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3話

 ジェラードに抱きかかえられたままのリリスは、そのまま浴室へと運ばれていった。


(えっ、まさかこのまま一緒…なんてことはないわよね!?)


 そんなことはなく、ジェラードはリリスをその場で下ろし、マリーアに後を任せると言って出ていった。いくらこの後抱かれるとはいえ、その前に裸を見られるのはいくらなんでも恥ずかしい。

 しかし、代わりにというべきか、マリーアが入浴を手伝うという。元貴族令嬢とはいえ、貧乏男爵家だったリリスには他人に体を洗われるという経験は無かった。幼いころは母と一緒に入浴することはあっても、年頃になれば一人なのが当たり前になった。どうしても恥ずかしさが上回る。


「あ、あの、一人で大丈…っ」


 大丈夫と言いかけたところで脚から崩れかける。その体をマリーアが何でもない事のように支えた。


「お手伝いさせていただきますね」

「は、はい」


 優しい言葉なのに圧を感じるのは母以来か。一瞬でリリスはマリーアには敵わないことを悟った。その後は為されるがまま、服を脱がされ、髪を洗われ、身体を洗われていく。


(はぁ…気持ちいい。洗われるのって、こんなに気持ちがいいことなのね)


 良い香りのする石鹸で洗われ、洗う行為も全てマリーア任せ。それでいいのかと叱咤する内なる声が上がったが、洗われる快感、身をゆだねていい安心感に声はすぐ黙した。

 しかし、マリーアの手が胸や秘所へと及んだ際は身体が硬直し、その手を掴んでしまった。リリスの羞恥心を感じ取ったマリーアは、そんなリリスを宥めるように背中をポンポンと軽く叩く。


「大丈夫ですよ」


 マリーアの声は、まるで幼子に呼び掛けるようなものだった。完全に子供扱いされていることにいい気はしなかったけれど、一方でこれからジェラードに抱かれることを思えば、この程度で恥ずかしがっている場合もでない。


(そうよ、このくらい…!)


 リリスの手がマリーアから離れていく。その様子にマリーアは「よくできました」と言い、身体を洗う行為を再開した。初めて他人に洗われる感覚を耐えると、温かいお湯が身体から泡を流れていった。

 続けて、髪が洗われていく。たっぷりの泡がリリスの髪を包み、ほぐしていった。リリスの髪はひどく傷んでいた。艶は無くなり、かつてはまっすぐなストレートだったのが今では縮れ毛のようになってしまっている。初めてリリスを見たジェラードが老婆と錯覚してしまうのもむりはない。


(こんなひどい髪を洗わせてしまって、申し訳ないわ)


 普通に洗おうとすれば髪は指に絡まり大変だろうに、マリーアはそんな髪を手慣れたようにほぐしていく。固まってしまった頭皮も優しくほぐすような手つき。リリスはその気持ちよさに自然と目を閉じていた。


「はぁ……」


 リリスの口からうっとりと声が漏れる。それにマリーアも気分を良くしていった。


「流しますね」


 マリーアの言葉に強く目を閉じると、温かなお湯が掛けられていく。泡が消えた髪に、今度はトリートメントが施されていく。一連の流れが終わるころには、リリスの髪は見違えるほどに綺麗になっていた。

 全身を隈なく洗われたあとは湯船に押し込まれる。少しぬるめの湯が、今は心地よかった。


(あったかい。お湯に浸かれるなんて、いつぶりかしら)


 やせ細り、ろくな筋肉も無くなった身体が、湯によってほぐれていく。このまま眠ってしまいそうな、そんな微睡みに片足踏み込んだところでマリーアに肩をポンと叩かれた。


「そろそろ出ましょうね」

「は、はい」


 湯船から出ようとしたところで、湯の浮力を失った身体の重さが足に負担を掛ける。濡れた身体をマリーアに支えてもらい。その状態でもマリーアは手早くリリスの身体に纏う水滴を拭い去っていく。身体に当てられるタオルのなんと柔らかいことか。ゴワゴワとして毛羽立ち、時には肌に刺さるんじゃないかと思うほどに固い、リリスの普段使いのタオルとは全く違う。


