12話
衝撃の事実が分かった日の翌日。
リリスは眠れぬ夜を過ごし、やっと寝つけたのは朝日が昇り始めようという夜明け頃だった。
目覚めたのは正午過ぎ。飛び起き、侍女の仕事を始めようとしたがマリーアに止められた。
「ジェラード様より、『疲れているだろうから今日は休ませておけ』という指示です。安心して休んでいいですよ」
「…はい」
本当は仕事がしたかった。忙しくなれば、この国を離れなければいけないという、辛い未来を直視しないで済むから。
「あの、ジェラード様は?」
「ジェラード様は今朝早く登城されておりますわ」
「そうですか…」
おそらく、自分のことで城に向かったのだと思う。結局、彼には何も恩を返せないまま国を離れることになる。
それが、今のリリスにとっては何よりも心苦しかった。
部屋に戻ったリリスは、青の指輪を見る。
昨日ゼイヴィア王子が言った通り、宝石の真上からのぞき込むと、確かに台座に何か模様が見えた。これがモンスロート国の刻印らしい。
まさかこんなところに母の手がかりがあるとは思わなかったけど、もし見つけたとしても信じられなかっただろう。
そのくらい、昨日のことは衝撃的だった。
(私、これからどうなっちゃうんだろう…)
先が見えない不安。
王族として生きる自分が全く想像できない。
「お母様、お父様……」
そうつぶやいても、返事をしてくれる人はどこにもいない悲しさ。
どれくらいそうしていたか、不意にドアをノックされた。
「はい」
「リリス、ジェラード様がお呼びです」
声をかけてきたのはルーファスだった。
ドアを開け、ルーファスについていく。
ジェラードの執務室に入ると、中にはジェラードが座って待っていた。
「おはよう、眠れたか?」
「はい。今朝は起きれず申し訳ありませんでした」
「謝ることではない。…ルーファス、外してくれ」
「かしこまりました」
ルーファスが出ていき、扉が閉められる。部屋に二人きり。普段ならドキドキするところだが、今は別の意味で鼓動が激しい。
ルーファスを外させたということは、昨日の件のはず。リリスが隣国の王族であるということは、ごく一部の人間を除き機密事項となっている。
「さて…昨日の件について、協議を進めてきた」
「はい…」
予想通りのことに、声が沈む。平静を装うとしても、誤魔化しきれそうにない。
「まず、ゼイヴィア王子は先に帰国し、現状を報告するということになった。そして本国で協議し、準備が整い次第、リリスを迎えに来るという手筈だ」
「わかりました」
「時期については都度連絡を入れてくれるという。…最短で、2か月後には迎えに来れるだろうという見込みだ」
「2か月…」
(そんな…たった2か月しかないなんて…)
あまりにも短すぎる期間に悲しみが押し寄せる。しかし、長すぎても別れを惜しむ心ばかりが膨らんでしまうだろう。
なら、いっそ早いことを喜んだほうがいいのかもしれないと、気持ちを切り替えることにした。
「準備については、あちらとこちら…メレディス王太子が進めてくださる。リリスがしなければならないことは、今の時点では特にないとのことだ」
「そうなんですか」
何もしなくていい、というのはなんとも複雑だ。この件で多くの人が動くことになるだろうに、当人である自分が何もしなくていいのは落ち着かない。
「リリスはそれまで、自分が過ごしたいように過ごしてくれていい。…何か、したいことはあるか?」
「…でしたら、その時まで侍女として働かせていただけませんか?」
「かまわない。…が、本当にそれでいいのか?」
「はい、そうさせてください」
リリスの願いに、ジェラードは複雑そうな表情を浮かべた。しかし、本心からの願いと分かると、了承してくれた。
「分かった。明日から仕事を再開してくれてかまわない。が、3日後は空けておいてくれ」
「3日後ですか?」
「ああ、頼みたいことがあるからな」
ジェラードからの頼みごとに、心が浮き立つ。恩人に、そして愛しい人に頼られてうれしくないわけがない。
「はい、わかりました!」
知らず声が上ずってしまう。それにジェラードは苦笑いを浮かべる。
「そこまで張り切らなくていい。大した用事ではないからな」
