11話
「えっ…?」
メレディスの言ったことに、頭の中が真っ白になる。
あまりにも突拍子すぎて、頭が理解を拒んでいた。
混乱しているのはジェラードも同じ。
「…殿下、あまりにも急すぎます。もう少し、段階を踏んで説明していただけませんか?」
「分かっているよ。ただ、まずは結論を先に言っておかないとね」
(それにしては結論が急すぎるだろう。まさか…リリスが王族だと?)
しかし、頭の中ではどこか腑に落ちている。初めてリリスと出逢った時のことを思い出していた。
(初めてリリスの瞳を見たとき、どこかで見たことがあると思ったんだ。まさか、モンスロート国の王族のものだとは思わなかったが)
「さて、順を追って説明しよう。まずきっかけは、リリス…王女でいいかな?」
「…間違いないとは思うが、まだ断定はできない。これまで通りでいい」
メレディスはゼイヴィアにリリスの扱いについて確認した。これまで通りということは、まだ平民として扱うということだ。
メレディスはそれに頷き、話を続ける。
「きっかけはリリスが飲み物を掛けられたことだ。あれで面布が外れ、何人かが君の素顔を見た。そのことを口にしている者がいてね。『ジェラードの連れの女性は青い瞳をしていた』と」
「青い瞳は我が国の王族特有のものだ。本来他国にいるはずがない。何も無ければ見間違いだとして相手にしない。…だが、我が国は一つの懸念を抱えていた」
ゼイヴィアの語る懸念。それを聞く前にリリスの不安はどんどん膨れ上がり、生唾を飲み込む。
「およそ20年前のことだ。我が国の王族が一人行方不明になっている。名を…エレイン・モンスロートという」
「!!」
ゼイヴィアから語られた名に、リリスの体が震える。その名は、リリスにとって避けられない名だからだ。
「リリス、エレインという名に覚えは?」
「……母の名です」
「…やはり、そうか」
ゼイヴィアは手を額に当て、仰ぐように天井を見た。リリスも、まさか自分の母が王族だったという事実に驚き、このまま気絶してしまいたいと思っている。
「叔母上…ああ、エレイン様は私の父の妹にあたる方だ。つまり、先代国王の娘であり、現国王の妹。リリスと私は従兄妹ということになるな」
「そう…なんですか」
「それでだ、叔母上は20年前に突然失踪してな。置手紙はあったが、あまりの突然のことに誘拐が疑われた。ひっそりと捜索が行われてきたわけだが、見つからないはずだ」
まさか隣国に、それも同盟国にいたという事実。そのことにメレディスは陳謝した。
「申し訳ない。国として把握できず」
「いや、気にしなくていい。こちらも、まさか隣国にいるとは思わなかったからな。連絡しなかったのはこちらの落ち度だ」
ゼイヴィアは手を振って仕方ないとした。さらに話は続く。
「正直、諦めかけていたところだ。先代国王夫妻は絶対に見つけ出すと意気込んでいたが、見つかる当てもない人物を探すのも楽ではない。まさか、このタイミングで見つかるとは思わなかったがな。それで?叔母上は今どこに?」
ゼイヴィアの質問に、リリスは顔を俯かせた。
口にしたくない、そう思っても言わなくてはならない。
こみ上げる悲しみを押し殺して、リリスは口を開いた。
「母は…3年前に亡くなりました」
「な…に…」
その事実がよほどショックだったようで、ゼイヴィアは固まってしまった。
執務室に沈黙が下りる。
ゼイヴィアは再び額に手を当て、今度は悔しそうにうつむいた。
「そう…か。これは……報告が辛いな」
先代国王夫妻は、いきなりいなくなってしまった娘のことを大層気にかけていた。きっと生きていると、その希望をずっと捨てなかった。その希望が、最悪の形で潰えることになる。
「申し訳ありません…」
「リリス、そなたが謝ることではない。きっと…どこかで覚悟はしていたはずだ」
せっかく母の出生が分かったのに。
それがこんな形になってしまったことに、更なる悲しみをリリスが襲う。
「リリス、辛いかもしれないが、私とて本国で報告する義務がある。質問に答えてくれるな?」
「…はい」
リリスは涙をぬぐい、ゼイヴィアへと顔を上げた。
そこには悲しみに暮れる少女の顔ではなく、貴族として恥ずかしい振る舞いをしないようにと母の教えを守る娘の姿があった。
「まず一つ。叔母上は、自らの意思でこの国に来たのか?」
「…申し訳ありません。母は、自分の出自を語りませんでした。父は知っていたと思いますが、父も母と一緒に事故に巻き込まれて亡くなってしまい…」
「なんと…!では、リリスは今独り…というのか?」
「はい…」
「そうか…」
その後も、ゼイヴィアからの質問は続き、それにリリスは知っている限り答えた。
