずなのに、ここまで純真なままでいられるというのは稀有としか言いようがない。


(これは、リリス様を立派なレディーに育てあげないといけませんね)


 マリーアもジェラードのリリスに対する態度は、これまでの令嬢とは違うことは分かっている。そのうえで、マリーア自身もリリスに対し好意的な印象を持っていた。傲慢さはなく、しかし貴族としての礼節を忘れない。まさに、ジェラードの伴侶としてこれ以上適格な女性はいないだろう。


 翌日、屋敷の主治医の診察を受けさせられた。幸い、病気などの予兆は無かった。

 それからは侍女として働く屋敷の中を案内されたり、体力づくりと称して中庭を散歩したり、勉強もした。

 勉強は貴族をもてなすこともあるため、貴族の振る舞いについてだった。しかし、リリスは母の教えもあってほぼ問題無し。勉強はすぐ終わり、代わりに体力づくりということでダンスをさせられた。


 そうしてあっという間に1週間が過ぎ、ようやく侍女として働き始める日が来た。


「本日より皆様とともに働かせていただくリリスです。よろしくお願いします」


 リリスが頭を下げる。リリスの前には屋敷の使用人たちが揃っていた。顔合わせは済ませているけれど、共に使用人として働くということで改めて挨拶している。


「はい、よろしくお願いします、リリス」


 ルーファスも頭を下げる。ルーファスがこの屋敷の維持・管理の責任者ということだった。


「ではリリス、こっちから始めていきますよ」

「はい」


 同じ使用人なのだから。もう貴族ではないのだから。というわけで、リリスは様づけをやめてもらった。

 使用人として白と黒のお仕着せに身を包んでエプロンをまとい、初日ということでリリスの気合は十分だ。


(やっと働ける!今日までお世話になった分、しっかり働いてお返ししていかないと)


 気合を入れた表情を見せるリリスを、使用人たちは優しいまなざしで見ていた。

 リリスはよく働いた。貸しを返さないといけないという思いもあるが、それ以上に恩を返したいという思いが彼女を突き動かしている。

 しかし、一月も経った頃。リリスは別の業務を頼まれた。それはジェラードと夕食を共にすることだ。


「あの、使用人の私が一緒に食事の場を共にするのは違うのでは?」


 そう疑問を呈したけど、ルーファスは平気な顔をしてサラッと言いのける。


「実はジェラード様は自分だけで食事をとると、忙しさのあまり食事を抜くことが多々あるんです。そこで、リリスが共にとることで食べてもらおうというわけです」

「…それでしたら、私だけでなく他の方も一緒のほうがよろしいのでは?」

「残念ながら他の者はそれぞれ業務がありまして。新人のリリスならまだ業務で融通が利きますからね。お願いできませんか?」


 そう言われては反論もできない。リリスは自分を拾ってくれた主人の健康管理のため、夕食を共にすることを了承した。


「わかりました。頑張ります!」


 フンと気合を入れるリリスに、ルーファスは苦笑いをした。


(本当に純真で、まるでこちらが騙しているようで心が痛みますね。ですが、これもジェラード様のため)


 婚期がいつになるか分からない主人のため、老執事は暗躍することに決めたのだった。

 そして夕食の席。リリスとジェラードはともに座っていた。


「今日も変わりはないか?」

「はい、みなさん丁寧に教えてくださいます」

「それはよかった」

「ジェラード様は大丈夫なのですか?これまでは王宮で夕食を取ることも多いと聞きましたが、無理をして帰宅されていませんか?」


 リリスが小耳にはさんだのは、ジェラードは帰ってきても夕食を取らないことがあるが、そもそも忙しくて帰ってこないのも珍しくないと言う。それほど忙しいのに、自分のせいで帰宅させている。これも侍女の仕事とはいえ、気になってしまうのが仕方がない。


「…大丈夫、とは言い難い。だが、王太子からも言われてしまってな。しばらく強制的に業務を定時で上がるように命令を受けている。しっかり休んだ方が効率は上がり、深夜まで働く必要は無くなるはずだとな。今はその検証をしている」

「そうなんですか。うまくいくといいですね」


 2人の会話を、仕掛け人のルーファスとマリーアは穏やかに見つめていた。タイミングよく、王宮での働き方にも動きがあったのは幸いである。なまじ優秀で、体力オバケのジェラードにはついていけない部下が多いとも聞く。


 夕食が終わるとジェラードは湯あみを済ませ、私室に戻っていく。仕事の持ち帰りも禁止されているので、手持ち無沙汰だった。


「…ルーファス、あれはどういうことだ?」

「あれ、とは?」

「とぼけるな。なぜリリスを夕食の席に着かせている?」


 リリスを夕食に共にさせたのはルーファスの独断だ。ジェラードは知らされていない。食堂に着いて始めてわかった。しかし、だからといって目の前でそのことを問うほどジェラードも愚かではない。リリスが自分の意思でそうしたとは思えないから、十中八九犯人はルーファスだと察していた。


「そうすれば、ジェラード様は夕食を取らざるを得ませんからと思いまして」

「…ずっとのつもりか?」

「ジェラード様が望めば」


 ルーファスの含みのある言い方はどういうことなのか。それが分からないほどジェラードは鈍くはない。


(やれやれ……ルーファスまでその気か)


