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社畜、嗅ぎつける。

「う……」


 マサトが目を開いたときに、まず目に飛び込んできたのは雲ひとつない透き通るような青空だった。


 「ここが異世界?」と呟きながら、上半身を起こした。

 見渡す限り、どこまでも草原が広がり、爽やかな風が頬を撫でる。


 しかし次の瞬間、強烈な違和感が襲う。

 明らかに自分の知っている世界ではない。

 空には『三つの月』が浮かんでいた。


「まさに異世界……うぐっ!?」

 

 マサトは胸に激しい痛みがあるのを思い出す。

 それは心臓を刃物で突かれたような痛みであったが――


「これだ! この激痛で意識が研ぎ澄まされる……フハハハハ!」


 異世界と、生きていることを実感した社畜だけが出せる狂気の笑みだった。


 その上、彼の目には、中世風の城壁を持つ町も見えている。


「すごく異世界っぽい町だぞ!」


 そして社畜は仕事の匂いに敏感だ。


「あそこなら仕事の一つや二つあるだろう!」


 興奮にも似た感情が込み上げ胸が高鳴り、笑みがさらに歪んだ。

 

「ウォォォォォォッ!」


 仕事(獲物)の臭いを嗅ぎつけた仕事に餓えた狂犬が駆け出す。

 燃えよアクチン、爆ぜよミオシンとばかりの全力疾走で。


 ほどなくして、マサトは石造りの門の前に出る。

 高さは5メートルほどで、頑丈そうな扉は閉じられている。

 前には甲冑をまとった男が立っていた。


 いかにも厳格そうで、怪しいものがいたら絶対に通さんぞという――門番。

 

「お前、なんだその風体。異国から来た旅の者か?」


 マサトはボロスーツに擦れたネクタイ、革靴――ビジネスマンスタイル。

 そう思われても仕方がないだろう。


 そして並みの異世界転移者なら、ここで身分証や通行証を求められる可能性に気づき、対応に苦労するだろうが―


 だが、マサトは違う。

 そんなことは考えもしていない。


「異国? そんなことより――この町には『ある』んだろッ⁉」


 頭の中が、自分の生きがいを求めることでいっぱいだからだ。

 マサトは、いきなり門番に詰め寄り、槍をグワシと掴んだ。


「な、何をするっ!」


 マサトは何かに魅入られたように目を怪しく光らせ、槍を握りしめて離さない。

 門番はかなりの体躯で目方もあるが、まったく振り払えなかった。


「こ、この――!」


 埒が明かないと思った門番は、サッと武具を離してから、抉るような勢いでマサトを殴りつけた。


 だが、悲鳴を上げたのは門番の方だった。 

 マサトが胸元に入れておいたスマホに、拳がバキッ! と当たったのだ。


 これでスマホ無双もできないが、マサトにとってはそんなことはどうでもいい。


「なァ………………時間が惜しいんだ……

 早く、早く……教えてくれぇぇぇぇっ……」

 

 ユラリと視線を向けてそう言った。


 その目をみた門番は「ひぃっ?!」と鋭い悲鳴をあげる。

 血走った眼の中には、常軌を逸した光があったからだ。


「あるんだろぉぉぉぉ?」


「なっ、なんのことだ、なにを言っている?」


「あるなら、寄こせぇぇぇぇぇぇ……」


「おい、ち、近づくな――っ⁈」


 『命を寄こせぇ』と言わんばかりに、にじり寄るその姿は――

 『忍び寄るもの』や『闇に蠢くもの』を思わせる、怪異のようだった。


 恐慌状態に陥った門番は「やめろ――っ⁈」と叫んで数歩後ずさり、腰を抜かしながらこんなことを叫ぶ。


「お願いだ、俺には家族がいるんだ! 殺さないでくれぇぇっ!?」


「殺す……?」


 マサトはふと立ち止まり、門番を見下ろす。


「いや、それは違う」


 スッと顔の表情が変わった。

 暴走が一巡して冷静になり、人にものを聞く態度ではないとわかったのだろう。

 自分の状況を客観的に見つめなおして、(いかん、やっちまった)と思ってもいた。 


「あのぉ……この町に、『仕事は』ありますか?」


 マサトは、主語を明確にして、丁寧に尋ねた。

 

「し、仕事だと⁈ し、仕事が欲しいのか……」


 門番は一瞬(こ、こんな危ないヤツに仕事なんてあるか?)と思ったが――


「……仕事なら、この町の『冒険者ギルド』でなら見つかる、だろう」


「うわ、やっぱあった――っ!」


 マサトは素っ頓狂な声を上げた。

 異世界あるあるの定番ガジェットは、この世界にもあるのだった。


「ぼ、冒険者ギルドには、どれくらい仕事があるんですかぁぁ⁈」


「ある……いつも依頼が、そう、片づけきれないほどある」


 それを聞いたマサトは「ひへはぇあ!」と良くわからん声を上げ、顔をクシャッと歪ませて笑みを浮かべた。


「仕事がある! なんて素晴らしい世界だ! 天国なんかよりもずっとマシだァ!」 


 まるで酔っぱらって落とした財布がすぐ見つかった時のような圧倒的愉悦。

 「ありがとう、ありがとう!」などと泣き始めたりもする。


「お前、冒険者になりたいのか?」


「はい、なります!」


「ならばしかたない、通してやる……」


 門番が言うには、マサトみたいに危ない奴はこの場でつき返す決まりだが、異世界あるあるなルールで、そう言うことになっているらしい。

 この世界の冒険者は大変危険な職業で、いつも人手不足らしいから、ネコの手でも借りたい、とも。


「冒険者ギルドは街路の奥だ」


「しゃああああああっ!」


 門番が門を開けると、マサトは狂気に満ちた歓声とともに門をくぐり、アホみたいな全力疾走で街へと駆け込んでいく。


 あっけに取られた門番は(もしやアイツは狂気の神の信者――決して触れてはならぬ無敵の人。くわばらくわばら)などと見送るほかなかった。


「仕事、仕事、仕事ッ!」


 街へ入り込んだマサトは石畳を一心不乱に走る。


 理由は分からないが胸の痛みが軽い――仕事に向かっているからだ――彼はそう確信している。通勤が仕事の一部であると言う理屈なのかもしれない。


 街路には多数の住民がいるが――


「仕事、仕事、仕事ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!」


 『仕事』を連呼する人間機関車が、蒸気を上げて暴走すれば道を開けるしかない。


(きっとこの世界には割に合わない危険な魔物退治とか、『軽作業』と呼ばれる超重労働、理不尽なお貴族様の身勝手の極み溢れる陰湿案件――ありとあらゆるブラック案件が存在するはずッ!)


 マサトの頭の中はそんなことでいっぱいだ。


「待ってろ、俺の仕事ぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 仕事という生きがいを目指して、社畜はただただ走り続ける――

 それは、終わりなき労働天国へ至る、歓喜と栄光の激走だった。

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