「では、こちらを着させていただきますね」

「えっ?」


 出されたのは、見るからに新品と思われる下着と服だった。いつ準備したのか。サイズも、今のリリスにピッタリなように見える。


「こちら、先代当主の奥方様用に用意されたものなんですが、着る機会が無く保管されていたものなんです。少し保管期間が長くてデザインが古くて申し訳ないんですが…」

「いいえ、とんでもないです!でも、私が着ていいんですか?」

「もちろんですよ。むしろ着ていただけなら、ありがたい限りです」


 サイズはピッタリで、男爵令嬢の頃でも身に付けられないほどの上質な生地でできた下着。下着を身に着けるのも当然のようにマリーアがしてくれた。そのことに徐々に抵抗感が無くなっていることを、リリスは頭から振り払う。


 衣服は頭から被るだけの、簡素な作りながら肌触りがとても滑らかな、上質のワンピースだった。

 マリーアにそのまま鏡台の椅子に座るよう促される。マリーアは櫛を手に取ると、リリスの髪を丁寧に梳いていった。その様子を鏡越しに見ていたリリスは、同時に鏡に映る自分の変貌ぶりにも驚いていた。


(うそ…。こんなにも変わるなんて)


 やせ細り具合は変わらないとはいえ、老婆のように見えた髪は見違えるほどに色艶を取り戻していた。縮れ毛だった髪を、櫛が一度も引っかかることなく通り抜けるのがいい証拠だ。くすんで白髪のようだった髪は、本来の銀の輝きを取り戻しつつある。まだ男爵令嬢だった頃には及ばないけれど、ほんの数刻前と同じ髪とは思えない。

 湯のおかげで血色がよくなった肌は、ほんのり赤みを差している。栄養不足の状態は変わらないけれど、病人のような青白い肌の時はまるで違う。

 その驚きを感じ取ったのかどうか、マリーアは微笑みのまま無言で髪を梳いていく。


 すっかり整えられたリリスは、浴室を出るとマリーアに連れられて奥の部屋に案内された。

 ドアが開けられ、中の様子が目に入るとそこにはソファーに座るジェラードがいた。彼も入浴を終えたのか、髪はほんのり濡れている。着ている服も変わり、シャツにズボン、そしてベストだけとリラックスした服装だ。リリス同様、湯によってほんのり肌が蒸気している様が、なんとも色気を放っている。


「来た…か」


 ドアから見えるリリスに目を向けたジェラードの言葉が一瞬詰まった。その黒い瞳が見開き、射貫くようにリリスを見つめてくる。その視線に居心地の悪さを覚えた。


(どうしてそんな見つめてくるの?私…何かしでかしてしまったかしら?)


 まさか入浴の時間が長すぎて怒らせてしまったか?であれば、すぐに詫びるしかない。


「お待たせしてしまい、申し訳ございません」


 湯の蒸気で喉も安らいだのか、思ったよりも滑らかに言葉を紡ぐことができた。言葉と同時に頭を下げたリリスに、ジェラードは自嘲気味な笑みを浮かべ、すぐに消し去った。


「待ってはいない。ここに座れ」


 ジェラードの言葉に顔を上げたリリスは、「ここ」と指し示すジェラードの手の先を目で追い、驚愕する。


(えっ、そ、そこ…?)


「ここ」とは、ジェラードのすぐ隣だった。ソファーは広く、二人くらいなら余裕で座れるサイズだ。だからといって、ジェラードのすぐ隣に座っていいわけではないはず。


「リリス様、参りましょう」


 戸惑うリリスに、なんとマリーアがその場所に座るように促してきた。というより、未だマリーアがリリスを支えているため、マリーアが動くとリリスも動かざるをえないのだ。

 マリーアに引っ張られるように部屋に入ったリリスは、そのままジェラードの隣に座らされてしまった。

 ぽすっと座らされると、ほんのりと石鹸の香りが漂ってくる。それが隣のジェラードからの香りだと分かると、途端に鼓動が跳ねた。同じ石鹸を使っていて、同じ香りなのにどうしてこうも心臓が高鳴ってしまうのか。そんな初めての状態に困惑していると、ポットと紅茶を注がれたカップがリリスとジェラードの前に置かれた。