 つまり、リリスを嫁にしろ、というわけだ。それはわかるが、いくらなんでも早すぎる。さすがにまだそこまで考える気にはなれない。

 ルーファスに領地からの報告書を受け取る。領地の運営は先代当主…つまりジェラードの両親が行っている。しかし、いずれは自分が行わなければならないということで、領地の情報は定期的に届いている。


 テルドール家の領地は広大かつ肥沃で豊かな土地だ。その土地から生み出される農作物は国の食料の実に1/3を占めている。テルドール家が王族に匹敵する資産を有している理由はそこにあった。

 それだけに、領地で起こる問題は千差万別だ。とても将軍職と兼業してできるものではない。報告書の内容も、細かい事柄から橋の復旧といった大規模工事まで様々だ。とても一息で読み切れるものではない。


「相変わらず多いな…」

「仕方ありません。テルドール家の領地は広大ですから」


 それでもジェラードは目を通していく。できれば優先度の高いものをまとめてあるといいのだが、そこまでできる者はいない。

 それを見て、ルーファスはあることを思いついた。


「ジェラード様、でしたら……」



 翌日。リリスは通常の業務を午前中だけこなし、午後からはルーファスに呼び出されていた。

 そこはルーファスの執務室で、普通は使用人は入れない。しかし今日は許可をもらっているということで、入室できている。


「実はリリスには別の業務を担当していただきたいと思いまして」

「は、はい」


 呼び出され、椅子に座るリリスは不安になっていた。


(私の仕事がダメだったから別の業務ってこと…ではないわよね?マリーアさんは大丈夫って言ってくれてたけど。何なのかしら)


「こちらをお願いしたいのです」

「これ、は?」


 リリスの前の机に紙の束がドサッと置かれた。何やら細かく何か書かれているようだ。


「これは領地からの報告書です」

「報告書、ですか」

「ええ。本来ジェラード様は当主として領地運営も行わないといけませんが、現在は先代当主様が代理として行っております。とはいえ、完全に無関係というわけにもいきません。少しでも領地のことを理解しておけと、こうして領地で起こったことが月一で報告書として届くのです」

「これ、が…そうなんですか」


 紙の束は実に古典時点くらいはありそうだ。それに字も細かい。これを読むとなれば、かなり大変そうである。


(これは大変そうだわ。さすが、侯爵家当主ともなればこんなこともこなさないといけないのね)


「ジェラード様も帰宅後に読んでおられるのですが、なにせこの量ですから。全てに目を通す余裕はありません。しかし、重要度が高い報告書には目を通しておかないと、後々問題になる可能性もあります」

「確かにそうですね」


 いざ領地運営をおこなうとき、知らなかったでは済まされないだろう。しかし問題は、どうしてこれがリリスの目の前にあるのか、ということだ。


「分かっていただけましたか。では、リリスにはこれをお願いします」

「……えっ?」


 ルーファスに言われたことの意味が分からず、疑問符が頭に浮かぶ。改めてルーファスを見ると、満面の笑みを浮かべている。


「リリスにやっていただきたいのは、この報告書をジェラード様より先に目を通し、優先順位に応じて分別していただきたいのです。やっていただけますか?」

「えっと…これは、私が読んでもいいのですか?」

「はい、ジェラード様より許可は頂いております」


(あ、ジェラード様はもう許可されてるのね)


 当たり前のことではあるが、ジェラード公認の業務のようだ。報告書を1枚手に取ってみる。ざっと読んだだけでも事細かに書かれている。詳細がはっきりしているので理解はしやすい。しかし、それは情報量の多さと読む時間に比例している。これを将軍としての仕事を終えた後に読むのでは、相当に負担だっただろう。


「せっかく王太子の計らいで将軍職の業務の負担が減るというのに、屋敷に帰って違うことで疲れては意味がありませんからね。是非、ジェラード様のためにやっていただけませんか?」


(ジェラード様のために…!)


 それはリリスが今一番頑張れる魔法の言葉だ。引っ越しの件以来、ジェラードのために何かしたいという気持ちは高まっている。その気持ちをルーファスはうまく利用している。


(やはり、ジェラード様のためということで目の色が変わりましたね。本当に、ジェラード様を想ってくださっておられる)


 ルーファスは顔つきが変わったリリスを見て、改めてリリスの気持ちを知る。やはり彼女はジェラードにとって必要な女性である。ここまで、ジェラードのことだけを見て考えてくれた女性はいない。


(まったく…ジェラード様に寄りつくご令嬢どもは、顔だの肩書だの、そういったものばかりでジェラード様自身に寄り添う者は1人もいませんでした。彼女らにリリス様の爪の垢を煎じて飲んでいただきたいものです)


 ルーファスは内心、リリスを様付けで呼ぶ。ルーファスにとって、リリスはジェラードの嫁ということでほぼ確定だ。今回のことも、いずれジェラードが領地運営を行うときに、リリスが補佐できるようにしておこうという魂胆だ。

 もちろんジェラードもルーファスの魂胆を察しているが、その上で許可を出している。別に嫁にするからというわけではないが、リリスならやってくれるだろうという信頼の表れでもある。


「では今日から、午後は報告書の分別作業をお願いします。そして週に一度、ジェラード様に報告していただきたい」

「えっ、報告もするんですか?」

「ええ。優先順位の高い書類については、かいつまんだ内容も合わせて報告してください」

「わ、分かりました」


 リリスの顔に緊張感が走る。その様子に、ルーファスはやはり頼んでよかったと確信した。


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