10話
同盟記念の祝賀会の会場は豪華絢爛を極めた。
まぶしいほどのシャンデリアは、灯りの一つ一つが魔術光であり、影ができるのを許さないと言わんばかりに会場を照らしている。
食べきれないほどの豪華な食事がテーブルに並び、色とりどりの花たちで会場は彩られている。
既に会場には多くの貴族が入っており、艶やかなドレスをまとった女性たちと、軍服や儀礼服をまとった男性たちで鮮やかだ。
リリスとジェラードが会場入りすると、一瞬会場のざわめきが消えた。
これまで一人だったジェラードが、その隣に女性を連れている。しかも、その女性のドレスは黒で、明らかにジェラードの瞳の色を意識したものだ。
ジェラードは女性の腰を抱き、見るからに親密そうにしている。
その上、女性は面布をしてその素性が分からない。これで気にされないわけがないだろう。
(やっぱりすごい注目されてるわ。これはやっぱり、ジェラード様…じゃなくて私、よね)
面布の裏からでも、人々の視線がジェラードだけでなく自分にも注がれているのがわかる。この場に来たことを、一瞬でも後悔してしまうほどに。
「大丈夫だ、リリス」
知らず、リリスの手は掴んでいるジェラードの手を強くつかんでいた。
リリスの心中を察したジェラードは、安心させるように声を掛けてくれる。
その瞬間、一部から歓声が上がった。声を掛けるときのジェラードの表情が、これまで誰も見たことが無いほどに甘く、優し気だったからだ。
同時に、リリスへの視線が一気に鋭いものに変わっていく。とくに、これまでジェラードに袖にされてきた令嬢たちの視線が。
(背筋に悪寒が…絶対これ、大丈夫ではないと思うんですけど)
しかし、ここで怖気づいてはいられない。
ジェラードをこんな女性たちのものにされるくらいならと覚悟を決めてきたのだ。
リリスは背筋を伸ばし、微笑みを浮かべたまま堂々とした貫禄でジェラードの隣に立つ。
その様子にジェラードは満足そうに笑みを浮かべ、リリスを連れて会場の中へ進んでいく。
「やぁジェラード。やっと連れてきてくれたね」
そう言ってジェラードに声を掛けたのは、この国の王太子であるメレディスだった。
突然の王族登場を前に、リリスの鼓動が跳ね上がる。
それでも平静を装い、震える足を叱咤して前を向き続けた。
「王太子殿下、同盟100年おめでとうございます」
「ああ、堅苦しいのは後にしてくれ。それよりも…」
メレディスの目がリリスへと向けられ、ジェラードへと戻る。
「彼女が、君の想い人、というわけだね?」
「ええ。今はまだアプローチを続けているところです。なので、混乱を避けるため、面布をつけさせていただきました」
「それがいい。君を狙うご令嬢方はごまんといるからね。しっかり守りたまえ」
「はい」
「ご令嬢」
ジェラードからは、事前に王太子から声を掛けられるかもしれない。だが、声を出さなくていいと許可をもらっているらしい。
しかし、リリスは今日だけで終わるつもりはない。ジェラードにはその気が無いとしても、もう覚悟を決めたのだから。
「はい」
リリスが返事をしたことに、メレディスはもちろんジェラードも驚いた。
しかしさすがは王族。すぐさま切り替え、柔和な笑みをリリスへと向ける。
「…何分不器用な男だ。君の手を焼かせるかもしれないが、よろしく頼むよ」
「はい」
メレディスの言葉にリリスはゆっくりと頭を下げた。
その様子に満足し、彼は席へと戻っていく。
「…大丈夫か?」
「はい、大丈夫です、ジェラード様」
「そうか」
(王族を前にしてあの態度。やはりリリスは素晴らしい女性だ)
今日への参加を渋っていた彼女が、すぐさま参加へと切り替えたのには驚いた。どんな心境の変化があったのかはジェラードには分からない。
しかし、理由などはどうでもよかった。今こうして、この舞台で彼女と2人でいられることが何よりうれしい。
今日を皮切りに、どんどんリリスを連れて夜会などへの参加をもくろんでいた。周知はもちろん、リリスにも彼女がジェラードにとって大事な女性であることを思わせるために。
その後も、ジェラードの知り合いが次々に挨拶に訪れてくる。
ただし、今度はリリスは返事をせずに会釈するだけにつとめた。
そして、いよいよ同盟100年の祝賀記念会が開催される。
壇上にはグラスネット王国の国王と、同盟国であるモンスロート国の王子が並ぶ。
「我がグラスネット王国と、モンスロート国の恒久の平和を願い、乾杯」
国王の言葉を合図に、あちこちで祝いの声が上がる。
