社畜、出荷される。
しばらく大通りを進んだ先に『冒険者ギルド』と書かれた看板が見えてくる。
二階建ての洋風建築。扉の上には剣と盾のマーク。
「ここが新しい『会社』……いや、ギルドかっ!」
マサトは思わずごくりと唾を飲み込んだ。
中からは冒険者の喧噪、仕事の香りがする。
そう思った瞬間、彼の全身に力がみなぎった。
マサトは「ふぅ……」と吐息を漏らし、パシンッと両の手で顔を叩いて気合を入れて――
「よし行くぞ!」
迷わず扉を開け放つ。
中には多数の冒険者がおり、受付カウンターなどがある。壁面には所狭しと張られた無数の依頼票。
「うわあ……こんなに仕事があるなんて……!」
マサトは血走った瞳を見開きながら鼻息を荒くした。周囲の冒険者が「なんだあいつ……」とヒソヒソ囁くが、彼の耳には一切入らない。
「まずは、あそこかッ!」
仕事に飢えた獣が、受付カウンターへ突撃。
「いらっしゃいませ」
突撃を受けたのは受付嬢マリーベル――大変見目麗しい才媛であり、通常の異世界小説だったら500字くらいの背景情報を書くべきだが、今の社畜にとってはどうでもいいので、碧眼の金髪美人さんとだけしておこう。
「あら…………初めての方、ですね?」
彼女はいきなり迫ってきた男の形相に思わず驚いたが、受付のプロとして瞬時に表情を整え、「ご用件は?」と、大変可愛らしい笑みを返した。
美人受付の素敵な笑み。
通常の異世界転移者ならそこで『金髪で蒼い目の受付嬢、しかも爆乳。異世界最高、まじ最高ォ!』などと思うのだろうが――
「仕事をくださいッッッ!」
マサトは、受付カウンターに両手を叩きつけ、切実な叫びを響かせた。
「……ええと、冒険者登録はされておられますか?」
「ありません! 必要ならすぐやりますっ!」
「では、こちらの登録用紙にお名前とご経歴を――」
「すぐ書きますっ!」
マサトは受付嬢の手から用紙をもぎ取るように受け取ると、物凄い勢いでペンを走らせた。
登録書類がものすごい勢いで埋まり――
「ええと、お名前は……マサトさんですか。出身は日本……」
受け取った書類を眺めたマリーベルは(ここらでは見かけない名前だわ。日本って、ああ、異国の方なんですね……それで変な格好をしてるのね)と納得するが、その先を眺めて小首を傾げた。
「……特技が『不眠不休の残業』になっていますけれど?」
「寝ないで休まず働くってことです!」
普通なら「剣技が得意」とか「魔法が使えます」とある場所に、実に面妖なものが記されている。
「ええと……」
「具体的に言うと、三日三晩、寝ずに資料をまとめる系のスキルです!」
あまりにも真面目にそんなことを言うので、マリーベルは(冗談よね?)と、微妙な笑みを浮かべるにとどめた。
それ以外にも突っ込みどころ満載な記載があるのだから確認をせねばなるまい。
「それから、こちらは……?」
「職務経歴です! 1週間で企画書1000ページつくったことがあるんですよ! しかも0ベースでっ!」
その他、ブラック企業が好むような仕事の例がつらつらと書かれていた。
「今期の売上、5,000万追加でやれって、決算1か月前に言われて、年度末なのになんとか6,000万作ったこともあるんです。なぜかマイナス評価にされましたけど……ブラック企業あるあるですよね!」
「ブ……ブラック企業……ですか」
ブラック企業が何だかよくわかっていないマリーベルだが、なんとなくヤバさが伝わったので、微妙な笑みを、ひきつった笑いに変化させながらも仕事を続ける。
「事務スキルとかご商売のスキルは高いみたいですね……でも、冒険者の仕事って基本的には魔物討伐とか護衛や肉体労働系ですけれど、そのご経験は?」
「……学生時代に引っ越しとか宅急便の仕分けのバイトをしたくらいかなぁ? 職歴じゃないから、書いてませんけど」