「後はいい。下がっていいぞ」


 ジェラードがそう言うと、マリーアと後ろに待機していた老執事は部屋を出ていった。

 いきなり二人きりにされたリリスは、ここでようやく自分が何故ここにいるのかを思い出した。そして、視界の端にちらりとベッドが見えたことが、その考えを裏付けることとなった。


(そうだ、私は……)


 リリスがここにいるのは何故か?それは、ジェラードに抱かれるためだ。屋敷に案内され、入浴することになったのもそのため。

 膝の上で握る手のひらに力が入る。鼓動が、さっきとはまるで違う高鳴りに支配される。

 しかし、そんな緊張したリリスとは裏腹にジェラードはゆったりと紅茶を飲んでいた。見た目にはとても優雅だが、今はその余裕っぷりがなんとも憎らしく見えてしまうほど。


「どうした、飲まないのか?」


 カップを置いたジェラードは、全く口を付けないリリスに不思議そうに声を掛けてきた。


「の、飲みます…」


 緊張で何も喉を通らなそうだけれど、それでも何もしないままでいるよりはマシ。そう判断してリリスは紅茶を一口含んだ。


(あ……)


 芳醇な香りが鼻を抜け、すぐに飲み干せるような適温、そして柔らかな甘さが舌を包む。甘いものなどいつ以来だろう。貧乏男爵家とはいえ、甘い菓子くらいはすぐに買えた。しかし、没落してからは甘い菓子がこれほど贅沢品などとは考えもしなかった。

 入浴で汗をかいたことと緊張で喉が渇いていることすら気づかなかった。何も通らないと思った喉は、あっという間にカップの中を空にした。

 そっと置いたカップに、すぐさま紅茶が注がれていく。見れば、ジェラードが自らポットを手にし、注いでいた。


「あ、あの」

「うまいだろう?うちの領地の自慢の茶葉とジャムだ」


 明らかに高位貴族であろうジェラードに手ずから注がせるなど畏れ多い。自分でやる、そう言いたかったのにもうリリスのカップは新たな紅茶で満たされていた。ならばせめてジェラードの分は…と思って視線をジェラードのカップに向けるも、既に注がれた状態。


「食べられるか?」


 今度は皿に盛られたお菓子を進めてくる。そっとお腹に手を添えたリリスは、まだ先ほどのレストランでの料理が残っていることがわかった。しかしその好意を無下にすることもできない。


「では、一つだけ」

「ああ」


 皿からクッキーを1枚だけ摘まんだ。口に運べば、サクリと軽い食感とバターの甘い香りが漂う。


(おいしい…甘くて、なんてくちどけがいいクッキーなんだろう)


 こんな美味しいお菓子を食べたことがあっただろうか。一つだけで十分、そう思っていたその一つはあっという間に口の中に消えていった。しかも、目はたくさんのお菓子が乗ったままの皿を向いていた。


 フッと笑い声が聞こえ、思わずリリスは目を逸らした。一つじゃ明らかに足りてないというリリスの様子は、ジェラードの目にしっかり映っていたのだ。笑われたこと、恥ずかしい自分の姿を見られたことにリリスの顔は真っ赤に染まっていく。


「我が家のシェフが腕を振るったクッキーだ。うまくて当然だろう」

「はい……」

「だが、今日はそれくらいにしておけ。心配するな、明日からいくらでも食べられる」


(明日って…)


 ジェラードの言葉にリリスは内心首をかしげる。

 明日など無いはず。リリスは今日ジェラードに抱かれ、それで終わりだ。それでどうして明日があろうか。それとも、今日だけでは足りないというのか。どうなのか分からないリリスは、紅茶を飲むことしかできない。


「さて……」


 ジェラードが立ち上がる。いよいよその時が来たのかと、リリスは体をこわばらせた。これからジェラードに抱かれる。いつかその時は来ると思っていた。でもその相手が、こんな初めて会った人とその日のうちに…なんて想像もしなかった。それも、自分よりはるかに高位の人と。