その後も、ジェラードへ挨拶をする者は後を絶たない。中には隣国の貴族もおり、ジェラードの影響力の高さを物語っていた。
同盟ということは、有事の際に援軍を求めることもあるだろう。そこにグラスネット王国魔術軍団の将軍であるジェラードがいれば、これ以上に心強いものはない。
そのため、ジェラードのご機嫌伺いに来る隣国貴族が多い。彼らにとっては、ジェラード本人が重要で、その隣にいるリリスのことはついでと言わんばかりの扱いだ。
もっとも、その扱いがジェラードの琴線に触れており、評価を下げているのだが、当人は知らずにいる。
(ジェラード様、私なんかのために…)
隣にいるリリスはジェラードの不機嫌具合を察していた。
彼の機嫌が、隣国貴族がリリスを流すたびに下がっていくことを。
この場が両国にとってどれだけ大事なのかを知らない彼ではない。だからこそ抑えているが、そうでなければどうなっていたか。
リリスはそっとジェラードの手を握った。それに気付いたジェラードもそっと握り返してくれる。
ほんの少しだが、彼の不機嫌は解消されたみたいだ。
会は進み、会場の中心で王太子であるメレディスとその妃である王太子妃とのダンスが始まった。
それが終わると、次々にダンスを始める者たちが現れる。
徐々にジェラードへ挨拶をする者もいなくなり、ようやく途切れたところでジェラードはリリスへと声を掛けた。
「私たちも踊ろう」
「はい」
ジェラードにエスコートされ、ホールの中心へと進んでいく。
ジェラードと、その婚約者候補とされる女性とのダンスに会場中が注目していた。
その視線を受けて、リリスは緊張してしまう。
(ダメ、このままじゃ…!)
緊張に手が震え、ステップの一歩目が踏み出せない。
そんなリリスに、ジェラードは柔らかく微笑んだ。
「リリス、私を見るんだ」
「ジェラード様…」
ジェラードの笑みにリリスの緊張は徐々にほぐれていく。
そして、毎晩練習したステップを踏み出すことができた。
見つめ合ったままダンスを続けていく2人。
毎晩刻んで覚えたステップを繰り返すだけなのに、ドレスに身を包み、大勢の観衆の中でダンスを行う。それだけでこうも高揚した気持ちになるのか。
(なんて気持ちいいの。ジェラード様と、ずっとこのまま…)
「楽しいな、リリス」
「はい、楽しいです」
ジェラードも同じ気持ちであることが分かり、さらにうれしくなる。
しかし、徐々に曲は終わり、ダンスは終わってしまった。
このままもう一度…と思いたかったけど、今日は参加者が多い。自分たちだけが何度も踊るのはマナー違反だ。
2人は中心から端の方へと移動していく。
「疲れていないか?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
「何か飲み物でももらおう」
そう言ってジェラードが横を向いた瞬間、リリスに向かって何か液体が飛んできた。
それはもろに面布に掛かり、濡れた面布はリリスの顔に張り付いてしまった。
「リリス!」
びっくりし、固まってしまったリリスに対し、水音に気付いたジェラードが咄嗟に面布をはぎ取った。
塗れた布は通気性がなくなり、下手をすれば窒息してしまう。
しかし、それによってリリスの顔は晒されてしまい、咄嗟に自分の手で顔を覆い隠す。
ジェラードはリリスに空のグラスを向けたままの令嬢をにらみつけた。
「も、申し訳ありません」
令嬢は頭を下げるが、それがわざとだったのは明白だ。
面布を全部濡らすほどに派手にこぼして、偶然などあるはずがない。
ジェラードは令嬢のことについて今は頭の隅に追いやり、リリスをかばう様に壁際に移った。
「そのまま顔を隠してくれ。別室に移動する」
「はい…申し訳ありません」
「君が謝ることではない」
声色から、ジェラードが怒りの感情を宿していることが分かる。
そのままジェラードはリリスを人目から避けるように連れていき、会場を後にした。
その後ろでは、リリスにあやまってこぼしたと自称する令嬢が、厳しい目つきでリリスを睨みつけていた。自分が、まさか王太子であるメレディスに見られているとも知らずに。
人気のない別室に移動したジェラードは、リリスをソファに座らせた。
そこで2人とも一息つく。
「ほかに濡れたところはないか?」
「ドレスが少し。他は大丈夫だと思います」
「そうか。これで拭こう」
ハンカチを取り出したジェラードは、濡れたとされる場所に当てて吸わせていく。
「掛けられたのはただのワインだな」
「すみません、せっかくのドレスを汚してしまって…」
