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社畜、中毒する。

 1週間がさらに経過した。

 

 ――ギルドに存在するF級依頼が激減していた。

 マサトがF級の仕事を一挙に受注し、不眠不休のまま猛スピードで片づけているのだから仕方がない。


 そしてその成果は冒険者ランクを一つ押し上げるには十分だった。


「これがE級冒険者の印です……わけがわかりません……」


 受付カウンターのマリーベルが、震える手でEランクの冒険者証を差し出した。

 本来なら半年くらいはかかるはずの昇格を、マサトはわずか十日で――強行突破してきたのだ。

 手がぷるぷる震えても、誰が彼女を責められようか。


「ははは、『不眠不休でやれば楽勝』なんです!」


「何度も言いますけど、正気とは思えません……」


 マリーベルは震えるような声で言うが、マサトは笑みを深くしてこう言う。


「いえ、まだ働き足りないくらいですよ。むしろキツい仕事ほど嬉しいんです。労働の苦しみと痛み――それは大いなる喜びなのですッ!」


 マサトの顔には、「狂気の沙汰ほど面白い」とでも言いたげな笑みがある。

 社畜にとって『正気』とは、労働基準監督署のガサ入れ時にのみ出現する幻のようなものなのだ。


 その歪んだ笑顔にマリーベルは「うわぁ……」と言葉を失った。


「では、E級の依頼書を取ってきます!」


 社畜はギルドの求人が貼られた掲示板を覗き込み、例によって大量の依頼票をもぎ取り戻ってきた。


「これ全部!」


「またこんなに……E級からは低級モンスター討伐もあるんですよ。戦闘経験はおありなんですか?」


「下水掃除の時にスライムとかボコしてましたし、夜警の待ち時間に棒を振って練習していましたよ。だから、大丈夫です!」


「そ、そうですか……」


 いよいよ無謀としか思えないが、すべて自己責任。

 マサトは気にせず大量の依頼票を手にギルドを飛び出していった。


 さて、受注したE級の最初の一つは「一角ウサギ退治」。

 聞けばウサギが近郊の林を巣にし、農村や小さな集落を襲っては家畜や作物を奪い、被害が続出しているらしい。


 依頼は比較的危険度の低いモンスターであるウサギを10匹討伐するという内容。

 ただ脅威度は低いとはいえ、普通は野外で待ち伏せや各個撃破などを用いて1週間ほどで達成するのが通常だった。


 だがマサトは――


「まとめて片づけた方が効率がいいよなァ!」


 と、一角ウサギの巣穴へ直行。


 こうした巣穴へは通常パーティを組んで入るものだし、丁寧に時間をかけて攻略すべきなのだが――


「仕事は早い方がいい!」


 マサトは単身、それも危険を顧みずズカズカと入り込む。


 そんなことをすれば集団で取り囲まれるのは必定。

 だが、彼はそんなものは意に介さない。

 かえって「もっとまとめて来いよ、時間がもったいない!」とヘイトを集めてはウサギを次々にはたき飛ばす。


 低レベルモンスターと言えども数が多いから、ウサギの角攻撃が腕を抉り血が滴るのだが――


「痛たた……でも、頭が冴える! 痛み、最高ッ!」


 社畜は痛みを糧に加速していく。

 痛みは『眠気覚まし』の効果しかないのだ。

 となれば、巣穴は半日ほどで制圧されることになる。

 必要量の5倍ほどのウサギが天に召され、報酬はかなりのものになるであろう。


 だがその代償としてマサトの全身はボロボロ――


「ああ、働くって最高だ!」


 なのだが、そんなの関係ないらしい。

 身体が傷ついたくらいでは、社畜の労働意欲は衰えを見せなかった。

 

 さて、社畜は、ちょっとした寄り道をしてから、報告を行うべくギルドに戻る。


「ええっ、もうウサギ狩りが終わったなんて……」


 受付のマリーベルが心底ドン引きした声を漏らす。

 瞳に宿っているのは、まぎれもない呆れと恐怖。


「でも、ちょっと怪我がひどすぎませんか? 腕がボロボロですよ……」


「まぁ確かに……でも、血が出てるってことは元気ってことですから!」


 マサトがチロリと自分の腕を見やると、一角ウサギに貫かれたスーツは破けて皮膚が切り裂かれ、まだ血がしたたっている。

 ほかにも骨折一歩手前――重度の打撲傷などを複数受けてもいる。


「でも、大丈夫! これがあるから!」


 マサトは回復ポーションをラッパ飲みしながら叫んだ。


「ぷはぁぁッ! これぞ異世界のエナジードリンクッ!

 血と汗とポーションが俺の三大栄養素ッ!」


 傷がみるみる塞がっていく。代わりに瞳孔がキュピーンと光った。


「完全回復! 残業耐性向上ッ! さぁPDCA第二周目、開幕ですッッ!」


 回復ポーションはかなり即効性の高い品だ。

 さらに物凄い刺激で目がバッキバキに覚める。

 

 疲労もしゃっきりポン! 脳のネジがキュキュッと締まる音が聞こえた気がする。

 いや、締めるネジはもうどこにもなかったかもしれない。


「で、でも、飲みすぎない方がいいですよ……」


「大丈夫、エナドリみたいなものですから」


 ――(エ、エナドリ?! なにかのドリンクかしら……?)

 

 マリーベルはエナドリの事は知らないが(もう、ポーション中毒者ね)と思った。

 ※ポーションに依存性はございません。ええ、ございませんとも。


「ポーションって、それにけっこう高いものなんですけど……」


「大丈夫。これまでの報酬は全部これにつぎ込んでますから!」


「えええええぇぇっっ⁉︎ 報酬全額ポーション⁉︎」


 報酬を得たら、まず日々の生活費に充て、次に武具や防具の整備を優先する。

 余った資金は貯蓄し、まとまったら装備を買いそろえるのが冒険者の常識。


「自転車操業、火の車ですが、キャッシュが回っていれば何とかなるものです」


 だが、マサトは報酬のほとんどを――ポーションの購入に宛てているという。

 そりゃ、毎日怪我ばかりであれば仕方がないが。


 そして、マサトはポーションの残りを飲み干し――


「もう、これなしには生きてゆけません」


「そ、そうですか……」


 マリーベルの脳裏に、(やっぱり中毒者……)という思いが浮かんだ。

 脳が混乱して(ポーションやめますか? 人間やめますか?)というどこかで聞いたような問いすら浮かぶ。

 

 だが、その問いは誤りだ。


 社畜が中毒するのは、ポーションではない。

 それは『仕事』という名の麻薬――


「さぁ、次の仕事だッ!」


 社畜は今日も仕事に溺れるのだ。

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