 もしかしたら、子どもが出来てしまうかもしれない。そうなったら、自分だけで精いっぱいなのに、子どもの世話までどうしたらいいんだろう。それとも、ジェラードの血を引いているということで、子どもは取られてしまうのか。


 当てもない妄想はどんどん膨らみ、リリスの中の不安の雲は心を覆い隠していく。しかし、そんな不安をよそに、ジェラードはベルを鳴らし、使用人を呼びつける。現れたのは、さきほどリリスの世話をしたマリーアだった。


「お呼びでしょうか」

「ルーファスから聞いたな?」

「はい」


(2人は何を…)


 てっきりこれから…と思っていたところにマリーアが現れた。ルーファスとは誰のことだろうか。おそらく、さっきの執事の名前かもしれない。

 とにかく、2人は何の話をしているのだろうか。正直、いつまでも先延ばしにしてほしくない。やるならさっさとしてほしかった。いつまでも待たされるのは、心が持たない。


「ではリリス様、こちらへ」


 話を終えたマリーアがこちらに歩み寄り、リリスを手を差し伸べる。その手があまりに自然で、とても優しそうで思わず手を出しそうになった。しかし、その手が何を意味するのか、リリスには分からなかった。それに、いい加減この状態が何なのかが分からないことに、リリスは苛立ちすらつつある。

 そんな立場に無いことは百も承知とはいえ、こうも翻弄されては黙っていられない。リリスは思い切ってジェラードに聞くことにした。


「じぇ、ジェラード様!」

「ん、何だ?」

「わ、私は……」


 次の言葉が紡げない。当然だろう、「抱いてくれないのですか?」などと言えるわけがない。だがこのままでもいられない。リリスの脳裏に、仕事場のことが思い出される。今日の仕事を完全にサボってしまった。おそらく雇い主であるおかみさんは烈火のごとく怒るだろう。もしかしたら、ただでさえ少ない薄給が、さらに減らされるかもしれない。そうなればもう完全に生きていけない。なら、さっさと済ませて帰りたい。

 されることへの不安。明日への不安。その後の不安。様々な不安がリリスの中を駆け巡り、体の自由を奪う。それでも、意を決してリリスは言葉を放つ。


「私は、いつ抱かれるのですか!?」


 思った以上に大きな声が出たことに、リリス自身が驚いた。それはもちろん、聞いていたジェラードにマリーアも同じだ。いや、マリーアは驚いたあと、すぐにジェラードのほうを向いている。その顔はリリスからは見えないが、ジェラードから見えるのは修羅のごとき表情だ。その目が語っている。一体何を言ってこの娘を連れてきたのか、と。


 マリーアはこの屋敷でも古参の侍女であり、ジェラードは幼いころから彼女の世話になってきた。それは執事のルーファスも同じだ。それだけに、マリーアからそのような表情を向けられると、軍人の彼といえど臆してしまう。

 ジェラードはバツが悪そうに視線を外し、ぽつりと言った。


「……あれは嘘だ」

「………へっ?」


 その言葉に、リリスは気の抜けた声が出てしまった。嘘だったと言われ、ならどうして自分はここにいるのだろうか。奢られたくないと言ったから身体で払えと言われ、嘘なら自分はどうしたらいいのか。

 信じられないと目を見開くリリスに、ジェラードは壁に背を預けて語る。


「体で払えとは言ったが、お前を抱くという意味ではない。この屋敷で働いて返せ、ということだ」

「えっ…」

「あんな状態だったお前が、まともに働いたところで返せる見込みなどあるはずもないからな。なら、俺の屋敷で働かせた方がよっぽどマシだと思った。この屋敷の使用人の給金は高いぞ?」


 そう言ってニヤリと笑う。屋敷はこじんまりとはしているが、決してその質は低くない。むしろかなり上等だ。そんな屋敷に勤める使用人の給金が安いわけがない。だけど、それだけに本来そのような屋敷の求人には人が殺到するはずだ。その中には優秀な者もいるだろう。使用人の経験もないリリスに、務まる仕事とも思えない。