「いいえ、そんなことはありません」
大した用事でなくても構わない。数少ないジェラードからの頼み事だ。全身全霊で臨まなければ。
それから3日後まで、リリスは侍女の業務に明け暮れた。
いなくなってしまう寂しさを振り払うように午前中は屋敷の掃除につとめ、午後は領地からの報告書の分別。
忙しくしていれば時がたつのは早く、あっという間に約束の3日後を迎えた。
「外に出掛けるから、その準備をしておいてくれ」
そう言われたリリスは、お出かけ用の服に着替えていた。
緑のワンピースに白のストールを身に着け、髪はマリーアによって編み込んでもらった。
「デートですね」
とマリーアにはからかわれたが、仕事ですと返した。
でも、気分はデートだ。
(ジェラード様と二人きりで出掛けられるなんて…いい思い出にしなくちゃ)
「待たせたな」
玄関前に現れたジェラードは、白いシャツに紺のジャケットとパンツだった。
シンプルな服装だが、それだけにジェラードのスタイルの良さを際立たせている。
(うぅ…やっぱりジェラード様、かっこいいわ…)
気を抜くとすぐに見惚れてしまう。今からこの人と一緒に出掛けられると思うと、それだけで心が舞い上がる。今もうすでに舞い上がっているが、そのまま天に昇ってしまいそうだ。
それを必死でひた隠し、侍女としての仮面をかぶる。
「いえ、待っていませんので」
「よし、行くぞ」
「はい」
ジェラードにエスコートされ、二人は馬車に乗り込んだ。
車内でリリスは今日について尋ねる。
「ジェラード様、その頼み事というのは?」
「ん?ああ、私の休暇に付き合ってほしい」
「えっ…私なんかが、ジェラード様の休暇に付き合ってよろしいのですか?」
「無論だ。リリスに付き合ってほしい」
『付き合ってほしい』。その言葉にリリスの心拍数が上がる。勘違いしそうになってしまう心を必死になだめないと、喜びでおかしくなってしまいそうだ。
(ダメよリリス。そう、ジェラード様は休暇に付き合ってほしいだけ。勘違いしちゃダメなんだから)
「はい、わかりました」
侍女勤めしているときの気持ちを思いだし、つとめて平静に返事を返した。それにジェラードは満足そうにうなずく。
「ここでいい」
ジェラードがそう言うと、馬車は止まった。
馬車が止まったのは、装飾品店の前だった。
店構えは如何にも貴族向けといった感じで、ガラス張りの店内には貴族令嬢の姿も見える。
「下りるぞ」
「はい」
ジェラードのエスコートで馬車を降りる。
店内に入ると、ジェラードを見た令嬢から悲鳴にも似た歓声が上がった。
それをサラリと無視したジェラードは、店員に話しかけると奥へと案内されていく。
その流れがあまりにも自然で、リリスは自分がどうしたらいいか分からず立ち往生するしかなかった。
「どうしたリリス?」
「あ、いえ、私はどうしたら…」
「何を言っている。お前も来るんだ」
そう言ってジェラードはリリスの腰に手を回し、店の奥へと進んでいく。
店の奥は個室になっており、ソファーとテーブルが置かれていた。
店頭に並ばない上質なアクセサリーはここでのみ見ることができるようだ。
しかしリリスにとってはそんなことよりも、腰に回された手のほうが気になった。
(うぅ、こんなに密着するなんて、ドキドキしてるのが伝わってしまいそうだわ)
そのままソファーに腰を下ろす。ようやくジェラードの手は離れたが、二人の距離は近いままだ。
リリスは意識しっぱなしだが、ジェラードはなんでもないかのように奥から出てきたオーナーと思しき男性と話しをしている。
そして、テーブルにはずらりと高級そうなアクセサリーが並べられた。
(なるほど、まずはアクセサリーの買い物なのね。すごい宝石が大きい。これ一つ、一体いくらするのかしら?)
そんなことをぼんやり考えていると、ジェラードから声をかけられる。
「リリスはどの宝石が魅力的に見える?」
「えっ?」
魅力的に見えるかと聞かれ、改めてテーブル上のアクセサリーを見る。
正直どれも魅力的だ。どれがいいかと聞かれても甲乙つけがたい。
そもそもどうしてリリスに聞くのか、そこまでリリスはハッとした。
(これは…もしかして、誰かにプレセントするということよね?)