結局、リリスの母はどうしてグラスネット王国にいたのかはわからずじまい。そこで、男爵だった父の経歴を追うことにした。調査はメレディスが責任をもって行うことに。
そして話は、リリスのこれからに移る。
「それで、リリスは今どうしている?」
「それは…」
今の状況を説明していいのだろうか、口ごもってしまう。
なにせ今はただの平民で、しかも侍女として雇われている状態だ。これを説明して、ゼイヴィアが激怒してしまわないだろうか。
そんな懸念に黙ってしまうと、隣から声が上がった。
「リリスは我が家で侍女として雇っております」
「何…?」
ジェラードははっきりと、リリスの現状を口にした。
その内容にゼイヴィアの眉がぴくりと上がる。
「リリスは今貴族でないというのか?」
「はい。彼女は両親亡き後、平民として暮らしていました。しかし、生活が立ち行かず、路地裏で生き倒れていたところを、私が保護しました。そのような状況になるまで保護できなかったのは、我が国の落ち度です。申し訳ありません」
ジェラードは立ち上がると、ゼイヴィアに向けてひざまずき、頭を下げた。それに慌てたのはリリスだ。
「ジェラード様、そのようなことはありません!行き倒れていたのは私の問題で…」
「なるほど、行き倒れていたというのは事実なのだな」
ゼイヴィアの目つきが鋭くなる。この状況にどんどんリリスの不安は増していった。
このままでは、両国の同盟に亀裂が入るのでは…そんなことが頭をよぎり、冷汗が流れる。
「ジェラード殿。リリスを保護してくれたことに感謝する。そうでなければ、今日この場で会うことは叶わなかっただろう」
「もったいないことばです」
「それに免じ、行き倒れていたことについては不問とする。そのことは、この場だけに留めよう」
「お心遣い、感謝します」
リリスはホッとして息を吐いた。かろうじて最悪の事態にならなかったが、自分のこれまでが両国の安全を脅かすのではと思うと、まだまだ安心はできない。
ジェラードは席に戻った。話しは続く。
「ところで疑問だが、リリスは現在平民で、侍女として働いていると申したな。それで、どうしてこの場にいる?」
「私が、彼女にパートナーとして出席をお願いしたからです」
ゼイヴィアの質問に、ジェラードはよどみなく答える。質問の内容が内容だけに、リリスも気になってしまう。
「ほう。貴殿は侍女をこの栄誉ある祝賀会に参加させるのか?」
「ただの侍女であればしません。ですが、リリスは貴族としての教育をしっかり受けており、その所作は見事です。この場にあっても決して見劣りすることはありません。それに、私には妻も婚約者もおりませんので」
「……なるほどわかった。いずれにせよ、貴殿が連れてきてくれたおかげで、こうして面会することができた。これ以上詳細は問うまい」
「ありがとうございます」
ジェラードの答えに、ゼイヴィアはどこか思うところがありつつも、それを飲み込んだ。
「さて、大方は分かった。最後だが、リリス。そなたが我が王族に連なる者である証拠はあるか?」
「証拠…」
そんなものはあっただろうか。遺産はほとんどを売り払ってしまった。もしその中にモンスロート国と縁があるものがあったら…と不安になる。
しかし、そこで懐に母の指輪を持ってきていたことを思い出した。
「あの、これはどうでしょうか?母の形見なんですが…」
箱を取り出し、開ける。中に青い宝石が付いた指輪が見えると、ゼイヴィア王子の目の色が変わった。
「その指輪は…!手に取って良いか?」
「はい、どうぞ」
指輪を差し出すと、手のひらに乗せる。
指輪をつまんだゼイヴィア王子は、宝石を真上から見つめた。そして、そこに何かを見つけ、興奮気味に語りだした。
「…間違いない。この指輪はモンスロート国の王族が出生と同時に作られる、王族の証明である指輪だ!」
「そうなんですか!?」
まさかそんなにも重要な代物だとは思わず、リリスは口元を押さえ、驚いてしまった。
「宝石の土台に当たる部分に、モンスロート国の刻印が刻まれている。この刻印を、宝石越しに見えるように加工する技術はわが国独自のものだ。これは何よりの証拠になる」
(まさか、お母様の形見がそんなすごいものだったなんて…)
「…ということは、リリスはモンスロート国の王族である。そう認めるのですね?」
「ああ、認めよう。青い瞳と、青い指輪。リリスは間違いなく、我が国の王族に連なる者である」
メレディスの確認に、ゼイヴィア王子ははっきりとうなずいた。
この瞬間、リリスは明確に王族として認められた。しかし、当人の心中は複雑である。
(私が…王族?それじゃあ、私はこれからどうすればいいの…?)