「で、ですが、私にはそんな…」

「能力が無いなら身に付ければいい。それだけのことだ」


 リリスの懸念を、ジェラードは一言で流した。本当に、なんてことのないように。それでいいのかと思ったけど、ジェラードの表情は変わらない。本当にそう思っている証拠だ。

 しかし、それですんなり頷くことはできない。リリスには住まいがあり、仕事もある。はいわかりましたとここで決めることはできない。

 だが、そんなリリスの気持ちを先読みしたかのようにジェラードは先手の言葉を紡ぐ。


「あいにくだが、俺はお前を帰すつもりはない」

「そ、そんな勝手な…!」


 あまりに勝手な言い分に、リリスに怒りの感情が沸き上がる。食べ物を食べさせてもらった、身体を綺麗にしてもらった、今まで着たことが無いような上質の服を着せてもらった。その恩はある。

 しかし、だからといって勝手に決めつけられる筋合いはない。反論しようと構えるも、そこにジェラードは被せてくる。


「行き倒れるような生活をしているお前を、帰せるわけがなかろう」

「それ、は……」


 ここにきて、やっとリリスはジェラードの言葉が、自分の身を案じてのことだと分かった。思えば、彼はどこまでも自分に優しかった。入浴もできず、ほつれているような衣服を身に着けた自分を、嫌な顔一つに抱きかかえ、運んでくれた。

 そんな相手に怒る資格が自分にあるわけない。自分の身の程知らずの振る舞いに、リリスの心は一転悲しみに包まれた。


「ジェラード様、そのような言い方をなさるから誤解されるのです。ほら、せっかくの可愛いお顔がもったないですわ」

「むっ…」


 マリーアに諭され、ジェラードは押し黙る。

 マリーアは懐からハンカチを取り出し、リリスの目元を拭った。知らず、涙が溢れていたらようだ。膝上で固く握りしめらている手に、そっとマリーアの暖かい手が乗せられる。


「大丈夫です、リリス様。われら使用人一同、リリス様を喜んで迎えいれますわ。もちろん、ジェラード様もね」


 顔を上げ、マリーアの顔を見ると彼女はにこりと笑った。ああ、こんな優しい笑みを最後に見たのはいつ以来か。宿にはいつも、怒号と罵声しか響かない。笑顔は笑顔でも、人をあざ笑う嘲笑か、下衆な笑みだけだった。

 リリスの頭に、昔まだ父と母が生きていた頃の記憶がよみがえる。父も母も優しい笑みを浮かべていた。心底今が幸せだというように。その笑みと、マリーアの浮かべる笑みは同じだ。

 懐かしい気持ちとマリーアの笑顔に、悲しい気持ちは徐々に和らいていく。


「よろしい、のですか?」

「俺が認めている。マリーアが言ったように、既に使用人たちには新しく雇うことは伝達済みだ」


 いつの間に…と思ったけれど、お風呂に入っている間にだろう。なんて早い。そして、そんなにも早いということは、とっくにジェラードの中ではそうすることが決定事項だったということだ。

 確かに彼は、身体で払えといい、笑った。だからリリスはそういうことだと思い込んでいた。それがすでに間違いだった。彼の言葉は確かに言葉通りだったが、わざとリリスが勘違いするような言い回しをしていた。

 もっとも、言った当人がそう勘違いさせていることを忘れて、さっさと話しを進めようとしていたのだから滑稽でもある。それもあって、ジェラードはさっきからあまりリリスの方を見ようとしない。騙して連れてきたことに、少しは罪悪感もあるようだ。


「…よろしく、お願いします」


 そう言ってリリスは頭を下げた。ここまで配慮をしてもらい、それでも断るのは失礼に値する。


「ああ、よろしく頼む」

「ええ、よろしくお願いしますね、リリス様。あとジェラード様、勘違いさせた件につきましては後でちゃんと確認させていただきますね」

「…勘弁してくれ」


 頭の上がらない古参侍女の前には、軍人の彼も形無しだった。

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