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社畜、休む。

 激戦の果て、マサトは飛び出すように、誰よりも早く帰路についた。

 

「無理をしすぎた、か……」


 魔王戦の反動が身体を蝕んでいた。

 女神の祝福は、匂い立つ影さえ残っていない。


「体が、言うことをきかない……」

 

 疲労が、身体を限界へと追い詰めていた。

 だが、休むわけにはいかない。マサト自身が、それを許さなかった。


 ここで止まれば、何かが壊れてしまう――

 そんな予感だけが、彼を突き動かしていた。


 「だから、前へ……うぐっ」

 

 それでも、痛みを押し殺し、進み続ける。

 『帰るべき場所』――その思いだけが、彼の足を前へと運んでいた。


 ようやく、門が見えた――『いつもの町』だ。


「お、おい、大丈夫か、マサト?」


 マサトの足元には、戦場の泥と血がこびりついたままだった。

 どれだけ洗っても落ちない“働いた痕”――彼の道のりを物語っていた。


「通してください、帰るんです……」


 門番は言葉を失い、ただ静かに道を開けた。


 マサトは、大通りの石畳を、一歩ずつ踏みしめるように進んだ。


「目がかすむ、でも、あと少し」


 あの人に、どうしても伝えたい言葉がある――

 その想いだけを胸に、マサトは足を引きずるように歩を進めた。


 そして、揺れる視界の彼方に、見慣れた看板が滲むように現れた。

 いつもの喧騒も、かすかに耳をかすめる。


「あぁ、ギルド……か」


 唾を飲み込み、ふらつきながら扉を押し開けた。

 

「マサト――!?」


 冒険者たちの視線が一斉にマサトへ注がれる。

 そしてすぐに、様子がおかしいと気づいた。


 いつもの彼なら、すぐにカウンターへ駆け寄るはずだった。

 だが今は、一歩も動かず、ただ立ち尽くしていた。


「大丈夫か……ッ!?」


 冒険者たちは駆け寄り、声をかけた。


「もう……一歩も動けません……」


 冒険者たちの間に、驚きと動揺が広がる。

 マサトがそんなことを口にするなど――誰も想像したことすらなかった。


 だからこそ、誰もが口々に「もういい、少し休め」と声をかける。


「でも、『マリーベル』に報告しないと……」


 マサトは、今にも途切れそうな声で、それだけを絞り出した。


 次の瞬間──冒険者たちが一斉に叫んだ。


「マリーベルさんッ! マサトが帰ってきたぞッ!」


 冒険者たちの声がギルドを揺さぶった。


「えっ……マ、マサトさんッ!?」


 呼ばれたマリーベルは、扉の前に倒れたマサトを見つけ――


「すぐ行きますッ!」


 周囲に風を巻き起こす勢いで、マリーベルは駆け寄った。

 

 そして――


「マサトさん……」


 マリーベルは声を詰まらせ、目の前のマサトを見つめた。

 そこにあったのは、生気の抜けた顔と、かすかな息遣いだけだった。


「ただいま……帰りま……」


 振り絞った声が途切れ、マサトが崩れ落ちる。


「あぁっ!」


 マリーベルは、崩れ落ちるマサトを受け止めた。


「しっかりして、マサトさんッ!」


 彼の名を何度も呼びかけるが、返事はなかった。


 残ったのは、腕に伝わるぬくもりと、かすかな呼吸だけだった。



 それからどれだけの時間が経っただろうか――


「……う」


 やがて、マサトがゆっくりと目を開けた。


「ここは……ギルドの宿舎、か」


 本来なら、自分しかいないはずの場所。

 

 だが、すぐそばで、


「あっ、目を覚ましたっ!」


 聞き慣れた、マリーベルの声がした。


「いまは、静かにしててください……ほんと、大変だったんですから」


「あ、あぁ……」


 どうにか事情を察したマサトは、


「ご迷惑をおかけしました」


 かすれた声で、謝った。


「ふふっ、迷惑なんていつものことです」


 マリーベルは、怒るでもなく優しく微笑んだ。


「とにかく、今はゆっくり休んでください」


「休む……」


 マサトは、その言葉に少しだけ目を細めた。


 いつもの彼であれば、そんな言葉には耳を貸さなかっただろう。

 けれど、この時ばかりは違っていた。


「あたたかい……」


 マリーベルの手が、そっと彼の指を包んでいた。

 そのぬくもりが、静かに胸の奥へと染みていく。


「だって、こうしてないと、また飛び出していっちゃいそうで……」


 マリーベルは、わずかに声を震わせながら言った。

 頬には、気恥ずかしさと、言葉にできない想いの色が滲んでいた。


「私は、あなたのお目付け役なんです……よ?」


 ……少し伏せられた瞼の奥で揺れる視線が、何よりも彼女の想いを映していた。


「私が見てるから……安心して、休んでください」


 もう、それを口にするだけで精いっぱいだった。

 こらえていた涙が、そっとマサトの頬を湿らせた。

 添えられた指先も、かすかに震えていた。


 声は、なくとも、胸の内は、しっかりと届いている。

 

 だから、マサトは――


「ありがとう……マリーベル」


 目を見つめ、指先にそっと力を込め――


「君が、いてくれて、本当によかった……」


「……はい」


 想いは、十分に伝わっていた。


 もう、ふたりの間に、それ以上の言葉は必要なかった。


 Fin.

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