知らず、リリスの目は隣のジェラードを見てしまう。それに気付いたジェラードは、はっきりとリリスを見返した。その黒い瞳は、決意の光を宿している。それはリリスに、「何も心配することはない」と言っているようだった。
「それでは、ゼイヴィア王子。リリス…王女は、どうするつもりですか?」
メレディスからの問いかけに、リリスの肩が跳ねる。ゼイヴィアの返答次第で、この国にいられるかどうかが決まってしまう。それは、ジェラードとの別れを意味していた。
「まだ、決めかねるな。探していたのは叔母上だ。その血を受け継ぐとはいえ、違う者を連れていくには準備もいる。連れて帰りたいのはやまやまだが、事態が事態だ。私一人で結論を出すことはできない」
つまり、今すぐこの国を出ていくということはなさそうだ。それに安堵するも、それがリミット付きであることに変わりはない。
「それまで、この国に引き続き預かってもらいたい。頼めるな?ジェラード殿」
「はっ。わが身に代えても、お守りすることを誓います」
ゼイヴィアの頼みに、ジェラードは恭しく頭を下げて応じた。
その言葉だけなら飛び上がるほどうれしいのに、今は喜ぶことができない。
「ふぅ…今日はこれくらいで良いか」
「なら、2人は帰宅させてもよろしいですか?ゼイヴィア王子」
「ああ。そうしてくれ、メレディス王子」
ゼイヴィアは疲れたというふうに天井を仰いだ。
許可をもらったメレディスは、ジェラードとリリスに向き直る。
「そういうことだ。遅くまですまなかったね」
「いえ、失礼させていただきます」
「失礼します」
2人は立ち上がり、礼をして退室する。
そのまま馬車へと向かうが、それまで終始無言だった。
「………」
「………」
車内でも、空気は重く、とても会話できるようすではなかった。
ジェラードは何かを考えているのか口を引き締め、沈黙を貫いている。リリスも、今自分は何を言っていいのか分からず、何もしゃべることができなかった。
(私、これからどうなってしまうんだろう…。もう、この国にいられないのかしら)
父と母が仲良く過ごしていた国。
両親が事故死し、天涯孤独となった国。
世間知らずで、行き倒れるほどに苦労した国。
ジェラードと出逢った国。
屋敷で優しい人と楽しい日々を過ごすことができた国。
この国で過ごした思い出が思い出される。
その思い出が、もうすぐ終わりを迎える。続きを紡ぐことがもうできない。
その現実が迫っていることに、リリスの瞳からは自然と涙がこぼれた。
(いやだ…この国を出たくない。ジェラード様と、もう会えないなんて、イヤ…)
零れ落ちかけた涙が、ジェラードに拭われた。
「ジェラード様…」
「リリス…」
王女と言わず、リリスと呼んでくれたこと。それが今の彼女には何よりもうれしかった。
黒い瞳が、まっすぐにリリスを見据える。外はもう暗く、互いの顔は見えないのに、その瞳だけが一筋の光を持っていてはっきりと見ることができた。
「リリス…モンスロート国に行きたいか?」
「………」
行きたくないと言ってもいいのか。いや、そんな我儘が許されるわけがない。
せっかく同盟記念の祝賀会まで開かれたのに、自分が原因でそれに亀裂を入れるわけにはいかないのだ。
だからリリスは、精一杯自分の気持ちを誤魔化し、うなずいた。
「はい…。私は、モンスロート国に行きます」
「…そうか」
リリスの答えに、ジェラードはそっと目を外した。それが、リリスの心を抉る。
(やっぱり…私は、この国にいてはいけないのだわ。ジェラード様…あなたが好き、でした)
心の中で、告白と決別を告げる。屋敷に着くまで、2人に言葉は無かった。
馬車の中でリリスの意思を確認したジェラードは、リリスからそっと目を外す。
(やはり、リリスならそう言うだろうな)
貴族として振る舞いを厳しく教育されてきた彼女なら、己のことよりも国益を優先させるだろう。
ジェラードの読みは的中した。
それに、彼女らしいと安心し、同時に少しの絶望を感じる。
行きたくないと言ってほしかった。
だからこそ、己が動くしかないのだとも強く感じる。
ジェラードはリリスがモンスロート国に行くのを素直に見送るつもりは、一切ない。
(リリスがどんな立場であろうと、俺は諦めないからな)
リリスが平民であろうと妻に迎えると誓ったのだ。それが王族に変わったからといって、誓いが変わることはない。
それに、リリスの様子からもモンスロート国に行くことに乗り気ではないのはすぐわかる。
この国に残りたいと、本心ではそう思っているのは明白だ。
だからこそ、合法的に彼女をこの国に残す方法を考える必要がある。
そのためには使えるものは何でも使わなければならないだろう。
ジェラードの頭には、お節介な幼馴染の顔が浮かぶ。
彼の協力は不可欠だ。それに、彼の助言は大いに活用させてもらおう。
言ったのは彼自身。その責任は取ってもらう。
ジェラードは今後の展望を描き、それを実行するための作戦を練っていた。