「君が気にすることではない。私こそ済まなかった。まさかあの一瞬で仕掛けてくるとは思わなかった」
「いいえ、ジェラード様のせいではありません」
本気で申し訳ないと思っているジェラードは、その表情を普段では想像もできないほどに落ち込ませている。
それがリリスにとって心が痛い。
(こんな表情をさせたくて今日参加したわけじゃないのに…)
「しかしまいったな。替えの面布は持ってきていないし」
「…私は屋敷に戻ります。ジェラード様はそのまま…」
「君が戻るなら私も戻る。もう参加の義理は果たしたからな」
そう言った彼の顔は真剣である。
しかし、もうジェラードが会場を後にするのはまずいはずだ。せめて、もう少し王宮に滞在したほうがいいのではないか。
「ジェラード様、今日は大事な会です。もしかしたら、まだジェラード様にお声がかかるかもしれません」
「それは、そうかもしれないが…」
「なので、このままここでお休みしていませんか?もしジェラード様にお声がかかりましたら、私はここで待っていますので」
「…私としては、王宮内であっても君を一人にするには避けたいのだが」
「私は大丈夫です」
「…強いな、リリスは」
ジェラードはまぶしい物を見るような目でリリスを見た。
(あんなことがあったというのに。もう帰りたいだろうに、私のために残ってくれると言う。やはり、君は素晴らしい女性だ)
そのまま、2人はしばし談笑を楽しんでいた。
ジェラードがこの部屋にいることは城の使用人を通じてメレディスには伝えてある。何かあれば彼から連絡が来るだろう。
しかし、とくに連絡は無かった。時間的にも、祝賀会はお開きの時間だ。
「そろそろ終わりだろう。リリス、他の客で混雑する前に帰ろう」
「はい」
2人が立ち上がった途端、部屋のドアがノックされた。使用人のようだ。
「ジェラード様、まだおりますか?」
「まだいる。もう帰ろうと思ったところだ」
「王太子がお呼びです。至急、執務室に来てほしいと」
「そうか」
「それと、お連れの女性も一緒に、とのことです」
「何…?」
(私も?どうしてかしら?)
2人は顔を見合わせる。ジェラードならともかく、どうしてリリスまで呼ばれるのか。さっぱりわからない。
しかし、呼ばれたのなら行かないわけにはいかないだろう。
「面布が無いが、いいだろうか?」
「はい。王太子からの呼び出しであれば、仕方ありません」
ジェラードとしても、まだメレディスにただの平民であるリリスを知られるのは避けたい。
今日にしても、「パートナーとして代理の女性を連れていく。だが、彼女の今後を考えて面布をつけさせてほしい」としか言っていない。
(…やはりリリスのことが気になったのか?できれば厄介なことにはなりたくないが)
部屋を出て、案内する使用人についていく途中、ジェラードは何事も無いことを祈っていた。
隣に並ぶリリスも、仕方ないと返したけれど、やはり胸中は不安だ。
(どうして私まで?やっぱり、平民の私が参加したのが気に食わなかったかしら?)
それぞれに不安を抱えつつ、ついに執務室の前に着いてしまった。
執務室の前で、使用人が声を上げる。
「ジェラード様と、お連れ様を連れてまいりました」
「ご苦労、中に入れてくれ」
「はっ」
扉の両側に配置されていた騎士が開けていく。
中にはこの国の王太子であるメレディス、そして隣国の王子の姿もあった。
だが、その顔は驚愕に染まっている。そして、彼を見たリリスとジェラードもまた表情を驚きに変えた。
(私と…同じ瞳の色?)
「来たね、2人とも。まぁ座ってほしい」
メレディスに促されて入室し、ソファーに腰を下ろす。
メレディスと隣国王子が並んで座り、その正面にジェラードとリリスが座った。
ちょうど、リリスと隣国王子が向かい合う形になる。
同じ色の瞳が、相手を捉える。
「まさか、ここまで同じとは思わなかったよ」
メレディスの言葉はこの場にいる全員が思ったことだ。
「ああ、私も聞いた時はまさかと思った。だが、この目でみて確信した」
隣国王子の言葉にリリスの心臓が跳ねる。
一体何を確信したというのか。
「改めて自己紹介しよう。私はモンスロート国の王子、ゼイヴィアだ」
「テルドール侯爵家が当主、魔術軍団将軍のジェラードです」
「…リリスです」
「さて、自己紹介も済んだところで、早速本題に入ろう」
メレディスが場を仕切る。そして、驚愕の事実を告げた。
「リリス嬢。君には、モンスロート国の王族の血が流れている可能性がある」




