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社畜、御免状を得る。

「全ての依頼が片付いたですって……?

 一か月ぶっ通しで働けば帳尻は合うけど認めたくなぁぁぁぁぁぁいッ!」


 マリーベルは思わず涙した。


「ご理解いただけず、誠に遺憾です。では、次の依頼へ参ります!」


 遺憾砲を放ったのち、社畜は掲示板に突撃――定常運転である。


「あの依頼書も、これも、そっちも――全部イケますね!」


「はぁぁ……」


 金髪の美人には似つかわしくない、重たいため息がマリーベルの口から漏れる。

 

 徹夜明けで「もっと働きたい」と笑う男を前にすれば、ため息のひとつやふたつ、出て当然だ。


 それはさておき――

 マサトが労基法ガン無視の冒険行を繰り返していた、ある日のこと。


 ギルドの奥にある執務室で、初老の男が眉間に皺を寄せていた。

 彼はギルド長サラームス、最近赴任してきた、文官風の小柄な男だ。


 彼のキャッチフレーズは「書類の不備は即死刑」。

 紙の処刑人と恐れられ、監査至上主義を具現化した男でもある。


「このマサトという男。E級昇格までの速度、報告内容、依頼数……」


 目を細め、帳簿をもう一度めくる。


「そしてこのポーション購入履歴。E級基準の10倍……異常すぎる」


 そこでサラームスは帳簿を閉じ、こう呟く。


「調査が必要だな」


 こうして、疑惑の社畜にギルド監査の目が向けられることとなった。


「君が、マサト君か。私は新任のギルド長サラームスだ」


 彼が受付前に現れた瞬間、空気がピタリと凍りついた。

 小柄な外見とは裏腹に、声には不承認印を一発で叩き込むような重さがあった。


「少し、話をしようか。最近、異様なスピードで依頼を完了し、

 異常な量のポーションを購入しているな。その資金は、どこから出ている?」


「え? 普通に働いた分の報酬ですよ!」


 マサトは、ニコッと満面の笑みを浮かべて答えた。


「……E級の仕事で、これだけの稼ぎが出るとは思えん。

 記録上の報酬と支出が釣り合っていない。誰かに支援されているのか?

 あるいは、裏で何か、不正な手段でも使っているのか?」


 サラームスの目には、『ギルティ』の四文字が記載済み。

 ただ、判決文を読み上げるタイミングを見計らっているだけだ。


 その死刑宣告一歩手前の視線を受けても――

 マサトの笑みはピクリとも揺れなかった。


「いやいや、純然たる自己完結ですって! 受けた依頼の書類、全部ありますよ! ね? マリーベルさん」


「は、はい。こ、こちらに、お、重い……」


 マリーベルが運んできた紙束は、バサッ! では済まない量だった。


 ドサドサドサッ! と三段階に分けて落ちる紙の奔流。

 依頼書、報告書、チェックリスト、全記録、まさに証拠の山。

 紙の重みでカウンターが一瞬きしんだほどだ。


「ご覧のとおりです。あと、誰かに手伝ってもらったこともありません」


「……本当に一人で?」


「はい! 一日、まるまる働けば、余裕ですから!」


「一日、丸々……?」


 サラームスは絶句した。


「はい、24時間! あ、正確には36時間ですね!」


「さ、36時間だと……ッ⁈」


 常識を超越した社畜の狂語が、サラームスの脳内でぐるぐる渦を巻き――


 頭の中で、『理解不能』と『論理破綻』による大運動会が華々しく開幕する。


 BGMはもちろん――《天国と地獄》がぐーるぐる全力疾走!

「がーんばれ! がーんばれ! どっちも負けるな~!」と、応援団も全力だ!


 なお、常識と理性はとっくのとうに負傷退場、カオスだけの一人勝ち。


 サラームスが目を回しながら呆けていると――

 そっとマリーベルが囁いた。


「ギルド長、この人、正真正銘、ただの仕事中毒です。一日が36時間だと思っているんです。頭のネジが十本くらい吹き飛んでるだけなのです」


 彼女は懇切丁寧に、これまでの経緯――二度とは聞きたくない社畜物語を語った。


「社畜……仕事……ネジが……」


 一通り話を聞き終えたサラームスは、そう呟くのが精一杯だった。


 そして彼は直観的にそれが真実だと理解した。

 目の前にいるのは、不正者ではない。

 ただ、労働の闇に棲む、狂気の体現者だった。


 サラームスは、「もう、どーにでもな~れ☆」と、実に投げやりな結論を下した。

 

「さ、最後に、ひとつだけ聞かせてくれ」


「なんでしょう?」


「君は、なぜ、そこまでして働くんだ?」


 マサトは少し考え込んだふうを見せてから、いつもの笑顔でこう答えた。


「そこに仕事があるからです。人が山を登るように、私は仕事を登るんです! そう、自己責任で!」


 その瞬間、サラームスの脳内で、常識・倫理・労働感覚といった棚が音を立てて崩れ落ちた。

 「心に棚を作れ」と言うが、棚ごと爆破した方が、心は広くなるのかもしれない。


「……なるほど」


 心が広くなってしまったサラームスは、深く、深く頷いた。

 マサトの言葉はまったく意味がわからなかったが、なぜか魂に響いた、ような気がした。


「よろしい、君の疑いは晴れたよ。すまなかったね」


 サラームスは、事実上の無罪。

 『お構いなし』を宣告した。

 現実世界なら労働基準法違反と薬事法違反で確定有罪だが、この世界にそんなものは存在しない。


「これまで通り、で、よろしいのですね?」


「ああ、そうだね、認めるよ」


 ギルド長の言葉は、絶対に近い重みを持つ。

 これはすなわち、マサトがギルド公認の働きすぎ御免状を得たに等しい。

 冒険者ギルド認定、社畜のライセンスともいえる。

 

「ありがとうございます! じゃあ次の仕事に行っていいですか?」


「……まぁ、自己責任だから構わんよ」


 サラームスは鼻白んだように肩をすくめ、呆れた声で言った。


「マリーベルさん、行ってきます!」


「お気をつけて」


 働きづめの社畜を、マリーベルが心配そうに送り出す。

 サラームスもまた、その背中をしばし眺めていた。


「ふむ……まるで『休むと死ぬ呪い』でも背負ってるようだな。

 それでいて、仕事をこよなく愛している。常人には理解不能だ」


「ええ、ほんと、そうですね」


「マリーベル君。君も彼が常人ではないと思うかね?」


「1人で10人分以上の仕事をこなす人なんて、常人じゃありません。

 むしろ最近、処理スピードが上がってます」


「なんともはや……だが、ああいうのが一人くらいはいてもいいのかもしれん」


 サラームスは、フッと笑みを浮かべた。


「何をおっしゃってるんですか⁉」


「仕事をすることは、罪ではない。それに、仕事が片付くなら、ギルドとしては大助かりだ」


 ギルド長は断定口調でそう言い切った。

  

「ギ、ギルド長がそうおっしゃるなら。仕方ないですけど……」


 マリーベルは眉をひくつかせながら、必死に理性をつなぎ止めていた。


「でも、一人までですよ。二人もいたら、こっちが過労死します!」


「はははっ、違いない」


 こうしてギルドの人々は少しずつ社畜に慣れていった。

 ……いや、すでに『浸食』は始まっていたのかもしれない。

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