まぁ、切った張ったの戦闘経験がある日本人なんてそんなにいない。
「ええと……では戦闘経験皆無で、肉体労働系もご経験なし……最低ランクのF級冒険者となりますわね」
「はい、それでいいです!」
社畜は切り替えが早かったり遅かったりするが、この時の彼は前者だった。
「最低ランクということは、ゼロから積み上げる喜びがあるってことだっ!」
マサトは「Fランクって響きはあれだけど!」などと言って前向きだ。
「前任者が放り出した炎上案件、しかも半年ほど放置して熟成された地獄のようなマイナス案件を、今日からお前が担当者だって言われたことだってあるんです! それに比べたら、ゼロイチなんて、望外の幸せッ!」
「はぁ……」
マリーベルは「では」と、何やら木の札の様なものを取り出した。
「これがFランク冒険者証です。なくさないでくださいね」
「おお、これが社員証、もとい冒険者証か!」
冒険者証を受け取ったマサトの顔がニパァっと明るくなる。
まるでニートが初めて『社員証』を手にしたときの様な輝きだ。
「これさえあれば仕事ができる……! うおおおおおッしゃああああッ!!」
「よ、よかったですわね。それでは、依頼はあちらの掲示板に……」
説明が終わらないうちに、マサトは掲示板へ猛ダッシュ。
周囲の冒険者を唖然とさせながらFランマークの依頼票をバババッ! と入手して、すぐさま取って返して、束になったそれをカウンターへ叩きつけた。
「これ全部やります!」
「えっ、えぇっ⁈ 一度にそんな……」
「大丈夫です」
「大丈夫って、初心者なら一つずつ受けて慣れていくものなんですよ?」
マリーベルは絶句し、周囲の冒険者たちも――
「おい……あいつ正気か?」
「F級でその数はねぇだろ……」
「てか、しぬぞ……」
と、ざわめく。
「それに期限があるのだから、こんなにいっぺんは無理です!」
「72時間ぶっ通しで働けば終わります!」
「はぁ? そんなの……絶対に倒れます!」
「むしろ休んだほうが倒れますッ!」
マサトの言葉に周りの冒険者が改めてどよめく。
自ら『死なない』と言い放っているような態度なのだから当然だ。
そして困ったことにそれは事実だった。
「で、でも……」
「早く手続きをお願いします!」
マサトは「仕事の邪魔になるからデモとかストは嫌いです!」などとオヤジギャグを吐きながら処理を熱望。
マリーベルは渋々処理をすすめざるを得なかった。
「では、依頼内容を確認します。昼の荷運び、夜の警備、下水掃除、郵便搬送、厩舎掃除と餌やり、廃棄物回収、水汲み、屋根の修理、道路の穴埋め、古文書整理。ええと、期限は一週間以内です……」
マリーベルは目を剥きながら依頼を確認した。
「あの、本当にやるんですか?」
「はい! 俺、働けるだけで幸せなんですっ!」
答えになっていない答えを言い放つマサトに、マリーベルは完全に言葉を失った。
だが、規約上自己責任で複数依頼を受注することは不可能ではない。
マリーベルは渋々と言った体で依頼書をマサトに手渡した。
「じゃあ、行ってきますね!」
「い、行ってらっしゃいませ…………」
マサトは脱兎のごとくギルドを飛び出した。
石畳を全力で疾走する音と、「仕事、仕事、仕事ぉ――……」という咆哮が聞こえるが、すぐに遠くなった。
呆然とその背中を見送ったマリーベルは、ぽつりと呟く。
「もしかして……とんでもない人を登録しちゃったのかも……」
鋭い。その直感は、完全に的中していた。
社畜という名の災厄、
リコール待ったなしなのに、回収不可能の危険物、
甲種第一類危険物よりも危険な、核爆級の労働兵器、
マリーベルは、すなわち『社畜』を出荷してしまったのだ。
彼女に罪はないが、後悔が後に立つのは間違いないだろう。