その誰かは分からない。でも、アクセサリーということはきっと相手は女性だ。しかも、こんなにも高級そうなアクセサリーをプレゼントする相手。
それはつまり、ジェラードにとって大切な人なんだろう。そこまで考えて、胸が痛い。
(そう、ジェラード様には私なんかよりもふさわしい女性がいるのよ。だから、せめてその人とうまくいくようにするのが、私にできる最後のことだわ)
胸の痛みを抑え込み、改めてアクセサリーを眺めていく。
その中で、黒い宝石が付いたネックレスが目に入った。
(これ…ジェラード様の瞳と同じ色だわ。ジェラード様にとって大事な方なら、やっぱりこういうのよね)
「私はこれがいいと思います」
リリスは黒い宝石がついたネックレスを指さした。
「ほう、そうかそうか」
それを選んだことに、ジェラードはずいぶんとご満悦のようだ。声が弾んでいる。
「よし、これをくれ」
「かしこまりました」
あっさり購入が決まった。本当にいいのかと思ったけれど、自分がいいと言った手前、何も言えない。
包まれた宝石を受け取ると、ジェラードはあっさりと店を出た。
「さて、次は違う店に行く。少し歩くが大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
マリーアには歩きやすい靴を履いたほうがいいと言われ、ヒールの低い靴を履いている。
軽く散歩するくらいなら大丈夫だ。
「では行こう」
そう言ってジェラードはリリスに向けて手を差し伸べる。
その手を前に、リリスは首を傾げた。
(えっと、この手はどういうことなのかしら?)
すると、いつまでも固まったままのリリスに業を煮やしたジェラードは、無理やりリリスの手を握った。
「行くぞ」
そのまま強引にジェラードは歩き出した。手が引っ張られ、リリスも慌てて歩き出す。
二人は手をつないだまま、王都を歩き始めた。
ジェラードの大きな手が、リリスの小さな手を包み込んでいる。
固くてゴツゴツしているけれど、大きくて優しく包み込んでくれるジェラードの手。
それにリリスの心臓はどんどん鼓動を早くしていく。
(わ、わ、私、ジェラード様と手を握って…!これは、夢、じゃないのよね?)
かつて妄想した、ジェラードとこうして手をつないで街を歩く夢。
それが叶った今、リリスは泣きそうになるほどうれしかった。
それからはずっとリリスは夢心地だった。
次は王都でも有名なカフェで昼食を取り、その後は市場や露店を眺めていく。
疲れたらベンチで果実のジュースを二人で飲み、露天で買ったお菓子をつまむ。
そうして2人の影が長くなるころに、馬車へと乗り込んだ。
今日が終わる合図だ。
「ジェラード様、本日は休暇になりましたか?」
「ああ、もちろんだ。リリスはどうだ?」
「私も、すごく楽しかったです。ありがとうございます」
「誘ったのは私だ。付き合ってくれてありがとう」
本当に楽しかった。もうこれで思い残すことはない。
そう思っていたのに、ここでさらにジェラードは追撃を仕掛けてきた。
「おっとそうだ。これを渡しておかないとな」
そう言ってジェラードは一つの袋をリリスに手渡した。
その袋には見覚えがある。まさか…という思いで、ジェラードを見た。
「あの、ジェラード様。これは…」
「リリス、君へのプレゼントだ」
「えっ」
「開けてみるがいい」
そう言われ、袋から中身を取り出す。中には箱が入っており、その箱を開けるとそこには黒い宝石が付いたネックレスが収められていた。
「その黒い宝石はブラックダイヤモンドだそうだ」
「…あの、ジェラード様。どうして、私に…」
「言っただろう。君へのプレゼントだと。だから君に選んでもらった。もっとも、欲しいのを選べと言ったら間違いなく断るだろうと思ったからな。少し回りくどい方法を取らせてもらった」
そう言うジェラードの顔は、いたずらが成功した少年のような笑みを浮かべていた。
てっきり、ジェラードに大切な女性ができたのだと思っていたのに。
それがまさか自分のためだったなんて。
感極まったリリスの瞳に、涙が溢れてくる。
「うれ…しいです、ジェラード様」
「喜んでもらえて何よりだ」
懐からハンカチを取り出したジェラードは、そっとリリスの涙をぬぐう。
(こんなに幸せで…。ダメ、もうすぐ別れなくちゃいけないのに)
押し殺した想いが、再び湧き上がる。この人と一緒にいたい。
ダメだと思いたいのに、ブラックダイヤモンドのネックレスと、涙をぬぐってくれるジェラードの優しい笑顔がそれを許してくれない。
(本当に…もうどうしようもなく、好きです…ジェラード様)
口にしてはいけない言葉を、そっと心の内でだけ紡ぐ。
夕暮れに照らし出される馬車の中で、リリスは今だけの幸せをかみしめていた。




